狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『雪渡り/宮沢賢治』です。
文字数7000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約19分。
偏見をしないこと。むやみに他人を疑わないこと。
無実の罪を着せられても腐らず正しく生きること。
感動的な物語。しかし……
場の空気読んだだけじゃね? 人身御供の物語じゃね?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
雪が凍ったある晴れた日、四郎とかん子の兄妹は森の近くで、白い小狐の紺三郎に出会う。彼らは歌を歌い合って意気投合する。
そのやりとりの中で、紺三郎は団子を兄妹にあげようとする。かん子は団子が兎のフンで、自分たちをだますつもりじゃないかと歌う。
紺三郎は笑って否定する。狐が人をだますというのは、酒に酔った大人や臆病者の話で、狐は無実の罪を着せられている。
紺三郎はさらに団子を勧めるが、四郎は餅を食べてきたばかりだからと丁寧に断る。すると紺三郎は幻燈会の入場券を兄妹に渡し、団子もその際にさしあげましょうと提案する。
つぎの雪が凍った月夜の晩、四郎とかん子が狐の幻燈会に出掛けようとすると、二番目の兄二郎が自分も行きたいと言い出す。
が、狐の幻燈会には年齢制限があり、十二歳以上は参加できないことを四郎が告げると、二郎はすんなり諦めて、お土産に鏡餅を持たせてくれる。
一郎二郎三郎の兄弟に見送られて家を出た四郎とかん子は、狐の小学校にやってくる。紺三郎と挨拶を交わし、お土産の鏡餅を渡す。幕の横に「寄贈、お餅沢山、人の四郎氏、人のかん子氏」と大きな札が出ると、狐の生徒たちは喜んで手をたたく。
狐の幻燈会は紺三郎の司会で進行していく。
『お酒をのむべからず』のお題では、酒に酔った人間のおじいさんが野原のまんじゅうを食べる写真、酒に酔った若者が野原のおそばを食べる写真が、目の前のスクリーンに映し出される。
歌が終わって写真が消えると小休止が挟まれ、四郎とかん子の前に団子の乗った皿が運ばれてくる。狐の生徒たちはみな、兄妹が食べるだろうか、と注目している。
四郎とかん子は躊躇するも、四郎が「紺三郎さんが僕らをだますわけがない」と言うと、二人は団子をすべて食べた。団子はとてもおいしかった。狐の生徒達は躍り上がってそれを喜んだ。
『わなを軽べつすべからず』、『火を軽べつすべからず』と幻燈は続き、それらが終わると幻燈会はお開きとなる。
終わりの挨拶で紺三郎が言う。
今夜は人間のお子さんが狐の団子を食べてくれました。みなさんはこれを深く心に留め、大人になってもうそをつかず、人をそねまず、いままでの狐の悪評をすっかりなくしてしまうだろうと思います。
狐の生徒たちはみんな感動し、キラキラ涙をこぼした。
四郎とかん子は森を出た。青白い雪の野原の真ん中に三人の黒い影がきていた。それは迎えにきていた兄たちだった。
狐人的読書感想
人は、偏見をしないこと、むやみに他人を疑わないこと。
狐は、無実の罪を着せられても腐らず、正しく生きることでその悪評をなくしてしまおうと努めること。
すばらしい教訓の含まれた童話ですね。
「狐人」的にはより身につまされる思いがします。
ストレートに読んでみても雪の野原や森の情景が美しく、狐と兄妹の歌やオノマトペが楽しく、素朴で感動的なお話だと思えるのですが、調べてみるとじつに多様な読み方があって、驚くとともにとてもおもしろく感じました。
なんでも『悪夢ちゃん』というドラマの中でこの作品が取り上げられたということですが、そのドラマの中で話された主人公(北川景子さん演じる女教師)の見解が非常に興味深く思いました。
要するに、四郎とかん子が狐の団子を食べたのは、二人が狐のことを信じたわけではなくて、周りの空気を読んだ結果に過ぎず、お腹をこわすおそれがあるから食べるべきではなかったのだ――というものなのですが、だいぶひねくれたものの見方をするなあ、と、ひねくれものの僕も思わず感心してしまいましたが、おもしろい意見ではありますよね。
四郎とかん子の周りには、たしかに期待する狐の生徒たちがいて、「食うだろうか。ね。食うだろうか。」とひそひそ話し合ったりしています。
「食べたくない」とは言いにくい状況ですよね。
場の空気を読む力は人間社会を生き抜く術として大切だけれども、しっかりと自分の考えを持って、ときには周囲の期待とは反対の行動を取ることも大切だとドラマでは教えていて、たしかにそうだよなあ、などと唸らされるところがあります。
併せて、もし狐の団子を食べるのならば、それによってお腹をこわすかもしれないということをちゃんと考慮に入れて食べるように、というところは、人生あらゆる最悪のケースを想定して、何事も自己責任で行わなければならないのだという、とても現実的な教訓を教えているんですよね。
う~ん、ひねくれてるな、とは感じましたが、だけど頷かされる部分はたしかにあって、現代だからこそ、このような教育があってもいいように感じて、大変勉強になりました。
じつはこの物語、全体的に見ても感動的なストーリーとは真逆の物語として読むこともできるそうです。
この『雪渡り』は「人身御供」の物語だといいます。
言われてみればところどころ思わせぶりな表現があり、この論にも一定の説得力があるように感じられるんですよね。
たとえば、狐は神の御使いであるという説、紺三郎が最初からなぜか兄妹の名前を知っていたこと、兄妹の家族(兄たち)とはあらかじめ話がついていて、だから二郎は狐の幻燈会への同行をすんなりと諦めたこと、紺三郎が執拗に兄妹に団子を食べさせようとする理由、神への供え物を連想させる「寄贈、お餅沢山、人の四郎氏、人のかん子氏」という札の真の意味、寄贈されたのはお餅だけじゃなかったのか、団子には命を奪う毒が仕込まれていたのか、黒い影が迎えにくるという意味深なラスト……。
信じるか信じないかはあなた次第。
自己責任でお願いします。
――というのが今回のオチです。
読書感想まとめ
偏見をしないこと。むやみに他人を疑わないこと。
無実の罪を着せられても腐らず正しく生きること。
狐人的読書メモ
なぜ、狐の幻燈会には年齢制限があり、十二歳以上は参加できないのか?
表現教育においては「九歳の節目」あるいは「十歳の壁」という考え方があり、人間は数え年の十一歳、満年齢の九歳から十歳で急速に知能が伸び、大人の思考方法を体得する区切りだと考えられている。
これを意識しての発想か。
あるいは単純に小学校(尋常小学校、国民学校初等科含む)の修了年齢が十二歳ということかもしれない。昔は小学校を卒業すれば働く人も多く、それは大人になることを意味していたに違いない。いずれにせよ「十一歳までを子供だから」とする読みで間違いないだろう。
・『雪渡り/宮沢賢治』の概要
1921年(大正10年)『愛国婦人』にて初出。宮沢賢治のデビュー作といわれている。この原稿料が著者が手にした生涯唯一のものであったらしい。いろいろな読み方ができてとてもおもしろい。万人におすすめできる。
以上、『雪渡り/宮沢賢治』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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