二十一/坂口安吾=病みやメンヘラの人、とりあえず読んでみませんか?

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

二十一-坂口安吾-イメージ

今回は『二十一/坂口安吾』です。

文字数11000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約33分。

僕は睡眠時間を一日に四時間と決めて、睡眠不足でうつ病になってしまう。そのうつ病を自分で治そうと思い、ある試みを実行するが…。鬱、病み、メンヘラと言う人に読んでみてほしい小説。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

二十一の頃、僕は坊主になるつもりで、睡眠は一日に四時間と決めていた。睡眠不足というものは神経衰弱の元である。よって僕は、睡眠四時間が一年半続くと神経衰弱――いまでいうところのうつ病にかかってしまう。

僕はこの神経衰弱を退治してやろうと躍起になる。

その試みのひとつが、僕の数少ない二人の友を毎日訪ねることだった。神経衰弱には、孤独が何よりいけないのだ。

一人は修三という劇団の研究生だったが、彼は家を不在がちだったため、僕は彼の家にいるお手伝いの婆さんと話し込むことになる。

この婆さんは事情があって、やがて金光教会へ引きとれられることになるのだが、僕は婆さんから手紙を受け取って、一度だけそこを訪ねていく。婆さんのグチ話にうんざりした僕は、「執着をすて神様にたのんで大往生をとげなさい」と、心ない言葉を残してそこを去る。

もう一人は辰夫といって、精神病院に入院していた。

当時、辰夫は全快していたが、身元引受人がなくて退院できないでいた。発狂していたとき、家の金を持ち出したり、母親を馬乗りになって打擲したため、家族に見放されていたのだ。

僕は辰夫に頼まれて、彼の母親に会いにいくが、「気違いという病気は治るものじゃない」と、その態度は冷たいものであった。

僕はそのことを辰夫には言えず、「昨日も用で君の家へ行けなかった」とウソをついていたが、そのたび辰夫は不器用なウソをつくな、という顔をして――ある日、僕はついに怒り狂ってしまい、「君の母は君のことなど全然考えていない……」などと心ない言葉をまくしたててしまう。辰夫は「自分のいたらぬわがままから、君を苦しめてすまない」と謝る。

こうして僕は、僕の神経衰弱の医療訪問先をすべて失ってしまう。しかし、目的を定めて行為しておらねばならぬ、と考え直し、結局最後に、外国語を勉強することによって神経衰弱を退治した。

病気が治りかけたある日、精神病院を退院したという辰夫を訪ねると、彼は不在だったが彼の母が私を迎えてくれる。あのときのヒステリーはみじんもなく、僕に感謝の言葉を述べる母親というものを、魔物のように思うのだった。

狐人的読書感想

睡眠不足というものは神経衰弱の元、睡眠時間が四時間だと神経衰弱、うつ病にかかってしまう、というところは、意識したことがなかったので、単純に「へえ~、そうなんだ!」と驚いてしまいました。

実際、ネットで調べてみてもそのとおりのようで、人は6時間以下の睡眠では、うつ病になりやすいそうです。睡眠時間6時間以下の人なんて、けっこういるように思うのですが、あんまりよくないんですね。

僕もたまに(自分はうつ病なんじゃなかろうか)なんて思うことがありますが、うつ病の自己診断チェックって、「物事に対してほとんど興味が持てない、または楽しめない」みたいな感じで、主観的な判断基準が多くて、結局よくわからなかったりします。

そんなこんなでこの小説は、著者が二十一歳のとき、悟りを開こうとして睡眠時間を毎日四時間に削ってうつ病になってしまい、それを自分で治療しようといろいろな試みをしたんだよ、という、自伝的な内容のものです。

うつ病になっていることを自覚した上で、そのうつ病を自ら治療してしまおうと考えるあたり、なんだかバイタリティーが感じられて、なんかすごいな、自分も見習いたいな、と思わされてしまいます。

自分で治そうと思える気力があるのなら、本当には病んでいないのではなかろうか、なんて疑ってしまいそうにもなりますが、しかし文章を読んでいると、たしかな病みが感じられます。

最近はツイッターなどを見ていても、「病んでいる」「病み垢」「メンヘラ」なんてワードをよく見かけるので、昔の小説ではありますが、意外と現代だからこそ共感力のある小説かもしれません。

さて。

そんな病んでいる著者が、うつ病治療として行ったのが、「友達に会ってとにかく話をする」というものでした。

『何でもよろしい、目的を定めて行為しておらねばならぬ。』というのは、たしかに有効なうつ病治療法かもしれないな、と思わされるところがあり、なんとなく説得力が感じられます。

二人の友人(一人は友人のところのお手伝いのお婆さん)とのエピソードが綴られていますが、どちらもおそらくうつ病からくるイライラのために、心ない言葉を言ってしまい、最後には関係を悪くしてしまっているのが印象に残ります。

とにかく誰かと話をするというのは、うつ病の治療法として効果があるように思えるのですが、こちらのメンタルが安定していないことを思えば、相手との関係性を壊してしまうかもしれない言葉を思わず言ってしまうかもしれず……、何も知らない知人で試みるのは危険なのかもしれませんね。

ちゃんと事情を説明した上であれば、試してみる価値はあるのかもしれませんが、実際にやってみるのはなかなか難しいかもしれません。

結局著者は、「外国語を勉強することによって神経衰弱を退治した」と語っていますが、『目的をきめ目的のために寧日なくかかりきり、意識の分裂、妄想を最小限に封じることが第一、……』というのは現代の、実際のうつ病改善法としても有効のようです。

うつ病だと思ったらとにかく休み、しかし何もしないでいるとなかなか復帰ができないので、体を動かしたり、読書をしたり、部屋の掃除をしてみたり――何かちょっとしたことでもいいので、目的を定めて行為することが大事なことなのだそうです。

……う~ん。

こういうことに、自分で本能的に気づけるのって、なんだかすごいことのようにも感じたのですが、あるいは当たり前のことなんですかね?

うつ病、病んでる、メンヘラ――などの方に、ちょっと読んでみてほしく思った、今回の読書感想でした。

読書感想まとめ

病みやメンヘラの人、とりあえず読んでみませんか?

狐人的読書メモ

・著者の友人の一人、精神病院に入院している辰夫の酷薄な母の話がやはり印象に残った。

・この話は坂口安吾の別作品『母』でも取り上げられているのだけれど、そちらには母が酷薄な理由が描かれておらず、なぜ実の息子の見舞いにも行かないのかと疑問に思っていたのだけれど、その理由がわかった。

・母は発狂した息子の辰夫に、馬乗りになって打擲されていた。

・たとえ親子といえども、暴力や暴言をふるわれれば、そこに恐れの感情を抱き、それが憎しみに変わっても当然のことだと思える。

・たとえ親子といえども、相手に甘えて、ひどいことを言ったり、ひどいことをしてはいけないのだと改めて確認した。

・『二十一/坂口安吾』の概要

1943年(昭和18年)8月、『現代文学』にて初出。『二十七歳』『三十歳』と続く、一連の自伝的小説の第一作である。病みやメンヘラなどといわれる現代だからこそ、著者のうつ病に対するある種前向きな姿勢は、共感を持って読めるのではなかろうか。

以上、『二十一/坂口安吾』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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