狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『化鳥/泉鏡花』です。
文字数20000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約49分。
廉は人が獣に見える特殊な才能を持つ。
それは母の壮絶な過去と歪んだ愛情の産物だった。
いえ、歪んでいるのは僕の読み方ですが。
たぶん普通に読めば母子の愛情が感じられる幻想小説です。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
愉快いな、愉快いな、お天気が悪くって外へ出て遊べなくっても可いや、笠を着て、蓑を着て、雨の降るなかをびしょびしょ濡れながら、橋の上を渡って行くのは猪だ。
笠を被って釣りをするのは茸に、洋服を着たでっぷり紳士は鮟鱇博士に、ぺちゃくちゃ囀る町娘たちは小鳥に――廉には人間が動植物に見える。母様と橋の袂の番小屋で暮らしている。母子は橋の渡り賃で生計を立てているが、母様は「みんなずるいから、ちゃんと見ていないと橋銭を置いていってくれない」と言う。
外は雨なので、廉は母様に学校であった出来事を話す。
学校の先生は廉を可愛がってはくれない。先生は道徳の時間に「この世で一番偉いのは人間」だと言ったが、廉はこれに納得できず、ついいろいろと反論してしまった。
母様が「人はみんなケダモノ」だと教えてくれて、廉はそれを頑なに信じていた。廉は「先生よりもお花のほうが美しい」と言った。束髪を結い、色の黒い、背の低い、でくでくに太った女の先生は、それから廉につっけんどんな態度を取るようになった。
母様はやさしく廉を諭した。
「そんなことを言ってはいけませんよ、こんなにいいことを知っているのは、人からあらゆる苦汁をなめさせられ、人をケダモノだとしか思えなくなった母様と、それを教えられたお前だけなのだからね」
廉はある日川へ落ちて溺れそうになり、気がつくと母様のお膝に抱かれていた。廉が「助けてくれたのは誰です?」と問うと、母様は「五色の翼がある美しい姉さんよ」と答える。
その日から、廉は姉さんを探す。
町にはいない。獣ばかり。梅林はどうだろう? あの桜山と、桃谷と、菖蒲の池とある処で。だけどやっぱり姉さんはいない。
森はすっかり暗くなり、廉はいやな気持になって家に帰ろうと思うが、突然自分が鳥になったような恐怖を覚える。が、そのとき、心配して探しにきてくれた母様が、うしろからしっかりと抱いてくれた。
美しい姉さんは母様だったのだろうか? だけども母様に五色の翼はない。ほかにそんな人がいるのかもしれない。けれど、もういい。
母様がいらっしゃるから、母様がいらっしゃったから。
狐人的読書感想
うん。なんかいいですね。僕はこの物語自体も好きですが、どちらかといえば雰囲気を楽しむ作品なんじゃなかろうか、などと思いました。ぜひ泉鏡花さんの文章で読んでほしいとおすすめしたくなる小説です(鏡花作品は大概そんな感じですが)。
『化鳥』は泉鏡花さんが初めて口語体で書いた小説なのだそうで、文語体のものも多い鏡花作品の中では比較的読みやすい短編なのではないでしょうか(絵本にもなっているみたいです)。
その意味では「泉鏡花さんが化けた」「人が獣に化けた」「読者が化かされた」といった感じで、タイトルにもある「化」という文字が、作品のひとつ大きな象徴のように感じられる小説でした。
『化鳥』は子供の一人称で描かれており、全体的な雰囲気としてもあまり暗さは目立たないのですが、ところどころに闇があります。
廉には人間が動植物に見えるという、なんというかちょっと特殊能力っぽい性質があるのですが、これは母親の教育によって養われた感覚です。
母様の壮絶な過去が垣間見られる文章があって――「人はみんなケダモノ」だと、廉はそれを何度も何度も繰り返し聞くうちに、人間が動植物に見えるようになります。
最初のうちは人に叱られると恐かったし、泣いていると可哀相だったし、いろんなことを思っていたといいますが、母様の話を聞いているうちに、いじめられて泣いたり、撫でられて嬉しかったりしたことも、なんとも思わなくなったといいます。
茸に見える釣り人、猪に見える通行人、小鳥に見える町娘は、ただただおもしろく、うつくしく、可愛らしく、ときに憎らしいことも腹立たしいことも、それは猿が憎らしかったり鳥が腹立たしかったりするのとなんら変わりなく、人間として人間に抱くべき喜怒哀楽の感情を、どうやら廉は喪失しているらしい――
ここはかなり異様さが際立っているように思い、不気味に感じたところでした。子どもの語り口がより闇の深さを増幅している感じもするんですよね……。
狐人的見どころのひとつです(闇が見どころって)。
母親が自分の経験したイヤなことを幼い子供に言い聞かせるのって、いいことなのか悪いことなのか、ここを読むと考えさせられてしまいますね。
おそらく根本には「自分が味わったつらい経験を子供にはさせたくない」という気持ちがあってこそ、そんな話をするのだと思いますが、子供がそれをどう捉えて、成長にどのような影響を与えるのか、それをちゃんと想像してから話すべき内容をきちんと選ぶべきなのかもしれないとか、そんなふうに思わされるところでした。
廉のある種歪んで見える性質を鑑みるに、この場合母様は廉にそんな話をすべきではなかったのかな、という気がします。
決して母親としての愛情が感じられないわけではないのですが、どこか歪んだ愛情だという印象を持ちます。
愛情がないわけじゃなく、むしろ愛情から出ている行動なのだ、というところがとてもむずかしく感じました。
廉の話す女の先生の話はちょっと笑ってしまいました(笑うところではないのかもしれませんが)。
子供の悪意ない一言が大人を傷つけることって、たしかにあるように思うのですよね。それを軽くいなせるかどうかが大人と子供の違いという気がしますが、コンプレックスとかって、なかなか簡単には消せないものですし、言うほど容易いことではないよなあ、という気はします。
ただ、この女の先生って、僕が抱いている先生像と非常にマッチするんですよね。教師こそ子供の発言を寛大に受け止めて、子供の心を傷つけない言動を心がけるべきだと思うのですが、僕の印象では先生こそどこか頑なで、人間的に未熟に感じてしまう人が多いような気がするんですよね。
もちろんそんな先生ばかりではないのでしょうが。
先生というだけでついつい甘えたくなってしまいますが、教師はただの職業であり人間である、このことは常に心がけたいと思いました。
さて。
ひねくれものの僕らしい(?)、作品の闇ばかりを取り上げた感想になってしまいましたが、ラストシーンはすなおに母子の愛情を感じられるものとなっていて、単純にすごくよかったです。
川で溺れた廉を助けてくれたという、「五色の翼がある美しい姉さん」とはいったい誰だったのでしょうね? 母様の反応を見るかぎり、どうやらそれは母様ではなさそうですが……、物語の中の重要な謎というわけではありませんが、気になるところでした。
「母様がいらっしゃるから、母様がいらっしゃったから」
この一文だけでも、廉が母様を慕う気持ちが充分に伝わってきて、感動的なんですよねえ……、廉、将来大人になってから極度のマザコンにならなければよいのですが――という最後に最後の感動をぶち壊す今回のオチ。
読書感想まとめ
人間がみんな動植物に見える。子供の持つ特殊能力から深い闇を垣間見てしまった小説でした。
狐人的読書メモ
あらすじでは省いたが、もうひとつ大きなストーリーとして、猿回しの老人と猿の話がある。やはり人間の残酷さが感じられる闇エピソードだ。動物園の動物に代表されるような、人間を楽しませるために生かされる動物たちのことを思ったし、楽しませなければ同じ人間であっても生かそうとはしない人間の本性を見た思いがした。
(ああ、奥様、私は獣になりとうございます。あいら、皆畜生で、この猿めが夥間でござりましょう。それで、手前達の同類にものをくわせながら、人間一疋の私には目を懸けぬのでござります。)
(はい、いえ、大丈夫でござります。人間をこうやっといたら、餓えも凍えもしようけれど、獣でござりますから今に長い目で御覧じまし、此奴はもう決してひもじい目に逢うことはござりませぬから。)
・『化鳥/泉鏡花』の概要
1897年(明治30年)、『新著月刊』(東華堂)にて初出。泉鏡花初の口語体小説。闇の深さを感じたが、しかし一般的には母子の愛情を感じられる怪しくも美しい幻想小説なのではなかろうか。
以上、『化鳥/泉鏡花』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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