南北/横光利一=なんだかんだで「やらない善よりやる偽善」です。

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

南北-横光利一-イメージ

今回は『南北/横光利一』です。

文字数20000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約52分。

目の前で苦しんでいる人がいても、
自分の得にならないし、厄介事に関わりたくないし、
それでも他人を助けられる人は偽善者とか言われたりしますが、
やらない善よりやる偽善です。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

村に二人の若者がいた。北に住む山本秋三と南に住む谷川勘次だ。ふたりの母は姉妹で、姉である勘次の母は谷川家へと嫁いだ。しかし秋三の祖父はこの結婚に反対していたので、以来両家はほとんど絶縁状態となる。

やがて秋三の祖父が亡くなると、秋三の父は財産をすべて使って家出してしまう。そのころ隆盛だった勘次の父は、山本家に対する復讐のときがきたとばかり、山本家を立て直してやり、その翌年に亡くなる。これで両家の立場は逆転した。

以後、勘次の家は常に秋三の家の上に立ったが、何事にも屈することを好まない青年の自尊心が秋三を頑なにし、秋三と勘次は大変仲が悪かった。

ある夕暮れ時、秋三の家の前にひとりの乞食がしゃがんでいた。乞食はかつて村を出ていった安次だった。安次は心臓の病気にかかっており、先は長くないからしばらく置いてくれないか、と秋三に頼む。安次がいうに、秋三の家は安次の家の本家筋にあたり、その縁を頼ってきたのだ。

しかし秋三には納得がいかない。そこでふと名案を思いつく。安次の名字は勘次と同じ谷川なので、親戚だといって勘次の家に押しつけてやろう。

秋三が厄介者の安次を押しつけていったことを知った勘次は、再び安次を秋三の家に引っぱっていった。するとまた秋三が安次を連れて、勘次のあとを追っていく――勘次はそこで思い直す。

もし自分が安次を寛大に引き取れば、自分の権威を何倍にも秋三に感じさせることができるだろう。もし恋人が自分の博愛の心を知ったなら、結婚の時期を早めることになるだろう。

勘次は安次を自分の家で世話することに決めたが、しかし勘次の母はそれを許さず、秋三の母と話し合った結果、村の組合に頼んで安次の小屋を作ることになる。

しばらくして、その小屋の中で安次が亡くなると、秋三は一度引き受けたにもかかわらず、結局村の組合に頼んだのだから、棺桶くらいは用意してやれと勘次と勘次の母に言う。

勘次が棺桶を作って、秋三とふたりがかりで安次を納めようとしていたとき、安次の布団を勘次の母が取り上げる。それを見た秋三は、勘次の母を「しみったれ」と罵倒する。

勘次の母はたしかにケチで、秋三はそのことをたびたびバカにしてきたのだ。勘次もついに堪忍袋の緒が切れて、秋三と組み合い、安次のなきがらの上に倒れ込み、血に濡れながらケンカをはじめた。

狐人的読書感想

『南北』は小説の神様・横光利一さんのデビュー作とされる小説です。リアルな人間が描かれている作品といえるのではないでしょうか。

家の確執によって、親戚同士であるにもかかわらず仲が悪い、というようなことはけっこうありがちだよな、と感じてしまいます。

青年期の何物にも屈することを好まない性質というのもわかるような気がして、秋三と勘次の仲が悪いのもなんとなく頷けるような気がします。

そんなところへひとりの乞食が、親戚を頼るかたちで秋三のもとを訪れるわけですが、当然面倒を見たくない秋三は無理矢理な理由をこじつけて勘次の家に押しつけようとします。

勘次も当然ながら厄介事を抱え込みたくないので、一度はそれを拒もうとするのですが、やはり考え直します。その理由は、秋三と恋人に対して「見栄を張りたい」というようなものでした。

この作品を読んで思ったことは、「人間は何事においても自分の利益を一番に考えてしまう」ということ、「他人の苦しみは二の次になってしまう」ということでした。

他人が目の前で苦しんでいて、世話をしてほしいと頼んでいても、面倒なことはしたくないと思ってしまうのが、やっぱり人間だという気がします。

もしも乞食をかわいそうに思って、世話をしてあげたとしても、それは本当にその人のことを考えているわけではなくて、人の目を気にした仕方のない行為であったり、あるいは勘次のような打算があったりするのが、やっぱり人間だと思うのです。

「すべての善が偽善である」というようなことはよく言われますが、たしかにどうしても人間には利己心や虚栄心というものがあるので、これに反論するのは難しく感じてしまいます。

ただ善い行いがすべて偽善であったとしても、その行いが誰も悲しませずに誰かを救っているのだとしたら、偽善はけっして悪いことではないのだと思うわけで、「やらない善よりやる偽善」という言葉の重みを実感します。

口先ばかりで誰のためにも何もしないよりも、自分の利益を優先して誰かのために偽善を行えるほうが全然いいと思うのですが、やはり口先ばかりになってしまってなかなか行動できません。

なかなか行動できないのは、たとえばボランティアとか、おそらくそれは物質的な利益につながることが少ないからだと思うのですが、人に感謝してもらえたり、充足感を得ることができたり――そういった精神的な利益を目当てに善(偽善)を行える人は、もっと尊敬されてもいいように思っています。

秋三と勘次ばかりでなく、秋三と勘次の母についても思わされるところは大きいです。

一言で言うと秋三の母は「いい人」で、勘次の母は「ケチ」ということになるかと思うのですが、乞食の安次がお世話になるせめてものお礼になけなしのお金をふたりの母に渡そうとするシーンがあるのですが、秋三の母は憐みから逆にお金を渡そうとし、勘次の母は世間体から受け取ることを拒否します。

後日安次はそのお金を「持っていても重荷になるだけだから」といって火の中にべてしまうのですが、それを知ったときのふたりの母の心情が興味深かったです。

秋三の母は結局安次に渡せなかったお金を仏さまが授けてくれたのだと感謝し、勘次の母は受け取っておけばよかったと後悔します。

ここにもやっぱり自分本位の人間らしさが現れている気がしました。

人間は本当に誰かのことを想って行動することなんてできないのかもしれませんが、それでも誰かの行いが誰かの助けになることがあって、結局それだけのことでいいんだろうなあ、などと思っています。

人のやさしさに失望したりうがった見方をしてしまうことがよくあるのですが、このことを常に心の片隅においておきたいのです。

するにしてもされるにしても、このことを忘れないで人のやさしさに接していきたいと心がけているつもりなのですが、いつも忘れがちになってしまいます。

読書感想まとめ

なんだかんだで「やらない善よりやる偽善」です。

狐人的読書メモ

勘次の母が自分の息子の勘次にさえ「しぶったれ!」と言われてしまうシーンがあるのだが、勘次の母が「いったい誰のためにケチになっていると思うの?」と涙するところはどこか切なかった。「親の心子知らず」ということは往々にしてある。自分も気をつけたいと思う。

・『南北/横光利一』の概要

1921年(大正10年)2月、『人間』にて初出。横光利一のデビュー作。リアルな人間心理の描写が秀逸である。会話文が多く、文豪作品にしては比較的読みやすかった。

以上、『南北/横光利一』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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