王さまと靴屋/新美南吉=エゴサーチする王様にはっきり物申す靴屋!

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

王さまと靴屋-新美南吉-イメージ

今回は『王さまと靴屋/新美南吉』です。

文字数1000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約2分。

2分で読める童話。
今回あらすじは全文。このブログで読めます。
自分の足でエゴサーチする王様に、
はっきり物申す靴屋のマギステルじいさんに注目!
はっきり物言う人に感謝!

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

(全文です)

『王さまと靴屋/新美南吉』

ある日、王さまはこじきのようなようすをして、ひとりで町へやってゆきました。

町には小さな靴屋くつやがいっけんあって、おじいさんがせっせとくつをつくっておりました。

王さまは靴屋くつやの店にはいって、

「これこれ、じいや、そのほうはなんという名まえか。」

とたずねました。

靴屋くつやのじいさんは、そのかたが王さまであるとは知りませんでしたので、

「ひとにものをきくなら、もっとていねいにいうものだよ。」

と、つっけんどんにいって、とんとんと仕事をしていました。

「これ、名まえはなんともうすぞ。」

とまた王さまはたずねました。

「ひとにくちをきくには、もっとていねいにいうものだというのに。」

とじいさんはまた、ぶっきらぼうにいって、仕事をしつづけました。

王さまは、なるほどじぶんがまちがっていた、と思って、こんどはやさしく、

「おまえの名まえを教えておくれ。」

とたのみました。

「わしの名まえは、マギステルだ。」

とじいさんは、やっと名まえを教えました。

そこで王さまは、

「マギステルのじいさん、ないしょのはなしだが、おまえはこの国の王さまはばかやろうだとおもわないか。」

とたずねました。

「おもわないよ。」

とマギステルじいさんはこたえました。

「それでは、こゆびのさきほどばかだとはおもわないか。」

と王さまはまたたずねました。

「おもわないよ。」

とマギステルじいさんはこたえて、くつのかかとをうちつけました。

「もしおまえが、王さまはこゆびのさきほどばかだといったら、わしはこれをやるよ。だれもほかにきいてやしないから、だいじょうぶだよ。」

と王さまは、金の時計をポケットから出して、じいさんのひざにのせました。

「この国の王さまがばかだといえばこれをくれるのかい。」

とじいさんは、金づちをもった手をわきにたれて、ひざの上の時計をみました。

「うん、小さい声で、ほんのひとくちいえばあげるよ。」

と王さまは手をもみあわせながらいいました。

するとじいさんは、やにわにその時計をひっつかんでゆかのうえにたたきつけました。

「さっさと出てうせろ。ぐずぐずしてるとぶちころしてしまうぞ。不忠者ふちゅうものめが。この国の王さまほどごりっぱなおかたが、世界中にまたとあるかッ。」

そして、もっていた金づちをふりあげました。

王さまは靴屋くつやの店からとびだしました。とびだすとき、ひおいのぼうにごつんと頭をぶつけて、大きなこぶをつくりました。

けれど王さまは、こころを花のようにあかるくして、

「わしの人民じんみんはよい人民だ。わしの人民はよい人民だ。」

とくりかえしながら、宮殿きゅうでんのほうへかえってゆきました。

狐人的読書感想

なんだか心温まるようなお話ですね。

去年、テレビドラマの『陸王』とか、靴職人になっていた貴乃花親方のご長男(花田優一さん)とか、何かと「靴屋」の話題を目にしたのが、記憶に新しいところ。

――ということを、前回新美南吉童話の読書感想を書いた『売られていった靴』で思ったのですが、今回の『王さまと靴屋』もタイトルどおり「靴屋」が登場するお話です。

王様が乞食のかっこうをして身分を隠し、靴屋のじいさんに「おまえはこの国の王さまはばかやろうだとおもわないか」と、自分の本当の評価を尋ねに行く物語――お城の中からではわかりにくい民の生活ぶりの実情を、市井に紛れて視察に行く王様みたいなシチュエーションは、王国ファンタジーものなどでよく見られるもののように思います(『デルフィニア戦記』とか『十二国記』とか『水戸黄門』とかいろいろ……)。

だいたいそういった物語では、「じつは王様だった!」という事実は劇的に明かされて、人々が感動したり恐れおののいてひれ伏したりするところに、おもしろさを感じるのですが、『王さまと靴屋』の王様は靴屋のじいさんに正体を明かしませんでしたね(明かすひまもありませんでした)――そんなところが印象に残ります(違うか?)。

王様が靴屋に入って名前を尋ねたとき、じいさんは「ひとにものをきくなら、もっとていねいにいうものだよ」と言ったシーンも印象に残っています。

上司が部下に指導したら「パワハラ」だといわれ、先生が子供を注意したら「モンスターペアレント」が飛んでくる時代、なかなか他人にものを教えたり、また他人からものを教えてもらえる機会――はっきりとものをいってくれるひとは少なくなってきているように感じています。

だから自分が間違ったことや恥ずかしいことをしていても、なかなか気づくことができずにいて、そんなときにそれを指摘してくれる誰かがいたとき、そのありがたさをはじめて実感できるように思うのですが、最近では家族でも恋人でも友人でも、そのようなことはなくなってきているような気がするんですよね。

遠慮の気持ちが強く働いてしまうというか、余計なトラブルに巻き込まれたくないというか――だからそういうひとがいてくれたとき、言われた瞬間はムッとしてしまうこともあるのですが、後から考えてみると「あれってありがたいことだったんじゃ……」と考えることがたまにあります。

SNSのコメントを見たときやワイドショーなんかのコメンテーターの発言を聞いているときでもそうですね、最初はちょっと不快に感じることがあっても、冷静になってみるとそういうひとたちがいることってありがたいことなのかもしれないな、みたいな。

王様も靴屋のじいさんの本心を聞けて、そんなことを考えたかどうかはわかりませんが、やはり自分の本当の評判を気にしてしまう心理というのはとても共感できるところです。

現代風に言えば「エゴサーチするひとの気持ちわかる!」みたいな?(正直に言うと自分の嫌な評価をあえて見たいとする気持ちはわかりにくいものがありますが……)

人の評価を気にするというのは、いいことのような気もするし、悪いことのような気もするんですよね。

人の評価を気にするということは、それで自分の悪いところを見つめて直していきたい、という心の表れのような気もするし、ただの自信のなさだという気もするし、王様のようにあえて直接的に自分の評価を聞く行為は、ただの相手への押しつけのようにも感じられてしまいます。

人の評価を気にしないということは、自分を顧みるつもりはなく、しかしそれは自信の表れのようにも思えるし、実際天才は自分の評価を気にしたりせず、それでも人に評価される偉業を成し遂げたりします。

いつでも自信を持ちたいですが、凡人にそれはむずかしく、かといって直接的に自分の評価をエゴサーチしたり聞いたりする勇気もなくて、教えてくれる人はだんだんと少なくなってきている現代社会――何か生きにくさのようなものを感じてしまったりします。

とはいえ、教えてもらえたときにはそれをすなおに受け止めて、悪いところがあるならば直していくよう努められるような、謙虚な気持ちを持ちたいとは、この読書を通じて思ったところです。

王様は靴屋のじいさんを怒らせてしまい、這う這うの体で逃げ出すことになってしまいましたが、しかし結果は上々、これからも民たちのためよく国を治めてほしいな、と思いました。

読書感想まとめ

エゴサーチする王様にはっきり物申す靴屋! とはいえ、「パワハラ」「モンスターペアレント」――はっきりとものをいってくれるひとは少なくなってきている現代。どんなことでも教えてもらえたときには感謝の気持ちを忘れないようにしたい。

狐人的読書メモ

王さまがかえっていったあとの靴屋では、マギステルじいさんが床のうえの時計をひろって、にやり、

「この国の王さまは大ばかやろうだ」

――みたいな?(何が、みたいな……)

SNSやYouTubeでもプレゼント企画でフォロワー数やチャンネル登録者数を増やそうとする試みがある。人間関係すなわち利害関係。マギステルじいさんのように、欲に目をくらませず、自分の考えを曲げないことは難しいことだと、ふと思い浮かぶ。

・『王さまと靴屋/新美南吉』の概要

1948年(昭和23年)『きつねの おつかい』(福地書店)にて初出。2分で読める短さにもかかわらず、いろいろなことを思わせてくれた作品。

以上、『王さまと靴屋/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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