狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『疑惑/江戸川乱歩』です。
文字数19000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約48分。
傍若無人な父親の命が何者かに奪われる。
疑惑の目が向けられたのは母親・兄・おれ・妹、
すなわち家族だ。
おれは兄、兄は母親、母親は妹、妹はおれを疑ってる?
疑惑のタイトルの真意を読め!
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
酒と女に散財し、傍若無人な父親の命が何者かに奪われる。警察の調べにより、深夜一時頃、家の庭で、斧か鉈のような刃物で殴られたのだと判明する。
母親、兄、おれ、妹――家族の者に疑いがかかる。
事件当時、一階に母親と妹、二階のそれぞれの部屋に兄とおれが寝ていた。おれはその時間に起きていて、兄が一階に下りていき、また戻ってくる足音を聞いた。
朝の五時頃、妹が第一発見者だった。騒ぎを聞いて庭に駆け下りたおれは、そこに兄とおれしか持っていないはずのハンカチが落ちていたのを見つける。そのとき兄のほうを見ると、慌てて持ってきたと思われる着物の帯を地面に落とし、拾い上げるところだった。帯に隠して拾い上げたものはいったい?
おれは兄を犯人と疑う。ところが兄は母親を犯人と疑っている様子。兄が拾い上げたのは母親の櫛か何かだったのか?
そんな母親は妹を疑っている。ある日、妹が庭のむこうの祠の後ろに、何かを埋めている姿があり、母親は縁側に立ってその様子をそっと伺っていた。祠の後ろに隠されていたのは、父親の血がついたうちの斧だった。
しかし妹はおれのことを犯人だと疑っているらしいのだ。事件以来、妹はおれの様子をしきりに心配し、(大丈夫、わたしはお兄ちゃんの味方だから)といった目をおれに向けてくる。
おれは兄、兄は母親、母親は妹、妹はおれ――家族みんなが疑い合っている家庭は、ぎくしゃくしていたたまれない。ひょっとすると、まさか本当に、犯人が家族の中にいるかもしれない。こんな地獄がこの世にあろうとは……。
事件から約一ヶ月後、おれは犯人をつきとめた。
犯人はおれだった。
バカな、と思うかもしれないが、まあ聞いてほしい。おれは事件の夜なぜ起きていたのかを考えた。すると二階の窓の外で、猫が騒いでいたからだった。おれは窓を開けた。猫は驚いて松の木に飛びついた。松の木の股には斧がのせられていた。猫が飛びついた拍子に、斧は枝の上から落ちて、切石に座って涼んでいた父親の頭を割った。斧はおれが半年前の春に、枯れ枝を切るため持って登ったのを、忘れてきたものだった。おれが見つけたハンカチは、そのとき斧の柄に巻きつけたままにしていた、おれのハンカチだったのだ。
忘れていたのなら罪ではない? ただの偶然じゃないか? たしかにそうだ。だけどおれは、あの日松の木の上で、そこから斧が落ちれば、切石に腰かけて休む癖のある父親を、たしかに亡き者にできるだろうと、考えた。これはフロイトの学説によれば『無意識の命じた業』だ。猫のことや斧のことを忘れていたのも、精神分析学でいうところの『物忘れの説』で説明できる。すべてはおれの無意識の犯行だったのだ。
が、おれが自分をたしかに罪人だと思う理由はべつにある。おれが犯人ならば、母親も兄も妹も、みんなが家族をかばい合い、おれだけが家族を疑っていたことになる。みんな無類の善人だった。その中で一人、みんなを疑う疑惑の心を持っていたおれだけは、まさに悪人だったというほかにないではないか。
狐人的読書感想
ふむ。「無意識の犯行」というオチにはちょっと無理を感じてしまいましたが、しかしそんなところはこの物語の核心ではなくて、家族みんながかばい合っていたのに、自分だけが家族みんなを疑っていた、という、『疑惑』の心こそが悪だった、というのは見事な落とし方だと思いました。
まさに『疑惑』のタイトルが光る、さすがは江戸川乱歩さん、といった感じです。
まあ、父親の命が奪われてしまったのは悪ではないのか、といった疑問を少し思いましたが……いくら酒と女に溺れ、母親に暴力を振るい、傍若無人な父親だったからといって、その命を奪っていいことにはならないかもしれません。
とはいえ、ひどい父親に対して抱く憎悪の感情って、家族だからこそ許せないものがあるというのは、想像に難くないような気がします。父親が亡くなったことが悲しくない、と言った「おれ」の言葉が印象に残っていますが、悲しんでもらえない父親も、悲しめない息子も、なんだか悲しいような気がするんですよね。
どんなにつらいことがあっても、酒や女に逃げるようなことがあってはいけないし、また守るべき、支え合うべき家族を蔑ろにしてはならないのだと、改めて実感したところです。
前述のことや、また、それぞれが見つけた証拠と思しき物や事柄を隠し、家族をかばい合っていた姿から、家族って大事だよなと単純に思わされたのですが、もう一つ、友達の大切さも描かれているように感じます。
この小説は地の文がなくて、セリフのみで物語が進行していく、いわゆる『台本形式』の小説ですが、登場人物は「おれ」(S)とその友人の二人だけで、とてもわかりやすくて読みやすいです。
で、「おれ」は犯人に気づいていない間は、事件やそれによって家族が抱えることになった問題、自分のつらい気持ちなどを友人に相談していて、犯人に気づいてからは、その罪を告白したり――つまり「おれ」にとってのこの友人は、なんでも相談できて、なんでも話せる友達なんですよね。
そういう友達をつくるのって、本当に難しいことだと思ってしまうのは、ひょっとして僕だけなのでしょうか?
友達関係ってよく「質をとるか量をとるか」みたいなことがいわれますよね。
友人関係に費やせる時間が有限である以上は、どの友達とどのくらいの時間を過ごすのかを、否が応でも選ばなければならず、一緒に過ごした時間の長さが、イコールで信頼関係につながっている、というところは必ずしも否定しにくいことのように感じられてしまいます。
とはいえ、何も一緒に過ごした時間の長さだけが、友人関係のバロメーターというわけでもありません。たとえば、お互いの命を助け合うような経験があれば、その後あまり会わなくとも(会わないからこそ?)、生涯の親友だということができるかもしれませんよね。
上では「友達と一緒に過ごす時間の長さ」で「質をとるか量をとるか」を例示したつもりですが、よくいわれているのは「友達の数の多さ」のほうですよね。
人間長じていくに従って、友達を作るのは難しくなっていくといいますし、しかしいまの時代はSNSがあって友達を簡単に作れるとも聞きます。
いずれにせよ、親友と思える友達を作るのはやっぱり難しく感じられて――家族の大切さを思うと同時に、親友の大切さをも思った、今回の読書でした。
読書感想まとめ
家族と友達の大切さ!
狐人的読書メモ
・フロイドのアンコンシャス、物忘れの説、スイッツルの神経学者ヘラグースの説話――すなわち無意識については興味を覚える。
・家族はみんなかばい合っていて、自分だけが疑っていたのだ、って気づくのって、思えばかなりきついよね。
・『疑惑/江戸川乱歩』の概要
1925年(大正14年)『写真報知』にて初出。作者解説によれば「意あって力足らぬ作品である」。トリックよりはタイトルの真意が秀逸な作品だと感じた。
以上、『疑惑/江戸川乱歩』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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