でんでんむしのかなしみ/新美南吉=悲しみは誰でも持っているのだ。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

でんでんむしのかなしみ-新美南吉-イメージ

今回は『でんでんむしのかなしみ/新美南吉』です。

文字数800字ほどの童話。
狐人的読書時間は約2分。

「悲しみは誰でも持っているのだ。私ばかりではないのだ。私は私の悲しみをこらえていかなきゃならない」でんでんむしのこのひとことに人生のすべてがつまっています。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

(今回は全文です)

『でんでんむしのかなしみ/新美南吉』

一匹のでんでんむしがありました。

ある日そのでんでんむしは大変なことに気がつきました。

「私はいままでうっかりしていたけれど、私の背中の殻の中には悲しみがいっぱいつまっているではないか」

この悲しみはどうしたらよいでしょう。

でんでんむしはお友達のでんでんむしのところにやっていきました。

「私はもう生きていられません」

とそのでんでんむしはお友達に言いました。

「なんですか」

とお友達のでんでんむしは聞きました。

「私はなんという不幸せなものでしょう。私の背中の殻の中には悲しみがいっぱいつまっているのです」

とはじめのでんでんむしが話しました。

するとお友達のでんでんむしは言いました。

「あなたばかりではありません。私の背中にも悲しみはいっぱいです」

それじゃしかたないと思って、はじめのでんでんむしは、べつのお友達のところへ行きました。

するとそのお友達も言いました。

「あなたばかりじゃありません。私の背中にも悲しみはいっぱいです」

そこで、はじめのでんでんむしはまたべつのお友達のところへ行きました。

こうして、お友達を順々に訪ねて行きましたが、どの友達も同じことを言うのでありました。

とうとうはじめのでんでんむしは気がつきました。

「悲しみは誰でも持っているのだ。私ばかりではないのだ。私は私の悲しみをこらえていかなきゃならない」

そして、このでんでんむしはもう、なげくのをやめたのでありました。

狐人的読書感想

深いイイ話でしたね。

『悲しみは誰でも持っているのだ。私ばかりではないのだ。私は私の悲しみをこらえていかなきゃならない』

当たり前のようであって、これに気づくのってけっこうむずかしい気がするんですよね。

冷静なときに言われてみればたしかにその通りなんですけれど、悲しみに暮れているときに言われても納得するのがむずかしく思っちゃいます。

「誰にも僕の悲しみがわかるわけない、わかってくれない」

みたいな。

喜びも悲しみも、個人の感じる感情は単純には比較できないってことを思います。

不幸な出来事を客観的に相対化することはできますが、それによって同じ量の悲しみをみんなが持つわけではないんですよね(悲しみの数値化、比較は単純にはできない)。

ある人には大したことがない出来事であっても、ある人には人生に絶望するほどの大事であるかもしれません。

それを自分自身や一般的な価値観で判断するのはどうなのかな、って気がします。

だけど「そんな悲しみ大したことない」「そんなに悲しむなんておおげさだな」「他人が悲しみをわかってくれない、わかるはずない」――と、普段ニュースなどを見ていて思ってしまう自分がいるんですよね。

そんなときには何度でも読み返したい(短いから読み直すのも全然苦じゃない)と思った、今回の狐人的読書感想でした。

読書感想まとめ

『悲しみは誰でも持っているのだ。私ばかりではないのだ。私は私の悲しみをこらえていかなきゃならない』

狐人的読書メモ

・本当に、このひとことにつきる。これを知るためだけに、人は他人と悲しみを共有すべきなのだろう。本来的に傷のなめ合いなどはすべきではないのかもしれない。

・『でんでんむしのかなしみ/新美南吉』の概要

1950年(昭和25年)6月、『ろばの びっこ』(羽田書店)にて初出。短くも人生の本質的な生き方を教えてくれる名作。万人におすすめできる。

以上、『でんでんむしのかなしみ/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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