狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『里の春、山の春/新美南吉』です。
文字1000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約2分。
春の訪れと仔鹿の愛らしさを楽しむ童話。のはずが。インスタ映えのために桜の枝を折ったり。ペットに服を着せたりする話に。自分の信じたことを、自分の責任と覚悟でやるって話に。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
(今回は全文です)
『里の春、山の春/新美南吉』
野原にはもう春がきていました。
桜がさき、小鳥はないておりました。
けれども、山にはまだ春はきていませんでした。
山のいただきには、雪も白くのこっていました。
山のおくには、おやこの鹿がすんでいました。
坊やの鹿は、生まれてまだ一年にならないので、春とはどんなものか知りませんでした。
「お父ちゃん、春ってどんなもの。」
「春には花がさくのさ。」
「お母ちゃん、花ってどんなもの。」
「花ってね、きれいなものよ。」
「ふウん。」
けれど、坊やの鹿は、花をみたこともないので、花とはどんなものだか、春とはどんなものだか、よくわかりませんでした。
ある日、坊やの鹿はひとりで山のなかを遊んで歩きまわりました。
すると、とおくのほうから、
「ぼオん。」
とやわらかな音が聞こえてきました。
「なんの音だろう。」
するとまた、
「ぼオん。」
坊やの鹿は、ぴんと耳をたててきいていました。やがて、その音にさそわれて、どんどん山をおりてゆきました。
山の下には野原がひろがっていました。野原には桜の花がさいていて、よいかおりがしていました。
いっぽんの桜の木の根かたに、やさしいおじいさんがいました。
仔鹿をみるとおじいさんは、桜をひとえだ折って、その小さい角にむすびつけてやりました。
「さア、かんざしをあげたから、日のくれないうちに山へおかえり。」
仔鹿はよろこんで山にかえりました。
坊やの鹿からはなしをきくと、お父さん鹿とお母さん鹿は口をそろえて、
「ぼオんという音はお寺のかねだよ。」
「おまえの角についているのが花だよ。」
「その花がいっぱいさいていて、きもちのよいにおいのしていたところが、春だったのさ。」
とおしえてやりました。
それからしばらくすると、山のおくへも春がやってきて、いろんな花はさきはじめました。
狐人的読書感想
春の訪れを感じられる、かわいらしいお話でした。とはいえ、なぜかうがった読み方をしてしまいましたね、今回は(今回も?)。単純に「桜の春いいね、仔鹿かわいいね」でいいはずなんですが……一応、書き残しておきます。
やっぱり人間のエゴが感じられる気がしてしまうんです。やさしいおじいさんが桜の枝を折って、仔鹿の小さな角に結びつけてやったって。「枝折っちゃダメじゃない」って、思っちゃうんですよね。
近年はインスタ映えを狙って、桜の枝を折って花冠にして身に着けて、それを投稿する人に「ひどい」とか「犯罪じゃない?」とか非難があったりするみたいです。
『桜切るバカ、梅切らぬバカ』ということわざがあるそうで、桜は折れた場所から腐敗する場合があって、やっぱりあんまりよろしくはないみたいです。
マナー的にも法的にも問題がある行為なので、悪気はなかったとしてもやめましょう、って感じなんですが。童話にそんなツッコミを入れるのも無粋だとはわかっているんですが。
仔鹿の角に「さあ、かんざしだよ」って、折った桜の枝を結びつけるのも、どうなんでしょうね?
話変わっちゃうかもしれませんが、「ペットに服を着せるのはかわいそう」みたいな意見があったりします。
自然の姿を歪められているように感じて、僕なんかもついついそう思っちゃうのですが、体温調整とか紫外線対策とか他人の服に毛をつけないためのマナー的な対処だとか、「かわいいから」だけではない理由があるんだそうです。
「嫌がるペットには絶対服は着せないし、ペットを思っての行為なんだ」という意見には一定の説得力が感じられて、「エゴじゃなくてペットのためを思っての愛情なんだ」と言われてしまえば、たしかにそうなのかもって思っちゃいます。
桜の枝にしても、仔鹿のかんざしにしても、他人がとやかく言う話ではないのかもしれませんね。人間の行動なんてほとんどエゴで残酷なものですし。多かれ少なかれ誰でもやっていることなので、他人の一つの行動を取り上げて非難するのは本来間違っているのかも、とか感じました。
自分の責任で、覚悟を持って行動しているならば、それでいいのかな、って思いました。
とはいえ、なんか言いたくなっちゃうのもまた人間なのですが……。
単純に春と仔鹿の愛らしさを楽しむ童話かと思いきや、けっこう深いお話なのか(そんなわけないか?)、と思った、今回の狐人的読書感想でした。
読書感想まとめ
桜切るバカ? ペットに服着せるバカ?
狐人的読書メモ
・とはいえ、人間のように服を着る生物はいない。何かをまとって身を守ろうとする生物はいない。首輪や服を着せることで、基本動物はおとなしくなる。それは拘束感を感じているからだという。
・慣れるといっても、慣れるということは、基本「嫌なことに慣れる」というわけであって、べつに「好きになる」わけではないのだろう。
・まあ、飼うということ自体、人間のエゴなんだから、服がどうのこうのっていうのは、今更感否めないかもしれない。
・『里の春、山の春/新美南吉』の概要
1948年(昭和23年)『きつねの おつかい』(福地書店)にて初出。桜の春と愛らしい仔鹿とやさしいおじいさんと人間のエゴ。
以上、『里の春、山の春/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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