狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『僕の読書法/織田作之助』です。
文字数3000字ほどの随筆。
狐人的読書時間は約12分。
視力がいい人間は読書家である。僕は寝そべらないと本が読めない。繰りかえし読む百冊の本を持つ。人それぞれの読書法ってありそうな気がして聞いてみたくなった。あなたの読書法は?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
・視力がいい人間は読書家である。森鴎外、志賀直哉、芥川龍之介、横光利一、川端康成、小林秀雄――頭脳優秀な作家は、みんなメガネをかけていない。僕(織田作之助)もメガネをかけていない。
・上記は僕の我田引水である。
・目がいいからといって、頭脳優秀だとも才能豊富だとも限らないし、人より優れた読書家というわけでもない。ただ、森鴎外や芥川龍之介はどんなに多読しても、暗いところで本を読んでも、近眼にはならなかったという。そして僕も目がいい(自惚れ)。
・僕は寝そべらないと本が読めない。
・勉強のために読書することは少なく、楽しみのために読書をする。抜き書きもしなければ、その作家や作品の研究書を読んだりもしない。音楽に酔うように喜んで読みたい。
・そして繰り返し同じ本を読むこと。入手困難なものはすっぱり諦めてしまい、入手しやすいものを繰り返し読む。出合えなかった本が一生の損失になるような可能性は、出会えなかった恋人の場合と同様に低い。
・繰りかえし読む百冊の本を持つ。
狐人的読書感想
織田作之助さんの随筆を読むと、「このひとおもしろいひとだなあ」って、いつも思うんですよね。
『寝そべらないと本が読めない』というところに共感してしまい、勝手に親しみを覚えてしまいます。
目のよさと読書家の文豪たちを結びつけて語っているところもおもしろいですね。
『森鴎外や芥川龍之介は驚嘆すべき読書家だ、書物を読むと眼が悪くなる、電車の中や薄暗いところで読むと眼にいけない、活字のちいさな書物を読むと近眼になるなどと言われて、近頃岩波文庫の活字が大きくなったりするけれど、この人達は電車の中でも読み、活字の大小を言わず(もっとも鴎外は母親の老眼のために自分の著書の活字を大きくしたが)、無類の多読を一生の仕事のようにして来たにもかかわらず、近眼になったという話をきかない。』
――というところは、まさに昔のカン違い、現代の常識となっていて、大人の場合は暗いところで本を読んでも近視が進んだり目の病気になったりすることはないのだそうです。
(ただし、子供の場合はまだ目が成長途上にあるため、暗いところで本を読んだり、小さな文字を読んだりするなど、手元にピントを合わせる時間が長いと、近視が進む恐れがあるので要注意)
さらに『僕は勉強のために読書することはすくない。たのしみのために読書するのである。』というところにも思わされるところがあります。
スポーツなどでもよくいわれていますが、まずは楽しむこと、なにごとにおいても楽しむことこそが上達への近道だ、という論調は、なんとなく説得力が感じられます。
とはいえ、僕の最近の読書は楽しむためというよりも、小説の勉強のため、といった色合いが強いように感じています。
もちろん楽しんでもいるのですが、創作のモチーフだったり独特な文体であったり斬新な手法であったり……、何か参考になるものを吸収できないかという思いが、常に心の片隅に置いているのですが、実際それを活かせているかは……。
前回の織田作之助さんの読書感想で『土足のままの文学』という随筆を読んだのですが、織田作之助さんは「たのしむため」とは言いつつも、しっかりとよい作品を分析して、何かを吸収できていたのではないかという印象を持ちます。
その中で取り上げられている『ファビアン』『ユリシーズ』は、織田作之助さんが「繰りかえし読む百冊の本」に含まれていたのではなかろうか、などと想像してしまいますね。
「繰りかえし読む百冊の本を持つ」は、アレクサンドル・デュマさんの『モンテ・クリスト伯』に登場するファリア神父を彷彿とさせます。
ファリア神父は、牢獄に投獄された主人公に教養や知識、不屈の精神など、自らの持つすべてを教え、主人公から第二の父と慕われることになる人物ですが、彼もまた、「すべてのものごとの基本は150冊の本に集約されており、それを暗唱できるまで繰り返し読めば、人生それで事足りる」みたいなことを言っていたんですよね。
「繰りかえし読む百冊の本を持つ」――やっぱりこれが僕の心に一番響いた、『僕の読書法』だったという、今回の読書感想でした。
読書感想まとめ
繰りかえし読む百冊の本を持つ。
狐人的読書メモ
・前はとにかく長い小説を飽きるまで繰り返し読むのが好きだったが、最近は短編を多く読む読書をしている。より多くの作家の本を勉強するためのシフトだったが、長編を読む体力がなくなってきている? ――などと思わなくもなかったり……。
・今回話題にしたアレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』は、僕がもっとも好きな小説。これ以上の小説はないのではなかろうか、と思えるくらい。最近ドラマになったけど、初回の視聴率は低く、酷評されていたのは残念だった。とはいえ、酷評なのはストーリーよりも演者の演技のようだが……好評との意見もあるが……原作を広めるためにもがんばってほしいが……。
・『モンテ・クリスト伯』は登場人物も時代背景も舞台設定もストーリーラインも完璧すぎる。ささいな部分でも何か一つ変えればそれすなわち改悪になってしまう。ドラマは現代劇にしてしまっている時点で、おもしろさの半分以上が損なわれているのかもしれない。
・『僕の読書法/織田作之助』の概要
1943年(昭和18年)9月、『現代文学』にて初出。『定本織田作之助全集 第八巻』(文泉堂出版、1976-昭和51年―]収録。「繰りかえし読む百冊の本を持つ」というのが印象的な僕の読書法。そんなに数を読んでいるわけではないが、織田作之助の随筆はおもしろい。
以上、『僕の読書法/織田作之助』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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