センセイノ コ/新美南吉=小学校の「あだ名禁止」ルール?

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

センセイノ コ-新美南吉-イメージ

今回は『センセイノ コ/新美南吉』です。

文字1000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約3分。

担任の先生はぼくのお父さんで、黒いヒゲが生えていて、だからぼくのあだ名は「ヒゲさん」で、みんな親しみを込めて呼んでるのかもしれないけど、嫌で嫌でたまらない。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

(今回は全文です)

『先生の子/新美南吉』

タキくんのお父さんは一年男子のうけもちでした。お父さんは鼻の下に黒い ひげをつけていましたので、子供たちは「ヒゲさん」と呼んでいましたが、やがてタキくんのことも「ヒゲさん」と呼ぶようになりました。タキくんは 「ヒゲさん」と呼ばれるのがいやでたまりません。

「ヒゲさん。」とある日、桜の木のかげから弱虫のミツルくんが呼びました。タキくんはミツルくんみたいな弱虫にまで、バカにされると思うと腹が立って、

「ヒゲさんがなんだい!」と、ミツルくんを追っかけていって三つ四つなぐりつけてやりました。ミツルくんが、

「わあー。」と泣き出したのをほったらかしておいて、ろくぼくのほうへとんでゆきました。ところが、鐘がなって教室の前にならびにゆくと、ミツルくんはまだ泣いています。

「ミツルくん、どうしましたか?」とタキくんのお父さんがやさしく尋ねると、ミツルくんは泣きながら、

「タキくんがいじめた、あーん。」と言いました。タキくんのお父さんはそれを聞くと、タキくんのほうをきっと見て、

「タキ、いじめたりしてはいけないじゃないか。」としかりました。

「ミツルくんがぼくをからかうんだもの。」とタキくんが言うと、

「お前がいけない!」とお父さんは決めつけてしまいました。タキくんは悲しくなりました。うちでは父さんとってもやさしいのに学校では、どうしてこんなにきついのだろう。

お昼の休みのとき、ヨシダ先生にいいつかってタキくんは、父さんのところへ本を持っていきました。お父さんは、教室でひとりきり、何か書き物をしていました。タキくんを見ると、

「なんだ?」と聞きました。まださっきのこわい顔です。タキくんはこわごわ、本を父さんにわたしました。父さんは黙って受け取りました。タキくんは父さんの後ろから、

「お父さん。」と呼んでみました。お父さんはくるっとこちらを向いてタキくんをひざの上にのっけました。タキくんはうれしくなって、

「お父さん。」とまた言いました。お父さんは、タキくんの顔をのぞきこみながら、

「おとなしくしなきゃいけないよ。」とやさしくおっしゃいました。

狐人的読書感想

ふむ。小学生の子供が「ヒゲさん」というあだ名をつけられるのは、たしかにいやかもしれませんね。

あだ名のおそろしいところは、あだ名をつける人・呼ぶ人には悪意や悪気がまったくないかもしれないこと、しかし呼ばれる人は本当はすごくいやがっているかもしれないこと、って感じですかね。

周りが親しみを込めて呼んでいるのがわかると、呼ばれるほうとしてはなかなか「嫌」とは言えないかもしれません。

最近では「あだ名や呼び捨て禁止」「男子も女子もさん付け」という小学校が増えているんだそうです。

「男子も女子もさん付け」にはジェンダー尊重の考え方が背景にあるらしいのですが、「あだ名禁止」についてはやはりいじめ防止の目的があるのだとか。

親しみや愛情を込めて「あだ名・ニックネーム」を呼ぶことは、円滑なコミュニケーションにつながるとして、「あだ名禁止」のルールに疑問を呈する向きもあるようですが、狐人的には賛成してもいいような気がしています。

円滑なコミュニケーションのために「あだ名」は必須のものではないでしょうし、他のやり方がいくらでもあるでしょうし。

ちゃんとした名前があるんだから、わざわざいじめを誘発してしまうかもしれない「あだ名」を使う必要はないでしょうし。

まあ、長く昔からあったものがなくなってしまうという事実には、一抹の寂しさみたいなものを感じずにはいられませんが、それはただの感傷だとも言えなくもないのでしょうしね。

親が自分の通っている学校の先生というのは、親子共々やりずらいところはあるんだろうなぁ……なんて想像してしまいました。

先生である親は「えこひいき」や「公私混同」を避けるために苦心して、我が子だからこそ厳しく接する場面もあるでしょうし、生徒である子供としては家と学校での親のギャップに戸惑いを覚えるのは無理からぬことでしょうね。

ちなみに、前にテレビで見たのですが、文部科学省によると「自分の子供の担任になってはいけない」という決まりはないのだそうですが、しかし実際の現場では「自分の生徒の担任になるのは他の生徒や親からえこひいきと思われる」ことなどへの配慮から避けられているのだとか。

なので、本作のように「自分の親が担任の先生になる」あるいは「自分の子供を担任する」といった経験は、現代ではなかなか得がたい体験であるかもしれません。

昔と今の小学校事情に、ちょっとですが触れられた気がして、なかなか楽しく感じられた、今回の狐人的読書感想でした。

読書感想まとめ

小学校の「あだ名禁止」ルール?

狐人的読書メモ

・芸能人やアイドル、漫画やアニメやゲーム、『水滸伝』などでは、かわいかったりかっこよかったり、いいあだ名がたくさんある。要はあだ名を使う適切なシチュエーションの問題なのかもしれない。さすれば、よいものはどこかに残り、決してなくならないのだろう。

・『センセイノ コ/新美南吉』の概要

1950年(昭和25年)5月、『がちょうの たんじょうび』にて初出。個人的に、今と昔の小学校事情に思いを馳せた作品。

以上、『センセイノ コ/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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