井戸の底に埃の溜つた話/葉山嘉樹=イド×ドラクエ×ギルガメッシュ×ねじまき鳥クロニクル

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

井戸の底に埃の溜つた話-葉山嘉樹-イメージ

今回は『井戸の底に埃の溜つた話/葉山嘉樹』です。

葉山嘉樹 さんの『井戸の底に埃の溜つた話』は文字数1900字ほどの短編小説です。

葉山嘉樹 さんといえば、低賃金・悪条件で働く労働者をテーマにしたプロレタリア文学ですが、この作品はちょっと趣が違うようにも思いました(葉山嘉樹 さんの小説を読むのはまだ三作品目ですが)。

枯れた井戸、困った二つの家族、業腹な家主、乾いた子供たち、原始アラビア人の水に対する敬虔な姿勢、空気・日光・水――何気なく使っているもののありがたみ、井戸、イド(フロイトの精神分析学)、ドラクエ、ギルガメシュ叙事詩、村上春樹 さんの『ねじまき鳥クロニクル』

いろいろ考えてみたのですが……、話はまったく別の次元へ――気になるワードがあった方はどうぞお付き合いください。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

とある田舎。二つの家族が共用で使っている井戸が枯れてしまった。蓋がしてあるにもかかわらず、そこには埃が溜まっている。炎天下、喉の乾いた子供たちは、バケツに溜めてあった水に飛びつく。その水は貴重なものだ。洗濯や、顔を洗うことにだって使えない。子供たちは、柄杓二杯の水を、「甘露甘露」と言って飲む。

付近一帯の水涸れで、工面のいい家は井戸を掘り下げたり、水道を引いたりして、文字通り「涼しい顔」をしている。埃の溜まった井戸の借家人は、「井戸から水が出ない」と家主に訴えるも、ケチな家主は取り合ってくれない。因業家主は、どうやら借家人を、「焙り出す」つもりでいるらしい。

焙り出されかけた家の子供たちは、「水」というものに原始アラビア人が覚えたほどの、脅威と礼讃の念を抱くようになる。ゆえに近所で、井戸の掘り下げられるさまを見ていて、土混じりの水が出てくると、冷静さを失って、その泥水の中を転げまわる。

そんな子供たちを母親はひどく叱る。子供たちはどうした叩かれるのかがわからない。子供は悪くない。母親が悪い。母親よりも家主が悪い。家主よりも税制が悪い――だから、血盟団事件、五・一五事件、神兵隊事件などが起こるのだ。

井戸は水を溜めるべき場所であって、埃を溜める場所ではない。作りもしない者が米を食べるからには、作っている農民が米を食べられないという法はおかしい。

いよいよ困り果てた二つの家族は、相談して、支払うべき家賃の中から差し引いて、井戸屋を呼ぶことを決める。やってきた井戸屋は「これはひどい。こんな井戸は初めてだ」と笑う。それを聞いて、二人の主婦も、顔を見合わせて、涙をこぼしながら笑い出した。

狐人的読書感想

さて、いかがでしたでしょうか。

やはり葉山嘉樹 さん、ということで、プロレタリア文学的な要素は垣間見えるわけなのですが。

しかしながら、ちょっと他作とは趣の違うところがあるなあ、と感じてしまうのは、僕だけ?
(三作品しか読まずに語るのは生意気かもしれませんが)

順を追って解説(?)してみたいと思います。

水と自分たちの力でなんとかしようとする姿勢が大事!

井戸の底に埃の溜つた話-葉山嘉樹-狐人的読書感想-イメージ-1

プロレタリア「文学」である以上、物語に登場する人物や事物は、プロレタリア(貧しい労働者階級)やブルジョワジー(中産階級あるいは資本家階級)、資本主義社会そのものを象徴するメタファーであると、捉えることができます。

この作品の場合、埃の溜まった井戸を共用している二つの家族がプロレタリア、近所の工面のいい家の人たちや家主がブルジョワジー、田舎(それが属する国)が資本主義社会とイメージできるのではないでしょうか。

ただ「水が飲みたい」だけの子供は悪くなく、それを叱る母親が悪い。けれどそんな母親よりも、この事態にしっかりと対処しないケチな家主が悪く、家主をケチにしている国の税制が悪い。

この構図は社会批判としてわかりやすいように思いました。

ただ、これを血盟団事件、五・一五事件、神兵隊事件などに結びつけたのは、始めはちょっと強引なような気もしました。これら事件の原因が、世界恐慌にあった以上、不測の事態に対処しきれなかった政府ばかりを責めるわけにもいかず……、しかして大飢饉に陥った農村部、まともに食べられない子供たち、生活のため娘を手放さなければならなかった親の気持ちを思えば……、感情のやり場に困ります。

そして、そのやり場のない感情の矛先が、政府に向かうのは至極当然だとも考えます。もしも僕が当時の農民であったなら……、間違いなく政府の無能を責めただろうなあ、と想像するのです。

不測の事態に備えるのが、すなわち埃の溜まった井戸をなんとかするのが、政府の役目であり責任であって、そのために生活の苦しいなか、高い税を支払っているのですから、これは当然の権利だといえます。

この感覚は、飢餓に苦しんだことがないとはいえ、政治家の不祥事ニュースに接することの多い現代人にも、理解しやすいものではないでしょうか。「しっかりやってよ!」といった感じ。

傍観者的に、冷静に文学を読むことも必要ですが、当時の時代背景や人々の気持ちを慮って読むこともまた大切だ、と学ばされたような気持ちになりました。

さてここまでならば、これまで読んできた葉山嘉樹 さん作品と、それほど違いがないように感じたかもしれませんが。

『井戸の底に埃の溜つた話』では、最後二つの家族が相談して、強引にでも問題を解決しようとする姿が描かれています。これまで読んだ二作品では、資本主義社会への批判が、重々しく、どこかホラー的な雰囲気のなか綴られていて、それだけで終わっていた印象なのですが、この作品は、当事者たる二家族(プロレタリア)が徒党(組合)を組んで問題解決に取り組む姿が、前向き(ポジティブ)な印象を与えてくれます。

政府を頼り、非難し、政策を改善してもらうことも重要ですが、結局最後は、自分たちの力でなんとかしよう、といった姿勢が、一番大切になってくるのではないか。そんなことを思わされた作品でした。

大切といえば、水のありがたみもそうですね。子供たちが「水」というものに対して、「原始アラビア人が覚えたほどの脅威と礼讃」の念を抱く――という描写は大げさでちょっとおもしろかったですが。

このことは、東日本大震災のような震災時や夏期の水不足など有事の際にしか、なかなか考えることがありません。普段何気なく使っている水や、当たり前のように存在する空気や日光のありがたさを、ときには思い出さなければならないように思います。

それから、僕の読んだ二作品に比べて、この小説はどちらかといえば全体的に明るい雰囲気がありました。ある種のユーモアを感じさせてくれる――とでもいうのでしょうか、おすすめできるなかなかいい小説だと思ったのですが、いかがでしょう? ぜひご一読ください。

(僕がこれまでに読んだ葉山嘉樹 さん作品はこちら)

イド×ドラクエ×ギルガメッシュ×ねじまき鳥クロニクル

井戸の底に埃の溜つた話-葉山嘉樹-狐人的読書感想-イメージ-2

さて、ここからは雑談です。『井戸の底に埃の溜つた話』にほぼ関係ないお話なので、興味のない方は読み飛ばしてください(とはいえ興味を持って読んでいただけたらこれ幸いなのです)。

「井戸」という言葉からみなさんは何をイメージしますか?

というお話なのですが。

思えば、蓋がしてあったのに、埃の溜まってしまった井戸、というのも、なんだか不思議(ミステリー)な感じがしますが、どうでしょうねえ……。

アルティメット ヒッツ ドラゴンクエストV 天空の花嫁

ふむ、僕がまず思い浮かべるのは『ドラクエ』です。

「小さなメダル」があるイメージなのですが、いかがでしょうか(いかがでしょうかと訊かれても)?

もともとはツボやタンスと同じ、アイテムの隠し場所でしたが、井戸の中に入れるようになったのは、『ドラクエ6』からだそうで、結構広大な空間に一軒家が建っていたりして、「井戸の中は異空間に通じている?」と初めて見たときには驚かされたものですが、いかがでしょうか(いわずもがな)?

じつは、この「井戸の中は異空間に通じている?」といったイメージは、相当昔から存在しています。

世界最古の物語ともいわれている『ギルガメシュ叙事詩』では、不老不死を求めて旅に出たギルガメッシュが、井戸からアプスー(地底の淡水の海)へ潜り、若返りの草を手に入れるお話があります。

村上春樹 さんの『ねじまき鳥クロニクル』でも枯れ井戸が重要なオブジェクトとして描かれていますよね(最新作『騎士団長殺し』いよいよあと一日ですね!)。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

また「イド」は、フロイトが唱えた精神分析学によって「イド・自我・超自我」と3つに分けられた精神構造のうちの一つで、「エス」とも呼ばれています(「イド」はラテン語訳です)。

このイド(エス)は本能エネルギーの塊なのだとか。リビドーと攻撃衝動の「貯水池」とも表現されることもあって、偶然とは思うのですが、水を溜める「井戸」とつうじていて、おもしろく感じてしまいます。

イドと聞いて、超能力をイメージしたのですが、いったい何からのイメージだったのか……、思い出せません。こちらも偶然にも「イド=エス=Es(エスパー)」という構図が成り立つので、あながち的外れなイメージでもないように思うのですが、「イド=エス」の名称はこの度知ったので、思いがけない合致でした。イドという言葉を何で知っていたのか? ――という謎も狐人的にはあるのですが……、しかし本当にどうでもいいお話でしたね(すみません)。

ともあれ「井戸」は僕にとってもなかなか興味深いガジェットです。創作のモチーフとしていろいろと使えそうですよねえ――

という備忘録でした。
(ここまで付き合ってくださった方、そんな狐人的な備忘録を読ませてしまい、ごめんなさい)

読書感想まとめ

井戸の底に埃の溜つた話-葉山嘉樹-読書感想まとめ-イメージ

photo by Dustin J McClure

『井戸の底に埃の溜つた話』は葉山嘉樹 さんのプロレタリア文学ですが、僕がこれまでに読んできた二作品とは、ちょっと趣が違うようにも感じました。そのように感じた理由は、ただただ社会批判をするだけではなく、プロレタリアが自らの力で問題を解決しようとする前向きな姿勢が示された、全体的にどこか明るい雰囲気があったことに、起因しているように思います。葉山嘉樹 さんのプロレタリア文学といえば、重くて、暗くて、ホラー小説? といったイメージでしたが、これはどこかおもしろみのある小説でした。

ドラクエ、ギルガメシュ叙事詩、ねじまき鳥クロニクル、イド(フロイトの精神分析学)……、狐人的に「井戸」は興味深いガジェットです。

狐人的読書メモ

・『井戸の底に埃の溜つた話/葉山嘉樹』の概要

1976年(昭和51年)、「葉山嘉樹全集第六巻」に所収。初出わからず。

以上、『井戸の底に埃の溜つた話/葉山嘉樹』の読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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