夾竹桃の家の女/中島敦=南国の妖艶な女の熱帯の魔術に打ち克て!

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

夾竹桃の家の女-中島敦-イメージ

今回は『夾竹桃の家の女/中島敦』です。

文字数4000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約12分。

南国、風のない午後、暑い、ジャスミンの濃厚で強烈な香り、濃く、重く、ドロリと液体化した空気、上半身裸の美しい女、女の子座り、熱い視線の意味、熱帯の魔術にアナタは克てる?

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

パラオのある島で、風のない午後。曇り空、空気は湿っていて重く、暑い。デング熱が治り切っていない「私」は、重い足を引きずるように歩いていた。

疲れがたまらなくなってきた頃、夾竹桃の紅い花を群がらせている家を見つけて、「私」は少しだけ休ませてもらおうと思った。

薄暗い家の中には誰もいない。太い丸竹を並べた床に、白い猫が寝そべっているだけだ。「私」は勝手にあがばなに腰掛けて休む。

タバコに火をつけて、ビンロウの木を眺める。ビンロウの種は噛みタバコの原料になるので、この辺りの家にはだいたい生えている。

ビンロウに並んで夾竹桃の花、インドジャスミンの強烈なほど濃厚な香り――濃く、重く、ドロリと液体化した空気。

「私」はちょっと後ろを振り向いて、驚いた。そこにはいつの間にか、一人の女が座っていた。

そこにいたはずの白猫はいなくなっていて、「私」は一瞬だけその白猫が女に化けたのではないか、といったようなおかしな幻想に捉われる。

女は上半身裸で、鳶足とんびあしに座って、赤ん坊を抱いている。赤ん坊には乳首を含ませていた。

「私」は言葉が不自由なのもあって、断りを入れるのも忘れて、黙って女を見つめていた。美しい女だった。

女も「私」を見つめていた。しばらく見つめ合っていると、「私」はふいに女の視線の意味に気づいた。

「私」は徐々に熱帯の魔術にかかっていくようだったが、病後の身体の衰弱が「私」をその呪縛から解き放った。

振りむいたままの姿勢で、横腹と首の筋がいたくなり、思わず姿勢を戻すと、ほっと溜息をついた。

「私」は「サヨナラ」と日本語で挨拶してその場を立ち去った。女はひどい侮辱でも受けたような顔をして私を見据えた。

その後、宿に帰って、食事の世話をしてくれる知り合いの島民女に夾竹桃の家の女について訊くと、「あの人、男の人、好き」という返事があって、「私」は先程の醜態を思い出して苦笑せざるを得なかった。

昼寝の後、再び散歩に出た「私」は、また夾竹桃の家の女とすれ違うのだが、女は「私」の顔を見ることもなく、怒った様子もなく、「私」の存在自体を認めていないかのような、澄ました無表情で通り過ぎていった。

狐人的読書感想

夾竹桃の家の女-中島敦-狐人的読書感想-イメージ

ジャスミンの強烈な香り、ドロリと液体のような空気、濃く、重く、そして暑い――南国の空気が印象的な小説でした。

短い小説なので、この空気を味わうだけでも、読んだ価値が充分にあったなと、そんなふうに思わされる作品です。

また同時に官能的な雰囲気漂う本作ですが、結局「私」は熱帯の魔術に屈することなく、女の誘惑に負けることなく、それで物語は終わってしまいます。

「私」のように、なんだかほっとしたような、物足りないような。

「据え膳食わぬは男の恥」とも言いますし、「出てきた銃は撃たれなければならない」(チェーホフの銃)とも言いますし、なんとなく「そこは男なら!」という気もしないではないですが、まあ、普通に考えて、産後間もないらしい女を押し倒すわけにもいかず、「私」の理性的な態度は称賛されてしかるべきなように思います。

とくに昨今は、芸能人や議員の浮気報道が多いので、そんな方々には「私」を見習ってほしいですね(笑……え、ない?)

そして、これを小説技法(物語技法)的には「すかしのテクニック」なのかな、と捉えれば、やっぱり勉強させられた気になります。

とかなんとか。

しかしながら、南国の人々というのは、「性」に対して奔放だというイメージがたしかにあります。

男を誘惑する女の態度と、その誘惑をはねのけようとする男の態度の違いは、そのままそれぞれの社会の成熟具合の差なのかな、などと考えてみれば、社会とは「まず欲望を閉じ込めてしまう『檻』である」みたいなことがいえるのかな、などと思って、なんとなく感慨深いものがあります。

また、南国の空気同様に、女の魅惑的な描き方も秀逸な小説だと思いました。

とくに「私」が、女は白猫が化けたのではないか、と思うところなんかは、日本的な妖しい空気さえ感じられますよね。

ふと、女の座り方で「鳶足とんびあし」って何? と、思ったのですが、これはただの女の子座りを表す言葉のようで、とはいえそんな言い方もあるんだなと、勉強になりました(上の絵の女の子の座り方です)。

てか、なんとな~く、女の子座りにも、女性の魔性が感じられますよね(ただの偏見?)。

タイトルの『夾竹桃の家の女』の「夾竹桃」は桃に似ている花のようです(一番上の絵です)。けっこう強い毒があるそうで、「綺麗な花には毒がある」と妖しい美人を表すのに使われる言葉がありますが、「夾竹桃」はこれに通じる花ともいえそうです。

全部計算されて書かれているのかなあ、と思うと、本当にこの小説の上手さを実感できます。

「私」が「サヨナラ」と日本語で挨拶して夾竹桃の家を立ち去ったシーンでは、日本とパラオの文化についてふと思わされるところがありました。

これまでに、『南国島』三部作の読書感想を書いてきたときに、散々パラオ文化を感じていたのですが、最近テレビで「日本とパラオの関係」について取り上げられていたのを思い出しました。

テレビでやるくらいなので、いまや有名な話なのかもしれませんが、日本とパラオには密接な関係があります。

それはよく似た国旗にも表れているのですが、戦時、パラオは31年間も日本の統治下にあったことが影響しているからです。

第二次世界大戦での「パラオ・ペリリュー島の戦い」が話としては有名なようですが、日本軍は当時現地人をいっさい戦いに巻き込もうとはしなかったといい、そのために、いまでもパラオの人たちには親日家が多いそうです。

宗教的にも「多神教」であるというもともとの共通点もあって、文化的にも欧米より受け入れやすかったのかもしれませんね。

現代のパラオでも、多くの日本語が使われていたり、人々の名前に日本人名が残っていたりと、日本統治時代の名残が残っていることには驚かされました。

どこか戦争、植民地というと、占領する国とされる国には、悲しみや憎しみしか残らないイメージがあるのですが、パラオと日本みたいな、のちにまで続く文化交流を構築できることもあるんだなあ、と思えば、愚かしいばかりでない戦争の一面を見たように思います。

全体的に見れば、やっぱり戦争は、愚かで、悲しく、救いようのないことに変わりはないのですが、そんな中にも希望が見出せる話があるのは、ひとつ人間の、救いようがある部分のように感じるんですよね。

勝手な解釈かもしれませんが……。

物語的にはおもしろみに欠けるかもしれませんが、南国の濃密な空気と女の妖艶な魅力を感じ、小説技法を学べ、さらに日本とパラオの関係に思いを馳せておもしろい作品だ、と僕は思ったので、未読の方にはぜひぜひおすすめしたいです。

読書感想まとめ

これが『夾竹桃の家の女』の見どころだ!

・濃密な南国の空気
・妖艶な女の魅力
・秀逸な小説技法
・日本とパラオの関係

未読の方へおすすめします。

狐人的読書メモ

ラスト、夾竹桃の家の女の澄ました無表情には強烈な女のプライドを感じる。自分を袖にした男に対し、その存在さえも無視するような態度には、女の怖さというか、何か根深いものを感じる。これは自分に自信のある、美しい女性に特有なものなのか、それとも女性には全般的にいえることなのか、というところにはちょっと興味を抱いてしまう。

・『夾竹桃の家の女/中島敦』の概要

中島敦の短篇紀行集『環礁 ―ミクロネシヤ巡島記抄―』収録。物語性はあまりないが、狐人的にはおもしろかった。おすすめ(ただし人は選ぶと思う)。

以上、『夾竹桃の家の女/中島敦』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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