森の中の三人の小人/グリム童話=結婚は墓場。ひとつちょうだいレベル表。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

森の中の三人の小人-グリム童話-イメージ

今回は『森の中の三人の小人/グリム童話』です。

文字数4000字ほどのグリム童話。
狐人的読書時間は約13分。

結婚は喜びであり、拷問だからな。
って、お父さん、何があったの?
寒くてお腹が空いてるとき、
小人にパンを分けてあげられる?
自分の命を優先することは決して悪ではない。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

昔、妻を亡くした男と、夫を亡くした女がいた。二人にはそれぞれ一人娘がいた。あるとき、女は男の娘に、「私が結婚したがっていると、あなたのお父さんに伝えてちょうだい。そうしたら、あなたには毎朝体を洗うためのミルクと飲むためのワインを、うちの娘にはどちらのためにも水を用意することにするから」と言った。

男と女が結婚して一日目の朝、男の娘の前にはミルクとワインが、女の娘の前には水がそれぞれ用意されていた。二日目の朝、二人の娘の前には同じように水が用意されていた。三日目の朝、男の娘の前には水が、女の娘の前にはミルクとワインがそれぞれ用意されていた。以後、それがずっと続いた。

冬のある日、継母は継子に紙のドレスを着せて、固いパンを少し渡し、森にイチゴをとりに行くよう命じた。娘は森で小さな家を見つけた。そこには三人の小人がいた。小人たちがパンを分けてほしいというので、娘はよろこんで固いパンを二つに分けて、半分を小人たちに与えた。

小人たちはお礼として、娘に裏庭のイチゴを与え、さらに一番目の小人は「毎日娘を美しくすること」、二番目の小人は「娘が話すたび口から金が出るようにすること」、三番目の小人は「王様がきて娘をお妃様にすること」、それぞれ娘に祝福を与えた。

娘の話を聞いた義妹はそれをうらやましがった。母親が止めるのも聞かず、自分も森に行くのだと言い出した。やむなく、母親は娘に立派な毛皮のコートを着せて、バター付きパンとケーキを与えた。

義妹は小人の家に行ったが、小人たちに挨拶もせず、パンとケーキも分けなかった。一番目の小人は「娘が日増しに醜くなるように」、二番目の小人は「娘が話すたび口からヒキガエルが出るように」、三番目の小人は「娘が惨めに朽ち果てるように」、それぞれ義妹に呪いを与えた。

嫉妬に狂った継母は、ついに煮えたての毛糸を継子の肩にかけ、凍った川の水ですすぐようにと言い渡した。娘はそこへ通りかかった王様に見初められ、そのまま宮殿へいざなわれ、結婚式を挙げた。

一年後、若いお妃様は男の子を産んだ。その見舞いのふりをして、継母と義妹が宮殿へやってきた。そして産後のお妃様をベッドから持ち上げ、窓から近くの川に投げ出した。義妹はお妃様のベッドに入った。継母は「ひどい熱で寝ているから」と王様をごまかした。人の好い王様はそれを信じた。

夜中、皿洗いの子は一羽のアヒルが水路を泳いでくるのを見た。アヒルは皿洗いの子に王様の様子、継母と義妹の様子、赤ちゃんの様子を尋ねると、お妃様の姿になって、赤ちゃんの世話をし、またアヒルの姿に戻って、水路を泳いで去っていった。そんな夜が二晩続いた。

三日目の夜、アヒルは「王様に剣を持ってここにきて、私の上で三回振るよう伝えてください」と皿洗いの子に言った。皿洗いの子は急いでこのことを王様に伝えた。王様が言われたとおりにすると、お妃様は復活した。すべてを知った王様は、継母と義妹を樽に入れて、釘でしっかりとふたを閉めると、山から川に転がり落とすよう家来たちに命じた。

狐人的読書感想

グリム童話には似たような類型の話も多く、今回の『森の中の三人の小人』は前回読んだグリム童話の『兄と妹』に似ているところがあって、とはいえそれぞれ違った設定やキャラが登場していたりして、少し変えるだけでもまた違った物語としてのおもしろみが出るなあ、というところはいつも勉強になります。

さらに今回は、教訓を感じられるところも多く、より勉強になりました。

まずは冒頭、あらすじでは省いてしまいましたが、結婚を迷うお父さんのセリフが印象に残りました。

『結婚は喜びであり、また拷問だからな』

といったもので、きっと男女を問わず、多くのひとに共感してもらえる気がしたのですが、どうでしょうね?(前の結婚生活で何があったの、お父さん……と勘繰りたくなってしまいますが、どうでしょうね?)

もう一つ省いたエピソードとして、お父さんが結婚を決める際に行った占いのようなものが印象に残っています。

底に穴の開いた長ぐつに水を入れて、水が漏れなければ結婚する、というものなのですが、どうして漏れなかったんだろ? ――という素朴な疑問が湧きます。まあ、童話なので読み流すところなのかもしれませんが、物語成立当時の風習として、何か意味があったのかと思うと興味深いんですよね(また、調べてみたいと思いました)。

グリム童話って、主人公のお父さんが出てくるものが多いですが、最初だけで終わってしまうものが多い印象を受けます。当時の生活などと鑑みて調べてみたらおもしろそうに感じました。

つぎにタイトルにもなっている森の中の三人の小人と娘が出会うシーンですね。

主人公の娘は固い少しのパンを小人たちに分け与え、義妹はバター付きパンとケーキを持っていたにもかかわらず、それらを小人たちに分け与えようとはしませんでした。

もちろん、二人の娘が受けた報いを思えば(思わずとも)、他者に自分の物を分け与えることの正しさが伝わってきます。

とはいえ娘のように、固い少しのパンしか持っていないときに、それを快く誰かに分け与えることができるだろうか? と考えてみると、けっこうむずかしく思ってしまう自分がいるんですよね。

義妹のように充分に持っていても、躊躇してしまう場合もあるような気がします。世の中ギブアンドテイクとはいいますが、小人たちが必ずそれに報いてくれるとも、現実ではかぎりませんしね。

以前、ツイッターで『ひとつちょうだいレベル表』なるものが話題になったことがありますよね。

レベル1:ポッキー(1/38本、2.6%)
レベル2:アーモンドチョコ(1/25粒、4%)
レベル3:ガム(1/14個、7%)
レベル4:アイスの実(1/12個、8.3%)
レベル5:ピノ(1/6個、17%)
レベル6:からあげクン(1/5個、20%)
レベル7:雪見だいふく(1/2個、50%)

みたいな感じです。

余裕があればよろこんで分けてあげられるとも思うし、余裕があっても物を惜しむ気持ちはどうしようもないという気もするし、余裕がなければなおさらという気持ちになってしまいそうです。

道徳的には見返りを求めず、いつでも自分の物を他者に分けてあげられるような、主人公の娘のような美しい心でありたいと願いますが、現実にはむずかしく感じてしまいます。

しかしながら、それが必ずしも悪いことなのかといえば、決してそんなはずないのだと、いいわけがましく思ってしまうひねくれものな自分がいるんですよね。

実際問題、この娘のような善良すぎる心の持ち主というのは、詐欺とかなんとか、だまされやすいひとのように思えてしまって、他者よりも自分を優先するのは生き物として当たり前のことだと考えていて、しかして見返りを求めず分け与えることができて、だまされても誰も恨まずに果てていけるのならば、それは人間としての理想のあり方だとさえ思えてきて、人の心のむずかしさをいつも考えさせられるところです。

なんで人には心があるんだろう? 動物みたいに心がなければもっと生きやすいはずなのにね。

――みたいな感じです。

読書感想まとめ

『結婚は喜びであり、また拷問』
『ひとつちょうだいレベル表』
『なんで人には心があるんだろう?』

狐人的読書メモ

愛情であったり、友情であったり、親切であったり、やさしさであったり――ひとに与えるのがむずかしいのは物ばかりではない。それから挨拶も大事。

・『森の中の三人の小人/グリム童話』の概要

KHM13。類型の話多数。検索するとけっこう出てくる。有名なグリム童話?

以上、『森の中の三人の小人/グリム童話』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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