狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『空を飛ぶパラソル/夢野久作』です。
文字数22000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約59分。
私はスクープのため、女性が汽車の前に飛び出すのを、ただ黙って眺めていた。私はスクープのため、その報道で、間接的に人の命を奪ってしまった。私はスクープで人を不幸にした……
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
・その一 空を飛ぶパラソル
福岡時報の記者である私は、特ダネを求めて九大工学部へ向かう途中、パラソルを手にした女が線路のほうへ、危なっかしい足取りで渡っていくのを目撃する。
私は飛び込みだと直感して呼びかけようとするも、(これは新聞ダネになるな……)、黙って女の後を追う。
案の定、女は汽車の前に身を投げ出し……、私はなきがらから名刺と質入れの明細書を探り出すと、速やかにその場を離れる。
その日の夕刊に私の記事が載る。
――女は佐賀一の金持ちの家出娘だった。九大のある医学生と関係し、身籠っており、何やら運命を悲観しての、このたびの次第に違いなく……
その翌日、私は顔見知りの宮崎署の警部と、電車で乗り合わせ、昨日の夕刊の話になる。
警部がいうに、女はその医学生にだまされていて、しかもそれは組織ぐるみの犯罪である可能性が濃厚で、警察でも以前からマークしていたのだという。
宮崎県警では今回の事件を機に、女をそそのかして搾取するその犯罪グループを摘発しようとしていたのだが、女の顔がつぶれていて身元が特定できず、当の医学生もその組織のトップと見られる人物も、白を切り通すつもりでいる。
さらに悪いことに、女の父親も家の名誉を守るため、遺体を自分の娘だとは認めようとしない。それはどうやら組織のトップが裏で手を回したことらしいのだが――女が身元のわかる何かを持っていさえすれば……。
女の名刺と質入れの明細書のことを思うが、後ろ暗いところのある私は、それを警察に提出するわけにはいかない。
一ヶ月後、結局女は身元不明の遺体として、共同墓地へ埋葬された。事件もまた闇の中へ葬られてしまった。
あの日見た空を飛ぶパラソルの幻影が、私の目に焼きついて離れない……。
・その二 濡れた鯉のぼり
それから一年、汽車に乗って仕事に向かう私は、ある墓地に立つ鯉のぼりを見て興味を抱く。そしてその由来を調べ上げて記事にする。
――亡くなった愛妻と胎児の墓に鯉のぼりを立て、行方不明の男……後に待つのは飢えた高齢の祖母……。
すると後日、私の勤める福岡時報に、行方不明となったその男から一通の手紙が届く。
男は妻子を失った悲しみから、大恩ある祖母を忘れて酒色におぼれていた。私の記事を読んで目が覚めた男が家に帰ると、祖母は首を吊っていた。足元には私の書いた記事の載った新聞が置かれていた。男も絶望し、これからこの世を去るところだが、誰も怨んではいないという。
私の目の前に、濡れた鯉のぼりの幻影が浮かぶ……。
狐人的読書感想
新聞やテレビのニュースは、僕たちに知らないことを教えてくれて、だからよいものだとばかり、普段はとらえがちになってしまいますが、報道がひとを不幸にしたり、ひとの命を奪ってしまったりすることだってあるんだよなあ……と、改めて認識させられる小説でしたね。
記者といえば、文春砲でスクープを連発している週刊文春の記者(文春くん?)を連想してしまいますが、作中の「私」は福岡時報という地方新聞の新聞記者です。
仕事だから、書かなきゃ生活できないから――というのはわかるのですが、女性が汽車に身投げしようとしているのに気づいていて、特ダネのためにそれをあえて黙って見ていたという「空を飛ぶパラソル」のお話は、やはり倫理的に許されるべきことではない、というふうに思ってしまいます。
「私」の書いた新聞記事が、とあるひとたちを不幸にしてしまった、という点については、「空を飛ぶパラソル」「濡れた鯉のぼり」に共通する結末で、「私」のやりきれないような気持ちには共感を覚えるところです。
現在でも、「犯罪被害者の実名報道の是非」といったことが、凶悪犯罪が起きるたびにいわれているように思います。
記者という職業、あるいは報道人と呼ばれるひとたちは、「自分の報道が誰かを不幸にしてしまうかもしれない」という意識を常に持って、日々仕事をしているのだと考えてみると、やっぱり大変なお仕事ですね。
いまは、報道関係者だけではなくて、僕たち一般人もこのような意識を持たなければならない時代なのかな、ということを、ふと思います。
というのも、現代はインターネットやSNSで、誰でも気軽に情報を発信できるからです。
一般的なニュースについて、そういったもので発言をするとき、とくに匿名性の高いツールを使うときなどは、相手の気持ちをよく考えずに発信してしまい、だから炎上してしまった、みたいな話もよく聞かれますよね。
とはいえ、どんなに気をつけていても、報道はどこかで誰かを傷つけたり不幸にしていたりするのかもしれず、結局は不幸になるひとの数よりも、役に立ったり楽しかったりするひとの数が多いから、便利な報道というものはなくならないのだととらえるならば、「世の中多数派の世界」だという気になってきて、ちょっと厭世的な気分になるのはひねくれものの僕だけですかね。
夢野久作さんはご自身が九州日報の記者を務めていた経歴があり、だからこの作品からは、「報道人のジレンマ」といったテーマをリアルに感じることができるのかもしれません。
狐人(個人)の発信力なんて大したことないのかもしれませんが、ブログを書くとき、ツイートするとき、できうるかぎり相手の気持ちを配慮した発言を心がけたいな、と、そんなことを思った今回の読書感想でした。
読書感想まとめ
報道がひとを不幸にしてしまう現実。インターネットやSNSを通じて誰もが報道者となりうる現代。ひとの心を傷つけない発信を心がけたいなと思いました。
狐人的読書メモ
・とはいえ、あれこれ気にし過ぎて何も発信できなくなってしまうのも、おかしいような気がしている。受信者側に求められるモラルというものもある。何事もバランスがむずかしく感じてしまう。
・『空を飛ぶパラソル/夢野久作』の概要
1929年(昭和4年)『新青年』にて初出。自身が九州日報の記者をしていたことがあるためか、夢野久作作品には新聞記者を主人公とした作品が多いという。
以上、『空を飛ぶパラソル/夢野久作』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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