狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『虎狩/中島敦』です。
文字数26000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約71分。
転校ほどイヤな気持ちになることはない。
植民地時代の朝鮮。私は趙と友達になる。
中島敦の原点となる短編小説。
極虎狩り、創作、孤独、友達、強いとは、弱いとは。
いろいろなことを思います。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
語り部の「私」は少年時代を朝鮮で過ごした。植民地時代、当時の朝鮮は日本の統治下にあった。私はそこでひとりの朝鮮人と友達になる。これは、趙大煥という名の、私とその友達との思い出話、そしてその中のひとつに虎狩の話も含まれている。
小学校五年生の二学期に、私は内地から龍山(ソウル)の小学校に転校してきた。転校当初ほどイヤな気持ちのすることはない。違った習慣、違った規則、違った発音――案の定私は授業中、読本の読み方の違いをクラスメイトたちのみならず、教師にまで笑われて陰鬱な気持ちになった。
私は休み時間になると大急ぎで教室を抜け出して、運動場の隅っこへ行った。私がしょんぼり空を眺めていると、猛烈な砂埃が立ち込めてきて口の中がじゃりじゃりになった。口に溜まった砂を吐き出していると、それを冷やかす笑い声が聞こえてきた。その声の主が趙大煥だった。
身体が小さく弱いのにもかかわらず、私はついカッとなって、負けてもいいという気持ちで趙にとびかかっていった。ところが私のこの思いとは裏腹に、趙は無抵抗だった。ずるそうな表情を浮かべて私を見上げていた。
それから二、三日して、私と趙は帰り道で一緒になった。趙は自分が日本人の中にいる朝鮮人であることを気にしていないようだったが、友人たちや教師がそのことに心遣いを見せたときには不機嫌になった。ともかく、そうして私達は友達になった。
虎狩の話はあっさりしたものだ。中学校一年生の正月、私は趙に誘われて虎狩に出かけることになった。趙の家は朝鮮の豪族だったので、こういったことも毎年行われているらしい。新しい雪の積もる山林の中で、木と木の間に高い安全な待機場をこしらえて、虎が現れるのを待った。私はうとうとしてしまい、気がつくと銃声が響き、そこには虎と人間がひとり倒れていた。人間は虎を狩り出す勢子のひとりで、突然の虎の出現に気絶していた。趙はその男の身体を蹴って、けがもしていないと冷たく吐き捨てた。その姿に私は驚きを禁じ得なかった。
中学校三年生の軍事演習の夜営中、趙は上級生に生意気だといって体罰を受けた。趙の冷笑的な、ひとを小ばかにした態度は普段から上級生に目をつけられていたので、いつかはこうなるだろうと私は予感していた。騒ぎの後、私が様子を見に行くと、趙は大声を上げて泣いた。それは趙が日頃誰にも見せたことのない姿だった。趙は言った。「いったい、強いとか弱いとかいうことは、どういうことなんだろうなあ」
それからまもなく、趙は行方をくらませた。ある種の運動に参加しているとか、上海で身を持ち崩しているとか――噂は聞いたがその消息はわからなかった。
十五、六年の歳月を経て、私は東京で偶然にも趙と再会を果たした。みすぼらしく、背が高く、異様な風体の男――通りでその人物を見かけた私は、それが誰であるのかわからなかった。相手はすぐに気づいたようで、私に並んで歩きはじめた。
煙草を一本くれという男に私は煙草の箱を差し出した。そしてポケットに手をつっこんだ男は妙な顔をして、煙草の箱を私に返そうとした。
「言葉で記憶していると、よくこんな間違をする」。私にはうまく意味がのみこめなかった。男の説明によれば、じつはマッチを借りようとして、それを言葉で記憶していた。するといつのまにか、関係する煙草という言葉に記憶がすり替わっていたという。
そんな話を聞かされて別れる間際、男の薄笑いを見て私はそれが趙であることをすっかり思い出した。が、そのときには、男は慌ただしく電車に乗って去ってしまった。私は十何年かぶりに逢った友達をまた見失ってしまった。このことがあって、これまでのような彼との一連の思い出を語ってきたのである。
狐人的読書感想
タイトルだけ見て、『ワンピース』のゾロの必殺技『虎狩り』を思い浮かべてしまったのは、きっと僕だけではないはずです(――と信じたい)。
ともあれ、『虎狩』は雑誌『中央公論』の公募に応じて書かれた作品だそうで、中島敦さんの出発点ともいえる小説です。
結果は佳作だったとのことで、しかし本人は相当の自身を持っていたらしく、発表後には「『虎狩』またもや駄目なり」と落ち込んでしまったと聞いて共感を覚えました。
芳しくない結果を得て落ち込むのもそうですが、書き上げてみてその直後はいいものができたと思ってみても、しばらく時間を置いて冷静になって考えてみると、大したものではないかもしれない――みたいなことがあります。
たしか『倫敦塔』を書いていたときの夏目漱石さんが、門弟に送った手紙のなかにこのようなことを書き綴っていたはずなのですが、文豪と呼ばれるひとたちでさえそうなのですから、これはおそらく創作をされる方ならけっこう多くの人が共感できる事柄なんじゃないかなあ、とか狐人的には思っています。
いきなり内容に関係のない話をしてしまいました。
とはいえ内容が薄くて書きたい内容がない、ということでは決してありません。むしろリアルな少年の友達関係が描かれている、思わされるところの多い小説です。
感動的な理想の友情ではなくて、あくまでも現実的な友達関係を下敷きにして、趙という友達の抱える人種の違いによって生じるコンプレックスや、彼の言動から私が思わされる観念的な事柄などが描かれているように感じました。
あるいは「朝鮮人問題」といったものを作品の背景にしようとして、しかしその踏み込みが徹底されていないといった指摘や、タイトルが『虎狩』でありこれを作中でも主題として匂わせているにもかかわらず、この小説の主軸とまではなりえていないなどの作品構成の甘さが、高評価に至らなかった理由といわれているらしいのですが、それにしてもいろいろと考えさせられる小説であることに間違いはないように僕は思います。
まず作中「私」の少年時代の境遇は、中島敦さん自身の境遇と重ね合わせて見てもいいようです。お父さんの転勤で、ソウルの小学校に転校し、転校当初ほどイヤな気持ちのすることはない、というところは誰にでもわかりやすい感情ではないでしょうか。
転校ではなくても、席替えやクラス替え、学校が上がったときなど、仲のよい友達が近くにいなくて、だけど周りはなんだか楽しそうに話しているの見ているときの疎外感――みたいな。
集団の中で感じる疎外感ほどイヤなものはない、といって過言ではないように思うのですが、どうでしょうね? これは現代でも変わらず、また現代だからこそより一層実感できるところなのではないでしょうか。
日本植民地時代の朝鮮の小学校で、周りは日本人ばかりで疎外感を感じていたはずの趙は、転校してきたばかりの「私」の気持ちが痛いほどわかったのではないでしょうか。だから、運動場の片隅でしょんぼりしている「私」に声をかけた、まあ、嘲笑で接してしまうあたりが不器用というか、生意気盛りの小学生らしいというか――とてもリアルを感じるところでした。
さて、「私」本人も述べているように主題である「虎狩」の話はいかにもあっけないものでした。虎を待っている間にうとうとしてしまった「私」は、肝心の虎が出てくるところを見逃してしまい、気がついたときにはすべてが終わった後でした。
おそらくこの件で最重要な部分は、気絶した勢子に対する趙のとった冷徹な言動だと僕は考えるのですが、朝鮮の豪族の家系であり、また常に他者を見下しているかのような冷笑的な態度をとっている趙の言動を、このとき「私」はある意味当たり前のことのように受け止めています。
まあ、現実の友達関係でも、「その態度はよくないよ!」とはっきり言うのは難しいことかと思いました。悪い態度や悪いことをしている友達を注意するのは大変に勇気がいることですよね。ともすれば流されるまま誘われるままに、自分も友達と一緒になって悪いことをしてしまうことだってあるかもしれません。
もちろん友達が悪いことをしていればそれを正してあげるのが真の友達というものなのだとは思いますが、それはやっぱり小説や漫画の中の感動的な理想の友達像であって、現実にはなかなかに厳しいとか思ってしまいます。
だけどそれじゃあダメなんだよなあ――とも思うわけで、少しでも理想の友達になれる自分でありたいと願うわけなのですが、はたして……。
そんな家の中では強者の趙も、植民地支配された朝鮮の、日本人の多く通う学校の中では弱者とならざるを得ません。元来持つ反骨心や冷笑的な性格のため上級生に追随することをせず、皮肉な態度をとっていますが、実際暴力を振るわれてしまえば喧嘩が強いわけでもない趙にはなすすべがなく、「どういうことなんだろうなあ。一体、強いとか、弱いとか、いうことは」と、嗚咽を漏らしながら呟かれた言葉には切ない感慨があります。
想像してみるに、家では母親や父親や弟妹に暴君のようにふるまっていても、学校に行けばいじめられたり無視されたりする心境に、通じるものがあるのかなあ、とか思いました。あるいは会社の上下関係とか、政治や国家間といったもっと大きな視野で捉えてみても通用する話かもしれません。
「強いとは何か? 弱いとは何か?」、戦争や国際情勢、競争社会、また心の問題としても広く思考することのできる、人類の永遠の命題のひとつともいうべき問いかけだと感じました。
そんな中学時代から十五、六年の歳月を経て再会した趙の残した言葉、「言葉で記憶していると、よくこんな間違をする」というところは同じく中島敦さんの『文字禍』の内容を彷彿とさせる部分です。
そういえば、前述の「強いとは、弱いとは」というテーマも、『山月記』や『名人伝』などその後の多くの作品に通底するテーマのように思えます。
まさに冒頭で紹介したように、『虎狩』という小説は、中島敦さんの原点ともいえる小説といって、間違いないように思いました。
読書感想まとめ
友達の朝鮮人が日本人に抱くコンプレックス、そこから生じる数々の言動に「私」がいろいろな思いを馳せていて、その思いに共感したりさまざまに考えを巡らせたりすることのできる小説です。
狐人的読書メモ
――極、虎狩り!!! 虎は代表作『山月記』でも重要なモチーフ(といういわずもがなを言う)。
・『虎狩/中島敦』の概要
1936年(昭和9年)『中央公論』の臨時増刊新人号の公募に応募された作品。のち最初の単行本となる『光と風と夢』(昭和17年7月)に収録された。評価は芳しくないが、中島敦さんののちの作品を思わされる原点的な短編小説である。
以上、『虎狩/中島敦』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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