閑山/坂口安吾=ハートフル?オナラのおバカ話?崇高な仏教論?ファルス的読書感想!

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

閑山-坂口安吾-イメージ

今回は『閑山/坂口安吾』です。

文字数7000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約25分。

はぐれ者の狸と孤独な老僧が、小さないたずらをきっかけに、仏道を通じて心通わせていくハートフル物語……ではなくてオナラのおバカ話……あるいは崇高な仏教思想……かもなファルス的読書感想。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

閑山寺に六袋和尚という徳の高い老僧がいた。初冬の夜更け、雪明りを愛でつつ写経をしていると、窓の外から毛の生えた手が入ってきて、和尚の顔を撫でる。和尚はその掌に朱筆で「花」の一字を書き、また写経に没頭する。

明け方近く、窓の外から泣き声が聞こえ、やがて先ほどの手が入ってくる。

「和尚さま。あなたがお書きになった文字が重くて、帰る道が歩けません。どうか文字を落としてください」

見れば一匹のたぬきだった。どうやらのいたずらのつもりだったらしい。和尚が硯の水を筆にしめして、掌の文字を洗ってやると、たぬきは雪上の陰間をぬって去っていった。

以来、たぬきはそのことを恩義と感じたのか、夜毎に、季節の草木を持って坊舎の窓を訪れるようになる。たぬきは和尚と親しくおしゃべりをするようになり、いつか小坊主に姿を変えて側近として仕えるようになる。

このたぬきは団九郎といい、お経をよく読み座禅を覚え、和尚に倣って仏像を彫るなど、仏道修行に努めるようになる。やがて六袋和尚が亡くなる。

閑山寺に新しい住職として弁兆がやってくる。彼はただののんだくれだった。団九郎は仏道に不真面目な弁兆が許せず、筋骨隆々たる修行僧に化けて彼を脅し、寺から追い出してしまう。

修行僧に化けた団九郎はそのまま閑山寺の住職となり、呑火和尚と呼ばれるようになる。それからもひたすら仏道修行に励む。

ある日村人がいたずらをして、和尚の食事にオナラが止まらなくなるという粉を混ぜる。和尚は経文を読んでいる最中、ついに我慢できずに、人々の前で盛大にオナラをしてしまう。

修行不足を実感した団九郎は、人里離れた庵にこもり、瞑想の日々を送りはじめる。

冬がきて、田舎役者の一行がこの庵を通りかかる。一行のひとりに病人が出て、庵の中に担ぎ入れるが、二日過ぎてもよくならない。一行は付添人と病人を残して先を急ぐことに。

付添人は和尚に快癒の祈祷を頼み込むが、「自分にはそれほどの力はない」として団九郎はこれを受けつけない。そうして日々を送るうち、病人は衰弱する一方、団九郎の顔色もそれに競うように悪くなっていく。

春になり、田舎役者の一行が再び庵に戻ってくると、すぐに病人は息を引きとる。一行は仲間を長逗留させてしまったことを詫び、葬儀のお経のお礼などを言うが、団九郎は一行に早く立ち去ってほしい様子――一行が庵を離れてしばらくすると、大音響が山々に響き渡り、人々の足は宙に浮いた。

あるとき、依頼したいことがあって村人が呑火和尚の庵を訪ねる。庵は朽ちており、和尚は岩のような姿で座っている。村人が呼びかけても返事がない。和尚の背中を揺らそうとした瞬間、村人はもんどりうって土の上に転がった。和尚の姿はむくむくとふくらみ、庵いっぱいに広がった。村人は腰を打った痛みも忘れて逃げ出した。

ある年、旅人が破れほうけた庵を見つけて一夜を過ごすことに。夜中、ふと目を覚ますと、人々の笑い声にも似たさざめきが、どこかから聞こえてくる。旅人はそのほうに近寄って、壁の穴を覗き、信じられない光景を見る。広大な空間が目の前に広がり、無数の小坊主たちが笑いさざめいている。一番奥手の小坊主が、両手に小枝を持って歌い、小躍りしながらオナラをする。みなどっと笑い狂う。旅人もついつい笑い声をもらしてしまう。すると目の前の光景はたちまち闇と消え、旅人は突然何者かに組みしかれ、毛だらけの足に首を絞められ……そのまま意識を失ってしまう。気がつくと、旅人は庵の外で朝を迎えていた。

やがて村人が庵を取り壊すと、仏壇の下から大きな獣の骨が出てきた。片手の平の白骨に朱の「花」の字が染みついていた。村人たちは憐れんで、桜を植えて供養した。これは花塚と呼ばれるようになるが、春がきて花が開くたび、この周りの山々のみ嵐が起こり、一夜にして花を散らしてしまうという。いまこの花塚がどこにあるのか、年寄りでも知る者はいない。

狐人的読書感想

ふふふ。おもしろかったです。

これも坂口安吾さんお得意のファルスと捉えてしまっていいんですかね? おならで笑いをとるって、小学生か! という気もしますが。

とはいえ、難しい仏教用語と仰々しい古典調で書かれているので、パッと読み、オナラを主体としたおバカ話だとはわからないかもしれません。

おそらくは、おバカな内容をクソ真面目に描く、というところに、シュールな笑いがあるのだと感じられます。

いかにもくだらないことを真剣に悩み、その姿に滑稽味を見出すというところにも、シュールなおもしろみがあるようにも思えます。

案外いくつになっても、人間くだらない下ネタで笑えるものですよね、きっと。

はじめはハートフルなお話なのかと思ったんですよね。

初冬の夜更け、雪明りを愛でつつ写経をしている六袋和尚のところに、一匹のたぬきがやってくる。たぬきはいたずらのつもりか、窓からそっと手をいれて、和尚の顔を撫でる。すると和尚はたぬきの掌に「花」の一字を書く。おそらく、その字には法力が込められていて、たぬきはその場を動けなくなる。たぬきが泣きながら訴えるのを聞いて、和尚は字を消してやる。以後、たぬきはそれを恩義に感じて、和尚のところへ季節の草木を持って足繫く通うようになり、いつしか小坊主に化けて仕えるようになる。

――この辺りは宋代中国の怪奇小説集『異聞総録』や、山岡元隣『百物語評判』(「狸の事」)、あるいは北条団水の怪談集『一夜船』(「花の一字の東山」)あたりのお話がモチーフになっているそうです。

六袋和尚はどうやら閑山寺に独りでいるようですし、たぬきもまた何らかの理由で孤独を感じていたのかもしれません。

孤独な一人と一匹が仏道修行を通じて心を通わせていく物語なのかと思いきや、六袋和尚はその後あっさり亡くなってしまい、話はたぬきのオナラにまつわるおバカ話にシフトしていきます。

しかしよく読んでみると、ただただおバカなばかりの話でもないのかなあ、という気がするんですよね。

仏教思想とオナラの描写が、なんとなくうまく合わさっていると感じます。

たとえば、岩のようになった団九郎がむくむくとオナラになってふくらんで、庵いっぱいに広がったシーンは、「どこにもなくてどこにでも存在する魂」みたいな、仏教の存在論(「無常」とか「無我」とか)を彷彿とさせるところがあります。

また、庵に泊まった旅人が、夜更けに見た夢のような光景――大伽藍で小坊主たちがオナラを肴にどんちゃん騒ぎしているシーンも、たぬきの団九郎(呑火和尚)が解脱した姿と捉えることができますよね。

仏教とオナラを結びつけるって、冒涜か皮肉か、小バカにしているような印象も受けますが、悟りの境地というものは崇高なものばかりではなくて、案外身近な、一見するとばかばかしかったりくだらなかったりするようなものの中にも見出すことができるのかな、ってな気分にさせられてしまいます。

じつは偉大な作品なのか、それともやっぱりただのおバカ話なのか……正直よくわからずに、そのあたりが坂口ファルスの真骨頂なのかもしれません。

なんだかどんどんこれはすごい小説だったように思えてくるのですが、ただのオナラのおバカ話を、そんなふうに感じてしまう僕の読書感想が、ひょっとして滑稽なファルス?

――というのが今回のオチです。

読書感想まとめ

小学生が好きそうなオナラのおバカ話。しかし仏教の存在論や解脱の様子も描かれています。じつは崇高なオナラの小説なのかもしれません……という、ファルス的読書感想。

狐人的読書メモ

「孤独な一人と一匹が仏道修行を通じて心を通わせていく物語」というところはなかなかよい創作のモチーフになりそう。

「団九郎よ、独りは寂しいか? そんなときは経文を読め。大声を出して諳んじろ。そうしていればやがて寂しさは消える。いずれ寂しさの意味もわかる」。団九郎には和尚の言うことはよくわからない。だけど和尚と一緒にいるとき、団九郎は寂しくなかった。

――みたいな。

・『閑山/坂口安吾』の概要

1938年(昭和13年)『文体 第一巻第二号』にて初出。同じく坂口ファルスの『木枯の酒倉から』『風博士』はちょっとわかりにくかったように思い出すが、これはとてもおもしろく感じられた。『お奈良さま』『盗まれた手紙の話』『勉強記』などもいいらしい。要チェック。

以上、『閑山/坂口安吾』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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