保久呂天皇/坂口安吾=厳たる暗黒世界。しかしそれもまた宇宙の全てなのだ。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

保久呂天皇-坂口安吾-イメージ

今回は『保久呂ほくろ天皇/坂口安吾』です。

文字数12000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約41分。

小さな保久呂村。保久呂天皇を自負する三人の男。
そこで起こった犯罪と争いの結末。

坂口安吾さんの天皇制の解釈。
ストロー効果。フランケンシュタインの恋。
しかしそれもまた宇宙の全て。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

全戸数11戸の保久呂村に三人の男がいた。

ひとりはリンゴ園の中平。村の一番高いところに住んでいてリンゴ園を経営している村一番の金持ち。

ひとりは保久呂湯の三吉。保久呂湯は村の一番低いところにある。村の共同湯であり、また食料品・日用品などの一切を商う村のデパートでもある。

ひとりはメートル法の久作。村のちょうど中間の位置に暮らし、シイタケの栽培に失敗して貧しい。異名の由来は彼がメートル法の導入に反対してきた経歴からついたものである。

この三人、それぞれに保久呂村の天皇を自負していて、非常に折り合いが悪かった。

中平は一番高いところに住む自分の家こそ天皇家だと主張し、三吉はそもそもの村の起こりが保久呂湯にあることを理由とし、久作は自分の家が村の中心にあることを密かに思っていた。

そんなある日、中平の家から大金の入った財布が盗まれる。

二連発銃を携えた中平が、連日戸別訪問して家宅捜査、村を出入りする者たちへの身体検査を行うも、財布・犯人ともに見つからず……。

中平は当然のように、仲の悪い三吉と久作を疑い始める。

三吉は中平の金を得れば村一番の金持ちになれる――しかしそれ以上にあやしいのは久作である。久作は事業に失敗して貧乏しているし、5年も前からかつてシイタケの山地であったところに妙な石室をつくったりしていた。石室は、貧乏な久作が保久呂村の天皇として名を残すためにつくり始めたミササギだったのだが、どうもこれがあやしい。

ひょっとしてあの石の壁の中に、オレの財布が塗り込められているのではなかろうか――中平は村の者たちを集めてこのことを伝え、村の者たちもこれに賛同する。久作は石室の中に立てこもる。

ある日、子供たちが中平に頼まれてミササギの山の土をくずし始めると、親たちが慌ててそれを止める。

「たたられるぞ! このバカ!」

タタリ。神のタタリ。天のタタリ。天皇のタタリ。

久作は、これこそが神の心、天皇の心であると得心する。

その後、断食によって動けなくなった久作は村の駐在所に運ばれて手当を受ける。その間に中平は、村の者たちに協力を仰ぎ、久作のミササギをくずしてしまう。そして、そこから財布は出てこなかった。

十日後、保久呂天皇は元の元気な姿になった。

村人たちはミササギを壊した罪悪感から、非常に丁重な態度でこれを迎えた。さながら本当の天皇に侍る人民たちのように。

久作は一言も口を利かなかった。村人たちの引くリヤカーに乗って家に帰ると、おもむろにノコギリを持って外へ出た。そして中平のリンゴ園に登り、リンゴの木を一本残らず伐り倒した。中平はガタガタ震えるほかにどうすることもできなかった。

それから十日かけて、久作はミササギをつくるのに使った石を全部谷に投げてしまった。地ならしをしてそこにカブの畑をつくった。カブをまき終わった晩のことである。久作は鎌で自らの腹を裂いて絶命した。山へ戻ってからその日まで、誰とも一言も話をしなかったという。

狐人的読書感想

保久呂天皇-坂口安吾-狐人的読書感想-イメージ

ふむ。ラストなんか怖っ!

これも三国志などに代表されるような、みつどもえの構図といえるのでしょうか。まあ、実際に対立していたのは、「中平と三吉」、「中平と久作」といった感じで、ことの中心にいるのはいつも中平で、しかし最終的にもっとも天皇らしいものになったのは久作で、結局何の損害も受けていないのは三吉だったりします。

この『保久呂天皇』という作品においては、著者(語り部)自身が「探偵小説的な興味と結末を期待されるとこまる」と言っているように、中平の財布もそれを盗んだとされる犯人もわからずじまいに終わってしまいますが、……ひょっとして三吉が漁夫の利を得たという形こそが、この物語の真の結末だったのではなかろうかとか想像してしまいます(あらすじでは端折りましたが、三吉が戦争で亡くなった中平の息子の嫁と通じていたあたりとか、いろいろと想像力をかきたてられてしまいます)。

ともあれ、厳然たる事実(結末)のみで読み解くならば、タイトルの『保久呂天皇』とは久作のことで、彼の最期に何らかの意味を見出すことができるのでしょうが、この意味を読み解くのが狐人的にちょっと難しいです。

権威というものは、タタリに対する畏れ、あるいは罪悪感などの後ろめたさ、または尊い血筋といったものがもたらす敬い――人の気持ちが礼やへりくだった態度として現れるもので、天皇というものは権威や敬いの象徴に過ぎず、(ある意味では)代替が可能な存在である。

――みたいなことを思いましたが、正直この解釈があっているのか否か、自信はまったくありません。あくまでもそんなことを言っているように感じたというレベル。

坂口安吾さんには『天皇小論』という随筆があって、天皇制については独自の意見をお持ちだったようですね。これを読めば、『保久呂天皇』についての理解もより深まるのかもしれません。今度ぜひ読んでみたいと思いました。

以下、今回の読書中に気になったところを書き綴っておきます。

交通機関の発達はそれに捨てられたものを忘れさせてしまうもので、……

――ストロー効果を思いました。これは、「ストロー」(交通網)の発達によって、「口」(駅やインターのある都市)が発展し、「コップ」(口となる都市の周辺地域)が衰退する現象です。新しい新幹線の路線が開通するときなどに、ニュースで取り上げられることがあります。

「石の牢屋へ入れてくれるぞ。この山には千年も前に鬼のつくった石の牢屋があるのだぞ。泣いても、どこにも泣き声がきこえんわ」

――この山に、千年前に鬼のつくった石の牢屋がある……。なんとなく印象に残りました。あるいは創作のモチーフになるだろうか?

七ツの子供の言葉の背後に控える厳たる暗黒世界の実在が彼の脳天をうったのである。

――厳たる暗黒世界の実在。上と同じくどこか印象に残るフレーズ。

彼らはその城に閉じこもる限り安全で、よその出来事に対しては「知らない」という完璧で絶対的な表現があった。

――これはひとつの真言だと、狐人は常々思っています。昔からこればっかりですよね、政治家の発言って(というブラックジョーク)。

しかし、いろいろのことが残った。その第一は中平がフランケンシュタイン化したこと。

――どうした中平(笑)。とはいえフランケンシュタインもまた創作のモチーフとして興味深いです。『フランケンシュタインの恋』!

我々は感じる動物にすぎないのだということを、この場合に特に思うのである。

――僕もそう思う(それだけだ!)。

進歩的人物にふさわしくないことであるが、計算に余分の手間がかかるだけだとフンガイしてメートル法の村内侵入に反対した。

――なんというか、年をとってくると新しいものごとを受け入れられなくなってくる、みたいなことを思いました。ただしこれ、若者でも往々にしてあることなんじゃないかなあとも思うわけです。なじみのあるものというのはもう自分の一部みたいになっていて、いきなりそれを変えようとか言われてしまうとなんとなく反発心を起こしてしまうことがあります。家庭とか学校とか仕事とか。いつも使っている日用品が変わっていたり、いつも行う習慣やルーチンが変わったり。古き良きものというものもあるので、一概にはいえないかもしれませんが、だいたいは新しいものごとのほうがいいことが多いように、狐人的には思うので、なにごとも反発せずに受け入れていく心を持ちたいところなのですが(はたして……)。

むかしから人々はその名を残すために多くのことをした先例はあった。

――今度はそう思わなかった部分です。有名になりたいというのは、ひとの当たり前の感情なのだと、理屈ではわかるのですが、実感しにくいところがあるのですよねえ……、テレビとかSNSとかを見るに、やはり「できることなら有名になりたい」というひとのほうが多数派なのでしょうか? ちょっと統計をとってみたいところです。

彼の所属する宇宙とは全戸数十一戸の部落である。しかしそれもまた宇宙の全てなのだ。

――「一は全、全は一」(ハガレン)的な意味を見出しました。あるいは小さな宇宙にこだわって、そこに囚われてしまってはならない、というような教えも。これも家庭とか学校とか会社とか。井の中の蛙ではいけない。でも狭くたってひとつの世界には違いなく、そこを蔑ろにしてはいけない。だけど地球の重力に魂を引かれてはいけない。(ごちゃごちゃ)。

金持が辛抱づよくなるのは中平自身の心境にてらしてもよく分るが、貧乏人が辛抱づよいというのはすでに不穏のシルシである。赤穂四十七士のように不穏のタクラミがある時にかぎって貧乏人がジッと我慢するものだ。久作は堀部安兵衛よりも怒りッぽいガサツ者で生れた時から一生怒り通してきたような奴であるのに、あの時にかぎってジッとこらえたのがフシギ千万ではないか。水爆を無事まぬかれて生き残っても奴のようにスカンピンでは生き残ったカイがないから、奴が山の製造に着手した時には同時にシマの財布を盗む計画であったに相違なく、そのタクラミは大石内蔵之助のように深かかったのである。

――長い引用ですが。中平が久作に疑いを抱いている場面です。暴論のようにも感じてしまいますが、赤穂浪士を引き合いに出してくるあたり妙な説得力もあっておもしろいです。「その企みは大石内蔵之助のように深かかったのである」というフレーズがお気に入り。

読書感想まとめ

保久呂天皇-坂口安吾-読書感想まとめ-イメージ

実際の天皇制について、何らかの意味を含んでいるようにも思えるのだけれど、僕にはその解釈が難しかったです。

狐人的読書メモ

しかしながら本当に犯人は誰だったのだろう?

・『保久呂天皇/坂口安吾』の概要

1954年(昭和29年)『群像』にて初出。はたして犯人は誰なのか、議論してみてもおもしろいかもしれない。

以上、『保久呂天皇/坂口安吾』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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