狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『青水仙、赤水仙/夢野久作』です。
夢野久作 さんの『青水仙、赤水仙』は文字数1400字ほどの短編小説です。これは無垢な物語。うた子さんと、赤と青の水仙の精。夏休みの宿題の読書感想文と自由研究。この小説を読めば一石二鳥で片付いてお得です?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
(100字で読めるあらすじ)
お庭に青水仙、赤水仙を咲かせようとしたうた子さん。お父様が畠を作って台無しに。泣いているうた子さんの前に現れたのは二人の綺麗なお嬢さん。どうぞ遊んで下さいましね。仲良く遊ぶ三人の日々。お別れのとき。
(短い、パブリックドメイン、どうぞ)
『青水仙、赤水仙/夢野久作』
うた子さんは友達に教わって、水仙の根を切り割って、赤い絵の具と青い絵の具を入れて、お庭の隅に埋めておきました。早く芽が出て、赤と青の水仙の花が咲けばいいと、毎日水をやっておりましたが、いつまでも芽が出ません。
ある日、学校から帰ってすぐにお庭に来てみると、大変です。お父様がお庭中をすっかり掘り返して、畠にしておいでになります。そうしてうた子さんを見ると、
「やあ、うた子か。お父さんはうっかりして悪い事をした。お前の大切な水仙を二つとも鍬で半分に切ってしまったから、裏の草原へ棄ててしまった。勘弁してくれ。その代り、今度水仙の花が咲く頃になったら、大きな支那水仙を買ってやるから」
とおあやまりになりました。
うた子さんは泣きたいのをやっと我慢して、裏の草原を探しましたが、もう見つかりませんでした。そうしてその晩蒲団の中で、「支那水仙は要らない。あの水仙が可愛いそうだ。もう水をやる事が出来ないのか」といろいろ考えながら泣いて寝ました。
あくる日、学校から帰る時にうた子さんは、「もううちへ帰っても、水仙に水をやる事が出来ないからつまらないなあ」とシクシク泣きながら帰って来ますと、途中で二人の綺麗なお嬢さんが出て来て、なれなれしくそばへ寄って、
「あなた、なぜ泣いていらっしゃるの」
とたずねました。うた子さんがわけを話すと、それでは私たちと遊んで下さいましなと親切に云いながら、連れ立っておうちへ帰りました。
二人はほんとに静かな音なしい児でした。顔色は二人共雪のように白く、おさげに黄金の稲飾りを付けて、一人は赤の、一人は青のリボンを結んでおりました。うた子さんはすこし不思議に思って尋ねました。
「あなたたちはそんな薄い緑色の着物を着て、寒くはありませんか」
「いいえ、ちっとも」
「お名前は何とおっしゃるの」
「花子、玉子と申します」
「どこにいらっしゃるのですか」
二人は顔を見合わせてにっこり笑いました。
「この頃御近所に来たのです。どうぞ遊んで下さいましね」
うた子さんはそれから毎日、三人で温順しく遊びました。本を見たり、絵や字をかいたり、お手玉をしたりして日が暮れると、二人は揃って、
「さようなら」
と帰って行きました。お母さんは、
「ほんとに温順しい、品のいいお嬢さんですこと。うた子と遊んでいると、うちにいるかいないかわからない位ですわね」
とお父さんと話し合って喜んでおいでになりました。
そのうちにお正月になりました。
うた子さんは初夢を見ようと思って寝ますと、いつも来るお嬢さんが二人揃って枕元に来て、さもうれしそうに、
「今日はおわかれに来ました」
と云いました。
うた子さんはびっくりしましたが、これはきっと夢だと思いましたから安心して、
「まあ、どこへいらっしゃるの」
と尋ねました。二人は極りわるそうに、
「今から裏の草原に行かねばなりません。どうぞ遊びに入らっして下さいね」
と云ううちに、二人の姿は消えてしまいました。うた子さんはハッと眼をさましましたが、この時やっと気がつきまして、
「それじゃ、水仙の精が遊びに来てくれたのか」
と、夜の明けるのを待ちかねて草原へ行ってみました。
草原は黄色く枯れてしまっている中に、水仙が一本青々と延びていて、青と赤と二いろの花が美しく咲き並んでおりました。
狐人的読書感想
いかがでしたでしょうか?
僕がこの小説を一言で表すならば「無垢な物語」という感じがします。
大人とか子供とかにかかわらず、現代ではどこか忘れられているような……、読後、そんな印象を受けました。ぜひいろんな世代の方に読んでいただきたい作品です。
――しかしながら、やはり夢野久作 さんの「九州日報シリーズ」はいいですねえ……。
前回読書感想を書いた太宰治 さんの小説のときにも書きましたが、代表作の印象が強すぎて(夢野久作 さんの場合は三大奇書に数えられる『ドグラ・マグラ』)、「九州日報シリーズ」は、僕を含む初心者には意外性が感じられる作品群です。今後も追っていきたいと思っているので、興味がわいた方は当ブログのカテゴリー:『夢野久作』からぜひに。
(前回読書感想を書いた太宰治 さんの小説)
まず読書感想文を片付けよう(うた子さん、いい子!)
さて、ここからは内容について、つらつら書いていきたいと思います。お付き合いいただけましたら幸いです。
まずは、うた子さんいい子だなあ、と思いました(ちょっとバカっぽい感想ですが)。
自分が大切に育てていた花を、お父さんが台無しにしてしまったら、思わず泣き喚いて(?)しまいそうですが、うた子さんは泣きたいのを我慢して、捨てられてしまった水仙をすぐに探しに行っています。
結局水仙は見つからず、「あの水仙が可愛そうだ」と泣いて眠るわけですが、こういったところにも、うた子さんの心のやさしさが感じられて、いい子だなあうた子さん、と思いました(もういいって)。
ここでちょっと深読みしてみました。
うた子さんの水仙を台無しにしたのは、ひょっとしたらお父様のやさしさだったのかなあ? ということなのですが。
うた子さんは水仙を植える前に根を切り割っています。そのせいなのか、毎日水をやっても、いつまでも芽が出ませんでした。
根を切り割ったことで、水仙がダメになってしまい、それを知っていたお父様が……、といった真実はいかがでしょうか? (ついでに、つぎの項で述べますが、赤い絵の具と青い絵の具を根に入れても、赤と青の水仙の花は咲かなかったと推察できるので、思い通りの色の花が咲かずに悲しませるよりは……、といった理由づけもできます)
自分が水仙をダメにしたといって悲しませるのと、お父様が台無しにしたといって悲しませるのとでは、悲しみの質が変わってくるように思いますが、……正直、自分で言っていて無理矢理過ぎるだろ、と思いました。てか、過保護過ぎるだろ、と。
(過保護を思う読書感想はこちら)
ただ文体(作品の雰囲気にとてもよく合っていますよね)からして、うた子さん家は結構高貴な家柄を思わせるので、そんなこともあるのかなあ、と思わなくもないような気がしないでもないような(もういいって)。
過保護といえば、現代は少子化の影響で過保護になりがち、とも聞きます。ここはぜひ親御さんの方のご意見を聞いてみたいところです(聞かずもがな?)。
――うた子さんには、このまま真っ直ぐ育ってほしいなあ、とか思っていると、あくる日学校からの帰り道、今度は「……つまらないなあ」といって泣いていたり、二人の綺麗なお嬢さんの登場シーンでは、「なれなれしくそばへ寄って、……」とか、ちょっとやさぐれた感じになっていて心配になりましたが。
しかしこの辺り、表現技法として巧みだと感じました。すごく感情移入しやすい描写です。勉強になります。
あとはお決まりのメルヘン展開――とか書いてしまうと台無しかもしれませんが、しかし最後の情景は美しく、いつまでも心に残るもののように思います。
二人の綺麗なお嬢さん、花子さんと玉子さんもどこか魅惑的ですよね。
こんな友達がほしい――というのは、子供が持つ共通した、純粋な願望のようにも思えるのですが、どうでしょうねえ……。
水仙の精……、僕もお目にかかりたいものです。
水仙の精――僕は、おそ松さんの花の精を思い浮かべてしまいますが、これもいいお話でした。よろしければぜひに(どんな締めだよ……)。
つぎに自由研究を片付けよう(やるな、うた子さん!)
うた子さんが友達に教わったという「青水仙、赤水仙の咲かせ方」についてですが、狐人的には非常に興味深く思いました。
水仙の根を切り割って、赤い絵の具と青い絵の具を入れて、土に埋めるといった方法ですが、なんだか夏休みの自由研究を思わせる試みですよね。
夏休みの自由研究の場合、バラやカーネーション、チューリップといった白い花の切り枝を用意して、食紅、インク、絵の具など数種類の染料を溶かした液を吸わせ、花の色の変わり具合を観察する――といった感じになるでしょうか。
(1日でできる……、最近の自由研究は、便利になっているのですねえ)
結果はおそらく、食紅の液につけた花は色が変わり、インクの液は変わる場合と変わらない場合に分かれ、絵の具の液はまったく変化しない、というものになることが予想できます。
これは、それぞれの液の色素が茎の道管を通れるか、というところに、結果を左右する要因があるのですが、食紅は色素が小さいので道管を通過でき、インクは内容成分によって色素の大きさが違うので、通れるものと通れないものとで結果が分れ、絵の具は色素が大きいので道管を通れず――それぞれの結果に至るというわけですね。
で、うた子さんの試みの場合は、切り花の茎じゃなくて、根で試しているのですが、結果からいえば、やはり根から吸収したところで、絵の具の色素は道管を通れないので、花の色は変わらなかったのではないか、と予想できます。
では、根に入れるのが食紅だったらどうなの?
――と思った方は、探求心があって、非常に自由研究向けの性格だとは思うのですが、そうなってくると、「理科」というよりも「生物」の話になってきて、レベルがぐっと上がるようです。
毛根から道管にいたる水の吸収ルートには二通りがあって、細胞壁を通るアポプラスミック吸水と、細胞の中を通るシンプラスミック吸水とに分けられるのですが、いずれにしても食紅の色素がこれを通過するのは難しいみたいです。
ただし、単子葉類のイネの根の根端付近を切ると、色素の地上部への移行が10倍ほどに促進されるそうで……、水仙も単子葉類……、正直、僕の知識レベルでは予想ができかねるところがあって、本当におもしろい試みだと思いました(色素の大きさ自体は変わらないので無理かとは思うのですが)。
夏休みの自由研究があれば、本当にチャレンジしてみたい実験ですねえ……(ところでいまって、夏休みの自由研究があるのが普通? それともないのが普通?)。
やるな、うた子さん!
――と思わず思ってしまったのですが、よくよく考えたら(考えなくても)、理科的探求心というよりは、少女趣味的様相に違いなく、まったく的外れな感想だったことに、いまようやく気がつきました(気づくの遅すぎ、ですが)。
ちなみに水仙(とくに根の部分)には毒があります。よくニラやノビルという山菜と間違えて食べられてしまうそうで、2016年5月7日にも長野県伊那市の市立小学校で、教師・生徒11人が食中毒になる、といった事件が起こっていました。
もしも、よしっ水仙を使って自由研究をやってみよう!
――と思った方(いる?)、決して台所には置かないように、取り扱いには要注意を。
読書感想まとめ
読書感想文と自由研究。
夏休みの宿題が一石二鳥で片付く小説(?)です。
狐人的読書メモ
……そう言ってしまえば、文系と理系を兼ね備えた、とても優れた小説に思えてくるのが不思議(実際優れた小説なのかもしれませんが)。
あと水仙と聞いて『幽遊白書』を思い浮かべたけれど、あれは仙水忍だった。
・『青水仙、赤水仙/夢野久作』の概要
1922年(大正11年)12月『九州日報』にて初出。「九州日報シリーズ」。「海若藍平」で発表された作品。
・水仙の学名はナルシストのナルキッソス
水仙の学名は「Narcissus(ナルキッソス)」。ギリシア神話に登場するナルキッソスは、その美しさからいろんな相手に言い寄られたが、高慢にはねつけ恨みを買った。復讐の女神ネメシスの呪いで水鏡に映る自身の姿に恋をした。そして水辺にうつむく水仙にその姿を変えた。
以上、『青水仙、赤水仙/夢野久作』の読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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