花園の思想/横光利一=ジブリアニメとも関係が深いサナトリウム文学を読む。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

花園の思想-横光利一-イメージ

今回は『花園の思想/横光利一』です。

文字数14000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約45分。

夫婦の別れ。
最後は苦しいことばかりだった。
別れの言葉はお互いに、ごめんなさい。

妻と夫、それぞれのごめんなさいに、
どこかリアルを感じます。

サナトリウム文学おすすめです。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

湘南の海を一望できる、丘の上の療養所に、彼の妻は入院している。もう長くはないだろうと、彼も妻も覚悟している。

彼を愛した妻はいまや無感情な機械となっていた。そうならなければ、肺結核の苦しみや、もうじきこの世を去る悲しみは、耐えがたいものに違いない。彼は妻のわずかな笑みを得るために、療養所の花園から花を集めて病室に飾る。

ここの花園の中では、新鮮な空気、日光、愛、豊富な食物、安眠、これらがもっとも必要とされていた。

しかし梅雨の時期が近づくと、ふもとの海村の人々は、売れ残りの腐り出した魚を肥料とするため、療養所の近くに積み上げた。麦わらを燃やした。ハエと煙とが肺病患者を苦しめた。風評被害で売り上げが伸びず、また肺病をうつされるかもしれない恐怖から――明らかな療養所への迫害であった。

彼は副院長に、「奥様はこの月いっぱいだろう」と告げられる。とっくに覚悟はできていても、悲しみを感じないわけにはいかない。

嘘だと思いたかった、なぜ人は不幸を不幸と感じなければならないのか、きっと妻は健康になる、二人は幸せになる――しかし妻は、「もう苦しいのはいやだ」と言う……。

彼は迷う。漁場の魚と花園の花と、どちらが本当に妻を苦しめているのだろう、と。療養所は妻の命を長らえさせてくれているが、それだけ苦しみも長くなる。魚の吐き出す煙は妻の命を縮めるには違いないが、それは苦しむ時間をも縮めることになる――。

ある日の夕暮れ、彼はバルコニーで日が沈むのを見ていた。と、妻の呼ぶ声が聞こえた気がした。病室に戻るとやはり、妻は彼を呼んでいたのだと言い、あたしの身体を抱いてくださいと頼む。彼の抱いた妻の身体はまるで花束のように軽かった。

もう苦しい、もう逝きたい。そんなこと言うな、生きてくれ。もう、あたしを苦しめないで。……ああ、もうちょっとの辛抱だ。あなた、長い間、ごめんね。俺も、長い間世話になって、すまなかった。あたしほど、幸福なものは、なかったわ、あなたをひとりぼっちにして、ごめんね、さようなら。……さようなら。

その夜、妻は息を引き取った。彼は妻の最期を美しいものだと感じた。やがて彼は、一枚の紙のようにふらふらしながら、花園の中へ降りていった。

狐人的読書感想

花園の思想-横光利一-狐人的読書感想-イメージ

前々回の横光利一さんの読書感想が『春は馬車に乗って』だったのですが、『花園の思想』はその続編的な短編小説ですね。

『春は馬車に乗って』では、まだ夫婦ともに病気に対する心の準備ができておらず、妻は病気の苦しみに苛立ち「檻の中の理論」で夫をなじり、夫は仕事と妻の看病とで疲れ果てていて、それは読んでいて苦しくなるくらいの葛藤でしたが、最後には穏やかな心持ちで春を迎える結末でした。

『花園の思想』はその後、二人の心の準備が整ってから、妻の息を引き取るまでが美しく、切なく、どこか幻想的に、ときにハッとさせられるような文章表現で綴られていて、とてもすばらしい(すごい)小説だと思いました。

あらすじではこの情景描写と文章表現をほぼカットしているので、ここはぜひ本文を読んでいただきたいところ、おすすめです。

さて、横光利一さんの作品には「亡妻三部作」といわれる作品群(シリーズ)があるとのことで、『蛾はどこにでもいる』(1926年)、『春は馬車に乗って』(1927年1月)、そして『花園の思想』(1927年2月)がそのシリーズにあたります。

作中の時系列的に並べると、『春は馬車に乗って』、『花園の思想』、『蛾はどこにでもいる』の順番となり、僕は偶然にもこの時系列順に読書を進めているわけで、妻の没後からが描かれているという『蛾はどこにでもいる』もぜひ読んでみたいですね。

また、『花園の思想』はサナトリウム文学とも呼ばれています。サナトリウムは結核など長期療養が必要な方のための療養所のことをいいます。

サナトリウム文学には他にも、スタジオジブリがアニメ映画化した堀辰雄さんの『風立ちぬ』などがあるそうです。『となりのトトロ』のサツキとメイのお母さんが入院していた病院も、サナトリウムがモデルにされているのだとか。『思い出のマーニー』でも間接的にサナトリウムが取り上げられていましたよね。

サナトリウムとジブリにはなかなか深い関係があるみたいです――という余談でした。

では以下に、今回の読書で気になったこと、感想などを綴っておきます。

大きく分けると二つですかね、「迫害」と「夫婦の別れ」について、思うところがありました。

彼(主人公)の妻が入院している療養所は海を一望できる丘の頂上にあり、丘のふもとには海村があって健康な人々が日々の生活を営んでいます。

近くに肺結核の療養所があることで、そこで獲れた魚には悪い噂が立ってしまい、さらにいつ病気をうつされるかわからない恐れもあってか、海村の人々は腐り出した魚と、麦わらを焼く煙とで療養所にいやがらせをします。

これを僕は迫害と捉え、まずは単純に「迫害はよくないことだ」とおもったのですが、しかし自分が海村の人と同じ立場になったとき、「迫害はよくないことだから」とそれをせずにいられるだろうか、また療養所の人たちにいやな感情を抱かないでいられるだろうか、と考えたとき、正直絶対にそんなことはない、とは自信を持って言えないように思いました。

魚の売り上げが風評被害により縮小してしまった、などと聞くと、やはり東日本大震災に伴う原発事故の風評被害を思い浮かべてしまいますが、その意味では海村の人たちは被害者なんですよね。

もし肺結核をうつされでもしたら、こちらの意味でも被害者といえることになるでしょう。

しかしだからといって、療養所の人たちをむやみに苦しめる真似をしていいのか、と問われてしまえば、それはやはりよくないことだとなるのではないでしょうか?

とはいえ、悪い病気をうつされるかもしれないという恐怖は、理屈ではいかんともしがたいことのように感じます。ちゃんとした説明があっても、怖いものは怖いですものね。

生物としての生存本能の観点から見れば、害のある少数を除いて、健全なる多数を生かすことが、本当に悪いことだとは言い切れず、悩ましいところがあります。

どのようにすれば病気がうつらないのか、ちゃんとした知識を持ち、人はそれをきちんと理解するように努め、適切な対処をして、噂などに踊らされない意思と、迫害などはしない強い心を持たなければならない、とは思うのですが、すべからくその状況を作れるわけじゃない、といったところもまたむずかしいです。

迫害をしない、迫害されても人を憎まない、そんな強い心を持ちたいと願いますが、言うほど簡単なことではないんだろうなあ、ということもまた実感させられてしまいます。

煙は道徳に従うよりも、風に従う。

印象深い一文でした。

「夫婦の別れ」については、いくら覚悟ができているとはいえ、葛藤せずにはいられない彼の心情が心に響きます。

妻に食事を与えても、それは妻の腹の中に潜んでいる病気に食べ物を与えているような気がするし、かつて自分を愛してくれた妻が、ただただ無感情になっていくのは耐えがたいことのように想像しました。

これからも生きていく者にとって、その命を終えようとしている大切な人に、少しでも長く生きていてほしいと願うことは、もちろん当たり前の感情だと思えるのですが、しかしそれは大切な人を思っての感情ではなくて、ただただ自分のためのエゴに過ぎないのかもしれない、ということを強く感じました。

彼が終始葛藤しているのはそのことで、これは終末医療を思わされるところですよね。

自分が命にかかわる病気になったとき、生き続けることの苦痛や、看病する人の苦労を思えば、はやく逝きたいと望むように思います。

それと、大切な人が自分にいつまでも生き続けてほしいと願ってくれるだろうか、というところはどうしても考えてしまいますね。

看病に疲れ果てて、もうそんなことを思えなくなっていたとしても、それを責めることはできないように思いますし、大切な人を楽にしてあげるためにも、また自分が楽になるためにも、はやく最期を迎えることを望んでしまうように思います。

しかしこれは想像だから言えることであって、実際病気になってしまえば生を渇望してあがいてしまい、苦痛のあまり喚き散らして、ただただ生き恥をさらすばかりで、いろいろな人に迷惑をかけてしまいそうです。

本作の最後で、夫婦がお互いにこれまでのことを謝りあって別れたシーンは、なんとなくリアルを感じたところでした。

ごめんなさい、ありがとう、さようなら。

そんなふうに大切な誰かと別れられれば、あるいは亡くなるほうにとって、それは幸せな人生だったといえるのかもしれませんよね。

そう単純にはいえないのかもしれませんが――。

読書感想まとめ

花園の思想-横光利一-読書感想まとめ-イメージ

すばらしいサナトリウム文学。
おすすめです。

狐人的読書メモ

エンターテインメントばかりがもてはやされる現代において、こういった小説は求められていないように感じてしまうが、すばらしい小説はすばらしい。横光利一すばらしい。

タイトルの『花園の思想』には「生命の終わりと明るさ」といったテーマが含まれている。主人公は妻の亡くなる姿を最後には美しいものとして捉えており、悲しく暗いはずのものを明るく美しいものとして捉えようとする発想の転換に「思想」が見られるという。

・『花園の思想/横光利一』の概要

1927年(昭和2年)『改造』にて初出。サナトリウム文学。亡妻三部作。その他の作品として『蛾はどこにでもいる』、『春は馬車に乗って』。すばらしい小説。おすすめ。

以上、『花園の思想/横光利一』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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