狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『おみな/坂口安吾』です。
文字数5000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約22分。
私は生れてこのかた一度も母を愛したことがない。
何があったの…って、読んでみたら、
案外みんなあることのように感じた。
母の幸せを想い、
母の浮気相手に親しみをみせる子供がけなげで哀れ。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
私は生れてこのかた一度も母を愛したことがない。ひとえに「あの女」を憎み通してきた。母は「あの女」でしかなかった。
ところが、私の好きな女はみんな母に似ていることに気づく。べつに復讐したいわけでもないのに……。
私は処女と売春婦を差別しない。女に惚れないが、しかし女を愛さずにはいられない。
私のために家出した女があった。夫は短刀を持って女を追い回した。女は東京を落ちのび、中山道の宿場町に居を移し、私もそこへ転がり込んだ。
ある日、女学校に間もないほどの少女――女の子供が母の居場所を知り、訪ねてきた。
女は子供を棄てたつもりでいた。女の顔色が動いたのは十分の一秒ほどで、悲しい決意をかためたことが私にはわかった。女は私のために子供の愛を犠牲にした。
やがて少女は自分の歓迎されない立場を諦めたようだった。そして私と一緒の母が、過去のいつに比べても不幸ではない様子を知ると、私に親しみをみせはじめた。
三日目の朝、少女は東京へ帰った。私には、子供の感傷に絡み合う自らの虚しい感傷が、ひたすら面倒くさいものに思われた。
私は子供のことなんかそれっきり考えてもみない。女も全く考えていない。
それからの数日、決して正当に通じ合うことはない二人の男女の心には、ある懐しい悲しさが通い、二人は安らかだったといっても、それは子供の訪れという、センチメンタルなできごととは関係ない。
愛し合うことは騙し合うことよりもよっぽど悲痛な騙し合いだ。そのこと自体がもう大変な悲しさではないのか!
女に惚れる、別れる、ふられる、苦しむ、嘆く、そんなことは実はどうでもいいことなんだ。
惚れるも易い、別れるも易い、また悲しむも易かろう。けれど、女に惚れ、女に別れたあとで、さて、何事を改めてやりだせというのだ?
狐人的読書感想
……う~ん、身勝手な男のひとりよがりな独白、といった感じがして、あまり共感はできませんでしたが、まあ人間、誰のためだとか彼のためだとか言ってはみても、結局は自分のために生きているんじゃないか、といったところは完全には否定しにくく、まったく共感できないわけでもないのですが……どうでしょうね?
そもそもちょっと歪んだところを感じさせる「私」の性格は、やはり幼少期の母の記憶が影響しているんですかねえ……『生れてこのかた一度も母を愛したことがない。ひとえに「あの女」を憎み通してきた。母は「あの女」でしかなかった』というのもすさまじいですが。
前半部分はこの母との思い出が語られているのですが、読んでみると、たしかに冷たい母親のようにも思えるのですが、案外そんなものなんじゃないかな、って気もするんですよね。
思春期の子供が異性親を嫌うことがあるように、「私」の場合もそうだったのかな、とも考えたのですが、大人になってもその憎しみの感情だけが残っているというのは、やはりただごとではないように思ってしまいます。
書かれていないだけで、もっと決定的な母との確執エピソードがあるですかねえ……ちょっと興味を覚えてしまったところです。
思えば前回読書感想を書いた『母』もそうでしたが、坂口安吾さんにとっての母親像って、決して温かだったり感動的なものではなかったんですかね?
他の「母」を描いた作品も、ちょっと読んでみたくなりました。
この作品は結局のところ、「私」の不倫関係が描かれている小説だと思いますが、「私」だったり、「女」だったり、「子供」だったり――全員の気持ちがよくわかりませんでした。
「私」と「女」は言うに及ばずですが、一応言っておきます。
「私」には、徹頭徹尾身勝手な男だ、という印象しか持てません。惚れてはいないが愛さずにはいられない、って、どういうことなのでしょうね? 女の子供が訪ねてきても、あまり心を動かされない様子も、感心できるものではない、というふうに感じます。
「女」は、まあ、夫の暴力(?)か何かに苦しんでいたのかもしれませんが、それで子供を棄てて男とかけおちって、どうなんでしょうね? ここにも、ろくでもない母親が描かれているように思えて、ホント、母親について何があったんだよ安吾さん……といった感じですが、しかし、やはり人間、どうあったって自分のために生きるしかないんだと思えば、他人が非難すべきことではないのかもしれません。
「子供」は母親を訪ねてやってきますが、「私」と一緒の母が幸せそうな様子を見て、「私」に親しみをみせるのですが、ここも僕にはよくわかりませんでしたね。自分から母を奪った男に、どんな理由があっても親しみをみせるだろうか、憎しみしかないように思うのですが、しかしそう思うのは僕がひねくれものだからであって、やさしい子供は自分のことよりも母親の幸せを願うものなのでしょうか……やっぱりよくわかりません。
よくわかるのは、そんな子供が訪ねてきても、やっぱり子供を棄てる決意が揺るがない女の心と、ほとんど心動かされない男の態度はよくないでしょ、ということなんですよね。
大人には子供のことを第一に考えてもらいたいものですが、しかしそれだって自己本位な押しつけに過ぎないのかもしれず、やっぱり人間は基本的に自分のためだけに生きるしかないのかなあ、とか感じてしまいます。
でも自己本位に生きるのならば、人間関係についてもやはりそれだけの距離や壁を作って構築していかなければならず、作中の「私」や「女」のような人間は、少なくとも子供を生むような人生を歩むべきではない、というふうに思ってしまうのですが、人間は自己本位なだけに、そこまでの覚悟を持って生きている人は少なく、また覚悟はあったとしてもうまくいかないのが人生、かと思えば、なんだかどんどん難しいことのように感じられてくるのですが……どうなんでしょうね?
難しいですね、人生って……。
読書感想まとめ
身勝手な男のひとりよがりな独白。最低な母親。けなげな子供がなんだかかわいそうでした。
狐人的読書メモ
親の愛情を感じられないような、幼少期のトラウマから性格を歪めてしまったとしても、だからといって他人に積極的に迷惑をかけるような生き方はしてはいけないと思う。どうしても人を信じられず、愛せないのだったら、人との付き合いは極力避けて生きるべきではないか。人を信じ、愛せるようになるために人間関係を求めるのだ、といわれてしまえば、それもそうなのだけれども……。
・『おみな/坂口安吾』の概要
1935年(昭和10年)『作品 第六巻第十二号』(12月1日号)にて初出。身勝手な男の独白。最低な母。健気な子供。共感はあまりできない小説だった。
以上、『おみな/坂口安吾』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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