狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『グッド・バイ/太宰治』です。
文字数16000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約40分。
田島周二、三十四歳、雑誌編集長、妻子持ち、
モテ男、十人近くの愛人がいる。
永井キヌ子、ひどい声、汚い、守銭奴、
がさつ、怪力、しかしすごい美人。
偽装夫婦がお送りする愛人行脚!
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
田島周二は三十四歳、雑誌の編集長をしている。しかしそれは表の仕事で、裏では闇商売で儲けている。愛人を十人近く養っている。結婚している。いまの妻は後妻である。前妻は女児をひとり残してこの世を去った。後妻と女児は彼女の実家に預けている。
そんな田島は自由気ままな単身生活を楽しんできた。しかし、三年もすると気持ちに変化が生じてきた。世の変遷のせいか年のせいか、酒も女遊びもどこかつまらない。
そこで小さな家でも一軒買って、田舎から女房子供を呼び寄せて、仕事も編集一本に絞り、落ち着いた生活をしようかと考え始めた。
そのためには十人近くの愛人たちと、どうにかうまく別れねばならないのだが……。
ある文壇の老大家の告別式で、田島は居合わせた知り合いの小説家に、このことを相談してみた。すると小説家はこう言う。
まずはすごい美人を探してくる。そのひとに事情を話して田島の妻役をやってもらう。その妻を連れて愛人たちのところを歴訪する。みんな黙って引き下がるだろう。
田島はその気になった。しかし最難関はやはりすごい美人を見つけることだろう。田島自身、自分の見た目には多少の自信があり、おしゃれで虚栄心の強い男だったので、愛人もなかなかの美人揃いであった。
田島は一日街を探してみたが、すごい美人がそうそういるはずもなく、諦めかけていたそのとき――ひどい声の女に呼び止められる。その女は田島の知っている女だった。
永井キヌ子。田島と同じ闇屋、いや、かつぎ屋をしている。ひどい声、汚い身なり、守銭奴、がさつ、怪力――しかし彼女はシンデレラ。着飾れば、驚くほどのすごい美人であった。これは使える。がめつい彼女のこと、金さえきちんと支払えば、きっと協力してくれるに違いない。
――田島とキヌ子の愛人行脚の旅が始まる!
狐人的読書感想
――田島とキヌ子の愛人行脚の旅が始まる! そしてまだまだ始まったばかりのところで、絶筆となってしまうなんて! 田島とキヌ子の愛人行脚の旅は終わらない! (笑、泣。しかしこう言うといいんだか悪いんだか……)
残念でなりません。
じつは最近中島敦さんの『わが西遊記』二編を読んで、まったく同じ思いを抱いたのですが、これはすでに亡くなられた作家さんの小説を読むときの、ひとつ留意点かもしれません。
続きがあるのかどうかをあらかじめ調べてから読むかどうかを決めるという……(とはいえ、結局読まずにはいられないので同じことなのでしょうか?)。
いきなり完全に余談ですが、こういった思いは現在連載中の小説やマンガにもいえることかと思います。
作者の方が、あるいは自分が生きているうちに、この物語を完結してくれるだろうか、ちゃんと最後まで読むことができるのだろうか、みたいな(『HUNTER×HUNTER』、『ベルセルク』、『ガラスの仮面』、みたいな)。
とはいえ、こちらも結局読まずにはいられないわけで、留意点とか重要っぽいことを言おうとして、あまり意味のない話をしてしまいました(ごめんなさい)。
さて。
『グッド・バイ』は、田島周二という裕福なイケメン、モテ男の遊び人が、永井キヌ子というすごい美人だけどそれ以外は(男性目線による女性としての)欠点だらけの女性の協力を得て、十人くらいの愛人たちと別れていくという、コメディ小説です。
田島とキヌ子のやりとりや、ナレーションの地の文の語り口がユーモラスでとてもおもしろいです。
太宰治さんについては、代表作である『人間失格』や、その生き方と最期から、退廃的で陰鬱なイメージを持っていたのですが、こういうユーモアある作品を読むたびにそんな印象が改まる思いがします。感動的な作品も多くて、本当に作風の幅が広い作家さんです。
『グッド・バイ』は、17世紀スペインの伝説の放蕩児、プレイボーイの代名詞、ドン・ファンをイメージさせる小説だといいます(伝説の放蕩児って……)。
このドン・ファンは、実在の人物を指しているわけではないみたいですね。戯曲やオペラ、映画やクラシック音楽のタイトルにもなっています。
……そういえば、村上春樹さんの小説『騎士団長殺し』でも重要なモチーフとなっていました(モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』はドン・ファンのイタリア語読み)。
その点、僕としても興味深いモチーフです(――とか言ってみるやつ)。
ドン・ファン(ドン・ジョヴァンニ)は、貴族の娘を誘惑し、その末に娘の父親であるドン・フェルナンドをその手にかけてしまうのですが、『グッド・バイ』ではこの逆の構想が練られていたといいます。
田島はキヌ子の協力を得て、愛人たちとつぎつぎグッド・バイしていくわけなのですが、最後は自分の妻にグッド・バイされてしまうという、なんとも皮肉な結末になる予定だったと聞いて俄然読みたくなりました(そしてもう読めないのが本当に残念になりました)。
田島はいやみな奴です。闇商売で儲けているし、イケメンだしモテるし、妻子があるのに十人近くの愛人がいるし、ちょっとナルシスト入ってるっぽいし、そしてその言動はほとんどが自分本位のものなのです。なのですが……、どこか憎めないキャラクターなのですよねえ。
たしかに、こういった男性がモテるというのはわかるような気がしました。単純というかどこか無邪気さを残しているというか……、そういう男性を描くのが、太宰治さんは本当に上手です。これら男性キャラクターが自己の投影だったのだとすれば、ご本人も女性にモテたというお話には納得させられてしまうところがあります。
とはいえやはり好みは人それぞれ、いいというひともいれば完全にないというひともいるでしょう(あなたはどちらですか?)。
永井キヌ子も魅力的な女性ですね。ひどい声、汚い身なり、守銭奴、がさつ、怪力――だけどものすごい美人というのはやはり惹かれるキャラクター性です。
ただこちらも、ひとによって好みがわかれるかもしれませんねえ……、万人向けのキャラではないからこそ、発揮できる魅力というものを思わされます(あるいはまったく万人に受け入れられるキャラクターなどは存在しないとも捉えられますが……)。
『グッド・バイ』はこれをモチーフにした舞台作品がたびたび上演されているそうで、近年では2015年に小池栄子さんがキヌ子役を演じたものがあったそうですね。
結局連載が13回でストップしてしまったので、田島の愛人は二人しか登場していませんが(二人目の出だしでおしまい)、一人目の愛人の青木さんはいいひとそうなのでその別れがなんだか切ないし、二人目の愛人の水原さんは元軍人のお兄さんが睨みを利かせていて、このお兄さんとキヌ子の闘いが繰り広げられたのかどうかも気になるところなのですが……、あるいは舞台作品では絶筆後の展開も描かれているのでしょうか? 舞台はみたことがありませんが、ちょっと興味を持ちました。
読書感想まとめ
- 小説やマンガなどの連載作品は完結を見据えて読み始めるという留意点(ただし、結局は読んでしまうのでこの留意点には実効性がない)。
- 『グッド・バイ』のみならず、村上春樹さんの『騎士団長殺し』のモチーフである点も興味深い、『ドン・ファン』(『ドン・ジョヴァンニ』)。
- 気になる『グッド・バイ』の続きは舞台作品で見られる? (とはいえなにものでもオリジナル至高、読書優先派なので……)。
狐人的読書メモ
……浅かったかな、ほぼ雑談になってしまった(反省)。
・『グッド・バイ/太宰治』の概要
1948年(昭和23年)、『朝日新聞』(第1回)、『朝日評論』(第2回~第13回)にて初出。未完成作品。グッド・バイ。
・気になったところ引用集
けれども、悪銭身につかぬ例えのとおり、酒はそれこそ、浴びるほど飲み、愛人を十人ちかく養っているという噂。
――悪銭身につかぬ、たしかに。
「案外、殊勝な事を言いやがる。もっとも、多情な奴に限って奇妙にいやらしいくらい道徳におびえて、そこがまた、女に好かれる所以でもあるのだがね。男振りがよくて、金があって、若くて、おまけに道徳的で優しいと来たら、そりゃ、もてるよ。当り前の話だ。お前のほうでやめるつもりでも、先方が承知しないぜ、これは。」
――とある文士の田島評、たしかに。
「無いね。お前が五、六年、外国にでも行って来たらいいだろうが、しかし、いまは簡単に洋行なんか出来ない。いっそ、その女たちを全部、一室に呼び集め、蛍の光でも歌わせて、いや、仰げば尊し、のほうがいいかな、お前が一人々々に卒業証書を授与してね、それからお前は、発狂の真似をして、まっぱだかで表に飛び出し、逃げる。これなら、たしかだ。女たちも、さすがに呆れて、あきらめるだろうさ。」
――ジョーク、ユーモア。
「……これは悲劇じゃない、喜劇だ。いや、ファース(茶番)というものだ。滑稽の極だね。誰も同情しやしない。……」
――印象に残った部分。
すごい美人。醜くてすごい女なら、電車の停留場の一区間を歩く度毎に、三十人くらいは発見できるが、すごいほど美しい、という女は、伝説以外に存在しているものかどうか、疑わしい。
――ユーモア。
ダンス・ホール。喫茶店。待合。いない、いない。醜くてすごいものばかり。
――ユーモア。
馬子にも衣裳というが、ことに女は、その装い一つで、何が何やらわけのわからぬくらいに変る。元来、化け物なのかも知れない。
――……化粧とか?
言うことが、いちいちゲスである。
――ゲスの極み(乙女、……それだけ!)。
「そんな乱暴な事は出来ない。相手の人たちだって、これから、結婚するかも知れないし、また、新しい愛人をつくるかも知れない。相手のひとたちの気持をちゃんときめさせるようにするのが、男の責任さ。」
――それは男の自分勝手なエゴというもの。
前にも言ったように、田島は女に対して律儀な一面も持っていて、いまだ女に、自分が独身だなどとウソをついた事が無い。田舎に妻子を疎開させてあるという事は、はじめから皆に打明けてある。
――それもあるいはモテる男の資質なのだろうか。
「おやおや、おそれいりまめ。」
――ダジャレ(永井キヌ子)。
田島は妙な虚栄心から、女と一緒に歩く時には、彼の財布を前以て女に手渡し、もっぱら女に支払わせて、彼自身はまるで勘定などに無関心のような、おうようの態度を装うのである。
――男の妙な虚栄心。
勝負の秘訣。敵をして近づかしむべからず、敵に近づくべし。
――……孫子のもじり?
「私も見たいわ。そうして、ぶってやりたいわ。捨てりゃ、ネギでも、しおれて枯れる、ってさ。」
――キヌ子の身の上が気になった発言。
「やれば出来るわよ。めんどうくさいからしないだけ。」
――(笑)
「ケンカするほど深い仲、ってね。」
とはまた、下手な口説きよう。しかし、男は、こんな場合、たとい大人物、大学者と言われているほどのひとでも、かくの如きアホーらしい口説き方をして、しかも案外に成功しているものである。
――あるいはそうなのだろうか?
童女のような可憐な泣き方なので、まんざらでない。
――いいと思った泣き方の描写。
以上、『グッド・バイ/太宰治』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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