狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『握った手/坂口安吾』です。
文字数11000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約30分。
美人の彼女がいる大学生の松夫。
彼はかわいい同級生メガネっ娘の手を握った。
なぜ?
ケダモノの手。青春時代の青年の自意識。恥ずかしくなる黒歴史。
ハーレム系のラノベとしておすすめ?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
内気な大学生の松夫は、ひとりで見に行った映画館で、隣の席に座っていた愛らしい娘の手を思わず握ってしまった。映画のラブシーンと現実とが、松夫の気持ちを高揚させていた。普通なら軽犯罪といわれても仕方のない状況だったが、娘は松夫の手をきつく握り返してきた。こうして松夫と綾子は出会い、恋人同士になった。
じつは互いに一目惚れ、運命的な出会い――しかし松夫は「握った手」にある疑念を抱かないわけにはいかなかった。ひょっとして女性というものは、男性に手を握られれば一応は握り返すものなのではないか、もしそうでなかったとしたら、綾子は例外ということになる、誰にでもあのように応じたということになりはしないだろうか、それはまずい……。
松夫の大学の同級生に水木由子という女学生がいた。彼女は心理学に凝っていて本の虫、いかにもといったロイド眼鏡をかけていて、近寄りがたい雰囲気がある。しかし松夫は、彼女のあどけなくかわいい顔立ちを見逃していなかった。
松夫はある日、校外にある庭園で、由子が芝生に腰を下ろして読書をしているのを見かけた。挨拶すらしたことがないにもかかわらず、ふいに松夫は由子の手を握ってみたい衝動にかられた。彼女の手を握ることで、「握った手」の疑念を払しょくしたい……。
松夫は由子に近づくと、跪いてその手を握りしめた。当然由子はその手を振りほどいた。非難の声を上げる由子に、松夫はうろたえるどころか、不思議なほど冷静で、口説き文句がつぎつぎと口から飛び出してくる――由子は「明日の同じ時間にここで返事をする」と言い置いて駆け去っていった。松夫は有頂天になった。内気な自分に必要なのはまさに今日行われた偉大な革命だったのだ。
翌日、松夫はわざと三十分ほど遅れて約束の場所に行った。真剣勝負、宮本武蔵の故事にならったのである。が、由子はそこにはいなかった。以来松夫はすっかり自信と元気を失くしてしまった。由子に自分の手が「ゲダモノの手」だと思われていると考えると……、彼女を見ることさえできない。
しばらく経って、試験後に偶然ひとりでいる由子を見つけた松夫は、思い切って彼女に過日の非礼を謝った。由子はその際松夫の用いた「ゲダモノの手」という言葉に関心を持った。彼女の目は観察者のそれに変わっていた。由子は松夫を許して慰めた。じつは手を握られたことがうれしく、あの日約束の時間と場所に、ロイド眼鏡を外して、ちゃんと待っていたことを語った。しかし過ぎ去ってしまったタイミングは取り返せない。由子は松夫の前から静かに去っていった。
狐人的読書感想
やはり坂口安吾さんは男性心理、そして女性心理を描くのがとても上手ですよね。
ひとりで訪れた映画館で、隣同士の席になり、手を握り合って付き合うことになって、のちに話してみたらお互い一目惚れだった、というのは僕などからしたらとてもすてきな出会いのように思ったのですが、坂口安吾さんに言わせれば『甚だしく俗悪で詩趣に欠けている』ということになるみたいです(汗)
まあ、ひとりで映画を見に行くシチュエーションが、現実的にはあまりないのかなあと一瞬思ったのですが、前回の夢野久作さんの『犬の王様』の読書感想でなぜか「おひとりさま」について調べたことをふと思い出し、現在では気兼ねなくゆっくり楽しめる「ひとり映画」というものもさほど珍しくはなくなっているようなので、こんな出会いがあってもいいのではないかなあ、と空想してしまいました。
とはいえ内気な大学生松夫も、これを運命的な出会いだとはすなおに捉えることができなかったようで、握った手を綾子が握り返してきた行為を、誰にでもそうするんじゃないかと疑ってしまうわけですね。
付き合い始めは舞い上がってしまって、そんなことを考える余裕さえないように思うのですが、ある程度付き合いが長くなってくると、相手の一挙手一投足に不安や嫉妬や恐怖みたいな感情を抱いてしまうというのはわかる気がしました。
ただ全般的に女性が、男性に手を握られたら握り返すものなのでは……、と疑い始めて、もしそうでなかったら綾子は例外的に誰の手でも握り返す「軽い女」となって、『もはや綾子に用はない』という松夫の思考回路はちょっと理解に苦しみました。さすがに穿ち過ぎなのではないかなあ、と思いました。
その後の、以前から目をつけていた由子に対するアプローチもすごい行動力です。しかしいきなり、内気な青年がプレイボーイに覚醒するなんてことがあり得るのですかね? いきなり手を握って拒まれているというのに、頭が妙に冷静になって、口説き文句がぺらぺらと出てくるという――このあたりは狐人的に『握った手』の見どころのひとつかもしれません。本当に君は内気な大学生なのか、松夫よ――といった感じです(笑)
この展開は、どんなにおとなしく、誠実そうなひとでも、やはり浮気心は誰でも持っているものなのだよ――ということが描かれているのでしょうか?(坂口安吾さんならばありえそうな話ですが)
生物学的に浮気を見た場合、男性は「自分の遺伝子をより多く残すため」、女性は「よりよい子を産むため」みたいな。あるいは食べ物にたとえて、「いつも同じものばかりだとたまには違うものを食べたくなる」みたいに言われると、なんとなくわからないこともないような気がしてくるのですが、どうなのでしょうね?(おいおい)
松夫の大学の同級生である水木由子のキャラクターは単純にいいなあと思いました。眼鏡をかけて、地味な外見で、心理学に凝っていて、本の虫だけどじつは眼鏡を外すと美少女というキャラは定番のようにも思われますが、定番、つまり王道だからこそいつの時代にも通用する美少女像であると感じました。
創作においては真新しさが求められるけれど、王道も同じくらい求められている、みたいな。勉強になった部分です。
そういえば、綾子もさばさばしたお姉さんキャラで、ひとりのヒロインとして十分通用するように思えるのですよねえ……。
そんなふうに捉えてみると、この作品は現代のハーレム系のラノベとして通用するのでしょうか?(そうであればおすすめしやすい?)
しかし由子との約束の日、松夫が宮本武蔵の故事にならい、三十分遅刻して約束の場所に行ったのは、いかにも小賢しい恋愛戦略でちょっと笑いました。待ち合わせで相手を待たせてはいけないというのは恋愛でもその他のシーンでも常識ですよね(とはいえこの戦略が功を奏する場合もあるのでしょうか? ちょっとぱっとは思い浮かびませんが)。
そして案の定由子はそこにいなかったわけで、その後の松夫の落ち込みっぷりを見ると笑ってばかりもいられませんでしたが(まあ、彼女がいるのに別の女性を口説こうとする男など笑ってしまってもいいのかもしれませんが)。
そんな松夫が自分の手を「ケダモノの手」と言って気にしているあたりは印象に残ります。「黒歴史」みたいな、過去の行いを恥じて後悔することって、誰にでもあるように思うのですが、そのせいで恋愛や人間関係への積極性を失ってしまうのはちょっと怖いように思います(青春時代、思春期の自意識)。
その点松夫は、由子がひとりでいるところに出くわすという偶然のチャンスがあったとはいえ、しっかりと自分の行いを謝罪したところに感銘を受けました。一度ギクシャクしてしまった相手に、また話しかけたりすなおに謝ったりするのはとても勇気のいることだと思います。恋愛であれ、友情であれ、そのまま関係が終わってしまうことだってあるのではないでしょうか? ぜひ見習いたい姿勢です。
最後は松夫の言う「ケダモノの手」という言葉に心理学者として興味を示し、相手を許して慰めて、さらにあのとき手を握られたことがとてもうれしかったのだと言ってあげられる由子の気遣いは、とてもすてきなひとりの女性の在り方だと感じました。さすが本作のメインヒロインだけのことはあります(?)
あなたの手は扉を叩く手、人生の扉をひらく手、立派な人間の手、ゲダモノの手なんかじゃない。
そして失われたタイミングは二度とは戻ってこないということ。
「御教訓、身にしみます、由子先生」、ですね。
『握った手』と心理学ということで、彼氏が彼女の手を痛いほど強く握ってくるときの心理について、ついでに調べてみたのですが、「愛情を伝えたい」、「離れたくない」、「男らしさをアピールしたい」、「リードしたい」、「独占したい」などといった心理作用があるそうです。
いずれも愛情・愛着からくるものなので、「痛いからやめて」とか言ってしまうと、彼が傷ついてしまうので、多少は我慢するのが「いい彼女」というものなのだとか。
ふむ。参考になる日がはたしてあるのだろうか、といったあまり役に立たないかもしれない豆知識でした。
読書感想まとめ
ハーレム系のラノベとしておすすめ、してみる?
狐人的読書メモ
――喜劇的な恋愛小説として普通におすすめ、が無難か。
・『握った手/坂口安吾』の概要
1954年(昭和29年)4月、『別冊小説新潮』にて初出。青春時代あるいは思春期の自意識について描かれている。ユーモラスな笑劇(ファルス)でもある。
以上、『握った手/坂口安吾』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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