小春/国木田独歩=人の一生を四季にたとえて、あなたはいま小春?

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

小春-国木田独歩-イメージ

今回は『小春/国木田独歩』です。

文字数12000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約分。

小春とは晩秋から初冬にかけての晴天の日。

人生は老人になって冬で終わるのではなく、
子供に返って春で終わるのではないでしょうか?

小春の一日、散歩、仕事、読書、あなたは何する?

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

十一月某日は小春の天気。仕事、散歩、本を読むにも最高の一日。自分は本棚の隅にあったワーズワースの詩集を手に取った。それは八年前に手に入れたもので、その頃は肌身離さず持ち歩いていた。当時の自分がよいと思った一句にはラインが引かれている。自分は独りごちる。七年は夢のごとく過ぎた。

自分が最も熱心にワーズワースを読んだのは、大分県佐伯で一年間田舎教師をしていた頃だった。山、川、谷、野、森――ワーズワースの詩を読んで鮮明に思い出すのは佐伯の風景ばかりで、故郷のものではない。なぜだろう、と自分は疑問に思う。

そんなとき、外から「兄さん」と呼ぶ声があった。小山という画家を志す病弱な青年だった。自分が佐伯にいた頃とちょうど同じくらいの歳だ。その小山が散歩に行こうと言う。自分は、画板を持って武蔵野を歩き回る青年の姿を想像し、かつてワーズワースの詩集を抱いて佐伯の山野を歩き回った自分を懐かしく思った。

昼食後、小山は画板を、自分はワーズワースを、それぞれ抱えて散歩に出かけた。大空は春のように青いが、楢林ならばやしは黄色く、やはり秋の景色である。林の奥に朽ちた橋を見つけて、小山がそれを絵に描き始める。自分は下草に腰を下ろし、風に擦れ合う枯葉の音に耳を傾けながら、詩集を読み出した。

小山が突然「兄さん」と呼ぶ。

人の一生を四季にたとえて、春を私のような青年期とすると、小春は何歳くらいになるんでしょうね。秋かね? 秋と言わないで、小春ですよ! 僕くらいが小春だろう、いまに冬がくるよ。ははは、冬が過ぎれば、また春がきますよ。

辺りはひっそりとして、小山は口笛を吹きながらまた描き始める。自分はふと、いま、この二人が意味ある画題にならないか、と思った。

狐人的読書感想

ある光景から喚起される人の感情、なつかしさや哀情、そういったものを描くのが非常に巧みな作家さんですよね、国木田独歩さんは。

ラストシーンはちょっとナルシストっぽいですが、それも含めて感じ入るところの多い作品です。

筋があるわけではないので、おもしろいというのとはちょっと違うのですが、だけど別の趣があるんですよね。

『小春』というタイトルの字面からは、どうしても「春」を連想してしまいますが、じつは「秋」というのはけっこう忘れがちになります。

「小春」は、厳密には「晩秋から初冬にかけて春のように暖かで過ごしやすい晴天の日」のことをいいます。

たまにクイズや雑学系のテレビ番組でも取り上げられたりしますね。

さて。

じつは正直に言ってしまうと、今回の読書はなぜかあまり深い感想を抱けなかった気がします。

だから、よくなかった、というわけでは決してないのですが。

感想を考えるな、感じろ型の小説? ――とでも言うんですかね?

なので、以下はかなり漠然としたことを書くことになりそうな予感がしますが、一応書き綴っておきたいと思います。

まず、昔の本を引っ張り出してきて読む、というのはなんとなくいいなと感じました。当時気に入った一文にラインとか引いていれば、たしかに昔の自分といまの自分とを比べてより味わい深くその本を楽しめるという気がします。

しかし、本はなるべくキレイに使いたい派の僕には不可能だとすぐに悟りました。そんな自分の性格がちょっとだけ悔やまれたところでした(まだ間に合うか? しかし……)。

続いて、自然風景を文章や絵で描写することについて。

同じ自然風景を描出していても、写真と文章は明らかに違うものですよね。同じように写真と絵も違います。では文章と絵はどうなのか、といって、この二つは写真と比較するよりは同じもののように感じました。

文章も絵も、作者の気持ちが反映されるから、というのがその理由なのですが、わざわざ書くまでもない当たり前のことを書いているかもしれませんね、これは(てか、当たり前のことを書いている)。

昔のことを自分のことだとは思えない、ということが書かれている部分があるのですが、この感覚はちょっとわかりにくいように、僕には感じられました。

年が経ってどれだけ自分が変わったとしても、昔の自分が自分だと思えない、などと思われる日が、誰にでもいつかは訪れるものなんですかね? それはなんとなく、ちょっと怖いようにも思えるし、しかしそのときになってみれば、案外なんてことないのかもしれないなと想像しました。

ラストの小山との会話は単純におもしろいと思いました。

人の一生を四季にたとえるなら――というやつです。

壮年が秋(小春)というのは早くない? ――みたいなちょっと違和感を覚えるところでしたが、しかし老年が冬というのは頷けるところがあるので、だったら順番的に壮年が秋で間違いないのかもしれませんね。

「冬が過ぎれば、また春がきますよ」という発言は、ウィットが利いているな、と感じますが、老人になればまた子供に戻る、みたいなことも言われますよね。

人間は子供から大人に、そしてまた子供に返って生涯を終わり、四季になぞらえれば冬ではなく春で人生を終えるというのは、なんとなく感じ入ることの大きなところでした。

読書感想まとめ

人の一生は春で終わる。

狐人的読書メモ

国木田独歩はワーズワースの影響大。そして国木田独歩は織田作之助などの多くの作家に影響を及ぼしている(と感じる)。本作中には『星』を思わせるところあり。

・『小春/国木田独歩』の概要

1900年(明治33年)12月、『中学世界』にて初出。哀情、ある情景が感じられる小説。

以上、『小春/国木田独歩』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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