踊る一寸法師/江戸川乱歩=アルハラ、イジメ、ダメ、ゼッタイ。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

踊る一寸法師-江戸川乱歩-イメージ

今回は『踊る一寸法師/江戸川乱歩』です。

文字数8500字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約23分。

いじめの話。鬼を生むは人の心。小人は小鬼と化す。

アルハラ、いじめは絶対ダメ。

ところで義務教育で学校へ行くのを
強制されてるような風潮ってどう?
通信教育とかでよくない?

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

公演後のサーカス小屋では酒宴が催されていた。小人のろくさんは一人、酔っぱらって大賑わいの一座から離れて、舞台のすみからその様子を眺めていた。

すると、紫繻子むらさきじゅす猿股さるまた男が、「お前も一緒に酒を飲め」と言って、緑さんを無理に誘った。しかし緑さんは酒が飲めなかったので、その誘いを断った。

それに気分を悪くした猿股男は、緑さんを無理矢理捕まえると、酒樽の中に頭から突っ込んだ。一座のみんなは緑さんをバカにする歌を歌いながら、ゲラゲラ笑ってその様子をはやし立てた。

咳き込んでいた緑さんの顔の上へ、美人玉乗りのお花が尻もちをついた。酔っぱらったお花は、苦しそうにもがく緑さんの顔の上で、馬乗りの真似をした。

一人の軽業師が「まり投げをしよう」と言い出して、緑さんの眉間をついた。鞠のようによろける緑さんの額を、反対側にいたもう一人の軽業師がついた。

猿股男が「みんなかくし芸をしよう」と言って、命令的な口調で、最初の一人に緑さんを指名した。緑さんは奇術師の手品のモノマネをすることになった。相方に、酔っぱらった美人玉乗りのお花が名乗り出た。

準備された箱にお花が入ると、緑さんは一束の日本刀を、つぎつぎと箱に突き刺していった。お花の悲鳴は迫真の演技で、見物人たちは大喜びだった。

緑さんが最後の14本目の刀を刺すと、お花の息絶え絶えなうめきもやがて消え、辺りはしんと静まり返った。

息を飲むみなの前で、緑さんは青龍刀のような刀を取ると、箱の錠前を外して蓋を開き、人間の首を切るような、ゴリゴリという音を静寂に響かせた。

そしてテーブルの上に、お花の青ざめた生首が置かれた。はたしてテーブルの下に、お花の胴体はあるのだろうか? そのとき、首がお花の声で笑った。緑さんはお花の首を袖で隠して、そのまま黒幕のうしろへ入っていった。

緑さんのみごとな演技にみんなが湧いた。しかしあれは本当に演技か? お花の笑い声は腹話術ではなかったか?

しばらくしてサーカス小屋のテントが燃え出した。中からは酔っぱらったサーカス一座の笑い声が、狂気のようにはるか響いていた――。

テント近くの丘の上では、子供のような人影が、月光を浴びて踊っている。スイカに似た丸い何かをぶら下げながら。ときおり彼は、その丸い何かに喰いついた。そしてさも楽しげに踊り続けていた。

月光が、彼の唇から垂れる、丸いものから垂れる、濃厚な黒い液体を、はっきりと照らし出していた。

狐人的読書感想

踊る一寸法師-江戸川乱歩-狐人的読書感想-イメージ

怖いですね~、恐ろしいですね~、お酒を飲めない人に無理矢理お酒を飲ませるって(そこか?)。

大学生の新歓コンパや新入社員の歓迎会で、無理にお酒を勧める先輩や上司を彷彿とさせられてしまいますが、いまでもあるんですかねえ、こういうことって。

アルハラ(アルコール・ハラスメント)とかいうそうです。

急性アルコール中毒は命にかかわることもありますし、そのような問題が起これば大学や会社の社会的な評価も下がりますよね。

そんな亡くなり方をしては両親も友人も悲しむでしょうし、ヴァルハラにだっていけません。アルハラは絶対にいけません(……かなり無理があるかな?)。

……コン。

さて、それでは気を取り直して。

怖いですね~、恐ろしいですね~、集団によるいじめ(いや、そこか?)。

動物の世界でも人間の世界でも、他と違うものが排斥されるのは自然の摂理なのかもしれませんが、いじめはよくありませんよね。

いじめは、ある集団が結束を強めるために必要な、社会的機能だとも捉えることができるかもしれませんが、全体のための一人の犠牲とすれば聞こえがよくなるのかもしれませんが、絶対によくありませんよね。

たとえば野生動物の中で一匹だけ毛色の目立つものがあれば、そのもののために群れ全体が敵に狙われやすくなることもあるだろうし、感情を持った人間としては排斥されるその一匹をかわいそうにも思ってしまいますが、仕方のないことだとも感じてしまいます。

しかし人間のいじめの場合は、排斥したりされたりすることで、集団全体の命にかかわることはないわけですよね?

ブスだとかキモイだとか汚いだとかおもしろくないだとかつまらないだとかだとか――仲良しグループにその人を入れると集団としての価値が下がると考えるならば、ただその人をグループに入れなければいいだけであって、無視したり悪口をいったりいじめたりなんかはしなくてもいいわけですものね。

あるいはいじめは、人間にも残されている野生動物としての本能がさせるのかもしれませんが、そこは理性を持つ人間として、いじめはしないものでありたいと願います。

とはいえ、一人だとそれができても、集団だと難しい場合もあるんだよなあ、などと想像してみます。

いじめに加わらないと、つぎは自分が標的にされるかもしれない、と思えば、よくないとはわかっていても積極的に、消極的に、または傍観者として、いじめに加わってしまう場面は想像に難くないですよね。いわんやいじめをやめさせようとするなんて――という感じがします。

そもそも無理に学校に行く必要があるのだろうか、ということを考えてしまうことがあります。

義務教育って、親の義務であって、子供の義務ではないですよね。

いまやインターネットを使った通信教育でも勉強は充分なように思いますし、本人次第で会社に勤めない働き方だって選択できるはずです。

義務教育のうちは学校に行かなければならないみたいな風潮は、そろそろ失くしていってもいいように思うのですよね。

むろん、人間は決して一人で生きているわけではなくて、普段の生活の中にさまざまな人々の仕事があって生かされているわけですが、そのことはわざわざ学校に行かなくても、本などを読めば充分理解できると思えます。

いじめを苦にして命を絶つよりも、致命的に心を痛めてしまうよりも、もっと気軽にそういう選択のできる社会であってほしいと考えるのですが、どうでしょうね?

……コン。コンコホン。

さてさて、それでは気を取り直して。

怖いですね~、恐ろしいですね~、緑さん(ようやくそこか!)。

やられっぱなしでいいわけがなく、しかしやり返してしまうのもどうなのでしょうか、少年マンガとかだとそこから友情が芽生えて、みたいな展開も考えられるのですが、まあ、そうはいかないのがリアルな人生といった感じがします。

とはいえ、ここまでやってしまうのはまさに狂気のなせる業ですよね。

あらすじでは端折りましたがじつは作中、積極的にではないにせよ、いじめをやめさせようと声を上げた八字髭はちじひげの手品使いもいたのですが、もろともに焼かれてしまいましたね。

まあ、いじめられる側からすれば、いじめる者もそれをただ見ている者も、等しく同罪であると言いたくなる気持ちはわかりますが。

緑さんが手品を決めたとき、一座のみんなはそれをまだ手品だと思っていて、みごとな腕前を披露した緑さんを胴上げしようとする場面があるのですが、いままでどんなにつらく当たっていても、その人がひとつすごいことをやると途端に態度を一変させる群衆というのは、なんだかなあ、という気がします。

マンガの『NARUTO -ナルト-』とかもそれが感動的に描かれているのですが、どうしても違和感が拭いきれない場面なんですよねえ、……僕がひねくれ者だからでしょうか?

だけどひょっとして、最初はちょっとふざけているつもりが、いつしか本気のいじめになってしまった、みたいなことだったのかなあ、これは、――ということをふと思いました。

集団というものがときに個人を無感覚にしてしまうということはありえる話のような気がしてきます。

ラスト、タイトルのとおり『踊る一寸法師』と化した緑さんの姿はまさに鬼の、小鬼のようですよね。

鬼を生み出すのは人の心だと改めて実感したシーンでした。

自分が鬼にならないように、また人を鬼にさせないように、いじめや差別をしないように、あるいはそれらを止められるように生きていきたいと願う今日この頃ですが、自分がいじめや差別を止めることができるだなんて、僕には僕をとても信じられず、ならせめていじめや差別をしないようにだけでも生きていきたいと願う今日この頃ですが、しかしいじめられたり差別されたりする人にとっては、それも等しく同罪だと感じられてしまうんだろうなあ、などと思ってしまうも、やっぱりいじめや差別を止められるだけの勇気が自分にはなくて、だったら……(エンドレスぐるぐる思考モードに突入しました)。

読書感想まとめ

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アルハラよくない、いじめよくない。

狐人的読書メモ

江戸川乱歩の本名は平井太郎。「本名じゃ売れなかったかもね」みたいな意見がネット上にあって思わず頷いてしまいそうになったが、ペンネームってたしかに重要なのかもしれない。

プロスペル・メリメの小説『カルメン』(オペラ『カルメン』)について作中で言及されていた。ちょっと興味を持った。

・『踊る一寸法師/江戸川乱歩』の概要

1926年(大正15年)1月『新青年』にて初出。エドガー・アラン・ポーの『ちんば蛙』から着想を得て書かれた小説。僕はアルハラやいじめについて思った作品だった。すかっとする復讐劇とか、あるいは障害者視点で読むこともできるかもしれない。多様な視点から考えさせられる作品である。

以上、『踊る一寸法師/江戸川乱歩』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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