egg〈1-1-3〉(第1部・第1巻・第3章)

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第1部 第1巻
第3章

初等部六年 一月二日
――冬休み、同級生、サニーサイドアップ――

「どっ、どどど、どうしたの? その頭」

高橋さんの第一声だった。

今日、一月二日の午後は、出会い頭に正気を疑われたり、ばかにされたりせずにすんだ。

少なくとも、表面的には。

亜子がぼくのメインヒロインとして大成するために、ぼくらはありとあらゆるツールを駆使して、日々探求に探求を重ねてきたわけだが、険しい旅路の途中ふと立ち止まって、冷静になって辺りを見渡したとき、めぐりめぐって結局のところ、出発点に答えがあったのではないかとか、思わされるときはないだろうか。

二次元もいいけど、やっぱり三次元もいいよな、みたいな。

三次元もよかったけど、やっぱり二次元だよな、みたいな。

ぼくにとっては、このときこそが、まさにそのときだった。

普通の反応ってすばらしい。

だがこの成果は、普通の人間として毎日を生きようと努めているぼくが誘発した反応ではなくて、高橋さんの普通の人格がもたらした賜物だった。

「てっ、ててて、っていうか! どうしたの? その恰好」

黒い三角帽子に、同色のコートをまとった魔法使い(さしずめ黒魔導士といったところか)の出で立ち。

そう。

今日の、普通じゃないぼくの恰好は、いかにも滑稽だったに違いない。

昨日の<テディ事件>を経て、現在、現実に<エッグ>を奪取しようと目論むものが身近にいるのだと確認できた。

であれば、これ以上<エッグ>を衆人の目にさらす必要性は低かった。

ゆえに、このときのぼくは、<エッグ>を人目から隠すため、魔法使いルックを余儀なくされているのだった。<エッグ>を衆人の目にさらさずとも、別の理由で衆人の目にさらされているのだった。

であるからして。

じつはこの日このときこそは、正気を疑われても、ばかにされても、一切反論できなかった。

だから、よく考えてみれば、普通じゃない恰好の者に対して、その普通じゃない格好に疑問を呈しただけの高橋さんの発言は、普通じゃないということになるのか(よく考えてみるまでもなく、そんなわけない)。

では、今日のぼくは、昨日の父にそうされたように正気を疑われ、昨日の亜子にそうされたようにばかにされるべきだった。

罵倒されるべきだった。

それが普通の反応というものではなかろうか(何度でも言うが、そんなわけない)。

「高橋さん、ぼくを罵ってくれ」

「えっ、えええ、え?」

ぼくの急な申し出に、高橋さんが困惑の表情を浮かべていた。

「いいから早く」

「だっ、だだだ、だって、その……」

「頼む」

「でっ、ででで、でも……」

「『あんた頭おかしいんじゃないの』、リピートアフターミー」

「あっ、あああ、あんた……頭……おかしいんじゃ……ないの……」

「もっと大きな声で」

「あっ、ああ、あんた、頭、おかしいんじゃ、ないの……」

「もっと朗らかに」

「あっ、あ、あんた頭おかしいんじゃないの……」

「もっと高らかに」

「あっ、あんた頭おかしいんじゃないの」

「もっと激しく」

「あんた頭おかしいんじゃないの!」

まだ日も高い大空に、高橋さんの罵声が轟いた。

爽快だった(言うまでもなくこの日の天気の話)。

前日に引き続き季節のわりには暖かな日和だった。

「すっ、すすす、鈴木君はMなの?」

公共の場で大声を張り上げてしまった恥ずかしさから、ようやく立ち直って、高橋さんが言った。

「ぼくはノーマルだ」

(「…………」傍らでディスプレイを覗き込んでいる二葉の冷静な視線が、やはり冷徹な視線に感じられたのは、きっと気のせいだ)

高橋さんがメールで指定した待ち合わせの場所は、春葉台公園の緑地だった。

芝生に覆われた緩やかな丘の上からは、ランニングやウォーキング、犬の散歩をする人々の姿が一望できた。

それにしても。

一言で犬といってもいろんな種類がいるものだ。

トイプードルやチワワのようなかわいらしい小型犬。ビーグルやシェットランドシープドッグのような人なつっこい中型犬。ドーベルマンやフラットコーテッドレトリーバーのような賢くもちょっと怖そうな大型犬。

そして、

「ソノ カッコ カッコ ワルイ イイイ」
「イイイ イイ カッコ カッコ ワライ」

ギリシャ神話に登場する双頭の犬オルトロス。

高橋さんの<エッグクリーチャー>であるノンだった。

<エッグクリーチャー>の姿には、大きく分けてリアルタイプとデフォルメタイプがある。

ノンは、愛らしいデフォルメタイプ(たとえばテディはデフォルメタイプ)ではなく、恐ろしいリアルタイプの<クリーチャー>だった(残念ながらキャラクターグッズの人気化は厳しそうだった。ちなみにリアルタイプでも小猫のような愛らしいものはいくらでもいる)。

「そっ、そそそ、そういえば、今年もよろしくね」

遅ればせながら、といった感じで、高橋さんが言った。

「今年もよろしく」

ぼくも新年の挨拶を返した(いまさらながら、正月は、何はともあれ新年の挨拶。こういうとき、ぼくたちは、この国の国民であることを実感するものだ)。そういえば、昨日の電話では、新年の挨拶もままならなかった(完全にぼくが原因で)。

「コンゴ トモドモ ドウカ ヨロシク ククク」
 と、右ノンが言った(ぼくから見て左の首だ)。
「ククク クレグレ モ ドウカ ヨソヨソシク」
 と、左ノンが言った(ぼくから見て右の首だ)。

「どっちだ」

一応、つっこみを入れておいた。

「あと、<スクランブルエッグ>優勝おめでとう」

「あ、あああ、ありがとう」

「ユウショウ ハ トウゼン ノ ケッカ カカカ」
「カカカ カンショウ ハ トツゼン ノ ケッカ」

「どっちだ」

一応――。

さきほどは、高橋さんを普通と称してしまったが、高橋さんはじつは普通ではない。

先日テレビで見た年末の<スクランブルエッグ>優勝者は、何を隠そうこの高橋さんだった。

高橋さんは、<エッガー>一年目にして、8名しか出場できない<スクランブルエッグ>本大会への出場権を得て、一度目の挑戦にもかかわらず、見事優勝をはたした。

経験は、何事においても有利に働くことのほうが多い。だが、本大会初出場の高橋さんは、並み居る強豪をものともせず優勝した。

これは、史上初、とまではいかないまでも、並大抵のことではなかった。

普通とは言い難い事例はもうひとつある。

優勝者は、<クリーチャー>を生贄に捧げ、その消滅と引きかえに、死んだものをひとり生き返らせる。

しかし、優勝したはずの高橋さんの傍らには、現在も<クリーチャー>のノンがいる。

つまり、優勝した高橋さんの<クリーチャー>は、生贄に捧げられていない。ゆえに消滅していない。

<クリーチャー>が消滅していないのであれば、高橋さんは死んだものを誰も生き返らせていない、ということになるはずだ。

この事実は、<スクランブルエッグ>の優勝褒賞に、選択の幅があることを明示していた。

すなわち、少なくとも<スクランブルエッグ>の優勝褒賞には、

・<エッグクリーチャー>の消滅と引きかえに死んだものをひとり生き返らせる

 ないしは、

・死んだものを生き返らせずに<エッグクリーチャー>を存続させる

といったような選択肢があるとわかる。

ひょっとすると、<クリーチャー>の存続には、死者復活の付帯特典(復活者の年齢を生前年齢から自由に設定できる、病死だった者からは死因となった病を取り除くことができる、など)同様の、付帯される特典のようなものがあるのかもしれない、とも推察できる。

死者復活の代わりに、<クリーチャー>を存続させて、さらに存続させた<クリーチャー>をパワーアップできる、とか、寿命を延ばすことができる、とか、あるいは――。

また、選択肢がほかにも複数存在するのではないか――と考えるのは自然な流れだろう。

高橋さんは死んだ誰かを生き返らせず、ノンと一緒にいることを選んだ。

表面上、わかるのはその点だけだ。

仮に、その選択の理由が実質的なものだったとする。

たとえば、一年目の優勝時、<クリーチャー>を存続させ、二年目も連続で優勝できれば、『ふたり』生き返らせることができる、とか。

しかしながら。

これはあくまでもぼくの想像するところであって、優勝褒賞の詳細は、公式には発表されていない。

知っているのは、<スクランブルエッグ>に優勝して、<かみさま>と対面した<エッガー>のみ。

これまでの経緯から、複数選択肢が存在することまでは、誰にでも想像できたとして、その内容にじかに触れることは、<かみさま>の情報操作の力によって、<エッガー>ではない一般人には不可能だ。

つまり、高橋さんは、死んだ身内よりもいま生きている<クリーチャー>を選んだその理由を、周囲に説明することができない。

人間は理由を求めたがる生き物だ。

そして、人間が理由を求めるときには、とかく感情に流されやすい。

父母、子、祖父母、孫、兄弟姉妹、おじおば、甥姪。

<エッグ>を顕現したということは、必ずそのものの身近な誰かが死んでいる。

できるなら、そうした人たちを生き返らせたいと願うのは当たり前の感情だ(そもそも<エッガー>はそれをこいねがうがゆえに<スクランブルエッグ>に挑むのだから)。

そのために、<スクランブルエッグ>優勝者は、パートナーである<クリーチャー>の消滅と引きかえに、死んだものを生き返らせる。

<クリーチャー>を生贄に捧げる。

それが普通だ。

しかし、<エッガー>と<クリーチャー>は、目標に向かってともに戦い、ともに笑い、ともに泣き、苦楽を分かち合いながら同じときを過ごす。

同じときを過ごすうち、<エッガー>にとって<クリーチャー>は、まるで家族や友達のように、かけがえのない存在になる。

だから、<スクランブルエッグ>に優勝しても、死んだ人間を生き返らせることをあきらめて、<クリーチャー>を消滅させない選択をすることだってあるだろう。

それが、今回メディアの作り上げた高橋さんの優勝ストーリーだった。

<スクランブルエッグ>優勝者の後日談的なのちの結果は、大会終了後、<かみさま>との対面のあとで記者会見が行われ、演出された感動や祝福とともに、大々的に報道される。

(<エッガー>である高橋さんと<エッグクリーチャー>であるノンの、種の壁を越えた絆の深さを全面に押し出した報道に、多くの視聴者は納得した。それでもなお、批判はあった。人間の命と、<クリーチャー>の命を天秤にかけ、<クリーチャー>の命を選ぶことは正しいのか。結果として、本当に大切なものを生き返らせたいと望む<エッガー>のチャンスを潰してしまうことが許されるのか)

これまでの人生で、ぼくもそれらを見てきた。

かつて報道された、感動的な家族の再会、それを喜ぶ周りの人たち――。

報道がどうあれ、ひとつ確実に言えることは、人はすぐに忘れてしまうということだ。

つぎは、どんな<クリーチャー>が生まれ、どんな活躍をし、誰が<スクランブルエッグ>を勝ち抜き、誰を生き返らせるのか。

今大会が終われば、興味の対象はつぎの大会へ、すみやかにシフトする。

とはいえ。

本日、一月二日は、前年の十二月三十一日の<スクランブルエッグ>からほとんど日を開けていない。話題が風化するにしても早すぎる。

というよりも。

まさにいまが旬の話題だった。

高橋さんとノンは、じつはすごく人気がある。

いまこうしている間にも、取材の申し込みなどが殺到しているかと思えば、申し訳ないような気分にもなってくる。

「強引に呼び出したりしてごめん」

「べっ、べべべ、別にいいんです。……鈴木君は、その……、ご愁傷様です」

 

母が妹を死産し、ぼくが<エッグ>を顕現したことは、昨日の電話ですでに知らせてあった。<エッガー>一年目の高橋さんこそ、身内を失った悲しみを、いまだ抱えているはずなのに――。

申し訳ないような気分になったばかりなのに、さらに気を遣わせてしまったようだ。

だけどぼくは、

「高橋さんに会えてよかった」

と、思わずにはいられなかった。

今日、会ってくれただけで、得られるものはあった。
(<スクランブルエッグ>の優勝褒賞については、さまざまな憶測はあれど、公式に公開されている『死んだものをひとり生き返らせることができる』といったもの以外、<エッガー>が誰にも伝えてはいけない情報に含まれる)

そして今後のためにも――、

「えっ! えええ、え? そっ、それってどういう……」

つまり――、

「ぼくには高橋さんが必要だった」

思わずにはいられないあまり、思わず声に出してしまっていた。

「わっ、わわわ、わたしを弄ばないでよ!」

束の間の動揺からすっかり覚めて、高橋さんがそう言った。

なんだかとてもいけないことをしてしまった気分になった。

「わ、わわ、わたしの気持ち、知ってるくせに……」

ぶつぶつと呟き続ける高橋さん。

「ざっ、ざざざ、残酷だよ」

「ザンニン ナ ヤツ ダヨ ヨヨヨ」
「ヨヨヨ ヨウシャナイナ ザンネン」

地獄の番犬ケルベロスの弟に、残忍とか容赦ないとか言われたのだと思うと、そこはかとない重みがあった。

しかしそれらの指摘は否めなかった。

「何か言った?」

こういうときは、こう言うのが男の子というものだ。

「なっ、ななな、なんでもないよ!」

こういうときは、こう言うのが女の子というものだ。

ぼくたちは、まぎれもなく、男の子と女の子だった。

その後、高橋さん曰く、<エッグ>について知りたいならうってつけの場所がある、ということで、さっそく春葉台公園を出たぼくと高橋さんは、ふたり連れだって歩いた。ノンが盲導犬よろしく、ぼくたちの前を行った。

美神と謳われる亜子と、いつも一緒にいるぼくは、目立つことには慣れていた。だけどその場合、目立っているのは亜子のほうで、ぼくが人目を引いているわけではなかった。

しかし今日は違った。

間違いなくぼくが人目を引いていた。変に目立っていた。

ハロウィンやコスプレイベントでもないただの正月に、ぼくの魔法使いルックは明らかに浮いていた。

そして浮いていたのはぼくだけではなかった。

その事実が、ぼくの、ぼくらの注目度を、よりいっそう引き上げていた。

さっきは普通と称してしまった高橋さんの、じつは普通ではない一面が、じつはもうひとつだけあった(もはや高橋さんは普通の女の子ではない、と言われてしまえば、押し黙るしかないわけだけれど)。

歩くぼくの横には、同じように歩く、ゴシック・アンド・ロリータな少女がいた。

何を隠そう、その少女こそ高橋さんだった。

先にも述べたとおり、<スクランブルエッグ>の年末放送しかり、<エッガー>や<クリーチャー>がメディアに取り上げられることは多い。

とてもかわいらしい見目の高橋さんは、モデルとして人気を博していた。

とくに、ゴスロリ少女×オルトロスのペアリングは、一部で信者とも呼ぶべき熱狂的なファンを獲得しているのだという。

とはいえ、いままさに高橋さんの身に着けているフリフリの黒いドレスは、あくまでモデルとして写真を撮られるときの、仕事の上でどうしても着用しなければならない衣装だった。

だったはずだ。

決して私服にしていたわけではなかったはずなのだが――もしや正月早々の仕事上がりだったとか。<スクランブルエッグ>優勝の余波で取材殺到というのは、あながちない話ではなかったのだろうか。

ゴスロリ少女は勤労少女でもあったのか。

「っていうか、どうしたの? その恰好」

というわけで、一度はスルーしたものの、やはり確認しておくことにした。

「えっ! えええ? なっ、なんでいまなの? もっ、もうこのままスルーなのかとあきらめてたのに……」

「ダイ ドン デン ガエシ シシシ」
「シシシ シンジガタイ タイミング」

じつは待っていたらしかった。重ね重ね、悪いことをしてしまった。

「それはモデルの仕事用? 私服……ではないよね?」

「ち、ちちち、違う、違うよ! すっ、鈴木君、こういうのが好きかなって。この前読んでた本の絵、こんな感じだったし」

どうやら、亜子がぼくのメインヒロインとして大成するための探求が、あらぬ誤解を招いてしまったらしい。

何はともあれ、男子としての義務は、はたしておかねばなるまい。

「とても、かわいいよ」

「カワイイヨ ヨヨヨ」
「ヨヨヨ ヨクニアウ」

高橋さんを評するときだけは、なぜか好意的に意見を合わせる右ノンと左ノンだった(後にして思えば、それは親心のようなものだったのだろうか)。

「あっ、あああ、ありがとう」

消え入るような声で、高橋さんはお礼を言った。

そんなこんなで、魔法使い×ゴスロリ少女×オルトロスの、なんだか黒いパーティが、ここに完成していた。

<スクランブルエッグ>で優勝したこともあって、いまや時の人である高橋さんだったが、迫力のあるノンの姿を恐れてか、奇抜な服装のカップリングゆえにか、はたまたそれらの相乗効果なのか、話しかけてくる人はおらず、どころか道を開けてくれる始末だった。

大抵の<クリーチャー>は対となる<エッガー>を中心とした一定範囲内からは離れない。ゲームの召喚獣みたいに異界から出し入れ自在というわけにはいかない。

だからどうしたって目立ってしまうのは、<エッガー>の宿命みたいなものではあった(かといって、どうせ目立つからと、このときのぼくたちの恰好を正当化することはできまい)。

ぼくたちは、好奇の目にさらされながら、正月で賑わう繁華街の、割れた人波を進んだ。先を行くノンが、モーセのごとく、ぼくたちを導いた。

――高橋さんは五月四日生まれ?

――………………………なんで?

――その<クリーチャー>のこと、ノンって呼んでたから。高橋さんの名前は希世、並べて、キセノン。キセノンは、原子番号五四。子供につけるには少し変わった名前だと思うけど、ぼくはいい名前だと思う

――………………どこが変わってるの?

――キセノンの語源はギリシャ語だ。『奇妙な』とか『なじみにくいもの』っていう意味をもつクセノスの中性単数形がキセノン

――…………そうなんだ。この名前お父さんがつけてくれたの。化学の先生だったんだよ。五月四日に生まれたから、キセノンの希世だって……ちょっと抜けてるところあったから、知らなかったのかも。お父さんらしいよ。鈴木君物知りだね

――では、物知りついでにもうひとつ。元素周期表の〇族に属するのは、ヘリウム、ネオン、アルゴン、クリプトン、キセノン、ラドン。これらは量が少なく貴重なガスだからレアガス、希ガスと呼ばれている。希世の『希』は希ガスの『希』。貴重な存在であることを示している。

――……そっか。ほんと、お父さんらしいよ……

そんな会話ののち、ぼくは、涙を流す高橋さんの傍で、ただ黙っていることしかしなかった。

それでも、この会話がきっかけとなって、高橋さんと話しができるようになった。

ぼくと高橋さんは六年生で同じクラスになった。

はじめは、クラスメイトの誰が、何を話しかけても、なしのつぶてだった。

やがて高橋さんはクラスで腫れ物扱いされるようになった。

もともと内気な性格ではあったそうだが、前年度までのクラスでは、それなりにうまくやっていたのだという。

事故で両親を同時に亡くし、<エッグ>が顕現して、高橋さんが<エッガー>になったのは、六年生になる前の春休みのことだった。

<エッガー>であり、モデルでもある。

社交性さえ発揮できれば、人気者になれる条件は揃っていたし、現にそうなった。

いまやそこに<スクランブルエッグ>の優勝者という肩書も加わった。

高橋さんは、新学期になっても、中等部に上がっても、不動の人気者になれる。

きっとそうなるはずだった。

(振り返ってみると、いまだから思うこともある。もしもぼくがそうあることを望めば、高橋さんを騙さずにすんだ、高橋さんに騙されずにすんだ、高橋さんを利用せずにすんだ、高橋さんに利用されずにすんだ――そんなルートがあったのだろうか、とか。そんなこと、あの頃のぼくが望むわけもないとは、わかってはいても)

小さなビルの一階部分が目的の場所だった。

ゲームでの情報収集といえば酒場が定番だが、そこはサニーサイドアップという名の喫茶店だった(いかにも<エッグ>関係っぽい店名だと思ったけれど、後になって調べてみたところ、喫茶店としては特段珍しい店名でもないらしかった)。

入口のドアには『CLOSED』の看板が出ていた。

一月二日の午後、正月だから当然といえば当然だ(現代社会では、機械化や自動化が進み、二十四時間三百六十五日営業の店が生活に溶け込んでいて、それを当たり前のことに感じてしまい、人が休むというやはり当たり前のことを忘れてしまいそうになってしまう。両親をはじめ、普段お世話になっている、冴木さん、佐藤家使用人の人たちのことが、ふと頭を過った。働きすぎで体を壊さないよう願うばかりだ……云々、いまだ労働の苦労を知らぬぼくなんかが偉そうに言うべきことではなかったか――これは完全なる余談だ。「余談は短めか、なくしたほうがよいのでは?」「まあまあそう言わずに」)。

「だっ、だだだ、大丈夫です。話はしてあるんで」

そう言った高橋さんが先頭に立ってドアを開けた。

カランコロン。

と店の中に入ると、店内はこじんまりとして、いかにも個人経営といった佇まいだった。

「いらっしゃい」

この喫茶店のマスターと思しき人物が、カウンターの向こうから、ぼくたちを迎えてくれた。

若い男性だった。

ただ若く見えるだけなのか、社会人といった雰囲気ではなかったが、喫茶店経営者ともなれば、普通の社会人とは違っていて当然か。まあ、社長をやっている小六がいるご時世だ、いずれもありえないことではなかった。

「……個性的なお友達だね。ずいぶん偏ったパーティだ」

若い男性は、黒魔導士×魔法少女×召喚獣といった趣のぼくたちを見て、微苦笑といった顔をして言った。

高橋さんとは顔見知りらしいので、ゴスロリ姿はモデルの延長線上のことと呑み込めたとしても、ぼくの魔法使いルックはいかにも不自然に映ったらしく、常識的な反応に見えた(常識的でないのはぼくらのほうなわけだけれど)。

「鈴木です。ここのマスターさん、ですか?」

「俺は小泉だよ。よろしくね」

「よろしくお願いします。では、ルアック・コーヒーをください」

ぼくは高橋さんと並んでカウンター席に座ってから、卓上のメニュースタンドを一瞥して、注文した(遠慮を知らぬ小学生だった)。

「ごめん。いつもならおいしいコーヒーをごちそうするところだけど、今日は出せないんだ。正月休みだから」

 …………。

たしかに、ひとりの客にコーヒーを提供するため、コーヒーメーカーや器具類を使うのは手間がかかるし、レジ締めなど会計上の都合もあっただろう。納得せざるを得ない理由だった(しかしいったい何様のつもりだったのか、このときのぼく。「遠慮を知らぬ小学生ですね」「それはもう言ったよ」)。

隣の高橋さんが居心地悪そうに身じろぎした。

店に入って注文をしないのは失礼かと考えたわけだが、高橋さんの知り合いに、無理を言って、逆に失礼なことをしてしまった。

ノンは、高橋さんが座るなり、その足元で丸くなった。

丸くなってもノンはでかい。高橋さんくらい軽々乗せて、楽々走れそうだ。四つの目は閉じられていたが、眠っているわけではない。

「えっと、鈴木君だよね。話は高橋さんから聞いてるよ。この度はご愁傷様でした。きみにも<エッグ>が顕れたんだってね。それで<エッグ>のことを聞きたいと。ああ、もちろんそれ以上のことは聞いてないよ」

高橋さんが小泉さんに話を通すとき、ぼくを気遣って、母が死産したことはあえて口にしなかったのだろう。高橋さんはそうした思いやりのある女の子だった。

「そうです。主に聞きたいのは、<エッグ>が孵化するまでに留意すべきことについてです」

<エッグ>関連の事柄については、<かみさま>の不可思議な力の作用によって、情報操作がなされている。そのうちのひとつは、<エッガー>ではない他者に、その者が知り得ない情報を伝えようとしたとき、かつ、<エッガー>が誰にも伝えてはいけない情報を誰かに伝えようとしたとき、伝え手は言葉が出せなくなるというものだ(真実は伝え手の言葉を聞き手が認識できなくなるという認識操作)。

前に実際、高橋さんに試してもらった。

――じつは、<スクランブルエッグ>の『

            』

高橋さんが情報を話そうとした瞬間、口を開けたまま動かなくなった(ようにそのときのぼくには見えた)。とても演技のようには思えなかった(のちにぼくは、こうした<かみさま>の情報操作が、情報操作のための認識操作のみならず、記憶操作も含まれる事実を知るのだけれど、それはもっとあとの話になる)。

<エッガー>でなかったぼくの得られる情報には制限があった。

しかしそれでも、一般に公開されている情報や知識、これまでの高橋さんとの付き合いのなかで知ることのできた事柄などをもとにして、ぼくなりにそれを推し量ってきたわけだが、やはり十全にはほど遠かった。

<エッグ>が孵化するまでに留意すべきこと。

昨日遭遇した<テディ事件>。

<エッグ>を狙う襲撃者について。

「留意とか、難しい言葉を使うね。会話で使うの初めて聞いたよ。きみ本当に小六なの?」

小泉さんが感心したように言った(それはぼくが人と話すとき、たまに指摘されることだった。ぼくの癖のようなものであったのかもしれない)。

高橋さんから聞いた話では、サニーサイドアップは<エッガー>たちの情報交換や交流の場になっていて、マスターも昔は<エッガー>だったらしく、だからいろいろと<エッグ>事情に通じているそうだ。

「じつは悪い知らせがある」

「では、いい知らせから聞かせてください」

「いや、いい知らせはないんだけど……本当におもしろい子だな」

小泉さんは微笑を浮かべて続けた。

「一月は、<イーター>が一番活発になる時期なんだ」

「<イーター>?」

マンイーターは人食い、アントイーターはアリクイ。

<イーター>は、直訳すれば食べる人となり、ゲームやアニメではよく聞かれる類の英単語だったが、<エッグ>関連では、ぼくが聞く初めての用語だった。

「正式には<エッグイーター>と呼ばれてる。<イーター>は、他の<エッガー>に顕現した<エッグ>を、自身の<クリーチャー>に喰わせようと狙っている不正<エッガー>のことなんだ。このことは、<スクランブルエッグ>のルール上、不正行為とみなされる。この不正行為のことを<エッグイート>という。鈴木君は<クリーチャー>の寿命のことは知ってる?」

「<スクランブルエッグ>へ挑戦する場合は三年、挑戦しない場合は九年、ですよね」

「そう。<エッグ>から生まれた<クリーチャー>は、まず<スクランブルエッグ>へ挑戦するのかしないのかをパートナーとなる<エッガー>に確認する。最初に基本的なことを言っておくと、<スクランブルエッグ>について語るとき、挑戦しない場合についてはまず考える必要がないんだ。なぜなら、<スクランブルエッグ>への挑戦意思を<クリーチャー>に示した場合、<クリーチャー>は肉体をもつことになるけれど、挑戦意思を放棄した場合、<クリーチャー>は肉体をもつことはない。<エッグ>みたいな、ただのホログラムのような存在になって、触ることもできない。だけどそれゆえに、物理的な干渉を一切されないし、できない。当然、戦闘スキルなんかも覚えないし、使えない。仮に使えたとしても、攻撃が物理的に接触できなければ意味がない」

たとえるなら、<スクランブルエッグ>への挑戦意思を放棄した場合の<エッグクリーチャー>は、人間レベルの知能をもったホログラフィック・デジタルペットみたいなものになって、他者に害を与えることも、与えられることもない。

現代のAI技術でも、人間同等の知能、といった領域には、いまだ達してはいない。生身の触れ合いはなくとも、会話ができ、長く一緒にいられるデジタルペットとなれば、誰もがこぞって欲しがるものだ。

とはいえ、現実に<スクランブルエッグ>への挑戦意思を放棄する例は、極めて稀だった。

心の慰めに、<クリーチャー>との肉体的接触を求めるという理由ももちろんだが、身内の誰かが死んだときに顕れる、といった<エッグ>の発現条件、そこから生じる希望、死んだ身内を生き返らせることができるかもしれないという抗い難い誘惑。

それらが<エッガー>に挑戦意思を放棄する、といった選択をさせない。

大切なものが死んで、そのものを生き返らせるチャンスが与えられるのだから、<エッグ>を与えられた<エッガー>が、<スクランブルエッグ>に挑むのは、当然の帰結と言えるだろう。

「よって語るべきはやはり、<スクランブルエッグ>へ挑戦する場合だ。大抵は、<クリーチャー>の寿命が迫る三年目の大会に優勝できなかったとき、切羽つまった<エッガー>が、<エッグイート>を行い、<エッグイーター>になる」

つまり、時間切れ。

<エッグイーター>になるのは、<クリーチャー>の寿命である三年以内に、<スクランブルエッグ>での優勝がはたせず、大切なものを生き返らせる望みを断たれた<エッガー>たち。

「なぜ<クリーチャー>に<エッグ>を喰わせるのかというと、<クリーチャー>が<エッグ>を喰うと、喰った<クリーチャー>の寿命が一年延びるからなんだ。併せて<クリーチャー>の力も格段に増す」

再び死者を生き返らせるチャンスが得られるとあらば、他者を蹴落としてでも、それを手に入れたいと思うのは、不自然な流れではない。

「三年の期限内で、最後のチャンスとなる<スクランブルエッグ>の優勝を逃した<エッガー>の中には、なんとしてでも<クリーチャー>の寿命を延ばしたいと考える者が現れる。だから、<スクランブルエッグ>が終わった直後から<イーター>の数が増え始めて、その活動も活発になってくる」

<エッガー>にとって、<エッグ>が顕現するタイミングとしては、いまが最も不利になる時期、というわけだ。

ぼくはふと、早生まれのことを連想した。

学校教育において、不利とみなされる早生まれ。このとき、早生まれのぼくとしては、微かなシンクロニシティのようなものを、感じずにはいられなかった。

「鈴木君ふうに言うと、<エッグ>が孵化するまでに留意すべきことは、<イーター>に自分の<エッグ>を喰われないこと。新米<エッガー>の最初の試練は、<エッグイーター>から自分の<エッグ>を守ることだと言っていい」

「でも<エッグ>には触れない。そもそも触れなければ、喰べることもできないのでは?」

「それがそうもいかない。なぜなら孵化前の一時間だけ<エッグ>は触れる実体になる。しかも悪いことに、その一時間は、孵化する直前であることを示す目印のように、<エッグ>の輝きが増す。<イーター>からすれば喰べてくださいと言わんばかりに、って感じかな。ちなみに孵化直後の<クリーチャー>には肉体がない。<エッガー>が<スクランブルエッグ>への挑戦意思を表明して初めて、<クリーチャー>は肉体を得る。反対に挑戦の意思を放棄すれば、<クリーチャー>はそのまま触れられない実体として存在し続けることになる」

「くっ、くくく、<クリーチャー>が生まれたとき、『<スクランブルエッグ>に挑みますか、挑みませんか』って訊かれるんだよ。そっ、それに『はい』って答えると、<クリーチャー>がURLとパスワードを教えてくれるから、それをPDに入力して、<エッグアプリ>をインストールするんだよ」

ここまで黙って聞いていた高橋さんが、自身の右腕にあるブレスレットタイプPDを示しながら、間に入って補足してくれた。

インストールした<エッグアプリ>によって、<エッグクリーチャー>のステータスやスキル、獲得した<エッグポイント>などの全般的な管理ができる。<エッグポイント>による<アイテム>購入、<デュエル>、<クエスト>、<ミッション>の確認なども同様とのこと。

通常のコミュニケーションツールでは、<かみさま>の情報操作により、規制対象となる<エッグ>関連情報を含んだ、送ったはずのメッセージが送れていなかったり、書き込んだはずの書き込みが投稿できなかったりするわけだが、<エッガー>同士のコミュニケーションもこれで行うことができるという。

「たださっきは、新米<エッガー>の最初の試練は、<イーター>から自分の<エッグ>を守ること、とか、ちょっと大げさに言ってしまったけれど、本当はそんなに心配するようなことでもないんだ」

小泉さんが、ぼくを安心させるためなのか、少しおどけた口調で言った。

「なにせ<イーター>になるのはリスクが大きすぎるからね。<エッガー>と<クリーチャー>が不正とみなされる行為を働くと、<ブラックリスト>に違反者として登録されてしまう。<ブラックリスト>に載ると、打倒<クエスト>の対象になって、違反者には犯した違反の重さに応じた<エッグポイント>が懸賞としてかけられる。そうなってしまえば、大量のポイントを獲得したいほかの<エッガー>たちの標的になってしまう。通常、<デュエル>で故意に相手の<クリーチャー>を消滅させることは禁じられてる。だから余程のことがない限り、戦いの中で<クリーチャー>が消滅する事態は起こり得ない。だけど<ブラックリスト>に登録された不正<エッガー>の<クリーチャー>には、そのルールが適用されない。むしろ、不正<エッガー>の<クリーチャー>を消滅させることが、打倒<クエスト>の達成条件とされているんだ」

「たしかにリスクが大きいですね」

「そう。だから<エッグ>が孵化するまでの三日間、家でおとなしくしてればいいんだよ。そもそも限定された三日間、七十二時間以内に他人の<エッグ>を探し出すのはかなり困難な作業だ。しかも孵化前の一時間にかぎって襲うのは至難の業と言える」

そうした労力を費やして、<エッグイート>に成功しても、<ブラックリスト>に載ってしまえば、大勢の<エッガー>に狙われることになる。

そうなってしまえば、<スクランブルエッグ>の出場権を得るためのポイント収集も難しくなって、本大会まで生き残れる可能性さえ格段に低くなるだろう。

それでも、何もしなければ、<クリーチャー>はじきに寿命を迎えてしまう。

どのみち消滅が避けられないのであれば、失うものは何もない。

そんなふうに考えて、死者復活をあきらめきれない、追いつめられた<エッガー>は、不正行為に手を染めることになる。

「とにかく、<エッグ>はできるだけ人目から隠すべきだ。輝きが増す孵化前の一時間はとくに、ね。奇抜だけど、その帽子は<イーター>対策になってると思うよ」

そう言って、小泉さんはぼくの被っている三角帽子を指さした。奇抜ゆえに、逆に目立ってしまっている事実には、あえて目をつむってくれたようだ。

とはいえ、小泉さんの言うとおり、<エッグ>をむき出しのまま晒しているよりは、いくらかましだったには違いない。

身の安全を図るだけなら、もっと早くから対策を打つべきではあったわけだが。

ともかく。

「じつは昨日<テディ事件>に遭いました。なんとか難を免れることはできましたが」

ホロスーツを悪用して、テディの装いに身を隠し、<エッグ>が顕現している<エッガー>を襲っているのは、<エッグイーター>だった。

拉致するのは、さらっておいてから、<エッグ>が触れる実体となるタイミング、つまりは<クリーチャー>が<エッグ>を喰らうことのできる一時間を待ち、確実に、自分の<クリーチャー>に<エッグ>を喰わせるためだ。

さきほど小泉さんが話したように、孵化前の一時間にかぎって襲い、<エッグ>を捕食するのは至難の業だが、予め拉致しておけばそれも容易となる。

これで、<テディ事件>の目的と<エッグ>を奪う方法が判明したことになる。

「……なるほど、そういうことか。俺はてっきり高橋さんのアドバイスでそんな恰好をしてるんだと思ってたけど」

「ごっ、ごごご、ごめんなさい……」

「いや、高橋さんが謝ることないよ」

「うっ、うん……ありがとう、鈴木君」

お礼を言われることでもない。

おそらく昨日電話で話したときに、<イーター>に襲われるかもしれない可能性を教えたり、外出を控えるよう指摘したり、せめて<エッグ>を人目から隠すよう促すくらいはできたことに、遅まきながら気づいての謝罪だったのだろう。

しかしながら、そのとき一方的に話を進め、勝手に電話を切ったのはぼくだったわけで、仮に高橋さんがそれに気づいていて、それらのことを注意しようとしてくれていたとしても、その機会を断ち切ったぼくに責任があった(それに、あの時点のぼくは、断片的な知識から、ある程度の事態については想定した上で行動していたかに見える)。

高橋さんを責める資格などあろうはずもなかった。

「それなら、すでに鈴木君を狙う<イーター>がいるわけだから、何か対策を講じておく必要があるね……、<エッグ>が顕れたのは、いつ頃のことなのかな」

「……元日の朝、日課の早朝トレーニングの前、洗面所に行ったときに気づいたので、五時頃です」

思い出すように少し考えてから、ぼくは答えた。

「そう……、最後に<エッグ>が顕れていないのを確認したのは?」

「大晦日の夜は遅くまで起きていたので……深夜の一時くらいです」

「じゃあ、鈴木君の<エッグ>が孵化するタイミングは、一月四日の午前一時から午前五時の間、<エッグ>が触れる実体となる、最も危険な一時間も、その四時間のうちに含まれることになるね。どう対策を講じるべきか……<エッグ>関係で警察は役に立たないから――」

殺人でも起こらなければ、<エッグ>関係のトラブルに警察の積極的介入は期待できなかった。<スクランブルエッグ>は、完全に<かみさま>の支配下で行われている。その影響力は、一都市、一企業グループ、そして公権力にさえ及んでいた(そこまでくれば、あるいは一国までも――とか、考えてしまう)。

「これから、確実に<エッグ>が孵化する、一月四日の午前五時まで、どこかに身を隠すか、あるいは――」

顎に手を当てて考えるふうなしぐさだった小泉さんが、そこで高橋さんに視線を向けた。

「孵化するまでの期間、信頼できる<エッガー>に、つきっきりで護衛してもら――」

「わたしやります!」

なぜか、カウンターに両手を激しく叩きつけ、椅子から勢いよく立ち上がった高橋さんが、食い気味に言った。珍しくどもりもしなかった。ぼくの記憶がたしかなら、ぼくが無理やり言わせたように思われたかもしれないが決してそうではない『あんた頭おかしいんじゃないの!』発言以来のことだ。

「わっ、わわわ、わたし! ひっ、ひひ、一人暮らしだし! すっ、す、鈴木君にはうちに泊まってもらえばいいし! ひっ、ひひひ、一人暮らしだから! なななななな、なんの問題もないし!」

なぜか、ここぞとばかりに、一人暮らしであることを強調する高橋さんだった。

本人が言うとおり、両親を亡くしてからというもの、高橋さんは小六にして一人暮らしをしていた。生活費は、両親の残した貯金や保険金、モデル業の収入でどうにでもなったし、近所の人が何かと世話を焼いてくれるのだとも聞いていた。未成年者である以上、法的な保護者がいるはずだったが、一緒に暮らしてはいなかった。

「おっ、おおお、おまけに<スクランブルエッグ>で優勝したし」

<スクランブルエッグ>優勝を、まるで一人暮らしのオプションであるかのごとく扱う高橋さん。一人暮らしであることよりも、<スクランブルエッグ>優勝のほうが、この件では重要なのではなかろうか、と考えてしまうのは、はたしてぼくだけだろうか(真実ぼくにとっては、高橋さんが一人暮らしであることのほうが重要なのだけれど。「……」決してやましい意味で言っているわけではない)。

「そうだね――」

小泉さんは困ったように微笑んで、ぼくを見た。

「まあ高橋さんが大丈夫なら、鈴木君にとってはそれが一番いいと思うよ。現時点では高橋さんとノンに勝てるペアはまずいないだろうからね」

「高橋さんは今年の<スクランブルエッグ>にも挑戦するんだよね」

ぼくは念のため高橋さんに確認しておく。

「う、うん」

<スクランブルエッグ>に優勝して、死んだものを生き返らせずに<クリーチャー>を存続させた<エッガー>は、高橋さん以前にも存在した。そうした<エッガー>は、二度目以降の<スクランブルエッグ>にも挑戦できる。

しかし――、

「<スクランブルエッグ>史上、連覇はおろか、いまだかつて二度優勝した<エッガー>はいない。高橋さんにはぜひがんばってほしいね」

と、小泉さんは言う。

「何か理由があるんですか?」

と、ぼくは訊いた。

「あまり例のないことだから、たしかなこととは言えないんだけど……俺が聞いた話では、過去一度優勝した<エッガー>が二度目の<スクランブルエッグ>に挑戦する年には、必ずと言っていいほど強力な<クリーチャー>が誕生したらしい」

その<クリーチャー>と<エッガー>が、前年優勝者の連覇を阻む。

「昔の事例から、強力な<クリーチャー>が生まれるパターンみたいなものがいくつか推測されているんだけど……たとえば、<エッグ>顕現の起因となる死者の年齢が若ければ若いほど強い力をもった<クリーチャー>が生まれるって話がある」

親より子。子より孫。祖父母より父母。伯父より叔父。伯母より叔母。父母より兄弟姉妹。兄より弟。姉より妹。大人より子供……では子供より――。

「それから、すごくレアなケースだけど、ふたり以上の身内をほぼ同時に亡くした場合にも、すごく強い<クリーチャー>が生まれたそうだよ――」

まるでふたり分の魂を、生まれてきた<クリーチャー>が、宿してでもいるかのように。

ぼくは隣に意識を向けてみた。相変わらず高橋さんの足元で丸くなっているノン。あるじにつき従う、忠実なる双頭の犬。

「……それでもわたしはやらなくちゃ」

高橋さんがぽつりと言った。
少しばかりの沈黙が流れた。

「ぼくの<エッグ>が孵化するまで、高橋さんが護衛してくれたら助かるけど、ぼくはそのための確実な見返りを用意できない」

ぼくは高橋さんのほうに顔を向けて言った。

<エッグポイント>は、<エッガー>同士での受け渡しができる。だから<エッガー>が他の<エッガー>に仕事を依頼したり、協力を仰ぐとき、その報酬は<エッグポイント>で支払われるのが常だった。<エッグポイント>は<エッグアプリ>で管理される。<エッグアプリ>が<クリーチャー>誕生以降にしかインストールできない以上、現在のぼくに支払い能力はない、ということになる。

<エッガー>としてポイントを稼げるようになったときに支払うといった、出世払い的な支払いが考えられたとしても、そんなことをこちらから提案すべきではなかった。

貸し借りの問題は、たとえ友人同士であったとしても、<エッグポイント>であったとしても、お金同様はっきりさせておかなくては。

それに――、

「みっ、みみみ、見返りなんていらない」

「その言葉に、甘えるわけにはいかない」

女の子の好意に甘えるだけでは、男の子としてあまりに甲斐性がない。

「みっ、みみ、見返りのない、あっ、あああ、愛だよ!」

「そんなふうに甘えさせてくれようとは……高橋さんは世の男たちの理想の女子だ」

ヒモ男ならぬ、ヒモ男の子、とまでは言わないまでも。

ただし、

「だだだ、だけどそれで好きな人に好きになってほしいとか考えたこともないし!」

見返りのない愛などなかった。

「ははは、ほんとおもしろい子たちだな」

小泉さんに笑われてしまった。

高橋さんは恥ずかしそうに俯いてしまった。

「だから高橋さんはぼくをおとりに使うつもりで護衛してほしい」

「おっ、おおお、おとり?」

「さっきも言ったとおり、確実な見返りとはとても言えないけど」

「え、えっと……?」

「……つまり、鈴木君をおとりにして<イーター>を誘きよせる。誘き出された<イーター>を高橋さんが返り討ちにする。<エッグイーター>打倒<クエスト>の成功報酬、<イーター>にかかる懸賞ポイントは二〇〇ポイントだから、たしかにそれができれば見返りには充分だ。でも、確実性と安全性のバランスの取り方が難しい方策だね」

小泉さんがぼくの考えを代弁してくれた。

ぼくは頷いて応えた。

「そのとおりです。だから、確実な見返りとはとても言えない、です。まず<イーター>を誘き出すためとはいえ、あまり堂々と<エッグ>を晒したまま街を歩き回ると、ぼくをつけ狙う<イーター>の数が増えすぎるおそれがあります。だからこれからのぼくは、いまのまま帽子で<エッグ>を隠したまま街を歩き回り、ぼくの顔と<エッグ>の存在をすでに知っている<イーター>を再び誘い出すことに専念したいと考えています」

昨日までのぼくでも<テディ事件>の概要は知っていた。<テディ事件>の概要から、不正を働く<エッガー>の存在を推し量るのは容易だった。

<エッガー>が、<クエスト>や<ミッション>で<エッグポイント>を獲得するのは、公式情報として一般にも公開されている。

これらの知識を考慮に入れて、導き出した推察から必要と思われる情報を、昨日高橋さんに連絡を取った段階で確認しておいた。

それがすなわち、不正<エッガー>粛清のための打倒<クエスト>の存在とその成功報酬についてだ。

ある程度、<イーター>を誘きよせるためにも、前日のぼくはあえて<エッグ>を晒して初詣に行った。亜子がいてくれれば、対処できない状況など皆無だ。あのお誘いは渡りに船と言えた(当然すべてを見通していた亜子の、心遣いと考えるのが妥当なわけだけれど)。

そして、敵を増やしすぎないためにも、本日のぼくは、魔法使いの黒い三角帽子で、<エッグ>を覆い隠して行動している。

昨日亜子がくれた『ご褒美その一』の意味は、<イーター>を誘きよせる状況を作り出すこと。

そのための初詣だった。初詣デートだった。

ぼくなんかの考えは、やはり亜子にはお見通しだったわけだ。

「ひとつしかない<エッグ>を狙う以上は、<イーター>同士の共闘はあり得ないだろうけど、大人数の敵と連戦するのは、さすがの高橋さんでもきついだろうから、妥当な判断だと思うよ。正月で学校はもちろん、仕事が休みの人も多いはずだから、昨日から鈴木君を狙っている<イーター>が、まだ街で鈴木君を探している可能性はあるだろうね」

「<イーター>同士が手を組む可能性も完全には排除できません。一時的に力を合わせて、最初に高橋さんとノンを戦闘不能状態にしてから、ぼくを拉致し、<エッグ>を誰が喰らうかは後でゆっくり決める、とか」

とは言ってはみたものの、これはほとんど考慮する必要のない可能性だろう。

「<かみさま>の情報操作の作用によって、一般のSNSなんかでは、ぼくの情報は規制されるはずですよね」

「そうだね。<エッグ>の所在なんかの不正行為に利するかもしれない情報は、基本的に<エッグアプリ>のコミュニケーション機能でも制限されてるよ。仮に不正行為を働こうとする<エッガー>が、その情報を掴んだとしても、自分の獲物を他人に渡したくはないだろうし、他の<エッガー>に情報を漏らすことはないだろうね」

情報の拡散力は低い。<イーター>からすれば、やはり競争相手が少ないに越したことはないのだ。

「これでぼくの<エッグ>を狙う<イーター>の数を、かなり限定できるはずです」

あとは、昨日亜子と出掛けた初詣中、どれだけの<エッガー>がぼくの<エッグ>の存在を知り、そのうちの何人が、実際に<イーター>としてぼくを狙い、動くだろうか。

ぼくの想定では、その数は、それほど多くはならないはずだ。

現在、ぼくの<エッグ>の存在を、確実に知っている<エッガー>は、最低でもひとり――。

「昨日ぼくを見つけた<イーター>が仮にひとりだけだったとして、そのひとりだけが、ぼくをうまく見つけてくれて、その人物の<クリーチャー>をノンが撃退するプランなら、安全にポイントを獲得できます」

一対一の闘いを一回だけなら、<スクランブルエッグ>で三回の連戦を経て優勝している、高橋さんとノンに勝る<エッガー>と<クリーチャー>のペアはいない。

「ただそうすると<イーター>との遭遇率もかなり減ってしまうことになるよね」

「それは仕方ないです」

ぼくの<エッグ>の存在を知る<エッガー>が多ければ多いほど、その分だけ<イーター>との遭遇率は高くなり、彼らとじかに戦う高橋さんとノンの負担も大きくなる。

反対に、ぼくの<エッグ>の存在を知る<エッガー>が少なければ少ないほど、その分だけ<イーター>との遭遇率は低くなり、高橋さんとノンの負担は軽減できるが、策が空振りに終わってしまう可能性がある。

通常の<デュエル>では、対戦相手の<クリーチャー>を故意に消滅させてしまうことは、<スクランブルエッグ>におけるルール違反となり、<ブラックリスト>入りの対象となってしまう。

ゆえに、そんなことをする<エッガー>は、まずいない。

しかし<イーター>になろうという者は、ルール違反を覚悟して行動するわけだから、ルールがあるからといって完全には安心できない。

虎穴に入らずんば虎子を得ず、とはいえ、できるだけ慎重に動くべきだろう。

危険を承知の上で、多数の<イーター>を誘きよせて撃退すれば、一気にポイントを稼げるかもしれないが、万一、高橋さんとノンの命が失われることも想定しておくべきだ――そうなった場合、<エッグ>を奪われたのち、ぼくもどうなるかわからなかった。殺人の目撃者ともなれば、口封じのために殺されないとも限らない。冷静に考えて、殺人事件ともなればさすがに警察も捜査に乗り出し、犯行に及んだ<イーター>もいずれ逮捕されるのだから、もはや<スクランブルエッグ>どころではなくなるわけだが、精神的に追いつめられている人間の思考力で、その事態を想像できるかどうかは甚だ疑問だ。

もしも、ぼくの<エッグ>を狙う<イーター>の数を、ひとりだけに絞れれば、その人物が再びぼくを見つけることができなかったり、ぼくを見つけることを諦めたりしたとしても、ポイントが得られなくなるだけで、高橋さんとノンが危害をこうむることはなく、ぼくの<エッグ>も無事に孵化することができる。

ただしその場合、ぼくは高橋さんに見返りを用意することができなくなってしまう。

このケースに備え、何か別の見返りを考えておくべきか――それが不必要なことだとわかってはいても……、ここまでに述べたことと同様に、無意味な方便を用意しておくべきだろうか。

ともあれ、小泉さんの言った『確実性と安全性のバランス』とは、つまりそういうことだった。

「ということで、もしも高橋さんがぼくの護衛を引き受けてくれるなら、そのためにぼくが提示したい基本プランはふたつ、ストーカープランとカップルプランだ。どちらにするかは高橋さんに決めてほしい」

ぼくは椅子を九十度回転させて、高橋さんのほうに体を向けた。

「はっ、ははは、はい……すっ、すすす、ストーカーと、かっ、かかか、カップル?」

高橋さんも、足がノンに当たらないよう気をつけながら、ぼくのほうを向く。ぼくと高橋さんが対面する形となる。

「なんかすごいネーミングだね……」

小泉さんが指摘したぼくのネーミングセンスはともかくとして(「この頃からネーミングセンスがなかったんですね兄さんは」二葉が指摘したぼくのネーミングセンスはともかくとして)。

「では説明しよう。まずはストーカープランから。このプランでは、ぼくが<イーター>を誘い出すために街をうろついている間、高橋さんには常にぼくの跡をつけてもらう。文字どおり、ぼくのストーカーになってもらう」

街をうろつくぼくを見つけた<イーター>が、ぼくを襲うために姿を現した瞬間、ぼくをストーキングしている高橋さんが飛び出してきて、逆に<イーター>を撃退する、というのがストーカープランの概要だ。

「すっ、すすす、ストーカー!」

思わず声を上げてしまう高橋さんを尻目にぼくは説明を続ける。

「つぎにカップルプランだけど、このプランでは、ぼくが<イーター>を誘い出すために街をうろついている間、高橋さんには常にぼくの隣にいてもらう。文字どおり、ぼくとカップルになってもらう」

街をうろつくぼくらを見つけた<イーター>が、ぼくらを襲うために姿を現した瞬間、ぼくの彼女を装う高橋さんが、逆に<イーター>を撃退する、というのがカップルプランの概要だ。

「カップルプランで!」

思わず声を荒らげてしまう高橋さんを尻目にぼくは説明を続ける。

「ストーカープランの利点は敵が――」

「カップルプランで! カップルプランで!」

ぼくは説明を続けようとする。

「仕掛けやすくなること。ぼくが――」

「カップルプランで! カップルプランで! カップルプランで!」

ぼくは説明を続けよう――と、なんとかがんばってみたが、説明を続けられなかった。

「わっ、わわわ、わかったから、と、とりあえず最後まで説明させて」

あまりの勢いに、ぼくのほうがどもってしまった。

「ごっ、ごごご、ごめんなさい」

小泉さんが笑い、高橋さんが小さくなって謝った。

「ストーカープランの利点は敵が仕掛けやすくなること。ぼくがひとりでうろついていれば、罠だと警戒される可能性はあれど、<スクランブルエッグ>優勝者の高橋さんとノンと一緒にいるよりは警戒されにくいと思う。そのぶん、標的の<イーター>が襲ってくる可能性を少しでも上げられる。もしも敵が強そうだったら、高橋さんはぼくを置いてそのまま逃げることだってできる」

「わたし逃げないよ!」

「ごめん、あと、ありがとう」

「いっ、いいい、いえ」

「カップルプランの利点は、ぼくにとっての利点だ。つまり、高橋さんと一緒にいることで、誰にも襲われることなく、無事に<エッグ>を孵化させることができる。しかしその場合、やはりぼくは高橋さんに見返りを提供できないし、高橋さんが本気で<スクランブルエッグ>二連覇を目指すなら、ポイント獲得のチャンスを得られる可能性が少しでも高い、ストーカープランを選ぶべきだと、ぼくは思う。もちろん護衛してもらう立場のぼくが言えた義理ではないのだけど」

そもそも、不確かな見返りのために、高橋さんがぼくを護衛する必要などないのだ。

「カップルプランで!」

にもかかわらず、そう言い切ってくれる高橋さん。

「……君たちは本当に仲がいいんだね」

小泉さんは微笑ましそうにぼくらを見やる。

高橋さんがちょっとはにかむ。

…………。

そんな高橋さんに対して、何の感情も抱かないぼくは、いったい何者なのか。

このときのぼくが考えていたのは、こういうことだ。

これで、高橋さんはしばらくぼくと一緒にいられる。

自分の目的のためにぼくを利用できる。

ぼくはぼくの目的のために高橋さんを利用している。

もしも高橋さんの目的が、不正<エッガー>にかけられる懸賞ポイントの入手であるなら、今回その機会は必ず訪れる。

そう断言できる。

ストーカープランやカップルプランといった方策も、これまでにぼくが起こした行動のすべても、結局は、無意味な方便にすぎず、これからどんな策を練ろうと、どれだけ大胆に動こうと、慎重に行動しようと、行きつく先はすでに決まっている。

つまるところ。

何をしようと。

この先ぼくは必ず<イーター>と対峙することになる。

ぼくの意思はそこに介在しない。

ぼくの意思というものが、真実ぼくの中に存在しているとしての話ではあるが。

「高橋さん」

「はっ、ははは、はい!」

とはいえ、

「もし、もしも、よしんば、仮に、高橋さんが<エッグポイント>を獲得する機会をぼくが作れなかった場合、代わりに、ぼくがなんでもひとつだけ高橋さんのお願いを聞いてあげる、というのはどうだろうか」

「なっ! なな、ななな、なんでも!」

「七ではなく、ひとつだけだが、なんでも」

さらに自分を追い込むための、思いつきの発言だったが、いやに食いつきがいい高橋さんだった。

いったいどんな無理難題をふっかけてくるつもりなのか。『一生わたしの奴隷になってわたしの願いをすべて聞き続けなさい』がくるのか、それとも『聞いてくれるお願いを一〇〇個にして』と言っておいて、九十九個願いを聞いて残りひとつになった段階で、またまた『聞いてくれるお願いを一〇〇個にして』と言って、無限ループするつもりなのか(願い事のパラドックス)。

されどぼくはランプの精にあらず。

ゆえに過度な期待をされても困る。

「ひっ、ひひひ、ひとつだけ! なんでも?」

「そうだが……ぼくに可能な範囲で。ちなみにひとつ聞いたらぼくは帰る」

食いつきのよさに少しだけ不安になってくる……不安のあまり一応布石を打ってしまった――『ひとつだけと言ったんだから、もうお願いは聞けない』という言い訳をも、心の中で用意してしまっていた。

「だっ、だだだ、だったら、わたしのこと好きになって!」

(ぼくが、人を、好きになる……)

無理難題だった。

「本当に仲がいいなあ」

負けられない戦いがそこにはあった。

「<ブラックリスト>・オン」

高橋さんが右腕を顔の高さにかざして言った。

音声入力された指示によって、高橋さんのブレスレットタイプPDが、ホログラフィック・ディスプレイを直上に投影する。

「リストアップ・<イーター>」

小泉さんのアドバイスに従って、高橋さんのPDを用いて<エッグアプリ>を使い、現在<ブラックリスト>に登録されている<エッグイーター>を、念のために確認するところだった。

現在、<ブラックリスト>に登録されている<エッグイーター>の数は――、

十一人。

一人ずつ名前、顔、<クリーチャー>情報を確認していったが、ぼくの知っている人間はひとりもいなかった。はたしてこの数は多いのか、それとも少ないのか。

「多すぎるということはないと思うけど。今日は一月二日。まだ前年の<スクランブルエッグ>が終わったばかりだからね。それに<イーター>として<ブラックリスト>に登録されるタイミングは、<クリーチャー>が故意に<エッグ>を顕現している<エッガー>を攻撃した段階、あるいは<クリーチャー>が<エッグ>を捕食した時点だから――」

<エッグイーター>は、<ブラックリスト>登録の有無で、つぎのふたつに場合分けができる。

・すでに<エッグイート>を行い、<エッグイーター>として<ブラックリスト>に登録されている<エッガー>
・まだ<エッグイート>を行っておらず、<エッグイーター>として<ブラックリスト>に登録されていないが、これから<エッグイート>を目論んでいる<エッガー>

昨日ぼくを襲ったテディもどきを、<エッガー>だったと仮定して(<エッガー>ではない一般人の愉快犯、といったような可能性をここでは排除して)考えると、おそらくは後者、まだ<ブラックリスト>には登録されていない者に違いない。
その理由としては、<エッガー>が<エッガー>を直接攻撃することは(昨日は亜子の活躍によって、ぼくはテディもどきに指一本たりとも触れられていないわけだけれど)、小泉さんの言った<ブラックリスト>入りの条件とはならないことが挙げられる(人間が人間を襲うぶんには、それは人間の法律の範疇であって、ゆえに<スクランブルエッグ>のルール外とみなされるのかもしれない)。
すなわち、<エッグ>を喰らうぎりぎりまで、<ブラックリスト>入りを避けたいがため、正体を隠した<エッガー>のほうが、直接襲ってきたのではないか。

さらに、もしもすでに<ブラックリスト>入りしている<イーター>だったなら、手っ取り早く<クリーチャー>に襲わせたほうが、人間を襲おうとしている襲撃者の心理的負担を鑑みても、実際的ではなかろうか。

あのとき、パートナーである<クリーチャー>の姿はどこにも見られなかった。

<エッガー>と一緒にホロスーツで覆えるほど小型の<クリーチャー>か、あるいは路地の角などの死角に隠れていたのか――。

「では、ここに載っている<イーター>以外の、まだ<ブラックリスト>に登録されていない<イーター>予備軍――そうですね……、準<イーター>とでも呼びましょうか、その準<イーター>が襲撃してきた場合、高橋さんが返り討ちにする前に、まずは相手の<クリーチャー>にこちらを攻撃させて、<ブラックリスト>に登録させる必要がありますね」

<ブラックリスト>に違反者として登録されなければ、打倒<クエスト>の対象とはならず、懸賞ポイントもかからない。

「その点は問題ないだろうね。高橋さんとノンが一緒にいてくれれば、余程の不意打ちでもない限り、ノンの<ディフェンススキル>で初撃を防げるはずだよ」

ぼくと高橋さんのどちらを狙った攻撃でも、まさにぴったり寄り添い合うカップルのように、とまでは言わないまでも、すぐ近くに位置していれば、ぼくを含むふたりの人間を狙った攻撃と判定されて、攻撃してきた<クリーチャー>の<エッガー>は、<エッグイーター>として<ブラックリスト>に登録される。

「だっ、だだだ、大丈夫! いつでもいつまでもどこでもどこまでも一緒だよ! なんだったら不意打ちされないように見晴らしのいい場所で、ずっと<障壁>をはり続けて、鈴木君の<エッグ>が孵化するまで待てばいいよ! あ、そっ、そそそ、それがいいよ!」

ちなみに<障壁>は、ノンの<ディフェンススキル>の名称だ。

「ずっと<障壁>をはり続けてって、ノンの<スキルポイント>消費は大丈夫なの?」

「よっ、よよよ、余裕だよ!」

…………。

そのどもりが、キャラとしてのどもりなのか、はたまた嘘をついたためにどもったものなのか、判断できなかった。

スキルを展開し続けるには<スキルポイント>を消費し続けなければならない。本当に何時間も<ディフェンススキル>を継続できるとしたら、ノン無敵すぎる(<障壁>を解除しなければ、自身の<アタックスキル>もそれによって阻まれ、相手を攻撃できないにしても)。

「そっ、そそそ、そうしよう! <エッグポイント>なんて、もうどうでもいいよ! 安全第一だよ!」

 ――……それでもわたしはやらなくちゃ

ついさきほど、<スクランブルエッグ>二連覇への秘めたる胸のうちを、高橋さんが吐露したように感じたのは、はたしてぼくの気のせいだったのだろうか。

「ははは、ともあれ敵襲に対処する場所を定めておくっていうのは重要だよ。一般の人たちを巻き込むわけにはいかないからね。これは<エッガー>だけじゃなくて、一般の人の生死にも関係する重要な事柄だから情報公開されていて、知ってるとは思うけど、基本的に<クリーチャー>は、<エッガー>、それ以外の一般人の区別なく、故意に直接人間を攻撃してはならない」

<エッガー>、一般人を問わず、<クリーチャー>が<フィールド>外で、人間を故意に直接攻撃してしまえば、<イーター>とは別の違反者として<ブラックリスト>に載ってしまうことになる。

この違反は<ヒューマンアタック>、違反を犯した者は<ヒューマンアタッカー>と呼ばれる。

たとえ攻撃対象となった人間が無傷だったとしても、違反者には最低一〇〇<エッグポイント>の懸賞ポイントがかけられて、<ブラックリスト>に登録されてしまう(負傷者の重篤度によって懸賞ポイントは増加していく)。

これは、禁忌とも言うべき、そして<エッガー>が最も犯しやすい、<スクランブルエッグ>の基本ルールのひとつだった。

通常、<エッガー>が<デュエル>をする際には、双方合意の上で、あらかじめ<デュエル>の時間と場所を定め、<エッグアプリ>で予約を取ってから、行われなければならない(ちなみに、一度取り交わされた約束どおりに<デュエル>が行われないと、その原因を作った<エッガー>の不戦敗となる)。

これは、<エッガー>、一般人の別なく、人の安全を確保するための決め事だ。

そのために、七玉子市にはいくつもの<デュエルスポット>(略称、<スポット>)が点在し、<デュエル>は必ずこの<スポット>で行われなければならない。

予約のあった時間、予約のあった<スポット>には、<デュエルフィールド>(略称、<フィールド>)が形成されるよう取り計らわれる。

形成された<フィールド>は、<デュエル>が終了するか、あるいは設定された制限時間が訪れると、自動的に消失する。

<フィールド>内にいる限り、<クリーチャー>の攻撃は、たとえ人体に当たっても、心身ともに影響を与えることはなく、<クリーチャー>の攻撃が<フィールド>外に及ぶこともない。

そして<フィールド>内にいる限り、どれほど傷つき消耗しようとも、<クリーチャー>が消滅することはない。

ただし<ブラックリスト>に登録され、打倒<クエスト>による消滅対象となってしまった不正<エッガー>の<クリーチャー>には、当然ながらこれは適用されない。

よって<ブラックリスト>に登録されてしまった不正<エッガー>の<クリーチャー>には、いつどこで消滅させられてもおかしくない、といった危険が常につきまとう。

また一方で、月一開催される予選大会のような公式戦や、公開された正式<デュエル>以外の、いわば私的な<デュエル>の観戦は、不測の事態を避けるためにもできるだけ控え、<スポット>にて<フィールド>形成の警告が発せられた場合には、できるだけ速やかに<フィールド>外へと退避し、その場から離れるようにと、<スクランブルエッグ>運営委員会からは注意が促されている。

「そうですね……誘いをかけるのは明日からにするとして、ある程度街を歩いたら、<スポット>で待ち受けておいたほうがいい――」

欲をいえば。

ぼくの<エッグ>を賭けて勝負する流れを作り出し、高橋さんが<イーター>、あるいは準<イーター>と約束を取り交わして、正規の手順をふんだ<デュエル>ができれば、それにこしたことはないのだが――。

「鈴木君」

その後、必要と思われる情報と知識を、一通り教えてもらって、高橋さんに続いて店を出ようとしたぼくは、小泉さんに呼び止められた。

「もし、生き返らせたい人がふたりいたら、きみはどうする?」

小泉さんが、先刻まで浮かべていたのと、変わらない微笑をたたえながら訊いてきた。

一般公開されている<スクランブルエッグ>の優勝褒賞。

『死んだものをひとり生き返らせることができる』

ひとり。

ふたりのうち、ひとりだけ。

「それが誰と誰なのか、そのとき置かれている状況、抱えている事情――その他考慮すべき多数の要因によって、答えが変わってくるかと思います。この場で軽々には答えかねます」

たとえば、そのふたりは、小六の子供が事故で亡くした、父親と母親かもしれない。

もしそうだったとして、どちらを選ぶのが正解なのか?

父親と母親を比べて、父親のほうが好きだから、父親を選ぶべきなのか?

男性と女性を比べて、繁殖を生物の意義とするならば、女性である母親を選ぶべきなのか?

それは答えのない質問だ。

「じゃあ、もしも母親と恋人だったら?」

「ひょっとして、答えは沈黙、ですか?」

「読んでたか。昔の漫画だから知らないかと思った」

小泉さんが肩をすくめる。

昔の漫画でも、おもしろいものは読み継がれる。

「俺は、さっき鈴木君の言ったことは正鵠を射てると思うよ。どちらを選んでもどうせ後悔するなら、選ばないほうがいいのかもしれない。選ばなかったことを後悔するくらいなら選んで後悔したほうがいいのかもしれない。たしかにどちらとも選べない問題だけど、選ばなきゃならないとしたら、時と場合によって、答えは変わってくる。どちらか一方の死に、隠れた真実があって、それを知る前は恋人選ぶつもりだったとしても、知ったあとは母親を選ぶかもしれない」

サニーサイドアップのマスターも、昔は<エッガー>だったと、高橋さんは言っていた。

まるで変わらない微笑をはりつけたまま、いまの小泉さんはどこを見つめているのか。

ぼくにはそれがわかる、気がした。

「<エッグ>の発現条件は、七玉子市出身・在住者であること、そしてその者の三親等以内で血のつながりある血族が死ぬこと。つまりこの場合、死者を生き返らせるチャンスは母親の死によって生まれたことになります。であれば、母親を選ぶのが妥当な選択に思えますが――」

ぼくは、高橋さんが出て、とっくに閉まってしまったドアから、小泉さんのほうへ向き直って続けた。

「もしも母親が、恋人を生き返らせることを望んでいたとしたら、恋人を生き返らせることが妥当な選択となるかもしれません」

あるいは、それこそ漫画の主人公が示すような、みんなが救われる別の選択が、この<スクランブルエッグ>にもあるのかもしれない。

ふたり生き返らせる方法が。

「今日はありがとうございました」

「ああ、またね」

ぼくは店を出た。

具体的な今後の方針を話し合うため、また落ち着けて警戒しやすいロケーションを求めて、ぼくと高橋さんは再び春葉台公園の緑地に戻ってきていた。

(店を出てからというもの、ぼくは今回の話の超最難関を、いかにしてクリアするか、真剣に考え続けていた)

喫茶店でかなりのときを過ごしたとはいえ、空はまだ充分に明るかった。

しかしながら、冬の日の入りは早い。

あと一時間もすれば、辺りはすっかり暗くなるだろう――、

といった時間帯だった。

緑の芝生の向こうから、誰かが乗った馬――ではない大きな動物が、駆けてくるのが見えたのは。

そして。

晴天の空から、無数の巨大な氷の刃が、降り注いできたのは。

<アイスエッジ>。

とっさ。

「シシシ ショウヘキ テンカイ」

と、左ノンが唱えた。

ノンの<ディフェンススキル>、<障壁>が発動した。

高橋さんとノン、そしてぼくがいる辺りを中心にして、目には見えない<障壁>が展開したようだった。

ぼくらを的に、矢継ぎ早に降り注いでくる氷の刃は、<障壁>に接触したと思われる空間で、つぎつぎと砕けていった。

砕け散った氷の欠片が、陽光に輝いて美しかった――などと悠長に構えている場合ではなかった。

どうやら高橋さんを中心にして、球状(地面の下まではわからないとするならドーム状)に展開しているらしい<障壁>外の地面に、氷の刃が突き立っていく。

それらは地面に突き刺さった瞬間から氷の柱となり、隙間を埋めるようにして間断なくそそり立っていく。

氷の柱の群れは、すぐに氷の壁へと変貌する。

氷の刃が降り止んだ頃には、ノンの<障壁>の効果範囲に等しい、半径数メートルほどの円周が、氷の隔壁によって囲われてしまった。

さながらそれは氷の牢獄。

ぼくたちは氷に囚われた。

されど。

この牢獄には天井がなかった。

振り仰げば、青空をバックにして、今度はひとつの影が、落ちてくる。

馬、ではない大きな動物に乗った騎士、ではない誰か――。

「シシシ ショウヘキ カイジョ」

影を確認した左ノンが、<ディフェンススキル>、<障壁>を解除した。

<デュエルフィールド>のはられていない場所では、<クリーチャー>のスキルは人間を傷つけてしまう。

<障壁>に触れた襲撃者が、砕け散った氷の刃のごとくダメージを負う危険を避け、<ブラックリスト>入りのおそれ(この場合は故意の直接攻撃とはみなされず、ルール違反とはならなかった可能性が高いけれど)を完全に回避するための、<クリーチャー>としての本能的な判断だったのだろうが、たぶんその必要はなかった。

降り注ぐ氷の刃が、<クリーチャー>の<アタックスキル>であることは明白だった。ノンの展開した<障壁>がなければ、ぼくや高橋さんに直撃していたこともまた疑う余地はない。

<クリーチャー>が、人間を攻撃すること。

<クリーチャー>が、<エッグ>を顕現している<エッガー>を攻撃すること。

<ヒューマンアタック>と<エッグイート>。

襲撃者はすでにふたつの違反を犯している。

違反者は、<スクランブルエッグ>のルールによっては保護されない。

すなわち、<フィールド>外における<クリーチャー>の攻撃で、違反者が死傷したとしても、違反者を攻撃した<クリーチャー>の<エッガー>が、ペナルティを受けることはない。

そのため、違反者は<スクランブルエッグ>の争いによって被る危険が飛躍的に増大する。いついかなるときも、不意の攻撃を警戒しなければならず、これは違反を犯す者にとっての最大のデメリットとなる。

さりとて、人を傷つけたり殺したりすれば、法律の裁きは免れない。

<エッグ特別法>の適用で、大幅に罪が軽減されるとしても。

とかなんとか言いつつも。

たとえ前触れなく一方的に仕掛けてきた敵であれ、人を傷つけまいと行動したノンは、まさに<クリーチャー>の鏡と言えた。ノン自身の資質か、はたまた高橋さんの躾がいいのか、恐ろしい双頭犬の見た目とは裏腹に、とても人間的……、

「ジゴク ノ ゴウカ カカカ」

と、ぼくがノンのパーソナリティーを評しかけたとき、天を仰いだ右ノンが唱えた。

ノンの<アタックスキル>、<地獄の業火>が発動した。

「……」

……ではなくて、やはり恐ろしい双頭犬の見た目どおり、たとえそれが人であっても、容赦なく屠るつもりなのか、消し……、

「対象設定<エッガー>、火耐性強化MAX!」

と、 ぼくがノンヘの評価についての前言をひるがえす暇もなく、<地獄の業火>が発動する直前、高橋さんが突然ぼくを抱き寄せてから唱えた。

高橋さんのPDで、バックグラウンドにて常時起動している<エッグアプリ>が、音声認識によるスキル指示を実行する。

高橋さんの<サポートスキル>、<火耐性強化>が発動した。

<火耐性強化>は、火属性攻撃のダメージを軽減する。フル強化ともなれば、火属性であることから受けるはずのダメージを、限りなくゼロに近づけられるはずだ。

概して、<サポートスキル>の対象は、自身のパートナーである<クリーチャー>を設定する。

<フィールド>で行われる通常の<デュエル>であれば、<クリーチャー>の<アタックスキル>が、人の心身に害を及ぼすことはないからだ。

たとえば、<フィールド>内において、<地獄の業火>が人間に直撃したとしても、直撃を受けた人間は痛くもかゆくも熱くもなく、ゆえに死ぬこともない。

逆に、<フィールド>がはられていない場所であったなら、<地獄の業火>の直撃を受けた人間は、痛くもかゆくも熱くもないかもしれないが――一瞬で炭化してしまう。

だから高橋さんは、<地獄の業火>による自滅を防ぐために、<火耐性強化>の対象として、パートナーである<クリーチャー>のノンではなくて、<エッガー>である自身を設定した(高橋さんがとっさに抱き寄せてくれたおかげで、高橋さんが身に着けている衣服などと同じように、ぼくも<サポートスキル>の対象として認識されたわけだ)。

おかげで、特大火炎の高熱に、身を燃やされずにすんだ。

結構熱いな、くらいですんだ。

……炭にならずにすんだ。

上方へ反らした右ノンの頤から放射された火炎は、影を飲み込みつつ天を衝いた。

<クリーチャー>は<アタックスキル>と<ディフェンススキル>を、<エッガー>は<サポートスキル>を、それぞれ使用できる。

一度スキルを発動すると、そのスキルの効果が切れてのち、つぎにスキルを使うには、スキルごとに定められた一定の待機時間を待たなければならない。

双頭のノンは、右ノンが<アタックスキル>を、左ノンが<ディフェンススキル>を担当することで、待機時間の制約を受けずに、連続で攻・防のスキルを発動できる。

しかし、通常一体の<クリーチャー>が、連続で攻・防のスキルを発動することはできない。

一回スキルを使用すれば、攻・防どちらのスキルを使うにしても、最低数十秒単位のタイムラグが生じてしまう。

敵の<クリーチャー>は、<アイスエッジ>の<アタックスキル>で攻撃してきた。

さらに、降り注いできた氷の刃の数とサイズから察するに、<エッガー>による<氷属性攻撃強化>の<サポートスキル>が使われているのは明瞭だ。

ゆえに、敵の<エッガー>と<クリーチャー>は現在、ともにスキルを使えない状態にあり、<地獄の業火>に巻かれた状況から、身を守る術はない。

敵襲を感知するなり、瞬時に<ディフェンススキル>で防御した左ノン、空中に跳躍し逃げ場を失った標的を、<アタックスキル>で的確に迎撃した右ノン、そして、自身とぼくに<サポートスキル>を使用して冷静に対処した高橋さん。

三位一体。

まさに<スクランブルエッグ>優勝者の面目躍如たる対応だった。

容赦のない対応だった。

<地獄の業火>が発する熱は凄まじく、氷の壁はたちどころに蒸発して、周辺の緑は黒に変わっていた。

勝敗は決した。

敵の<クリーチャー>はきらきらと輝く光の粒子となって消滅し、<エッガー>は灰塵と化し熱風に巻き上げられて昇天した――、

「なんとぉおおおおお!」

かに思われたが、そうは問屋が卸さなかった。

人をひとり消し炭にしてしまった罪を、殺人を犯してしまった罪を、<エッグ特別法>の特赦と正当防衛の訴えによって、どこまで免れることができるだろうか、といった事後に思いを馳せようとしていたぼくをよそに、馬ではない大きな<クリーチャー>は、騎士ではない<エッガー>を背中に乗せたまま、まるで猫のように華麗に、黒くなった地面に、着地した。

その<クリーチャー>は馬ではなく、

同じネコ科ではあっても猫でもなくて――、

虎、だったわけだが。

「見つけたあああああ!」

どうやら見つかったらしい。

「昨日は見失ったけどワンチャンある! わたしやっぱツイてる!」

そう言う、虎に乗った彼女の特徴は、昨日、初詣デートに付き合ったぼくに亜子がくれた、『ご褒美その二』の人物像を彷彿とさせた。

――ふん、多少格闘技の心得があるようだけど、大学生のサークルレベルといったところかしら

その<エッガー>は当然馬に乗った騎士ではなくて、

いわゆる――、

美人女子大生だった。

「ちっ、残り少ないレアを使っちまった。やっぱ希世ちんとノンはマジぱねぇな」

どうやらレア<アイテム>を消費して危難を、渦巻く業火の火中を、潜り抜けてきたらしい虎に乗った美人女子大生が言った。

「……西園さん、その呼び方はやめてください! しっ、ししし、しかも鈴木君の前で!」

「いいじゃん希世ちんかわいいじゃん。てかそっちこそ、わたしのこと琥珀って、下の名前で呼んでいいって言ってんのに」

(いつまでも美人女子大生と表現するのもあれなので、ではお言葉に甘えて下の名前で呼ぶことにしよう)

一瞬の死闘を繰り広げたばかりの高橋さんと琥珀さんだったが、お互いに殺しかけ、殺されかけたはずの高橋さんと琥珀さんだったが、なぜかちょっと親しげだった。小泉さんといい琥珀さんといい、何気に高橋さんは顔が広い。

まあ、高橋さんと琥珀さんが知り合いであることには、なんの不思議もなかったが。

一方的に知るだけならば、ぼくだって知っていた。

西園琥珀。

美人女子大生<エッガー>として評判となり、高橋さんと同じ事務所に所属するモデルでもあり、ぼくもテレビで見ていた年末の<スクランブルエッグ>準優勝者だった。

彼女の乗っている虎丸は、白虎の姿をした<クリーチャー>だ。

横幅の広い、どっしりとした体形は、たしかに乗り心地もよさそうだった。

いかにも強そうなかっこいい見た目は、馬の鞍よろしく紐で粗雑に括りつけられたファンシーなクッションのせいで、台無しだったが。

「それとなんでいきなり攻撃してくるんですか! この間の<スクランブルエッグ>で負けた仕返しですか!」

不満のある呼び名のつぎにそれを指摘するあたり、<スクランブルエッグ>優勝者としての貫禄だと、好意的に解釈してもいいのだろうか、と少し不安にさせる高橋さんの発言だった。

「ぷっ、仕返しなんかするわけないじゃん。子供じゃあるまいし」

と、子供みたいに吹き出してからそんなことを言う、大学生の琥珀さん。

ならばまずは戦闘の前に、大人の対応としての対話を求めてほしかった。

「ま、一言で言うなら覚悟の、表明、だな」

「表明、という言葉を使ったことで、自分が大人であることをアピールできたつもりなのか、こちらは疑いなく大人である豊かな胸部を反らして、女子大生の琥珀さんが続ける」

「?」

間近に見える高橋さんの顔は、やはり琥珀さんの言った『覚悟の表明』の意図が掴めなかったのか、困惑の表情を浮かべている。

「大方、<エッグ>を狙うわけだから、<エッグイーター>として<ブラックリスト>に載る覚悟をもって攻撃した、という意味なのだろうが、琥珀さんは言葉が足りず、ゆえに相手に伝わらず、ひいては一言で言う意味がない」

「!」

「!」

「そもそも、<エッグ>をもつぼくを、琥珀さんたちが殺してしまえば、<エッグ>も同時に消えてしまうのでは……、そこはあらかじめ確認していた高橋さんとノンが、ぼくを守り切る確信があった、という理由でしのげるだろうか」

「……」

「……」

それに。

<エッガー>・西園琥珀には異名がある。

反逆者(ちょっとかっこいい、とか思ってしまうのは――そこで、「それは中二病ですね、高二にもなって、高三にもなろうというのに」という二葉のつっこみが聞こえてきた。最後まで書かせてももらえなかった)。

その名の由来は、<スクランブルエッグ>のルールをことごとく無視し、すでに複数の違反で<ブラックリスト>入りしている事実からきている。

なのでむしろ、これまで<エッグイーター>として<ブラックリスト>に登録されていなかったことのほうが、不思議なくらいだった。それでいてよくも、<スクランブルエッグ>本大会への出場権を得て、準優勝まではたせたものだった。

いずれの事実も驚嘆に値する。

「琥珀さんは数々の違反をしているのだから、いまさら違反がひとつ増えたからといって、覚悟の表明になるのか、といった疑問が頭をもたげてくる」

「…………」

「…………」

「小学生から見た大学生というのは、とても大人に映るものだと思っていたが、言葉が足りず、頭も足りず……はたして琥珀さんは本当に美人女子大生なのか……重要なことだから、念のために確認しておくべきか」

「………………」

「………………」

モデルとしても<エッガー>としても、琥珀さんは大学生であることをオフィシャルに公開しているので、本当は疑う必要などないのだが。

顎に手を当てて、俯き加減に思考を巡らせていたぼくは、改めて琥珀さんを見た。

「琥珀さん、あなたは本当に美人女子大生ですか?」

「すっ、すすす、鈴木君! だいぶ前から心の声がダダ漏れだよ! それにわたしも下の名前で呼んでもらってないのに、西園さんのこと下の名前で呼んでるし! そっ、そそそ、それに何より――」

「なんなんだこの失礼なガキは! 誰の頭が足りてねーって? 変わってるのは服装だけじゃねーのか! エキセントリックすぎんだろ! いったいどこからつっこめばいいんだよ! とりあえずおまえはわたしを下の名前で呼んでんじゃねーよ! ここぞとばかりにこれでもかと連呼してんじゃねーよ!」

ぼくがエキセントリックとな。

琥珀さんに言われてしまうと、その衝撃は計り知れなかった。

しかし、しまったな。

どうやら悪印象を与えてしまったようだ。

ここはフォローを入れておかねばなるまい。

「いや美人女子であることは間違いない。疑う余地がない。では言い直して、はたしてこの人は本当に大学生なのか……重要なことだから、念のために確認しておくべきか。琥珀さん、あなたは本当に大学生ですか?」

「すっ、すす、鈴木君は! 美人女子大生が好みなの? 豊かなのが好きなの? あっ、あああ、あとそれから――」

「いやいや、それでフォローしてるつもりなのか! てか、下の名前で呼び続けてんじゃねーよ! 全然フォローできてねーからな! 頭の足りない美人女子って、顔だけの女って言われんの、最悪だからな!」

そこに気づくとは。さすが美人女子大生、意外にも頭の回転は速い。

おかげで、さらなる悪印象を与えてしまったようだ。

第一印象を最悪にしてしまった。

さりとてこれで、さらなる悪印象を与える心配はあるまい。

発言に気を遣う必要もあるまい。

やれやれ。

「ところで高橋さん、琥珀さんはぼくの好みではない」

「すっ、す、鈴木君……」

「できてねーけど一応最後までフォローしろや! 諦めんなや! がんばれや! あと、いつまで抱き合っとんじゃ、このリア充どもが!」

高橋さんを強く抱きしめてから言ったぼくに、琥珀さんがようやくつっこんだ。

「そんなこんなで、ぼくは琥珀さんと友好的な対話を図ることに成功した」

「成功してねーし! むしろ大失敗してっからな!」

そんなこんなで、ぼくは琥珀さんと友好的な対話を図ることに失敗した。

大失敗した。

「まあまあ、そんなに荒ぶらないでください。美人が台無しですよ、西園さん」

とはいえ、怒り顔の琥珀さんも素敵だった。

「さりげなく褒めようがいまさら呼び方を正そうが、挽回できねーぞ」

あくまでも戦闘継続といった気勢を崩さない琥珀さん。

それに呼応するように牙を剥く虎丸。

真正面から見据える白虎に乗った美人女子大生の図にはそこはかとない迫力があった。

ぼくは周囲に意識を向けてみた。

市によって丁寧に手入れされていた芝を、一部焼野原にしてしまったが、人的被害はなさそうだった。

琥珀さんと虎丸の襲撃時、辺りに人はいなかった(それを知っての、琥珀さんと虎丸による襲撃だったのだろう、と信じたい)。

変に目立つのに、人々を遠ざけてしまうぼくらパーティの特異性(ぼくの魔法使いルックと高橋さんのゴスロリファッション、ノンの恐怖を喚起する双頭犬・オルトロスの見目、そしてそれらの相乗効果)が幸いした格好だ。

併せて、<デュエルスポット>である春葉台公園には、危険性が高く、周囲に影響を及ぼしかねない広範囲・高威力<アタックスキル>の発動を感知しての緊急措置として、すでに<デュエルフィールド>が形成されていた。

『こちらは、<スクランブルエッグ>運営委員会です。ただいま、十五時三十九分に春葉台公園内にて、<エッガー>による不正規<デュエル>が発生しました。当該地帯には、すでに<デュエルフィールド>が展開していますが、園内にいる方は、直ちに園外へ退避してください』

PDが受信した緊急警報が、そのことを示している。

これで舞台は整った。互いのスキル待機時間もとっくに経過している。

「大丈夫。高橋さんはぼくが守るよ」

ぼくはここぞとばかり、昨日は結局消化不良ぎみに終わってしまった(逆に亜子に消化されてしまった)、少年なら(少女でも)一生に一度は言ってみたい台詞を言ってみたりしつつ、ぼくの腕の中に収まっている高橋さんの頭を撫でてみたりした。

「すっ、鈴木君……」

頬をほんのりと上気させ、とろけた表情を浮かべながら、切なそうに呟く高橋さんは、底知れぬかわいさだった。

「いや、守られてんのはお前だからな……」

「呆れ顔も魅力的ですよ、西園さん」

「鈴木君!」

怒り顔の高橋さんも、もちろんかわいい。

「わたしはお前の将来が不安になってきたし、もうなんか疲れてきた……」

しつつも、こんな空気の中で、いつまでも愛らしい同級生を愛でているわけにもいかず、ようやく高橋さんの体を離したぼくは、仕切り直すつもりで、琥珀さんと虎丸に向き合った。

「西園さん、ぼくと取引しませんか?」

「取引?」

怪訝そうな顔で睨みをきかせてくる琥珀さんに、ぼくは頷いて見せる。

琥珀さんの直情的傾向を考慮に入れて、うまく話を進めなければ――。

「そう、取引です。交渉です」

「断る!」

断られた。

「えっ?」

「断る!」

交渉の余地なく速攻で断られた。

「ちょっ」

「断る!」

拒絶の即行だった。

「てか断つ!」

出た。

それはここぞというときに、虎丸が<アタックスキル>を発動するときの、琥珀さんの決め台詞だった。

つまり斬られた。

希望を絶たれた。

せめてまだ始まってもいない関係は、絶たれたわけではないのだと、信じたいところだった。希望をもちたかった――いや希望は絶たれたのだったか。

琥珀さん、思ったよりも直情的すぎた。

まずはちょっとしたジョークで気を緩めてもらい、琥珀さんに楽しんでもらおうとぼくなりにユーモラスな会話を展開し、ちょっと笑い疲れてきたかしら(怒り顔と呆れ顔しか見ていない気もするけれど)、といったところを狙いすまして取引をもちかける作戦が不発に終わった。

完全に裏目に出てしまった――だと。

「そんな……」

ぼくは地に膝をつき、両手で全身の重みを支えた。そんなぼくに黒こげの大地がほんのり温かかった(<火耐性強化>の効果がいまだ持続しているのだろうか)。

「おい! そこまでのことか?」

ここが、この漆黒の地こそが、失意の底なのか。
ぼくは俯けた顔を起こすことができないでいた。

「お、おい……」

そんな失意の底にいるぼくに対して、不安げに声をかけようとする琥珀さん。激しい言動とは裏腹に、じつは人情味ある人なのかもしれない。

それでもなお、ぼくの絶望は深かった。

「あるじよ、話くらい聞いてやってもよいのではないか」

意気消沈するあまり、力が抜けていくぼくの体が、地球の重力に引かれて、自然五体投地の姿勢を取ろうとしていたときだった。

かくの如きぼくの頭上から、理知的な声が降ってきたのは。

これは神の啓示なのか――。

残された力を振り絞って、ぼくは顔を上げた。

「虎丸師匠――」

そこには、紛うことなき神獣・白虎の姿があった。

「我はおぬしを弟子にした覚えはないが……」

凄まじい虎の形相に反して、とても理性的な虎丸だった。

「……わかったよ、聞いてやるから。ほらとりあえず立て」

いまにも心が折れそうな、ぼくの様子を目の当たりにして、琥珀さんが折れた。

「ありがとうございます、西園さん」

いまにも涙を零しそうな声で、言ってみるぼく。

「ああ、もう! いまさらだし、下の名前で呼んでいいよ」

やはり本当の琥珀さんは心の優しい人のようだ。

「ではさっそく交渉に移ろうか。虎丸師匠、琥珀」

「立てとは言ったけど、立ち直り早っ! てか、なんでいきなり虎丸は師匠で、わたしは呼び捨てなんだよ! 下の名前で呼んでいいっつっても、呼び捨てにしていいわけじゃねーからな! それと呼び順な! わたし虎丸に一応あるじって呼ばれてんだけどな! どんだけ虎丸を尊敬してんだよお前は! お前らの間にはいったいどんな秘められたエピソードがあるんだよ! てか、わたしらいつの間にかどんだけフレンドリーな関係になってんだよ! お前とは絶対に仲良くしねーからな!」

意外に細かくつっこんでくれる琥珀さんだった。

「はいはい、琥珀さん」

「はい、は一回だろーが!」

「大事なことだから二回言ったんです」

「……わたしお前のこと嫌いだからな!」

「ぼくは好きですよ――」

「えっ!」

「何っ!」

「なっ!」

「虎丸師匠のことが」

「ほっ」

「我か」

「……やっぱ断つ!」

「前から思っていたんですけど、その決め台詞、『断つ』と『龍』が韻を踏んでいて、虎使いの琥珀さんには相応しくないです」

「トラトラトラ!」

それは真珠湾攻撃をしかけた側が発信した暗号電信『ワレ奇襲ニ成功セリ』の意味ではなくて(もしもこちらの意味ならば、まあ本来奇襲開始の合図だったので間違いではなかったけど、奇襲には失敗したので『トキトキトキ』と言ってほしいところだったわけだけれど)、攻撃を受けた側の解釈である『タイガーのように襲いかかる』の意と受け取ってもいいのだろうか。

トネガワクダレ。

いずれにせよ。

琥珀さんの新たな決め台詞が誕生した瞬間だった(さすがに余談すぎるだろうか? しかしながら、あの頃を振り返ってみても、やっぱり琥珀さんはおもしろい人だった)。

「改めまして、ぼくは鈴木一葉といいます。一葉でも、ひーちゃんでも、ひぃくんでも、ひーたんでも、ひすけでも、ヒーハーでも、カウボーイでも、マイケルでも、イワさんでも、ジャックフロストでも、パックでも、好きに呼んでください」

「ああいっぱいあだ名あるんだな鈴木は。最後のほうはよくわかんねーけど」

いっぱい言ったのに琥珀さんは総スルーだった。適当な返しだった(きっと亜子なら『ジャックフロストはヒーホー』のつっこみを入れてくれたに違いない)。

(「パック、くだらないこと言ってないで、パック、さっさと話を先に進めてください」二葉は「パック」がお気に入りのようだ)

「ひっ、ひひひ、ひぃくん……」

高橋さんは「ひぃくん」が気に入ったらしい。

「ん? 何か言った? 高橋さん」

「なっ、ななな、なんでもないよ鈴木君!」

一応、男の子の義務をはたそうとしたら、すぐもとに戻ってしまったが。

「鈴木よ、そろそろ交渉に入ったらどうだ」

「やはり、ぼくの味方は師匠しかいない」

「いや、我はいまのところおぬしの敵だが」

どこまでも理性的で、つれない虎丸だった(そんなところにぼくはシンパシーを感じていたのかもしれなかったけれど)。

(ところで、この時点において、何かの予兆のように、今日はノンの口数が少ないことに、ぼくは気づかざるを得なかった。出合ったときと、さきほどの戦闘時以外まともに喋っていないのではなかろうか。さりとて、そんなことをいきなりここで指摘するのも不自然だ)

ぼくは流れのままに、琥珀さん・虎丸との交渉を開始する。

「まず確認しておきたいのですが」

「なんだよ」

「虎丸師匠は三年の寿命が迫っている。だから琥珀さんは、虎丸師匠にぼくの<エッグ>を喰わせたい。そこに間違いはありませんか」

「まあ細かいことをいえば、迫ってるってほど切迫してるわけじゃねーけど、今度の<スクランブルエッグ>までには寿命切れだから間違ってねーよ。こんなチャンスもめったにねーだろうしな」

「琥珀さんが<エッガー>になったきっかけは、たしかお兄さんがお亡くなりになったことでしたよね」

その経緯はテレビでも紹介されている。

「そうだけど。ズバリ切り込んでくるな。遠慮ってもんを知らねーのかお前は。そういうデリケートなとこは、オブラートに包むだろ、普通」

オブラートに包む、という表現を使ったことで、ちょっと得意げな琥珀さん。

「琥珀さんがーーーあぁあぁあぁあぁあぁ、<エッガー>になったきっかけはーーーあぁあぁあぁあぁあぁ、たしかお兄さんがーーーあぁあぁあぁあぁあぁ、お亡くなりになったことでしたよねーーーえぇえぇえぇえぇえぇ」

それをネタ振りと受け取ったぼくは、横隔膜を使って母音を震わせてみた。

「……これ以上ふざけんならここで話は終わりにすんぞ。交渉決裂戦闘再開だぞ」

琥珀さんを本気で怒らせてしまった。

どうやらネタ振りではなかったらしい。

「すみませんでした」

謝るしかなかった。

「西園さん、鈴木君はビブラートに包んだんですよ。オブラートとビブラートをかけたんですよ」

高橋さんがすかさずフォローしてくれたが、その優しさが痛かった。

「ありがとう希世ちん」

「えっ! えええ、えへへへ……! うっ、ううう、ううん! ぜっ、全然だよ! 気にしないでよ!」

その呼び方はやめてよ、の流れかと思いきや、下の名前で呼ばれて、照れ笑いが隠せないくらい、うれしそうな高橋さんだった。

なんだかごちゃごちゃしてきてしまったので、少々真面目にいこうと、遅まきながら決意するぼく。

さて。

テレビで知っている琥珀さんの情報と、ここまでに交わした会話から、彼女の性格を分析し、そこから導き出される両者の妥協点を提示し、承諾を得る大局を掴む。

まずはさきほど垣間見せた人情味という意外性。

「こちらだけ琥珀さんの事情を知っているというのもフェアではありません。ぼくに<エッグ>が顕れたのは、先日母がぼくの妹を死産したからです」

「……」

「琥珀さんがつぎの<スクランブルエッグ>優勝を目指すなら、虎丸師匠に<エッグ>を喰わせて、寿命を延ばす必要がある」

「ああ、そうだ」

「だけど、ぼくもそうだと言われて、はいそうですか、と<エッグ>を差し出すことはできません」

常識的に考えて、この会話の流れなら、一定の理解を得られるはずだ。

では。

定石的に考えるならば――定石は覆すためにある。

「……まあな」

「そこで――」

琥珀さんの戦闘狂的・快楽主義的傾向。

たぶん琥珀さんは、お兄さんを生き返らせたいがために、<スクランブルエッグ>を戦っているわけではない、という推測。

――リアルの妹はお兄ちゃんを好きになったりはしない

(だからこそぼくは、虎丸師匠だけではなくて、まったく異なるもの同士であるにもかかわらず、琥珀さんにも重なる部分を感じてしまったのだろうか?)

「高橋さんと正式な<デュエル>で勝負してほしいんです。高橋さんとノンが負ければ、ぼくはおとなしく<エッグ>を虎丸師匠に喰われる。もしも琥珀さんと虎丸師匠が負ければ、<エッグ>は諦めて、虎丸には消滅してもらい、打倒<クエスト>で琥珀さんにかけられている懸賞ポイントを高橋さんに提供してもらう」

すでに不正<エッガー>として<ブラックリスト>に登録されている琥珀さんの<クリーチャー>であるところの虎丸には、<フィールド>内外にかかわらず消滅の危険がつきまとう。しかしながら、通常の<クリーチャー>が<フィールド>内で消滅するおそれはない。

以上の理由から、<フィールド>外での戦闘を、琥珀さん側が躊躇う必要はないが、念のため、ノンの安全を確保するためにも、できればこちらは<フィールド>内で闘いたい。

<フィールド>内で行われる正式な<デュエル>であれば、万が一ノンが敗れたとしても消滅する心配はない。

さらに、ぼくの提示した条件ならば、<エッグポイント>も賭けなくてすむので、勝負がどちらに転ぼうとも、高橋さんにデメリットはない。

ぼくはここでも、無意味なウパーヤを使った。

「く――」

案の定、琥珀さんは――、

「――っくっくっ、くはははははははははははははははははははははははははははははは、あははははははははははははははははははははははははははははは、ふははははははははははははははははははははははははははは――」

笑った。

呵々大笑した。

「に、西園さん?」

高橋さんが引くほどの大爆笑だった。

「――ははは……、はー、わりぃわりぃ」

ようやく笑いを収めて、琥珀さんは言う。

「自業自得で死んだクソ兄貴の話をもち出されて、お前が妹の話をし出したときにはどうしようかと思ったけど、情に訴えようとしてんのかと訝しんだけど、本気で交渉決裂戦闘再開しようかと思ったけど。いいよ。気が変わった。気に入ったよ。鈴木、その<デュエル>受けてやるよ」

取引成立。

クソ兄貴、か。

これぞリアルな妹の在り方だった。

こうして。

こちらの事情を一通り琥珀さんと虎丸に説明したのち、高橋さん・ノンペアと琥珀さん・虎丸ペアの正式<デュエル>の約束が取り交わされた。

場所は、ここ『春日台公園の緑地』。

時間は、ぼくの<エッグ>が孵化するであろうタイミング(一月四日の午前一時から午前五時の間)を考慮して、『一月四日午前〇時』。

ベッティングポイント『なし』。

ただし。

高橋さん・ノンペアが勝った場合、虎丸は消滅する。不正<エッガー>打倒による報酬の<エッグポイント>を高橋さんが獲得する。

琥珀さん・虎丸ペアが勝った場合、ぼくの<エッグ>をおとなしく差し出す。<クリーチャー>が<エッグ>を喰えるのは孵化前の一時間に限定されるから、デュエル後、ぼくの<エッグ>が孵化する予定時間である一月四日の午前一時から午前五時までの間、ぼくは琥珀さんと虎丸の監視下に置かれ、逃げも隠れもしない。<エッグ>が触れる実体となったその時点で、虎丸がそれを喰らう。

その他の設定として。

観客の動員はもちろん『なし』とした(知名度を上げたいエッガーはこれを『あり』にすることで自分たちの<デュエル>を告知できる)。正月の深夜時間帯であっても、<スクランブルエッグ>優勝者と準優勝者の<デュエル>とあれば、物好きな観戦者が集まることも予想される。観客の動員を『なし』とすることで、<かみさま>の力が働き、<デュエルフィールド>内に他者が入ってくる心配はなくなる。同様に、<フィールド>展開予定時刻直前には<フィールド>内の人払いもなされる。<スクランブルエッグ>内のこととはいえ、<デュエル>の目的が不正行為にかかわっている以上は、人目がないに越したことはない。

「……西園さん。本当に、本当に本当に、本当に本当に本当に、どうしてもわたしとノンと<デュエル>するんですか?」

「わたしと虎丸じゃあ役不足とでも?」

「それもありますけど……」

「……言ってくれるな。おとなしそうなくせに、全然おとなしくねーよな、希世ちんって」

「その呼び方はやめてください! わたしは……その……別にポイントなんて……なんでもひとつだけのお願いがごにょごにょ」

「んん?」

なんだか気乗りしない様子の高橋さんとそれを訝る琥珀さんが、それぞれのPDを使って、<エッグアプリ>から<デュエル>の約束を取り交わした際、高橋さんに一応<ブラックリスト>を確認させてもらった。

琥珀さんは、さきほどの襲撃で、しっかりと<エッグイーター>として登録されていた。

それにしても。

「総懸賞ポイント、一一〇〇<エッグポイント>とは……」

これまで琥珀さんと虎丸が働いた不による懸賞ポイントに、さらにこの度の<エッグイーター>登録の二〇〇ポイントと<ヒューマンアタック>の一〇〇ポイントが累積されていた。

<エッガー>、一般人の区別なく、<フィールド>外で<クリーチャー>が明確な意図をもって、故意に人間を直接攻撃すれば、被害者の負傷の有無にかかわらず、<ヒューマンアタック>の不正がカウントされる。

たとえその攻撃を、<クリーチャー>の<ディフェンススキル>で防がれたり、かわされたりしたとしても。

よって、ぼくへの<アイスエッジ>による攻撃が<エッグイート>にカウントされたのと同様に、<フィールド>形成前に行われた高橋さんへの攻撃が、<ヒューマンアタック>に数えられた形だった(厳密には、ぼくへの攻撃も<ヒューマンアタック>となるわけだが、<エッグイート>の違反に<ヒューマンアタック>の違反ぶんが含まれるため、懸賞ポイントは重複して加算されない)。

「というか琥珀さん、総懸賞ポイントが一〇〇〇<エッグポイント>を超えたことで、『打倒』<クエスト>が『討伐』<クエスト>になってますよ」

『打倒』<クエスト>では、不正<エッガー>の<クリーチャー>を消滅させた<エッガー>のみ懸賞ポイントを獲得できる。

しかしこれが『討伐』<クエスト>になると、複数ペアがパーティを組み、協力して不正<エッガー>の<クリーチャー>を討伐することで、パーティメンバー全員が、対象にかかる総懸賞ポイントの半分を獲得できる。

つまり琥珀さんと虎丸は、今後より多くの<エッガー>に狙われることになる。

「虎丸師匠、こんなことになる前に琥珀さんをとめるべきだったのでは……」

「我が言って聞くくらいなら、こんなことにはなっておらん」
 まあ、そうなのだが(<クリーチャー>は原則<エッガー>の命令には服従する)。

「はっ、闘う奴探す手間が省けていいじゃん」

さすが反逆者、とでも言うべき、恐れを知らぬ琥珀さんの発言だった(本大会準優勝なのだから、せめて高橋さんとノンのことだけは、恐れてほしいところではあったけれど)。

「それはそうとして、ぼくが言うのもあれなんですが、結構すんなり受けてくれましたね、この<デュエル>」

「あん? なんだよ、受けてほしくなかったのか?」

ぼくの横で激しく頷いている高橋さんの姿は見なかったことにした。

形は違えど、ぼくと琥珀さんはそれぞれ<クリーチャー>の消滅を賭けてしまったことになる。それは、<エッガー>としてのすべてを賭けるに等しい行いだ。

しかも琥珀さんが<デュエル>する相手は、一度敗れている、<スクランブルエッグ>優勝の最強ペア・高橋さんとノンなのだ。

いくら<クリーチャー>の寿命が尽きそうだとはいえ、それはまだ先のようだから、今回は見送るという選択肢もあったのではないか。

「ま、あとづけなんだけどよ、お前には借りがあったのを思い出したんだよ」

「借り、ですか?」

ぼくと琥珀さんが直接顔を合わせるのはこれが初めてのはずだった。

ぼくのほうは、テレビなどで琥珀さんを見て知っていたが、琥珀さんがぼくを知っている理由――、

「あっ! あああ、あれだよ鈴木君、夏休みのときの――」

ぼくもそれに思い至った。

去年の夏休みのある日、高橋さんから電話があった。

切迫した高橋さんの言うところによれば、なぜか七ペアの<エッガー>・<クリーチャー>を相手取って、大立ち回りを演じるはめになったという。

七ペアと対する高橋さんとノンに、味方は一組の<エッガー>と<クリーチャー>のみ。

この味方一組の<エッガー>と<クリーチャー>が、すなわち琥珀さんと虎丸だったわけだ。

二対七。

四対十四。

ぼくがのちに名付けたところの――、

「――七人の刺客事件……」

そもそも、なぜ高橋さんが七人もの敵を抱えることになってしまったのか不思議だったのだが。

「原因は琥珀さんだったんですね……」

打倒<クエスト>で懸賞ポイントを獲得できるのは、不正<エッガー>の<クリーチャー>を消滅させた<エッガー>のみだが、あとでそのポイントを山分けすることはできる。

つまり、七人の刺客に狙われたのは琥珀さんと虎丸。高橋さんとノンはその巻き添えを食う形で参戦を余儀なくされてしまったわけだ。

高橋さんとノンに味方したのが琥珀さんと虎丸のみ、というよりは、琥珀さんと虎丸に味方したのが高橋さんとノンのみ、といった様相だったのだ。

「あ、あああ、あのときは、鈴木君のアドバイスがなかったら危なかったんだよ」

たしかにあのときのぼくは、高橋さんに乞われるまま戦略を立てて助言したが、それほど危ない状況だとは思っていなかった。

「ああ、あのときは、裏で怖い人たちも絡んでて、下手したら拉致られて売り飛ばされててもおかしくなかったなあ、はっはっは」

人身売買。

死者復活、不老不死の可能性、動く巨額の金銭――<スクランブルエッグ>の裏に蠢く闇の存在は、決して想像に難くないが、それほどまでに危ない状況だとは思っていなかった。

「てへぺろこつーん」

てへぺろこつーん、する琥珀さん。

てへぺろこつーん、ではない。

琥珀さんの言が、どこまで本気なのかはわからないにしても、借りがある、と言うくらいにはありがたいと思っているのなら――、

「借りのあるぼくらをなぜ攻撃したんですか」

「だから、借りを思い出したのはお前が<デュエル>の取引をもち出してきたときなんだよ」

情に訴えなかった、無情なやり方がなんか似てんなと思ってよ、と琥珀さんは続けた。

なるほど。

「それにあとづけだって言ってんだろ。あれはあれ、これはこれ、だ」

「子供みたいなことを言わないでください」

「よそはよそ、うちはうち、だ」

「母親みたいなことを言わないでください」

意味が分からなくなってしまう。

言いつつも。

彼女の性格分析にひとつ書き加えなければならないだろう。

琥珀さんは刹那的な人だった。

高橋さんと琥珀さんが、正式な<デュエル>の約束を取り交わして、現時点での戦闘継続意思がないことが示されると、春葉台公園の緑地を包んでいた<デュエルフィールド>が解除された。

それと同時に、<クリーチャー>同士の戦闘行為によって破損した<フィールド>内の物質が修復された。

今回のケースでは、半径数メートルほどの、焦土と化した円形の土地が、見る見るうちにもとどおりとなった。

緑地が再生した。

まるで正常だったときの緑地を、異常を起こした焦土に上書きするかのごときこういうシーンは、いつ見ても不思議なものだった。

琥珀さんと虎丸の登場によって、高橋さんに護衛してもらうための見返りの問題は解決した。

<スクランブルエッグ>準優勝者、百戦錬磨の琥珀さん・虎丸ペアとはいえ、<スクランブルエッグ>優勝者、天性の資質をもつ高橋さん・ノンペアに勝てる見込みは薄い。

しかしながら、勝負に絶対はない。結果はふたを開けてみるまでわからない、ともいう。

どうなるにせよ、とりあえずこれで、高橋さんに護衛をしてもらうための見返りに、高橋さんが<エッグポイント>を獲得する機会を、ぼくは作ることができたわけだ。

併せて、それができなかったときに備えて用意した、『ぼくがなんでもひとつだけ高橋さんのお願いを聞いてあげる』といった代替案は、絵に描いた餅となった。

と言いつつも、これはあえて言うほどのことでもなかったか。<スクランブルエッグ>二連覇を志す高橋さんにとっては、一顧だに値しない事実だったに違いない。

「そっ、そそそ、そんなあ……」

そうと思えば、その事実をあえて言ってしまった自分が、自分ごとき若輩の叶えるお願いを過大に評価しているようなあの発言が、恥ずかしくもあったが、それを聞いた高橋さんが、なぜか泣きそうな顔になってしまったのは、いったいどうしたことか。

同時に、高橋さんが<エッグポイント>を獲得する機会を作るためにぼくがプランニングした、<イーター>あるいは準<イーター>を誘きよせる作戦、つまりカップルプラン、を実行する目的もまたなくなったことになる。

よって、今後の行動指針を見直す必要性が生じた。

目的がなくなった以上、もはや危険を冒して、無駄に街をうろついたりする意味はない。

これからのぼくは、小泉さんが指摘していたとおり、琥珀さん・虎丸ペアとの<デュエル>まで、どこかでおとなしく身を隠していればよくなった。

よくよく考えてみれば、高橋さんのマンションにお泊りさせてもらうなどと、いくら本人からの申し出といえども、あまり迷惑をかけすぎるのも忍びない――不測の事態が起こったときは、高橋さんに連絡を取って、助けにきてもらえばよいではないか。

さらにそのことも伝えると、

「よっ、よよよ、よい、ではないよ! よくないよ! よくよくないよ、全然よくないよ!」

と、今度は泣きっ面に蜂、といった面持ちで、声を荒げる高橋さん。

「ひっ、ひひひ、ひとりはよくない! ぜっ、ぜぜぜ、絶対よくない! ねっ、ねねね、念のため、わたしのマンションに来たほうがいいよ! ぜっ、ぜぜぜ、絶対にお泊りしたほうがいいよ! い、いいい、一緒にいたほうがいいよ! い、いいい、一緒にご飯食べたり、い、いいい、一緒にお風呂入ったり、い、いいい、一緒に寝たりしたほうがいいよ! ね、ねねね、ねっ?」

「……なんか必死だな、希世ちん。いまさらだけどそういえば、いつもとキャラ違ってるし」

「西園さんは黙っててください!」

とは言うものの、琥珀さんの指摘どおり、『その呼び方はやめてください!』を忘れるほどに、なんだか必死な高橋さんだった。

ともあれ、高橋さんの言い分にも一理あった。

不測の事態が起こった場合、すぐ傍に戦える<エッガー>と<クリーチャー>がいるのは心強い。

とても心強い。

大変心強い、すごく心強い、異常に心強い、甚だしく心強い、非常に心強い、尋常でなく心強い、ものすごく心強い、段違いに心強い、超心強い、 著しく心強い、並外れて心強い、度外れて心強い、甚だ心強い、えらく心強い、どえらく心強い、べらぼうに心強い、とんでもなく心強い、桁外れて心強い、桁違いに心強い、途方もなく心強い、半端なく心強い、すさまじく心強い、いかにも心強い、じつに心強い、まったく心強い、えらく心強い、たいそう心強い、恐ろしく心強い、ひどく心強い、驚くほどに心強い、びっくりするほどに心強い。

端的に言えば、心強い。

すなわち、お泊りするしかない(決して高橋さんと一夜を共にしたかったわけではない。「…………」いまぼくの傍らにいる二葉の、絶対零度の視線が痛い)。

「では泊めてもらってもいいかな」

「う、ううう、うん! うんうん! ぜひぜひウェルカムだよ!」

しかしそうなると、いよいよぼくも覚悟を決めねばなるまい。

「いまから何があってもぼくのことを嫌いにならないでほしい」

尋常ならざる決意を込めて、ぼくは言う。

「……なぜ我を見て言う」

理性的に対処する虎丸。

「わ、わわわ、わたしは嫌いになったりしないよ!」

ぐっと拳を握り、逆に何かを決意するような高橋さん。

「わたしはこれ以上お前のこと嫌えないぞ」

嫌いを通り越してぼくを憎んでいるかのごとき琥珀さん――愛と憎しみは紙一重だと信じたい。

(そして、今回の話の超最難関がやってくる)

それぞれの反応に見送られて、一同に背を向けて立ち、ぼくはぼくの戦場へと赴く。

首に装着しているチョーカータイプPDから、一本の電話をかける。

呼び出し音が鳴り出そうとするのとほぼ同時に、相手が電話に出た。

『……………』

無言だった。

『…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………』

凄まじいまでの無言の圧力だった。

ぼくは固唾を呑んだ。

甘かった。

甘々だった。

とろ甘だった。

何が覚悟だ。尋常ならざる決意だ。

笑ってしまう。

その程度でこの戦場に立とうとは。

足りない。まったく足りていない。

ぼくは動いた。

琥珀さんよろしく、より強く、覚悟を表明するために。

「お、おい、あいつなんでいきなり正座してんだ?」

「…………わかりません」

いまのぼくに周囲の雑音は一切聞こえてこない。耳には入っていても、脳内で処理ができていない。ただただ、電話の向こうにいる相手の声を、発する音を、どんなに小さな、僅かな、微かなものであっても聞き逃さないために。

『頭が高い』

足りない。まだまだ足りていない。

「ははあ」

とはいえ、自然風景式庭園に用いられる掘割りの一種ではない。目上の人に対するかしこまった応答に用いる語だ。

「おいおい、あいつなんでいきなり土下座してんだ?」

「……わかりません」

ぼくは勢いよく頭を下げ、地に額を擦りつけるようにした。くすぐったいような、緑地の芝の感触を、顔全体で感じつつ。

『高い』

至らない。まったく至っていない。

「おいおいおい! あいつなんで地に額を擦りつけてんだ!」

「わかりません!」

地面に押しつけられてつばが曲がろうとも、帽子はぼくの頭から落ちなかった――激しい動きをしても落ちないように、魔法使いの黒い三角帽子をピン留めしておいたのが、こんなところで役に立とうとは。

「鎮まりたまえ亜子様」

電話の相手は、疑うことが不遜とされる、疑いようもない超絶不機嫌モードの亜子だった(こうなってしまった亜子の内面に、もはやヒロインキャラなど存在しようはずもなかったけれど、便宜上ぼくはこの亜子を絶無バージョンと呼んでいる。並び立つもの絶無、といった意味の絶無バージョン。このとき、おそらくはまだレベル1なのが救いといえば救いだった)。
絶無バージョンの亜子が、一と〇の羅列で話しはじめたとき、世界はその終わりを覚悟すべきだったが、人の言語を話しているいまの段階ならばまだ――、

『わたしはとても鎮かこれから静止させる世界のように』

戦慄が走った。

ばかな。

旧約聖書の創世記によれば、神は七日間で世界を創造したとされている。じつは六日目に作業は完了していて、七日目にちゃっかり休んでいるにしても、六日間で世界を創った。それなのに、まさか世界の滅びを決めるのには一日も時間はいらないとでも言うつもりか。創るよりも壊すほうがはるかに簡単だと。それにしても過去の経験からして三日は耐えられるはずだった。たった一日会わなかっただけで、世界の静止をほのめかすほど絶無化が進行するなど――ありえないことだった。

今日会えなかった以外の、何か特別な要因が絡んでいるとしか思えなかったが、そこを深く追及していい場面ではなかった。

たとえ美人女子大生のお姉さんが見ていようと、クラスメイトのかわいい女子が見ていようと。

もはや形振り構っている場合ではなかった。

ぼくは己の愚を悟った。

「あーちゃん」

亜子様とか、おちゃらけて呼称している場合ではなかった。

「おいおいおいおい! あいつなんで地に体を投げ出してんだ!」

「わかりません! わかりません! わかりません!」

もはや、さきほどは未遂に終わった五体投地を実行し、乞い奉るしかなかった。緑地の芝の感触を、大地の息吹を、全身で感じるほかなかった。

「一〇〇〇ヒロインポイントで、明日一日の猶予を頂きたい」

『明日一日というのは日付の変わる一月四日の午前〇時までという意味それとも日が昇りはじめる一月四日の午前六時五十一分までという意味』

未来日における日の出の時間が正確すぎる。

しかしそれにつっこみを入れて許される場面ではない。

高橋さんと琥珀さんの<デュエル>の刻限は、一月四日午前〇時。

前者の意味では間に合わない。

「あーちゃん、一五〇〇ヒロインポイントで、一月四日の日の出まで猶予を頂きたい」

『……………』

再びの沈黙。

『…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………』

巨人の掌で地面に押しつけられるがごとき凄まじきプレッシャー。

「あーちゃん、二〇〇〇ヒロインポイントで、一月四日の日の出まで猶予を頂きたい」

耐え切れず、ついつい五〇〇ポイントを上乗せしてしまった。

「お、お願い、 あーちゃん」

耐え切れず、ついつい懇願してしまった。

そこでようやく圧力が消えた、ような気がした。

『わかった』

「ありがとう」

ぼくは感謝を捧げた。

『……………』

「ありがとう、あーちゃん」

ぼくは慌てて付け足した。

話を終えてからも、ぼくはしばらく立ち上がらなかった。

電話を切るのが名残惜しかったからではない。

相手が電話を切るまで待つのがマナー(相手が同じようにマナーを弁えていた場合は、電話をかけた側が先に切るのがマナーだけれど)だからでもない。

『昨日ひーくんに『ご褒美その四』をあげるの忘れてた』

ただ、電話の向こうに、亜子がまだいたからだ。

『昨日ひーくんを尾行してた<エッガー>は三人』

亜子はまだそこにいる。

『<エッガー>ではない一般人がひとり』

そして亜子はもうそこにはいない。

…………。

通話終了。

未曾有の危機は去った。

ぼくは、世界を救った。

恥じることなど何一つなかった。

「ふう、やれやれ」

そこでぼくは堂々と起き上がり、ぼくの戦いを見守ってくれていた仲間(敵が含まれている?)たちを振り返った。

そこで待っていたのは――、

「わたしはこれ以上お前のこと嫌えないと思ってたぞ」

哀れみの目をした琥珀さんと、

「わ、わわわ、わたしは嫌いになったりしてないよ?」

目を逸らし、自分の想いを疑うような高橋さんと、

「……我は何も見ておらん」

情けをかけてくる虎丸、

「ナントモ コウトウムケイ ダナ ナナナ」
「ナナナ ナントモ コッケイ ダナ キミ」

あんまりな現実を直視できないふうなノン(というかせっかくの、ここまでの思わせぶりな沈黙はどうした。荒唐無稽、滑稽などと言いつつも、じつはそのことを押してでも発言せねばならないほどの事態だったと、暗に示唆してくれたのだろうか。はたまたぼくの思い過ごしだったのか)。

教訓。

ヒーローがみな拍手喝采で迎えられるとは限らない。

ヒーローとは孤独なもの。

愛と勇気だけ友達さ……。

その後、父さんにも連絡を入れて、高橋さんとのお泊りイベントが確定した。

「よっし、じゃあ行くか」

さもそれらしく音頭を取った琥珀さんに、

「ちょっと待ってください」

高橋さんが待ったをかけた。

「どした? 希世ちん」

「その呼び方はやめてください! っていうか、なんで西園さんが先頭を行く感じなんですか! まさかわたしと鈴木君についてくるつもりですか? 先導するつもりですか?」

「同じマンションに住んでんだから、このまま一緒に帰ったって不自然じゃないだろ?」 

「ほっ、なんだ。それを先に言ってください」

「今日はわたしも希世ちんの部屋に泊まるんだから、このまま一緒に帰ったって不自然じゃないだろ?」

「それを先に言ってください! その呼び方はやめてください! なんで西園がくるんですか! 邪魔しないでください!」

「なんでって……いくら<デュエル>の約束をしても、ちゃんとくるとは限らないだろ? <デュエル>のときまでこいつを見張ってる必要がある」

ぼくを親指で指して、琥珀さんが言う。

「ちゃんと行きます!」

「その言葉を信じないわけじゃねーけど、今回は賭けてるもんがポイントじゃねーからな。こっちも念を入れておきたい」

一度取り交わされた約束どおりに<デュエル>が行われないと、その原因を作った<エッガー>の不戦敗となり、通常は賭けたポイントが自動的に勝者へと移るのだが、琥珀さんの言うとおり、今回はポイントを賭けていないので、不戦敗のペナルティが発生しないことになる。

負けた者が賭けたものを支払うには、ノンが虎丸を消滅させるか、虎丸がぼくの<エッグ>を喰らうか、現実的な手段を用いるしかない。

「それに知っちまった以上、中学生になろうとしている男女をひとつ屋根の下で一夜過ごさせるわけにもいかねーだろ」

そう言われると、ちょっと危ない香りを感じてしまう。

「なっ! ななな、なななな何を言ってるんですか! 小学生の女の子と男の子の他愛ないお泊り会じゃないですか! 大人が割り込むなんて、大人げないんじゃないですか?」

そう言われると、ちょっと危ない香りも遠のいたように感じてしまう(別の意味で危険度が増した気がしないでもなかったけれど)。

「それに<デュエル>は夜中だし、未成年者だけで出歩くよりも、大人がいたほうがいいに決まってんだろ」

子供みたいに、自慢げに大人の部分を反らして言う、琥珀さん。

「それにわたし古武術サークル入ってっから、いざってときの護身もばっちりだぞ」

古武術サークル。

昨日尾行中にぼくらを見失ったらしいことといい、重要そうな情報をつぎつぎと自ずから開示してくれる琥珀さんだが、言っていることには一定の理があった。

ぐうの音も出ない高橋さん。

「ぐう」

ぐうの音を上げる高橋さん。

昨日の敵は今日の友――か(一日待たない、いささか早すぎる展開ではあったけれど)。

今日の友は明日の敵、なわけだが。

そんなこんなで。

高橋さんと琥珀さんとのお泊りイベントが確定した。

高橋さんと琥珀さんの住まうマンションへ向かう道中、立ち寄ったデパートにて。

「よっし、じゃあ行くか」

やはり音頭を取った琥珀さんに、

「…………」

なぜか失意のあまり、もはや何を言う気力も失ってしまった高橋さん。

「各自必要物資を確保したのちここに集合!」

――そして三十分後。

「遅い! 遅すぎるぞ鈴木」

「え? すみません」

ぼくが一番最後だったらしい。

女性の買い物は長いという話も、どうやら時と場合によるようだ。

服は、まあ二日くらいなら同じものを着ればいいとして、最悪洗濯機と乾燥機をお借りすればいいとして、それでも下着は必要だろう。ほかに歯ブラシセットも。

それから、

「ん? なんだその大量の食材は?」

「え? 我々の四食分の食材ですが」

今日の夕食と、明日の朝食、昼食、夕食で四食。

「材料を残して腐らせたくない都合上、今晩はカレーにしたいと思いますが」

リクエストに応えるとしたら、ポテトサラダ、肉じゃが、クリームシチューかビーフシチュー、グラタン、ピザ、コロッケ、バター炒め――といったところだろうか。

「というか、買い物の前に確認しておくべきでしたね。すみませんでした」

「……い、いやいや、そんな……なんかこっちこそすんません」

菓子類とジュース類がいっぱいにつまったビニール袋を、慌てて隠すような素振りを見せる琥珀さんと高橋さん。

調理器具や調味料などは、これまで、たまに高橋さんのマンションを訪れるたび、こつこつと買い揃えてきた。

足りないものはないはずだ。

「てか、わたしもまったく料理できないわけじゃねーよ。希世ちんところでたまに作ってやってるし……ひょっとして、前に希世ちんの言ってた『ご飯を作ってくれる友達』って――」

それはぼくで、

「では、何かと世話を焼いてくれる近所の人というのは――」

それは琥珀さんだったわけだ。

「事務所のマネージャーさんとかなのかと思ってました」

「こっちこそ、てっきり同級生の女子かと思ってたんだけど」

「どうも初めまして」

「こちらこそ、いつも希世ちんがお世話になっております……ってなんだこれ?」

たまに高橋さんの世話を焼くふたりの、思いがけない邂逅だった。

今度こそ本当に、高橋さんと琥珀さんの住まうマンションへと向かう道中。

「希世ちんも料理くらいできるようになったほうがいいんじゃねえの?」

琥珀さんが意地悪く、高橋さんに訊いた。

「西園さん、その呼び方はやめてください! ご、ごごご、ご飯が作れなければ出前を頼めばいいじゃない!」

<備考として>
初等部六年 一月二日 合計二一三五ヒロインポイント 亜子に付与する。

そんなこんなで。

ぼくはこの日、初めて高橋さんの部屋にお泊りすることになった。

<忘れそうな伏線メモ>
・リアルな妹キャラとは琥珀さんのことだった!
・亜子の『ご褒美その二』は、
『ふん、多少格闘技の心得があるようだけど、大学生のサークルレベルといったところかしら』
と言ったこの台詞
・ということは、ぼくを襲ったテディもどきの正体は、古武術サークルに入っている美人女子大生の琥珀さん?(その真相はこの話のラストにて明かされる!)
・亜子の『ご褒美その四』は存在した!
『昨日ひーくんを尾行してた<エッガー>は三人』
『<エッガー>ではない一般人がひとり』
(次章以降回収予定)

(つづく)

※読んでいただきありがとうございました。

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