髪/織田作之助=髪の型は変えられても、頭の型まで変えられないぞ!

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狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

髪-織田作之助-イメージ

今回は『髪/織田作之助』です。

文字数8000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約26分。

長髪を貫く主人公。
人柄や能力よりもフォーマルが優先される就活、
日本の厳しい校則、地毛証明書――
そこには現代にも通じるメッセージが!
社会を変えるのは頭の型を変えない若者たち!

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

三十三歳の「私」は、若さや青春を持っていない。四十二歳の知人が、十九歳の女性に恋していると聞いて、中年の恋を薄汚く気味悪く思う。女性と二人歩いていても、相手は「私」の心持ちに気づいて離れていき、互いに時間を空費することもない。なぜ男は若い女性と歩くとき、まぬけな顔になるんだろう? そんな「私」にも若い部分があり、それは黒い長髪だ。この長髪には「私」の青春の思い出が秘められている。

「私」は高等学校に入ると髪の毛を伸ばした。理由は顔の頬骨がいやに高いのを隠すためだった。ゆえに自由な校風の学校を選んだ。ところが寮に入ると寮の規則というものがあり、寮生はすべて丸刈りにせよという。「私」は満州事変の起こった直後に寮を出て、下宿住まいをした。

長髪だと社会主義思想の生徒とカン違いされたが、「私」はかたちばかりの社会主義思想者を軽蔑していた。同じく学校の同級生たちのことも。彼らはいい成績を取り、有力者の女婿になることしか考えていない。尻尾を出さなければ必ず出世が約束されている幸運。彼らがいまの日本の政治の末端を与っているかと思えば、冷や汗が出る。「私」は生まれつきの特権を嫌悪していた。

「私」は髪も長すぎるが、高校生活も長かった。一つ欠席日数超過、二つ教師の反感を買っていること、三つ心身ともに堕落していること、たとえば髪の毛が長すぎるなど。「私」は二度留年して自主退学した。

学校をやめたので徴兵検査に行かなければならなくなった。長髪のまま行ったが、身長を計るのに邪魔だと、検査官に顔をしかめられただけだった。徴兵官は「流行を追うのは知識人らしくない」と「私」に言ったが、「私」が「長髪はむしろ流行おくれだと思います」と返すと「丙種」と呟いただけだった。案外物分かりのいい徴兵官だと「私」は思うが、その後出会うことになる軍人の中に、この徴兵官のような物分かりのいい軍人は一人もいなかった。

徴兵検査が丙種だったので、「私」は就職しようと考えたが、丸刈りになってまで就職しようとは思わなかった。そんな「私」にとって作家になれたことは天の救いに感じられた。作品の売れ行きは「私」の長髪とは関係ないし、長髪を理由に原稿を受け取らない編集者もいない。誰にも遠慮せず髪を伸ばせることを、「私」は天に感謝した。

しかしまもなく、新体制運動が行われ、国民の髪型が何種類かに限定されることとなり、「私」が理髪店に行くと、そこの主人が「私」の長髪を刈り上げてしまった。人間の頭を一定の型に限定してしまおうとする精神こそ不都合だ。髪の型は変えられても、頭の型まで変えられないぞ。

事変が戦争に変わり、「私」にも点呼令がきたので、指定時間の三十分前に点呼場に駆けつけると、すでにみんな揃っていて、「私」は分会長に殴られ、遅刻したわけでもないのにと、理不尽さを感じた。戦争がすんでから、いばっていたその分会長が、不安そうに週刊雑誌を読んでいるのに出くわすが、彼は「私」に気づくとあわてて視線を外した。

以上が「私」の髪の歴史。青春が秘められているなどと書いたが、青春などどこにもなく、ただ苦々しい思い出ばかりだ。近頃、人々はあわてて髪を伸ばし始めている。それを見るとますます苦々しくなるが、そんなことを言ってみても仕方ない。

狐人的読書感想

社会規範に逆らって、長髪であることを貫き通そうとする主人公が描かれていて、織田作之助さん自身のことを書いているのかと思って読んでみても、とてもおもしろい小説でした。

思わされるところはたくさんあるのですが、やはりなんといっても、社会規範、周囲がどうであろうと長髪であり続けようとした、主人公の頑なな姿勢が印象に残ります。

校則や就職活動――個性を尊重する社会とはいわれていても、やはり「髪」については限定した型にはめようとする風潮が、変わらずに残っていて、これはこの先もなくなることはないのかなあ、などと考えてしまいます。

2000万年後の人類の進化した姿は、宇宙進出した際の無重力環境に適応し、体のバランスを安定させるため球体に近づいて、星のカービィみたいなかたちになると聞いたのですが、それでも「人間は見た目を気にする生き物」なので、髪の毛だけはなくならないのだといいます。

人の評価というものは、その人の人柄や能力を優先して見るべきですが、一部の職種を除いては、やはりいまだにフォーマルが尊重されていますし、学校の校則なんかはもっと形式ばっていますよね。

最近、生まれつきの髪色が校則違反だとして、再三にわたり黒染めを強要されて、精神的苦痛を受けて不登校になった生徒がいると話題になりましたが、そういう話を聞くと、グローバル社会に対応した教育とかいわれていても、じつは何も変わっていないのではなかろうか、などと思わされてしまいますね。地毛証明書なんてものもあって、これも賛否両論騒がれましたよね。

まあ、髪を染めたり伸ばしたり、それが不良の代名詞だった時代があって、その時代を生きてきた人たちがいまの社会を担っている大人たちであることを思えば、致し方ないことなのかもしれませんが、しかし上の件では学校側の対応に批判的な意見が多かったところを見るに、やはり時代は変わりつつあるのかもしれない、とも思っています。

茶髪や金髪でも、成績優秀でスポーツ万能で、そんな生徒が一般化すれば、大人たちの考え方、現行の校則や偏見などもなくなって――本当に見た目は関係ないといわれる社会が訪れるかもしれません。

とはいえ、現在の社会では、まだまだ型にはめられて生きるしかなく、しかしながら、『髪の型は変えることが出来ても、頭の型まで変えられぬぞ』という心構えをいまの若者が持っていれば、その若者たちが社会を動かす大人になったとき、少しは変わってくるのでしょうか?

やっぱり自分たちが縛られてきた常識や社会規範を変えたくないと思ってしまい、なかなか変わらないものなんでしょうか?

「がんばれ! 若者たち!」と、他人事のように言ってるお前(僕)がまずがんばれよ、というのが今回のオチです。

読書感想まとめ

グローバル社会だとかいわれても、校則、就活、人柄や能力よりもフォーマルが尊重されるところは、現代でも変わっていません。日本の厳しい校則、地毛証明書――これらを変えるにはいまの若者たちが『髪の型は変えることが出来ても、頭の型まで変えられぬぞ』という気持ちを持って、社会を動かす大人になって変えるしかないのかもしれません。変わらないのかもしれません。「がんばれ! 若者たち!」。

狐人的読書メモ

・「中年の恋を薄汚く気味悪く思う」という部分はわかるようなわからないような。恋はいくつになってもすてきなものであってほしいという勝手な願いがあるからか? 歳の差が問題? 長髪のこととは反対に、これは古い考え方に思えたのは僕だけ?

・「顔の頬骨がいやに高いのを隠すため」という主人公が長髪にした理由は共感できた。こだわりって、最初は意外とささいなきっかけだったりする。なのに、なんでここまで頑なに変えたくなくなってしまうのかは、たまに不思議に思う。常識や社会規範しかり。

・「尻尾を出さなければ必ず出世が約束されている幸運。彼らがいまの日本の政治の末端を与っているかと思えば、冷や汗が出る」。昨今の政治家の不祥事を見ていると同意せざるを得ない。時代は変わっても、彼らはまったく変わっていません、おださく先生……。

・とくにクリエイティブな職業、一人でできる仕事に就けば、見た目を気にする必要はない。自分の外見的こだわりを通す道は、職種の多様化でたしかに現代のほうが多くなっているだろう。

・『髪/織田作之助』の概要

1945年(昭和20年)、『オール読物』にて初出。読みやすく、共感できる、現在でも変わらず通用するテーマ。万人におすすめできそう。

以上、『髪/織田作之助』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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