富岡先生/国木田独歩=人は世間体を気にする動物である。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

富岡先生-国木田独歩-イメージ

今回は『富岡先生/国木田独歩』です。

文字数19000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約49分。

娘をいい男と結婚させたいと願うのは、
自分のためか、子のためか。

他人がどう思うか、ではなくて、自分がどう思うか。

社会的な自分に個人的な自分が打ち克つのは
けっこう難しい。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

富岡先生は長州藩士、明治維新で活躍するも、開国政策への不満から騒動を起こして没落した。その後、故郷で私塾を開き、地元の青年に漢学の授業をした。頑固で尊大な人柄は、東京の爵位ある人々にも知られていた。

富岡先生の末娘、梅子はとても性格がよく、美人だった。梅子が十八歳の夏、元教え子である法学士の大津が帰省し、梅子との結婚を申し込もうと富岡先生を訪ねる。しかし、大津は先生の尊大な態度に辟易し、梅子を諦め地主の娘との結婚を決める。

富岡先生は内心、自分の教え子のうち法学士にまでなった大津と梅子の結婚を望んでいたので、これにすこぶる気分を害し、突然、梅子を連れて東京へと出発する。

二十七歳の細川は小学校の校長で、やはり富岡先生の教え子の一人だ。いまでも足しげく富岡先生のところへ通っている。その理由の一つは師を慕う気持ちから、もう一つは梅子に対する恋慕から。だから、先生と梅子が東京へ行ったと聞いて不安だった。

突然の上京から一週間、富岡先生と梅子が帰ってくる。先生は、出世した別の教え子と梅子の結婚をまとめるつもりでいたが、やはり尊大な態度が仇となってうまくいかない。細川はほっと安堵の吐息をつく。

以来、富岡先生は酒ばかり飲むようになり、荒れに荒れた。何もかもがうまくいかない……。これまで叱ったことのなかった梅子にまで怒鳴り散らす始末。梅子は黙って耐えていた。細川もまた、ただ辛抱強く先生の話を聞いて、なだめるしかなかった。

秋の半ば、富岡先生が病気になり、細川はお見舞いに行く。すると先生が言う。「娘を狙っているのか、だからおれのところへ来るのか、たかが田舎の小学校の校長に娘はやらん、身の程を知れ! 馬鹿者!」。

「それでも娘がほしいか」と問う富岡先生に、細川は「さようでございます」ときっぱり答える。つぎに呼ぶまで来るな、と言われ、細川は富岡先生の宅をあとにした。去り際、梅子が泣いてあやまっていた姿が、細川の心を激しく乱した。

細川は、小学校でも富岡先生の塾でもいつも一番だった。しかし家には上の学校へ進むための金がなく、官費で事が足りる師範学校に入り、田舎の校長となった。富岡先生ほどの人でも、自分よりも官職につく他の教え子のほうを優れた者と考えるのか……、細川は悲しかった。

が、細川がつぎに呼ばれて、急ぎ家に駆けつけると、先生はやつれ、先の短いことを悟り、そして梅子との結婚を許してくれた。細川と梅子は結婚し、仲睦まじく暮らした。

富岡先生は十一月の末に亡くなった。新聞に大きな広告が出た。それは先生の最後の一喝だった。心ある同国人の二、三は、これを見て泣いたという。

狐人的読書感想

肝臓先生、黄村先生、斗南先生、富岡先生……、先生について書いている文豪作品ってけっこうあるんですねえ。

富岡先生はオーソドックスな頑固ジジイといった感じで、実際には親しく付き合いたくない人物ですが、傍から見ているとやはりどこか憎めないところのある人だというふうに感じてしまいます。

尊大さばかりが目立ち、官職などの名声しか見ておらず、しかしながら娘を思う親心は充分理解できるところがあり、細川の真面目さや熱心さを認めているふしもあって、なんというか人間らしい人ですよね。

この老人の中には個人的な「富岡氏」と社会的な「富岡先生」とがいて、両者は常に戦っているのですが、社会的な「富岡先生」が個人的な「富岡氏」に勝っているから、頑固で偏屈な人になってしまうのだといいます。

人間は誰でも、世間体というか、世間の評価というものを気にせずにはいられないように思います。だから富岡先生も、娘を大津などの官職ある男に嫁がせたかったのでしょうね。

他人がどう思うか、ではなくて、自分がどう思うか。

社会的な意識に個人的な意識が勝つのはけっこう難しく感じました。地位や名声のある人ほど、それは難しくなるように思います。あるいは、そのあたりがこの作品の主要なテーマなのかもしれません(自信なし)。

ちなみに、富岡先生は、富永有隣とみながゆうりんさんという実在の人物がモデルになっているそうです。

富岡先生のような頑固で偏屈で嫌われ者の老人というものは、最後まで寂しくこの世を去っていくイメージがありますが、やはり、最後二、三の人が涙を流した、という、どこかもの悲しい感じで終わるのですが、しかしこれを逆に捉えるのならば、涙を流してくれる人たちもいたというわけで、このことはやはり、富岡先生がただの嫌われ者ではない証左のように思えてきます。

梅子だったり、細川だったり、周囲にいい人が集まってくる嫌われ者もたしかにいるような気がして、ちょっと不思議な感じがしました。

富岡先生の何が人を惹きつけていたのか、ちょっとはかりかねているところです。ただの嫌われ者じゃない、というのはそこはかとない凄さを感じられます。不思議な魅力です。

作中、梅子の心情についてはあまり描写がなくて、もっと梅子の気持ちを知りたいと思いました。

なんとなく、最初から細川のことが好きだったわけではないような気がするんですよねえ……、誰でもよかった、とまではいえないにしても。

とはいえ、細川と結ばれて、結局は幸せそうだったのでよかったのかなあ、という気はします。

とにもかくにも、幸せならそれでよし!

読書感想まとめ

社会的な自分と個人的な自分が常に心の奥底で戦っている、という部分には感銘を受けました。言われてみれば気がつくのですが、普段から意識はしていないように思えます。

狐人的読書メモ

登場人物の名前が歴史上の有名人にちなんでいる。江藤博史(=伊藤博文)、三輔(=俊輔、伊藤博文の幼名)、狂之介(=山県有朋の幼名、狂介)、井上聞吉(=井上馨とその通称、聞多) など。

・『富岡先生/国木田独歩』の概要

1902年(明治35年)『教育界』にて初出。のち、第二作品集『独歩集』(近事画報社、1905年-明治38年―)収録。維新の陰に消えていった人物を普遍化し、社会感と個人感の相克について描かれている(?)。

以上、『富岡先生/国木田独歩』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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