おじいさんのランプ/新美南吉=失職の恐れは人から正常な判断力を奪う。

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

おじいさんのランプ-新美南吉-イメージ

今回は『おじいさんのランプ/新美南吉』です。

文字数13000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約35分。

孫が倉の中で発見したおじいさんのランプ。
それを見たおじいさんは昔話を物語る。

心の交流。

大人だからこそ読んでほしい童話。
YouTuber?
古いものに固執してはいけない。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

かくれんぼをしていた東一とういち君は、倉のすみでおじいさんのランプを見つけた。夜、東一君がそのランプをいじくっているとおじいさんがやってきて、昔話をしてくれるという。

いまから五十年ほど前、日露戦争のあった頃、岩滑新田やなべしんでんという村に巳之助みのすけという十三歳の少年がいた。巳之助は天涯孤独の孤児だった。村人たちの手伝いのようなことをして、どうにか村に置いてもらっていた。巳之助はいつまでもこんなことをしていてはいけない、しっかりと身を立てねばならない、といつもよい機会をうかがっていた。

ある夏の昼下がり、巳之助のもとに人力車を曳く仕事が舞い込んできた。日が暮れた頃、村を一歩も出たことのなかった巳之助は、初めて町というものを見た。なんて明るいんだろう。目を輝かせながら、いろいろな物を見て回った巳之助の、もっとも関心を引いた物、それはランプだった。

村では夜になると行燈の僅かな明かりを頼りにしていた。巳之助はランプ屋に入って、店の主人にランプを売ってくれるように頼んだ。が、その日稼いだお金を全部はたいても、ランプは買えなかった。巳之助はこれまでの経験から物には売値と卸値おろしねがあることを知っていた。そこで自分もランプ屋になるから卸値で売ってくれと食い下がった。卸値でもお金は足りなかったが、店の主人は巳之助の境遇を聞き、その熱意に打たれてランプを売ってくれた。

人々は新しい物を簡単には信用しないものだ。巳之助の新しい商売はなかなか村では流行らなかった。そこで巳之助は、村に一軒きりの雑貨屋のおばあさんに無料でランプを貸すことにした。これはたいへん便利で明るいものだ――五日後、雑貨屋のおばあさんはランプを買ってくれると言って、ほかに三つも注文のあったことを巳之助に知らせてくれた。

巳之助の商売は軌道に乗った。巳之助はお金が儲かるのも嬉しかったが、この商売そのものが楽しかった。自分が暗い家々に、文明開化の火を灯していくような気がしていた。ランプの下なら新聞の字がよく読めるのだ、と宣伝するため、巳之助は毎晩区長の家で字を教えてもらった。嘘をついて商売をしたくなかった。やがて巳之助は書物を読めるまでになった。

大人になった巳之助は結婚をした。家には二人の子供があった。その頃、巳之助は町で電柱と電線を見た。甘酒屋で電気を知った巳之助は、その明るさに驚いて、しばし言葉を失った。仇を睨むように電気を見つめていた。

ランプの時代が終わったことを、巳之助は悟らざるを得なかったが、失業の恐れゆえに冷静な判断ができず、ランプに対する愛着ゆえにその事実を認めることができなかった。村人たちに電気の悪口を言って、嘘をついて、どうにか電気の普及を押し返そうとしたが無駄な努力だった。村にも電線を引くことが決まったのだ。

巳之助は誰かを怨まずにはいられなかった。その恨みの矛先は、電気導入の決定を下した、お世話になったはずの区長に向けられた。深夜、区長の家に火をつけようと、巳之助は牛小屋の藁の前で火打ち石を打った。マッチが家になかったのだ。火打石は大きな音がしてなかなか火がつかない。チッ、と舌打ちしたとき、巳之助はハッとした。古い物は間に合わない、古い物は間に合わない――巳之助は自分の間違っていたことをはっきりと悟ったのだった。

家にとってかえすと、巳之助は家中のランプを持ち出した。大きな池の岸にある木に、火を灯したランプを次々と吊るしていった。ランプの木は三本できあがった。巳之助は泣きながら、三本のランプの木を眺めた。ランプ、ランプ、なつかしいランプ――それから巳之助はランプ屋をやめた。町に出て本屋になった。

昔話を終えたおじいさんは東一君に言った。

「わしのやり方は少し馬鹿だったが、わしのしょうばいのやめ方は、自分でいうのもなんだが、なかなかりっぱだったと思うよ。わしの言いたいのはこうさ、日本がすすんで、自分の古いしょうばいがお役に立たなくなったら、すっぱりそいつをすてるのだ。いつまでもきたなく古いしょうばいにかじりついていたり、自分のしょうばいがはやっていた昔の方がよかったといったり、世の中のすすんだことをうらんだり、そんな意気地いくじのねえことは決してしないということだ」

狐人的読書感想

おじいさんのランプ-新美南吉-狐人的読書感想-イメージ

風のない夜、池の水面みなもに映る三本のランプの木が幻想的で、目を閉じればまぶたの裏にその美しい情景が浮かんできて、いつまでも心に残るような気がしました。

いつものことながら、新美南吉さんの童話はいいですね。

マッチと火打ち石、電気とランプ。

『古いものにいつまでも固執していて時代に取り残されてはいけない』という教訓もとてもわかりやすいもののように思いました。

おじいさんが言うとおり、とくに商売・職業についてはこのことがいえるのでしょうね。

小中高生のなりたい職業の上位に「YouTuber(ユーチューバー)」が入っていると聞くと、なんとな~く違和感を感じたりもするのですが、これは僕が古いものに固執している証左なのかもしれません。

テレビやネットを見ていて、最近はけっこう聞きなれない肩書を見ることが増えているような気がします。ネットウォッチャー(ネット上の話題や事件を観察して、その経緯や論評を自サイトなどを中心に発表するひと)とか。

ネットビジネスなんかは新しい仕事(商売)の最たるもので、だけど仕事といえば会社などで働くことが当たり前のように感じていて、どこかまだ副業的なイメージが僕にはあるのですが、ネットビジネスで大儲けされている方々もいらっしゃるわけで、やはりいずれは、きちんとした一つの職業として世間的にも認知される日がくるのかなあ、などと漠然と考えています(その意味では「YouTuber(ユーチューバー)」なども。むしろもうそうなっているという見方もできるのかもしれませんが)。

とはいえ、古いものには古いもののよさがある、という主張も頷けますよね。

たとえば、手紙と、パソコン・スマホの通話、メール、SNSなど。

いまや手紙を書く機会というのはめっきり減っているでしょうが、手書きだからこそ伝わってくる人の温かみが手紙にはある、というご意見はよくわかるような気がします。

たとえば、紙の本と電子書籍。

これはまだ紙の本が主流で、電子書籍の普及は思ったほど進んでいないように感じますが、どうなのでしょうね? 期待していたほど電子書籍になった本が安くなかったり、あるいは電子書籍リーダーが壊れたり電池切れで読めなくなってしまうことを思えば、まだまだ紙の本のほうが便利だ、ということになるのでしょうか? 紙をめくるあの感触が好き、という方もいらっしゃるかもしれませんね。狐人的にはかさばる漫画雑誌や無料で読める文豪作品などについては、電子書籍のほうが便利だという気がしているのですが、いかがでしょうか?

近年は伝統工芸の職人のなり手が減っていて、職人修行ということで、お給料なしで働きながら技術を学ぶ、という求人の話を聞いて驚いたのが記憶に新しいところです。無給で働くというのは現代では考えにくいことのように思ったのですが、だけど昔は住み込みで修業する職人見習いというのが当たり前だったわけで、伝統的な技術を教えてもらうのだと受け止めれば、むしろお金を払って教えてもらってもいいのではなかろうか、という気もしてきて、これも古いもの新しいものの観点から、印象に残った話題でした。

古いものには古いもののよさもありますけれど、それも含めて、古いものの不便さが新しいものの便利さにまったくかなわなくなったとき、自然に古いものは消えていきます。

それはちょっと寂しいことのようにも感じてしまいますが、その寂しさをより多くの人が感じるのならば、自然と何らかのかたちで古いものは残っていくのでしょう。

おじいさんのランプのように、古いものに愛着があったりすると、なかなかそこから離れられないということは、ものばかりでなく考え方についてもいえることだと思います。ときにはなんとなく後ろめたいような気持ちになって、人は古いものに固執してしまいがちな気もします。だからこそおじいさんの言葉はまさに真で、古いものでも残るものは自然に残るのだと捉えるならば、そこに固執せず新しいものごとに目を向けることこそが肝要だと思いました。

とはいえ、古いものをまったく顧みないのもどうかなあ、という感じはしたのですが、だけど曖昧な感情で振り返ってみても、それにあまり意味はないのかなあ、という気がしました。

古いものに強い思い入れがあればこそ、それを残そうというアクションが起こり、そうなって初めて、古いものは残っていくことができるのでしょう。

あるいは古いものは新しいものに生まれ変わったのだと考えれば、より自然にそのことを受け入れられるように思いました。

おじいさん(巳之助)も、自分の身を立たせてくれたランプとの惜別は、身を切られるような思いがしたに違いありませんが、あるいはこんなふうにも考えて、その別れを受け入れたのだろうか、とかいうことをふと思いました。

童話ですが、大人の人にも(仕事をする大人の人だからこそ)読んでほしい作品です。

読書感想まとめ

おじいさんのランプ-新美南吉-読書感想まとめ-イメージ

古いものにいつまでも固執していて
時代に取り残されてはいけません。

狐人的読書メモ

昔話をしてくれるおじいさん、読み聞かせをしてくれるおとうさん、おかあさん、そんな保護者がいてくれたらいいだろうなあ。

・『おじいさんのランプ/新美南吉』の概要

1942年(昭和17年)、童話集『おぢいさんのランプ』に初出。『おぢいさんのランプ』は新美南吉唯一の生前童話集。おじいさんと孫の心の交流。

・読書感想の補足的メモ

『大人が、こうして遊べといったことを、いわれたままに遊ぶというのは何となくばかげているように子供には思えるのである』、というのはたしかにそうかもしれないと思わされた部分だった。

おじいさん(巳之助)に見習いたい。人間はどんなにひどい環境でも、いずれは慣れてしまい、その境遇に満足してしまうということがいえると思う。とくに苦もない日常だと、そのぬるま湯に浸かって安穏としてしまう。だけど巳之助は立身の意思を持ってみごとに身を立てた。まあ、ひどい環境あればこそだという見方もできるわけだが。

巳之助が卸値と小売値を知っていたところは子供の観察眼の鋭さを思わされた。

まずは無料でお試し、という売り込みは現代でも当たり前に行われている優れた商法のひとつ。

文明開化の明るい火をひとつひとつ灯しているのだと、巳之助が儲けるばかりでなく仕事を楽しんでいた姿勢は、仕事のやりがいを見出すということを思わされた。仕事に対する正しい姿勢だと感じた。現代では自分の仕事にやりがいを見出すというのは難しくなってきている気がする。

嘘をいわないために、字を習って自分でちゃんと新聞を読んでから売り込みを行ったところは、仕事に対するまじめな姿勢とプライドが感じられた。

『りこうな人でも、自分が職を失うかどうかというようなときには、物事の判断が正しくつかなくなることがあるものだ』、まさにそのとおりだと思った。希望的観測がより現状を悪化させることになる。

誰かを怨みたくてたまらなくなった巳之助の気持ちは痛いほどわかる。これは人間の心の弱さであろう。巳之助が道を踏み誤らなくて本当によかった。

以上、『おじいさんのランプ/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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