狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『どろぼう猫/夢野久作』です。
文字1400字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約4分。
泥棒猫しても怒らにゃいで。愛情とかわからにゃい。広いなわばりで遊べて食っちゃ寝できればこともにゃい。そんな妾で勝手に癒されにゃ。ごはんはA5ランクにゃ。ウィンウィンにゃ。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
飼い猫のブチ子は泥棒猫である。猫なで声で家の人に可愛がられているが、高慢である。同じ飼い犬の赤太郎をいつも小ばかにしている。
この家では台所から食べ物がチョイチョイなくなる。奥さんは女中さんを犯人だと疑って怒る。女中さんは泣いている。犯人はあの泥棒猫に違いないのに……赤太郎は女中さんをかわいそうに思う。
ついに赤太郎はブチ子の犯行現場を押さえる。赤太郎はブチ子の命を奪う。女中さんの疑いは晴れ、赤太郎はご褒美をもらい、めでたしめでたし。
狐人的読書感想
勧善懲悪ものですね。教訓は「高慢になってはいけない」「都合のいい人ばかりに媚びへつらってはいけない」といった感じでしょうか。前者はともあれ、後者は処世術として一概にはいえないかもしれませんが。
泥棒猫、ブチ子。退治される悪い猫。猫好き、猫派には悲しいお話かもしれません。思えば「泥棒猫、どら猫、ネコババ(猫糞)……」って、猫にまつわる悪い言葉ってけっこうありますね。
(とはいえ、犬も「負け犬、かませ犬、犬畜生」とかありますか)
泥棒猫は、猫が人の食べ物をかっさらっていく様子からいわれるようになりました。
ドラ猫は、中国の楽器「銅鑼」からきていて「銅鑼をつく=金が尽きる」の連想から「働かないろくでなしの息子=どら息子」となり「人の物を盗むろくでなしの猫=どら猫」と転化したそうです。
(サザエさんの歌は「野良猫」じゃなくて「どら猫」、ドラえもんの「ドラ」は「どら猫」の「どら」)
ネコババ(猫糞)は、読んで字のごとく「猫が糞を砂で隠すしぐさ」が「拾った物や悪事をこっそり隠すしぐさ」に似ていることが、その由来なのだとか。
調べてみるとけっこうおもしろいですね。
さて、「命を奪うのはやりすぎ」とか「猫派には納得できない」とか、いろいろ意見はありそうですが、「悪いことをした者がその報いを受ける」という結果自体に、文句はつけにくい気がしました。
しかし、ふと、「これってペットの猫には当てはまらないんだろうか?」という疑問も持ちます。
ペットの猫って、結局人間の都合で飼われているわけだから、人間の都合である以上、泥棒猫されても文句を言っちゃいけないのかな……みたいな。
とはいえ、飼い主である人間の方が絶対的上位者なのだから、猫は何をされても、どんなことでも言うこと聞かなきゃいけないのかな……それも自然の摂理だって気はします。
飼い猫は幸せなのか? 飼い主が幸せなら猫も幸せと感じているのか? じゃあ、放し飼い、室内飼い、ケージ飼い……他人からは明らかにかわいそうに見えても、その飼い主が幸せなら猫は幸せ? そもそも動物と人間の感情機構って同じなのか? 猫が幸せとか幸せじゃないとか考えるのがナンセンスなのか? 結局人間のエゴでしかないのか……。
猫は幸せだと信じて猫を飼う。猫は不幸だと信じて猫を飼うのを批判する。
人間は自分の信じたことをするしかないし、しないしかないって話?
とか思った、今回の狐人的読書感想でした。
読書感想まとめ
飼われてあげてるんだから、いいよね?
狐人的読書メモ
・飼うはエゴ、ペット飼っていいのは金持ちだけ、広大な敷地で自由に遊び回れて食っちゃ寝できれば動物はこともなし、その代償に人間は動物に癒しを提供してもらう、愛情はエゴ、ウィンウィン、ギブアンドテイク、でもそれだけじゃ寂しいもエゴ――ペット論争はいろいろ考えさせられる。
・猫はかわいい。飼いたい。だけど飼えない。と考える。
・泥棒猫を裁くのが同じ立場の飼い犬である点も興味深い。
・『どろぼう猫/夢野久作』の概要
1922年(大正11年)『九州日報』にて初出。九州日報シリーズ。初出時の署名「海若藍平」。泥棒猫の末路……。
以上、『どろぼう猫/夢野久作』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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