狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『マグノリアの木/宮沢賢治』です。
文字4000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約11分。
人生は霧深い険しい山谷。ふと平らなところに立つ。険しい山谷があったからここは平らなんだと気づく。苦しい人生があって辿り着く安らぎ。それが悟り。涅槃寂静。たぶん。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
諒安は、霧の深い険しい山谷を一人、渡って行った。
(これがお前の世界なのだよ、……)
誰かの、あるいは自身の声が、何度も聞こえていた。
やがて平らな枯草の頂上へやってきた。霧が晴れ、諒安が渡って来た方を眺めると、険しい山谷の刻みに、マグノリアの木の花が咲いていた。
すぐ向こうの木の下に二人の子供が立っていた。
「サンタ、マグノリア、……」
「セント、マグノリア、……」
とそれぞれ歌っていた。
先の不思議な声はこの子たちか……?
「マグノリアの木は寂静印です。ここはどこですか」
諒安は静かに進んで聞いた。
「そうです、マグノリアの木は寂静印です」
答えたのは不意に現れた人だった。子供たちと同じ装いをしていた。霧の中の声はその人だった。その人は「険しさに対する平らさ」「覚者の善」について諒安に語った。
諒安とその人と二人の子供はまた恭しく礼をした。
狐人的読書感想
「人生山あり谷あり」ってことですかね。「霧が深い険しい山谷はまさに人生である」って感じがします。
どこか仏教的な雰囲気が感じられる作品ですが、「涅槃寂静」ということを表しているみたいです。
涅槃寂静は「煩悩の消えた悟りの世界(涅槃)=静かな安らぎの境地(寂静)」ということらしいです。
また、涅槃寂静はSI接頭辞(「ミリ=10のマイナス3乗」など)の最小単位ヨクト(=10のマイナス24乗)の漢数字表記だそうです。
寂静印(涅槃寂静印)というのは「悟り」を示しているようです。
渡って来た霧が深い険しい山谷の刻みにはいちめんまっ白にマグノリアの木の花(寂静印)が咲いていた、ということは、「人生には悟りを開く機会がたくさんある」ってことなんですかねぇ……むずかしいですね。
「煩悩を消して悟りを開く」って「諦めること」に通じている気がしてしまうんですけれども、きっとそうではないんでしょうね……むずかしいです。
マグノリアは木蓮のことだそうで、花言葉は「自然への愛」「崇高」「持続性」などが挙げられます。
木蓮――蓮は仏教にかかわりが深い高貴な花で、木に花をつける木蓮は「天国に咲く蓮の花」ともいわれています。
諒安とその人が「平らな場所も険しい山谷があるから平らなんだ」みたいな話をしていますが、それも悟りを開くための考え方のひとつなのかなって気がします。
険しい山谷を知らなければ平らな場所もわかりません。しかし、険しい山谷を知ってなお、全ての場所が平らなのだと知ることが悟りなんですかね。
そんなことできるか! って。
とにかくむずかしく感じます。
「人生山あり谷あり」とか「悟りを開く」だとか、何も考えずにマグノリアの木(植物)のように生きられたら、たぶん楽なんじゃないかなって、なんとなく思った、今回の狐人的読書感想でした。
読書感想まとめ
人生山あり谷ありと悟り……?
狐人的読書メモ
・とはいえ、近年の研究には「木には知能や記憶、感情があるのではないか?」というものがあったりもする。
・その場合、脳だけではなくて細胞が記憶を貯蔵して、感情を発露しているなんてことがあり得るんだろうか?
・どんな生命も苦痛を感じずに生きることはできないのか、とか考えれば、まさにこの世は地獄であるとか、思わないわけにはいかないとか。
・『マグノリアの木/宮沢賢治』の概要
涅槃寂静という仏教観?
以上、『マグノリアの木/宮沢賢治』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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