狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『クンねずみ/宮沢賢治』です。
文字数5500字ほどの童話。
狐人的読書時間は約14分。
クンねずみは高慢で、嫉み深く、
自分を一番の学者だと思っていた。
その結果、仲間のねずみたちに疎まれて、
仔猫に食べられてしまった。
驕れる鼠久しからず、ただ猫の仔の餌の如し。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
クンという名のねずみがいた。高慢で、嫉み深く、自分をねずみの仲間の一番の学者だと思っていた。
ある日、友達のタねずみがやってきた。最近の景気の話になり、タねずみが「オウベイのキンユウはしだいにヒッパクをテイしたそう……」などと答えると、クンねずみは「エヘン、エヘン」と相手の話を妨げた。
クンねずみは自分よりも立派な言葉を使われるのが我慢できないのだ。地震や天気の話でも同じことが繰り返されて、タねずみは白けて帰ってしまった。
クンねずみが天井裏街へのぼっていくと、そこではねずみ会議員のテねずみが、もう一匹のねずみと話していた。
「そこでそのケイザイやゴラクが悪くなるというと、不平を生じてブンレツを起こすというケッカにホウチャクするね。……」
クンねずみは、テねずみの議論が立派なのが癪にさわり、「エヘン、エヘン」とやった。それに怒ったテねずみは「分裂者だ!」としてクンねずみを捕えさせた。
クンねずみは処刑されることになった。ねずみがみんな集まってきて「エヘン、エヘンと威張っていたから、いい気味だね」と話した。
そこに突然、猫大将が乱入して、ねずみたちはみんな隠れてしまった。縛られて動けなかったクンねずみは、猫大将にさらわれた。
猫大将はクンねずみに、四人の子供に算数を教えてほしいと頼んだ。クンねずみは、四人の猫の子供に算数を教え始めるが――猫の子供たちのほうがクンねずみよりずっと賢かった。
クンねずみは、猫の子供らが賢いのが癪にさわって、思わず「エヘン、エヘン」。すると猫の子供らは「ねずみめ、人を嫉みやがったな」。
猫大将が帰ってきて「何か習ったか」と子供らに聞くと、「ねずみを獲ることです」と、四匹が一緒に答えた。
狐人的読書感想
ふむ。ブラックユーモアなのでしょうか。クンねずみの結末はかわいそうに思いましたが、お話としてはとてもおもしろいなと感じました。
ねずみ競争新聞とか、天井裏街一番地とか――ねずみ世界の設定もいいですよね。惹かれるものがあります。
ひとつ含まれている教訓も、非常にわかりやすいです。
クンねずみのように、自分を一番だと思い、高慢になり、嫉み深く、ひとの話をちゃんと聞かないような態度をとると、いつか痛い目に遭いますよ、といった感じでしょうか――痛い目を見るばかりではすまされないあたり、ダークというか、現実の厳しさをも物語っているような気がします。
「驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し」という、平家物語冒頭の一文を思い出しましたが、地位や富や名声など、目に見えやすいもの以外でも、知識という、目に見えにくいものでも、それを過信して驕り高ぶっていると、イヤな奴だと思われて、誰からも相手にされなくなってしまいます。
なんとなく身につまされる教訓です。
と、いうのも、僕も自分の知ってる雑学や豆知識をひけらかすのが、けっこう好きなんですよね(ブログでけっこうひけらかしてます)。
ふだん誰かと話をしていても、その話題に関連した雑学をしゃべることがありますが、あとになって考えてみると、その雑学を聞いて相手は楽しかったのかな、自慢げに話してイヤな奴だと思われなかったかな、などということが気になったりします。
太宰治さんの『恥』を読んだときに学んだことですが、真に博識な人というのは、自分の知っている知識の十分の二とか三しか話さないそうです。
それは相手に遠慮したり、わかりやすく説明するための気遣いなのですが、そういった姿勢はあまり相手には伝わらないので、博学な人を偉そうに物知りぶっている、とか非難するのは正当な評価ではない、というところに感銘を受けました。
自分が自信を持っていることについて相手が話していると、癇にさわったりすることは誰にでもあることのように思いますが、それで相手の話を遮ったりするのはよくないことですよね。
もしも知っていることでも、相手の話をちゃんと聞くこと、それが人間関係で大事なことなのかな、みたいなことを学んだ気になったのですが、どうでしょうね?
とはいえ、話していても聞いていても、相手を退屈させていないかどうか、みたいなことは常に気になったりします。
話し上手になるのも、聞き上手になるのも、けっこう難しいように考えてしまうのですが……ひょっとして僕だけでしょうか?
僕も、四匹の仔猫に食べられないようにしたいですが、何より仲間のねずみたちに疎まれないようにしたいと願います。
しかしながら、それを恐れて自分の主張ができなくなるのもどうかな、って気もしますし……いろいろなものごとに共通していえることですが、バランスってむずかしいですよね。
今回はそんなことを考えた読書感想でした。
読書感想まとめ
驕れる鼠久しからず、ただ猫の仔の餌の如し。
狐人的読書メモ
物知りは偉そうだと思われてしまいがち。しかし、真の物知りは遠慮している。わかりやすく説明するため、自分の知っている十分の二とか三とかしか話していない。人の話を聞くときはそのことも心の隅に留めておきたいと思った。
・『クンねずみ/宮沢賢治』の概要
生前未発表作。執筆投書のタイトルは『クンねずみ』。しかし、推敲した発表時のタイトルは『クねずみ』。が、そののちに推敲不十分が指摘されて以降は再び『クンねずみ』のタイトルで流通しているようだ。
明治維新後に導入された新たな言葉が、それを使いこなせる人と使えない人、人々を選別して威圧してきた、というような意味が含まれているようにも読み取れるという。
以上、『クンねずみ/宮沢賢治』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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コメント
とても参考になりました。
丁寧な考察など、とてもありがたかったです!!!!!!
コメントありがとうございます。
あらすじの最後に猫の子供が言う「人を・・・・」は
「人」じゃなくて「猫様」じゃないんですか?
コメントありがとうございます。