狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『あばばばば/芥川龍之介』です。
文字数7000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約21分。
初心な少女もいつか図太い母になる。
男はそれに何を思う?
とても気になるタイトルですね。
AA、ぼのぼの、北斗の拳、N・H・Kにようこそ!、
ニンジャ、フェイトを連想した人歓迎。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
不愛想な主人のやっている雑貨屋があった。保吉はこの店に好感を抱いて、たばこを買うために通うようになった。
半年ほど経ったある初夏の朝、保吉がいつものように店の中に入ると、勘定台にあの不愛想な主人はおらず、代わりに十九くらいの女の姿があった。
どうやら主人の新妻のようだ。この女が初々しく、またとても恥ずかしがり屋で、たばこの銘柄を間違えたり、お客の言うことに一生懸命対応しながら顔を赤らめる。保吉は店を訪れるたびにこの女をからかったり、たまには微笑ましく思ったりしていた。
二ヶ月ほど経ったその翌年の正月のこと、女は突然店から姿を消してしまった。保吉はそのことを気にかけつつも、不愛想な主人に尋ねることもできずにいた。
二月末のある夜に、保吉が店の前を通りかかると、両手に赤子を抱えた女が一人、店内の光に照らされているのが見えた。
「あばばばばばば、ばあ!」
女はおもしろそうに赤子をあやしていた。ふと、保吉と女の目が合った。保吉は女のはにかむ顔を想像した。が、女は静かに微笑むだけで、恥ずかしいそうな様子などみじんも見せない。
女を後ろにした保吉は思った。女は母になった。それは喜ぶべきことだ。しかし、初心な少女のようだった新妻が、図々しい母になったのだと思えば……、保吉は一抹の寂しさのようなものを感じるのだった。
狐人的読書感想
「あばばばばばば、ばあ!」
――と、いうことで、とても気になるタイトル『あばばばば』の意味は「赤ちゃんへのあやし言葉」だったんですね、納得しました。
タイトルがいい小説はいい小説、だと感じることが僕は多いのですが、この「あばばばば」は現代でもいろいろなネタとして使われているそうで、そちらをイメージする方もいらっしゃるかもしれません。
――AA(アスキーアート)、マンガ・アニメ(『ぼのぼの』のシマリスくん、『北斗の拳』の断末魔)、音楽(筋肉女帯の『踊る赤ちゃん人間』―アニメ「N・H・Kにようこそ!」のEDテーマ曲―)、ゲーム(『バリキ・ジャンプ』―『ニンジャスレイヤー』の二次創作ブラウザゲーム―、『フェイト/タイガーころしあむ』)などなど(ほかにもあれば教えてください)。
芥川龍之介さんの『あばばばば』は、知名度はさほど高くないように思っていたのですが、上記の影響もあってか、ネットなど見ているとけっこう読んでいる人がいる印象を受けました。
タイトルが気になって読みました、というのは、読書感想文を書く上ではお決まりの文言なので、その意味では夏休みなどの読書感想文の宿題に、おすすめできるかもしれません。
主人公は保吉ということで、前回『保吉の手帳から』でもご紹介したように、芥川龍之介さんには「保吉シリーズ」とでもいうべき作品群があって、今回の『あばばばば』もこの「保吉シリーズ」に含まれる小説です。
「保吉シリーズ」は私小説、芥川龍之介さんが横須賀の海軍機関学校で英語の先生をしていたときの体験をもとに書かれていて、保吉は芥川龍之介さん自身の分身といっても過言ではないキャラクターです。
文豪・芥川龍之介さんの人柄が感じられる点で、大変興味深いシリーズです。
おそらくは、この作品を読んで、「保吉性格悪いなあ」とか、「保吉いやなやつだなあ」とかいったような感想を持つ人は多いように思います。
とはいえ、よく失敗したり、おどおどしていたりする人を、なんとなくいじめたくなってしまう保吉の気持ちもわからなくはないような気がします(――そういう僕は性格が悪い?)。
保吉自身は恋愛感情を否定していましたが、「気になる子には意地悪をしたくなる」みたいな心理も、あるいは影響していたのかなあ、とか想像してみてもおもしろいです。
しかしながら、本当にただただ性格が悪いだけの人というのは、世の中少ないのではないでしょうか?
というのも、よく失敗をしたり、おどおどしてる人を見たりすると、なんとなく助けてあげたいような気持になるときだって、けっこうあるように思うからです。
保吉は、そうした二律背反する感情を「天使と悪魔」と表現していて、これはいまでは陳腐に感じられる言い方かもしれませんが、しかしありふれているからこそ誰にでも共感できる秀逸な心理描写だと僕は感じました。
作中、雑貨屋の女がちょっとした勘違いを夫に話しているシーンでは、保吉はそれを微笑ましく感じています(保吉の天使な部分)。
僕はよく、人の気持ちを「100%か0%しかない」と思い定めてしまうことがあります。
嫌いな人はいつでもどこでも嫌いだし、好きな人はいつでもどこでも好きなように思ってしまうのですが、実際にはその日の場所、時間、体調、それらに影響された心理状態によって、日々その人に対する気持ちというのは変化するものですよね。
今日は「30%好きで70%嫌い」でも、明日は「70%好きで30%嫌い」になるかもしれません。前は好きだったのにいまは嫌いだ、とか。前は好きだったのに、いまは好きなのか嫌いなのかわからない、という場合には、このメーターが「フィフティ・フィフティ」の状態という言い方ができるかもしれません。
ひょっとすると、当たり前のことを言っている、と感じる方も多いかもしれませんが、僕は人間関係においてこのことを失念しがちなように思い、どこか頑なになってしまうところがあるように思い、大切なこととしていつも心に留めておきたいことなのですが、みなさんはいかがでしょうか?
当たり前のことといえば、この作品のオチである「初心な少女のようだった女が、図々しい最強生物(笑)・母になった」というところを、当たり前のことをいっていると感じた方もいらっしゃるかもしれません。
僕などは「たしかに」と内心で呟きつつも、どこか新鮮な感じでしみじみと思ったのですが、人生経験の差によって、このあたりは「おもしろい」と感じる人と「わかりきったことを言っている」と感じる人と、感想が分かれるところかもしれないなあ、などと分析してみましたが、あなたはどのように感じるでしょう?
ラストの寂寞とした情景描写は、保吉の寂しさを感じられるもののように思い、あるいはこれは男性特有の感情なのかなあ、などと想像してみたのですがどうでしょうね。
……感情というか幻想というか。
男性には女性に、初々しさというか無垢みたいなものを、どこか求めてしまうところがあるのでしょうかね。
「母は強し」とはいいますが、強くなるためには初々しさなどは捨ててしまって、図太くならなければならず、それは決して悪いことではなくて、現実的には喜ぶべきことではあるのですが、男としてはやっぱり「失われし無垢な少女性」を追い求めてしまう……、みたいな。
そういう感情が浮気などにもつながってくるのかなあ、とか考えてしまうと、救いがたき男の性みたいにも思ってしまうのですが。
うまく伝わっている自信がないのですが。
あるいは大人になる娘を見送る父親の気持ちや、大人になる息子を見送る母親の気持ちに近いのかな、などとイメージしてみるのですが、ちょっと違うようにも感じていて、なかなか難しいところです。
うまくこの気持ちを理解できる方がいらっしゃったら、ぜひご意見を伺わせてほしいと思いました。
読書感想まとめ
無垢な少女もいずれは図々しい最強生物・母となります。それは決して悪いことではないのですが、男性はそれに一抹の寂しさのようなものを感じるみたいですね。
狐人的読書メモ
ちなみに「アババ地獄」というものがあって、これを知っている人はタイトルから怖い話をイメージすることもあるらしい。ちなみにちなみに、「アハハ地獄」や「アタタ地獄」もあるのだとか、すべて苦悩の声に由来する名称とのこと。
自分の負の部分を小説に表現することはとても難しいことのように感じた。それをさらすことは誰にとっても勇気のいることなのではなかろうか。しかしそれができなければいい小説というものは書けないのかもしれない。太宰治、芥川龍之介などは自分自身の負の部分を小説に描いていることも多いが、不思議とそれを嫌悪するばかりでなく、どこか親しみのようなものを覚える。文豪と呼ばれる人たちのすごさを思う。
・『あばばばば/芥川龍之介』の概要
1923年(大正12年)12月、『中央公論』にて初出。保吉シリーズ。私小説。とても気になるタイトル。知名度は高くないはずなのだが、読んでいる人は意外に多く感じた。高年齢層には当たり前のことをいっているだけに感じられてしまい、あまりおもしろさをわかってもらえないかもしれない。共感という意味では青年男性、男性心理を読む上では若い女性にもおすすめできるかもしれない。
以上、『あばばばば/芥川龍之介』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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