童話における物語性の喪失/新美南吉=自分の小説を友達に読み聞かせる?

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

童話における物語性の喪失-新美南吉-イメージ

今回は『童話における物語性の喪失/新美南吉』です。

文字数2700字ほどの随筆。
狐人的読書時間は約8分。

物語を文章にするとかたくなってしまう。そんなときは友達に読み聞かせて批評してもらうといい。普通に読んでもらうより恥ずかしい気はしますけれどね。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

小説が公募されるときにはいろいろな条件がつけられたりするけれど、それらの条件に適った作品を書くことはむずかしく思う。昔からよい作品は霊感によって生まれるというが、それらの条件はこの霊感を損なうように感じられる。

作家は洋服屋より困難である。洋服屋では何メートルでも服地があり、どんなサイズの服でも作れるが、作家は五枚の素材を二十枚に引き延ばしたり、そうすると文章の簡潔性、明快性などが失われ、冗漫で難解なものになってしまったりする。

童話とはそもそも口承の話、語りであり、それを文章にしたところで、話や語りの持つ物語性を失ってはいけない。フランクリンやディケンズは、自分の書いた長い小説の一節を友人に読み聞かせて批判してもらった。昔風のやり方に思えるが、こうして文体の簡潔性、明快性、生新さ、おもしろさを失わぬ努力をしなければならない。

狐人的読書感想

たしかに小説の公募には条件がありますよね。どんなストーリーか、どれだけの枚数か、指定や条件にひっぱられすぎると、作品の閃きが損なわれてしまい、結果的に悪い作品しか書けない――というのはなんとなく頷かされてしまいます。

とくに枚数指定は、少ないものを多く引き延ばしたりすると文章の簡潔性や明快性が失われて冗長で難解なものになり、逆に多いものを少なくすると何を言いたいのかもわからなくなるかもしれず、注文通りに書くのってたしかにむずかしく感じられます。

まあ「それをやるのがプロの作家でしょ?」と言ってしまえばそれまでという気もしますが、こういうことってプロだからこそ思うことでもあるのかなって感じもしますね。

童話はもともと物語り、口承の話や語りであった――という部分はけっこうハッとさせられるものがありました。ストーリーを文章にするとなんかかたい感じになってしまうのですけれど、そのかたい感じを排除しなければ読みやすさやおもしろさが出ないのかなって気づかされます。

そのためのひとつの方法として「読み聞かせ」があるというのは興味深いお話でした。昔の優れた作家さんたちも、自分の作品を友達に読み聞かせて批判してもらい、いい作品を書く努力をしたっていうのは説得力がありますね。

自分が書いたものを友達に読み聞いてもらうのって、ただ読んでもらうのとは違った恥ずかしさがあるような気がしますが、真剣におもしろいものを書きたいのならそういう恥ずかしさみたいなのは捨てなければならないのかもしれませんね。

なかなか勉強になった気がした、今回の狐人的読書感想でした。

読書感想まとめ

自分の小説を友達に読み聞かせる?

狐人的読書メモ

・読み聞かせは主に子供たちのためにするものであり、自分自身のためにもなるということについては全然意識したことがなかったので、蒙を啓かされたような気がした。

・『童話における物語性の喪失/新美南吉』の概要

1941年(昭和16年)11月26日、『早稲田大學新聞』にて初出。『新美南吉全集 第9巻』(1981年―昭和56年―、大日本図書)収録。小説、文学の失われゆく物語性について。メディアが求める文章にはいかに条件や制限があり、ジャーナリズムのやり方によって文学は無意味な文字の羅列となっていき、物語性は失われていく。文学は物語性を取り戻さねばならないというような論旨。

以上、『童話における物語性の喪失/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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