狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『去年の木/新美南吉』です。
文字数900字ほどの童話。
狐人的読書時間は約2分。
私の歌を嬉しそうに聞いてくれた。一年後の再会を約束した。帰ってきたら、彼はいなくなっていた。彼を探して、私が見たものとは。燃え尽きる彼。残された灯。私は歌う。誰の為に?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
(今回は全文です)
『去年の木/新美南吉』
いっぽんの木と、いちわの小鳥とはたいへんなかよしでした。小鳥はいちんちその木の枝で歌をうたい、木はいちんちじゅう小鳥の歌をきいていました。
けれど寒い冬がちかづいてきたので、小鳥は木からわかれてゆかねばなりませんでした。
「さよなら。また来年きて、歌をきかせてください。」
と木はいいました。
「え。それまで待っててね。」
と、小鳥はいって、南の方へとんでゆきました。
春がめぐってきました。野や森から、雪がきえていきました。
小鳥は、なかよしの去年の木のところへまたかえっていきました。
ところが、これはどうしたことでしょう。木はそこにありませんでした。根っこだけがのこっていました。
「ここに立ってた木は、どこへいったの。」
と小鳥は根っこにききました。
根っこは、
「きこりが斧でうちたおして、谷のほうへもっていっちゃったよ。」
といいました。
小鳥は谷のほうへとんでいきました。
谷の底には大きな工場があって、木をきる音が、びィんびィん、としていました。
小鳥は工場の門の上にとまって、
「門さん、わたしのなかよしの木は、どうなったか知りませんか。」
とききました。
門は、
「木なら、工場の中でこまかくきりきざまれて、マッチになってあっちの村へ売られていったよ。」
といいました。
小鳥は村のほうへとんでいきました。
ランプのそばに女の子がいました。
そこで小鳥は、
「もしもし、マッチをごぞんじありませんか。」
とききました。
すると女の子は、
「マッチはもえてしまいました。けれどマッチのともした火が、まだこのランプにともっています。」
といいました。
小鳥は、ランプの火をじっとみつめておりました。
それから、去年の歌をうたって火にきかせてやりました。火はゆらゆらとゆらめいて、こころからよろこんでいるようにみえました。
歌をうたってしまうと、小鳥はまたじっとランプの火をみていました。それから、どこかへとんでいってしまいました。
狐人的読書感想
……泣けます。
本作の木と小鳥の場合は友達関係ですが、どんな関係にも必ず別れは訪れる、ということを実感しないわけにはいきません。
木と小鳥は友達になり、再会を約束して離れ、一年後に小鳥が帰ってきたとき、木はマッチになっていて、燃えてなくなってしまいます。
小鳥はマッチで灯されたランプの火を見つめて、去年木が喜んで聞いてくれた歌を歌います。
火はゆらゆらゆらめいて、心から喜んでいるように小鳥には見えて、それから、どこかへ飛んでいってしまう――
小鳥の心情が描かれておらず、事実のみ淡々と語られているので、読者が想像力を働かせることができる、なんとも趣深い演出ですよね。
たぶん、普通に読めば、木と小鳥の友情に感動するお話なのですが、狐人的にはちょっとうがった見方もしてしまいます。
たとえば、小鳥が去年の歌を歌い、ランプの火がよろこんで見えるシーンでは、小鳥が自分への慰めのため、木を悼んでいるようにも感じられるんですよね。
人は、誰かのために悲しんだり、喜びを分かち合う――などと言ったりしますが、しかし本当に誰かのために悲しんだり、喜んだりしていることってあるのだろうか……なんて考えてしまいます。
この物語を読んで、木と小鳥の友情に感動する心の働きも、あるいは自分勝手な解釈なのかもしれず、じつは小鳥は木がいなくなってしまったことについて、それほどの悲しみは感じていなかったかもしれません(どうしてもそんなふうには思えない自分もいますが、客観的な視点として)。
利他行動というものがありますが、これは突き詰めてしまえば種の保存に有利な行いだとも捉えられるわけで、種の保存……全体のためは自分のためとも言えるわけで――
人、というか生き物は、基本的には自分のためにしか生きることができず、家族、恋人、友達……誰かのためを思う感情、誰かのためを思っての行為、それらすべてはやっぱり自分本位なものなのだと思えば、なんだか世知辛いよな……とか思う情動も、やはり自分勝手なものなんでしょうね。
とはいえ、誰かを思いやること、誰かのための行動が、必ずしもその人のためである必要はないわけで、自分のためにやったことが、誰かのためになる事実だってあるわけで――
小鳥の飛び去って行く姿は、「それでいいんだよ」と言ってくれているような気が、したんですよね。
――なんて。
まさに自分勝手な解釈をしている、今回の狐人的読書感想でした。
読書感想まとめ
友達を亡くした小鳥の姿にあなたは何を思う?
狐人的読書メモ
・木から火が生じる展開には、古代中国発祥の自然哲学である五行思想が感じられる。
・肉体(物質)は滅んでも魂(精神)は残る、という精神性も、やはり生き者のための慰めのように思う。
・小鳥は木の若芽には再び出会えるかもしれない――親から子に受け継がれていくものを思う。
・『去年の木/新美南吉』の概要
1940年(昭和15年)『コドモノヒカリ』(帝国教育会出版部)にて初出。『きつねの おつかい』(福地書店、1948年―昭和23年―)にて初刊、収録。友情や精神性、読み方は限定的なようでいて、多様な読み方ができる作品だと、狐人的には思った。
以上、『去年の木/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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