狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『一年生たちとひよめ/新美南吉』です。
文字数1000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約1分。
嘘をつくのは悪いこと。
だけど世界には優しい嘘だってある。
相手のことを真に思えば、優しい嘘は悪いこと?
ライフ・イズ・ビューティフル。
団子がほしい自分を反省。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
(今回は短いので全文です)
『一年生たちとひよめ/新美南吉』
学校へいくとちゅうに、大きな池がありました。
一年生たちが、朝そこを通りかかりました。
池の中にはひよめが五六っぱ、黒くうかんでおりました。
それをみると一年生たちは、いつものように声をそろえて、
ひイよめ、
ひよめ、
だんごやアるに
くウぐウれッ、とうたいました。
するとひよめは頭からぷくりと水のなかにもぐりました。だんごがもらえるのをよろこんでいるようにみえました。
けれど一年生たちは、ひよめにだんごをやりませんでした。学校へゆくのにだんごなどもっている子はありません。
一年生たちは、それから学校にきました。
学校では先生が教えました。
「みなさん、うそをついてはなりません。うそをつくのはたいへんわるいことです。むかしの人は、うそをつくと死んでから赤鬼に、舌べろを釘ぬきでひっこぬかれるといったものです。うそをついてはなりません。さあ、わかった人は手をあげて。」
みんなが手をあげました。みんなよくわかったからであります。
さて学校がおわると、一年生たちはまた池のふちを通りかかったのでありました。
ひよめはやはりおりました。一年生たちのかえりを待っていたかのように、水の上からこちらをみていました。
ひイよめ、
ひよめ、と一年生たちは、いつものくせでうたいはじめました。
しかし、そのあとをつづけてうたうものはありませんでした。「だんごやるに、くぐれ」とうたったら、それはうそをいったことになります。うそをいってはならない、と今日学校でおそわったばかりではありませんか。
さて、どうしたものでしょう。
このままいってしまうのもざんねんです。そしたらひよめのほうでも、さみしいと思うにちがいありません。
そこでみんなは、こう歌いました。
ひイよめ、
ひよめ、
だんご、やらないけれど、
くウぐウれッするとひよめは、やはりいせいよく、くるりと水をくぐったのであります。
これで、わかりました。ひよめはいままで、だんごがほしいから、くぐったのではありません。一年生たちによびかけられるのがうれしいからくぐったのであります。
狐人的読書感想
もはや何度言ってきたかわかりませんが、新美南吉さんの童話はやっぱりいいですね。
最近は、グリム童話や宮沢賢治さんなども、だいぶ読み進んできていて、童話自体がとてもいいものだと感じています。
短い中にひとつのテーマがあって、それは子供でも大人でも、考えてみて楽しく、また人生の勉強にもなります(童話好きの方にとっては当たり前のことを書いているかもしれませんが……)。
今回のテーマを簡単に言うならば、「うそをついてはいけません」ということになるかと思います。
しかし、作中の先生が言うように、『うそをつくのはたいへんわるいことです』というのはどうかな? などと、ひねくれものの僕は考えてしまいますね。
「うそは悪いことだ」というのは一面的には正しく、子供に教えるにはとてもわかりやすいようですが、とはいえ、「やさしいうそ」みたいなものもこの世界にはたしかに存在していて、ならば、その「やさしいうそ」も悪いことになるのか、というと、そうではないような気がしてきます。
「やさしいうそ」の例をいろいろと探してみると、『ライフ・イズ・ビューティフル』という映画で、ナチスのユダヤ人強制収容所に送られて、過酷な生活を送ることになった父が、我が子に「これはゲームなんだ」と語り、戦争の残酷さを感じさせないようにしていた、という話を見つけました。
もっと身近なものだと、「待ち合わせで待たされて、自分もいまきたところ、と言ってあげること」だとか、「あまりおいしくない料理でも、おいしいと言って残さず食べてあげること」だとかがあります。
まあ、以上のような「やさしいうそ」も、本人の成長のためを思えば、正直に言ってあげるべきなのかもしれず、「うそは悪いことだ」と言ってしまえばそうなのかもしれませんが、とはいえ、完全に悪いことだと言いにくいところがあるのではないでしょうか?
人間は良かれ悪しかれうそをつく生き物で、そのうそによって人間関係が円滑に構築されている側面をも思えば、すべてのうそが悪いことだと教えるのではなくて、どのようなうそが良くて、どのようなうそが悪いのか、というところまで、教えるべきなのかもしれません。
『一年生たちとひよめ』では、子供たちもとくにうそをつくつもりがあったわけではなくて、ただ単に歌を歌っていただけだ、というところも難しく感じます。
うそとは、一方がうそをつこうと思い、もう一方がうそをつかれたと思って、はじめて成立することなのだと気づきます。
うそをついている意識が無くても、相手がそれをうそだと受け取ってしまえば、相手の心を傷つけてしまうことがあるので、先生の単純な言葉の裏にそのことが含まれているのだとしたら、これはやはり正しい教えのように思えてきます。
オチの部分は、子供にとっては救いになるような教訓が含まれているように感じました。
子供はときに親や先生、友達の顔色をうかがって、よい子であろうと自分を偽るようなうそをつくことがありますが、それは単に子供の思い込みにすぎないこともあって、大人や友達は実際その子が考えている以上のものなど求めていない場合も多いのではないでしょうか?
これで、わかりました。ひよめはいままで、だんごがほしいから、くぐったのではありません。一年生たちによびかけられるのがうれしいからくぐったのであります。
しかしてしかし、やっぱりだんごが欲しいから、くぐっちゃうんだよなあ……、よくないよなあ……、と、普段の自分の態度を反省させられた、というのが、今回の読書感想のオチです。
読書感想まとめ
基本的にうそは悪いことだけれど、やさしいうそだってあります。円滑な人間関係にうそは必要不可欠なもので、そのために、ついても良いうそと悪いうそとの認識はきちんとしておくべきでしょう。子供は他者の顔色をうかがってうそをつくことがありますが、本当に他者が自分の思っているものを求めているのか、うそをつく前にじっくり考えてみる必要があります。だんごがほしいからくぐっちゃう、普段の自分の態度を反省させられました。
狐人的読書メモ
ひよめはカイツブリという水鳥。『かいつぶり』という村上春樹さんの短編小説がある。全集(第5巻)に載っているとのことなので、読んでいるはずなのだが、内容がまったく思い出せない。要、再読。
・『一年生たちとひよめ/新美南吉』の概要
1948年(昭和23年)『きつねの おつかい』にて初出。単純に「うそは悪いことだ」だけではない、いろいろと考えさせられる童話。
以上、『一年生たちとひよめ/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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