狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『二老人/国木田独歩』です。
国木田独歩さんの『二老人』は文字数7000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約19分。
国木田独歩さんの絶筆。二老人の対比。
高齢者雇用と増加する単身世帯。
人生を裂いてお金を得るジレンマ。
2035年ソロモンの時代がやってくる。
100年前に日本の暗い未来は予言されていた?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
かつて一年だけ同僚だった石井老人と河田老人が公園のベンチで偶然再会する。ある二老人の対比。
石井老人は一年前にある官職を定年退職して年金を受け取る身分になった。妻と20歳と18歳の娘がふたりの4人家族。さして貯金があるわけでもないので、年金だけで暮らしていくのは難しいというのが一般的な見方だ。しかし石井老人は年金をもらう歳になってまで働きたくなかった。隠居仕事をすればいくらか贅沢ができるかもしれない。だけど人間の欲には限りがない。そのために雨の日も風の日も、若者の中にまじってよぼよぼ仕事に通わねばならないかと考えると――おお嫌なことだ。そんなわけで石井老人は甥の忠告も聞かず、公園でひなたぼっこしたり奥さんと碁を打ったりして暮らした。
河田老人は30歳のとき、恩人の無理な勧めに逆らえず、とある家の娘婿として養子に入った。しかし妻のDVに耐えられず、息子を連れて家を飛び出した。息子は姉に預け、それ以後再婚せず独身者のまま、とうとう60歳になった。そんな事情もあって近しい身寄りもない。最近ある婦人会の集金係として働いていたが、集金した金を使い込んでしまった。いまその金策に苦渋している。
狐人的読書感想
まさに少子高齢化、ソロ社会化の進む現代日本の現状を予言するかのごとく示している小説です。『二老人』は国木田独歩さんの絶筆となった作品で初出は1908年(明治41年)。なので、100年以上前の日本の状況が描かれていると思えば、感慨深いものがあります。少子高齢化社会、ソロ社会の予言というよりは、100年以上前からそれらの兆しがあった、と見るべきなのでしょう。
石井老人と河田老人を描くことによって示されている事柄は、高齢者雇用や独居老人といったもののように見えますが、現代では老人に限らず、若年層を含めたもっと広い世代に通用する話だと思います。
恋をするにも子どもと過ごすにもお金が必要
まずは石井老人の、無為主義と記される主張ですが。
働きたくない、というのは万人が共感できる意見なのではないでしょうか。年金をもらう歳になってまで――となれば尚更ですよね。
『若い者の中にまじってよぼよぼと通わなければならぬ。オヽいやな事だ!』という部分はちょっと笑ってしまうと同時に「その通りだろうなあ」と同調してしまいます。
健康寿命が延びて、少子高齢化の問題もあって、定年年齢がさらに65歳から70歳に引き上げられることが確実視されている昨今、石井老人の意見には思わされるところがあります。誰だって「よぼよぼ」になってまで働きたくはないですよね。家にいても暇だし、健康維持のためにも働きに出たい、といったご意見もあるでしょうが。
石井老人の件を読んでいて、ふと思い起こしたのは、ホセ・ムヒカさんです。ホセ・ムヒカさんはウルグアイの第40代大統領で、現在の消費主義社会に対する伝説的なスピーチを、2012年のリオ会議でなさいました。「世界で一番貧しい大統領」として有名な方です。以下この方のコメントの一部ですがご紹介させていただきます。
『人は物を買う時は、お金で買っていないのです。そのお金を貯めるための人生の裂いた時間で買っているのですよ』
『若い人には恋する時間が必要。子どもが生まれれば、子どもと過ごす時間が必要。働いてできることは、請求書の金額を払うことだけ。職場と家の往復をするだけに時間を使っていると、いつの間にか老人になってしまうよ』
資本主義社会に生きる人間は「時間を売ってお金を得ている」ということ。また「恋をするにも子どもと過ごすにも時間が必要」ということ。これらはとくに若者世代が、誰しも共感させられるお話のように思います。
――とはいえ「恋をするにも子どもと過ごすにもお金が必要」と言い換えられるわけで、ジレンマを感じずにはいられないお話でもあります。
お金があれば恋もできるし子どもと過ごせる。お金がないから恋もできず子どもと過ごせない。だから少子高齢化は進み定年年齢も引き上げられる。終身雇用神話は崩壊し、退職金はいわずもがな年金さえもらえるかどうかもわからない。独居老人はますます増える……、ということでつぎは河田老人のお話です。
2035年ソロモンの時代がやってくる
本人の性質によるところもありますが、河田老人の境遇については、環境によるところも大であると語られています。河田老人の置かれた環境とは、30歳のころから近しい身内がいないことを指しています。
人がもし壮年の時から老人の時まで、純然たる独身生活すなわち親子兄弟の関係からも離れてただ一人、今の社会に住むなら並み大抵の人は河田翁と同様の運命に陥りはせまいか、老いてますます富みかつ栄えるものだろうか。
狐人的に思わされるところのある部分でした。
河田老人は高齢者の単身世帯ということになりますが、2035年には「人口の半分が独身」の時代が訪れるといいます。これを「ソロモン(「単身」=「ソロ」、「者」=「モン」)の時代」と言い表している記事があって、ちょっとおもしろかったのですが、おもしろがってばかりもいられない内容でした。
ただ、ネットを見ていて、実際に現在高齢者一歩手前の方の意見として、「絶対に一人で暮らしたい」というものも見ました。事実熟年離婚は増えていて、このような意見の方は意外と多いのかもしれません。若者だって「絶食系」に代表されるように、パートナーを求めていない傾向が見られ、人々の孤人化(僕からいわせると狐人化)というのは、世代を問わず着々と進行している印象を受けます。
そんなわけで、『二老人』を読んでいて感じたのは「暗い日本の未来」でした。60歳独身で、集金のお金を使い込んじゃって、すれ違った巡査にびくびくしなくちゃいけない河田老人はいわずもがな、公園のベンチでひなたぼっこ、決して裕福ではありませんが、奥さんと仲良く碁を打ったりして悠々自適に暮らしている石井老人の姿からも、どうしても明るい老後というものを想像し得ません。
どうしたらいいの? ――といった感じです。
怖いから考えたくないのだけれど、怖いからこそ考えてしまい、考えてもどうにもならないから放っておいて、放っておいたから悲惨な未来が待っているのかと思うと……。
なんだか暗い読書感想になってしまいました。
読書感想まとめ
100年以上前に示されていた日本の暗い未来。
狐人的読書メモ
……はあ(ため息)。
・『二老人/国木田独歩』の概要
1908年(明治41年)1月『文章世界』にて初出。著者の絶筆となった作品。自然主義文学。二老人の対比。
以上、『二老人/国木田独歩』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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