狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『星の銀貨/グリム童話』です。
グリム童話『星の銀貨』は文字数1100字ほどの童話です。
『星の金貨』というドラマが有名みたいですね。
このブログで読めます。250字ほどのあらすじもあるのでお好きな方を(できれば両方読んでほしい)。
自分が苦しいときでもひとにやさしく……、こんな子とはたして仲良くなれるだろうか……、精神的な幸福が物質的な幸福を与えてくれる……?
――いろいろと考えさせられてしまう作品でした。
女の子のような(?)素直な心と、女の子のように(?)素直な心をかなぐり捨てて読んだ、ひねくれものの僕の感想。
『フルーツバスケット』『ドラえもん』『ブラック・ラグーン』
――はたしてあなたはこの話題についてこられるか!?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
貧乏な上天涯孤独、心の素直な、信仰心の篤い一人の小さな女の子が、出会った人たちに乞われるまま、自分の持ち物を一つずつ与えていく。
空腹の男にはひとかけのパンを。凍える子供には頭巾を。上着を、スカートを、肌着を……。
何もかも失くした女の子の頭上から星がばらばら降ってくる。いつの間にか、女の子は新しい肌着を身に着けていて、星は銀貨となった。
(短く、パブリックドメイン――となれば読んでもらったほうがいい! ということで興味を引かれた方はどうぞ)
『星の銀貨-DIE STERNTALER-/グリム童話』
むかし、むかし、小さい女の子がありました。この子には、おとうさんもおかあさんもありませんでした。たいへんびんぼうでしたから、しまいには、もう住むにもへやはないし、もうねるにも寝床がないようになって、とうとうおしまいには、からだにつけたもののほかは、手にもったパンひとかけきりで、それもなさけぶかい人がめぐんでくれたものでした。
でも、この子は、心のすなおな、信心のあつい子でありました。それでも、こんなにして世の中からまるで見すてられてしまっているので、この子は、やさしい神さまのお力にだけすがって、ひとりぼっち、野原の上をあるいて行きました。すると、そこへ、びんぼうらしい男が出て来て、
「ねえ、なにかたべるものをおくれ。おなかがすいてたまらないよ。」と、いいました。
女の子は、もっていたパンひとかけのこらず、その男にやってしまいました。そして、
「どうぞ神さまのおめぐみのありますように。」と、いのってやって、またあるきだしました。すると、こんどは、こどもがひとり泣きながらやって来て、
「あたい、あたまがさむくて、こおりそうなの。なにかかぶるものちょうだい。」と、いいました。
そこで、女の子は、かぶっていたずきんをぬいで、子どもにやりました。
それから、女の子がまたすこし行くと、こんど出て来たこどもは、着物一枚着ずにふるえていました。そこで、じぶんの上着をぬいで着せてやりました。それからまたすこし行くと、こんど出てきたこどもは、スカートがほしいというので、女の子はそれもぬいで、やりました。
そのうち、女の子はある森にたどり着きました。もうくらくなっていましたが、また、もうひとりこどもが出て来て、肌着をねだりました。あくまで心のすなおな女の子は、(もうまっくらになっているからだれにもみられやしないでしょう。いいわ、肌着もぬいであげることにしましょう。)と、おもって、とうとう肌着までぬいで、やってしまいました。
さて、それまでしてやって、それこそ、ないといって、きれいさっぱりなくなってしまったとき、たちまち、たかい空の上から、お星さまがばらばらおちて来ました。しかも、それがまったくの、ちかちかと白銀色をした、ターレル銀貨でありました。そのうえ、ついいましがた、肌着をぬいでやってしまったばかりなのに、女の子は、いつのまにか新しい肌着をきていて、しかもそれは、この上なくしなやかな麻の肌着でありました。
女の子は、銀貨をひろいあつめて、それで一しょうゆたかにくらしました。
狐人的読書感想
さて、いかがでしたでしょうか。
言われるまでもなく、キリスト教的な隣人愛、見返りを求めない利他行動が描かれている物語だと、読み解けるわけなのですが……。
『星の銀貨』の女の子のような(?)素直な心で読む
女の子のような(?)素直な心で読むならば、とても素晴らしく、「星降る夜空と女の子」の情景が、鮮やかに浮かび上がってくるような、美しいお話です。
「自分が苦しく辛いときでもひとにやさしく」というのは、本当にそのとおりだと思うのですが、「言うは易く行うは難し」で、なかなか実行に移すことができません。
自分もお腹が空いているときに、人に食べ物を分けてあげられるだろうか。イライラしているときに、人を思いやることができるだろうか。
……想像しただけでも、僕には難しく思うのですが、いかがでしょうか?
自分がお金持ちで、お腹もいっぱいで、気分も爽快で――満たされていればこそ、ひとにもやさしくできる、というのが、現実的な隣人愛、なのではないでしょうか。
女の子の在り方は、とても尊いものであって、人間の理想像ともいえる姿だと思うのですが、やはり空想だからこそ、実現可能な姿である、という思いが、どうしても拭い切れません(素直な心はどこへ……)。
とはいえ、常に胸のうちに留めておきたい作品だと思いました。
女の子のように(?)素直な心をかなぐり捨てて読む
さて、ここからは、女の子のように(?)素直な心をかなぐり捨てて(そもそもそんなものは持っていない?)、人の皮を被った狐の本性を現した(?)、ひねくれものの僕本来の感想になるわけなのですが(はたしてついてきてもらえるだろうか……)。
この女の子、ちょっと友達にはなれないタイプ、のように、僕は感じたのですが。
聖人っぷりが僕には眩しすぎる、というのもありますし、おそらく友達だったならば、この女の子のためにいろいろ世話を焼いてあげたくなると思うのですが――たとえば、自分が女の子のためにあげた物を、すぐ別の人にあげてしまったら、それが何度も何度も続いたら、……さすがにいい気がせず、いずれ愛想を尽かしてしまうように思います。それでも友達でい続けるのが、真の友情というものなのかもしれませんが、想像してみるだけで、相当難しそうに思います。
そもそも、「人間」としては立派なのかもしれませんが、「生物」としてはどうなの? ――といった疑問が浮かび上がってくるのを、どうにも止められないわけなのですが。
『星の銀貨』の女の子は、幸運にも一生豊かに暮らすことができましたが、もしも不幸な結末に終わったとしたら、親はそのことを喜ぶのか、悲しむのか――女の子の在り方を見るに、熱心なキリスト教信者だったと考えられるので、娘の信仰心篤い生き方を喜ぶのかもしれませんが、それがはたして正しいのかと問われると……。
神様は、精神的な幸福を与えてくれるかもしれませんが、物質的な幸福を与えてはくれないと、正直僕は考えています。しかし、精神的な幸福があるからこそ、物質的な幸福を手に入れることができる、ともいわれているわけで、では空から銀貨が降ってくる『星の銀貨』の結末は、そのことを寓意として含んだ物語なのかもしれません。
3人の女の子の『星の銀貨』の物語を想像して読む
ところで。
もしも、『星の銀貨』のお話を知っていた別の女の子がいたとして、『星の銀貨』の女の子同様に天涯孤独な上貧乏になってしまい、『星の銀貨』の女の子と同じく人々に自分の持ち物をすべて差し出して、銀貨を得て一生豊かに暮らしたとしたら、どうでしょうか?
この二人目の女の子は、銀貨を得られる(あるいはその可能性のある)方法を知っていて、それを実践に移してそのとおり銀貨を得たわけで、これは経済的な教訓を含んだ現実的な物語だとはいえないでしょうか?
さらに。
もしも、『星の銀貨』のお話を知っていた三人目の女の子がいたとして、『星の銀貨』の女の子同様に天涯孤独な上貧乏になってしまいますが、「たとえどうなったとしても自分のことは自分でなんとかするべきだ」という覚悟を持って、人々に自分の持ち物を与えず、ゆえに銀貨を得ることができず、悲惨な末路を辿ったとしたら、『星の銀貨』とは真逆の、反面教師的な因果応報の物語として捉えることができるでしょうか?
そして。
もしも、『星の銀貨』の女の子、二人目、三人目――と、結局全員に銀貨が降ってこなかったら、どうでしょうか? 信仰心の熱い『星の銀貨』の女の子は「報われない善行」に絶望するかもしれないし、二人目の女の子は「話が違う」と嘆くかもしれないし、三人目の女の子は「ただ自分の運命を受け入れて生きただけだから結末は関係ない」と自分の生き方を誇るかもしれません。
そうなってくると、誰の生き方が良い生き方なのか――また違った視点で考えさせられます。
『フルバ』『ドラえもん』『ブラック・ラグーン』を読む?
グリム童話は、いろいろな作品でモチーフになっていたり、取り上げられていたりしますが、『星の銀貨』もその例外ではありません。
日本では『星の金貨』というドラマが有名みたいですね(それと『星の金貨』というリンゴの品種があるそうです)。『フルーツバスケット』という漫画では、『星の銀貨』をモチーフにしたと思われる「世界で一番バカな旅人」という寓話が出てきます。
『ドラえもん』でも『星の銀貨』を取り上げているお話があります(「オート・アクションプロンプター」と「脚本カセット」の回です)。クラス会で劇をすることになったのび太くんたちのために、ドラえもんが前述のひみつ道具を出してくれます。これは台本を覚えなくても役を演じられるといった例のごとく便利な道具で、特定人物の理解度に合わせて自動で作品を選定してくれるのですが、のび太くんを選定基準にすると――『人魚姫』、『裸の王様』、『星の銀貨』と、なぜかしずかちゃんが……(いわずもがな)な展開のお話ばかり、といったお話で、とてもおもしろいです。
直接的に関連しないのですが、僕が『星の銀貨』を読んで真っ先に思い浮かべた漫画は、なぜか『BLACK LAGOON』(ブラック・ラグーン)でした。そう(?)、ヘンゼルとグレーテル(ここからグリム童話連想というあとづけはできそうですが、『星の銀貨』からの連想)です。
奪われて、絞られて、貪られて……、ベニーがロックに言った言葉が胸に残ります。
『星の銀貨』のような与え尽くすお話とは真逆の、奪われ尽くすお話でしたが、隣人愛や相互扶助の大切さを思わずにはいられませんでした。
「誰かが、ほんの少し優しければ……」
『星の銀貨』の女の子が示した利他行動は、行き過ぎだと狐人的には思いましたが、それでも、自分にできうるかぎりの隣人愛は、持たなければならないなあ、と改めて考えさせられた作品でした。
読書感想まとめ
女の子のような(?)素直な心で読んだ感想は、素晴らしく、美しい物語。女の子のように(?)素直な心をかなぐり捨てて読んだ感想は、ちょっと友達にはなれないタイプ。精神的な幸福が物質的な幸福を与えてくれる――とはいえ、三人の女の子の物語を想像してみると、また違った視点から考えさせられます。『星の金貨』『フルーツバスケット』『ドラえもん』『ブラック・ラグーン』――自分にできうるかぎりの隣人愛を持とう!
狐人的読書メモ
いまさらですが童話は深い。あなどりがたし。
・『星の銀貨/グリム童話』の概要
KHM 153。初版では『貧しい女の子』というタイトルだった。キリスト教的な隣人愛、見返りを求めない利他行動が描かれている。初版からほぼ内容が変わっていない、それだけに完成された童話といえる。
以上、『星の銀貨/グリム童話』の読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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