狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『非凡なる凡人/国木田独歩』です。
文字数9000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約27分。
矛盾するタイトルが秀逸です。
『非凡なる凡人』の意味するところとは?
「努力の天才」という言葉を思いました。
勝利・友情・努力の小説。
人々よ、非凡なる凡人たれ!
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
『非凡なる凡人』とは「僕」の子供のときからの親友である桂正作のことだ。
彼は「僕」が評するに「平凡なる社会がつねに産出しうる人物」また「平凡なる社会がつねに要求する人物」だ。
このような人物が一人増えればそれだけ社会は幸福になるという。
「僕」は、この友人の生き方に深く心を打たれ、これを賛美している。
桂は凡人だろう。けれどもそのなすことは非凡ではないか。
凡人だけど凡人じゃない。
『非凡なる凡人』
矛盾を孕んだタイトルが秀逸な印象を見る者に与える小説。
その意味するところとは?
狐人的読書感想
「僕」が幼なじみの親友である桂正作君について語っている小説です。
とても読みやすかったです。短く、自己啓発書の趣もあるので、広く読まれてしかるべき作品だと思いました。
とはいえ、勉強、スポーツ、お仕事など、これからより「努力」を必要とする若者の人に、とくにおすすめできるでしょう。
「僕」の語る桂正作君は、傑出した才能を持っているわけではありませんが、普通の子でもありません。
いまなら「ちょっと変わった子」と表現するのが適切なのでしょうか?
普通の子供らしい腕白な一面もあるのですが、「ちょっと変わった子」の端的な証明として、正作君は『西国立志編』(サミュエル・スマイルズ著の『自助論』、欧米人の成功伝集)を暗記するほど読み込んでいます(活ける西国立志編)。
桂正作君の家はもともと武士の家系でしたが、維新後父親が事業に失敗していまや裕福ではありません。父親は山気(ひと山当てようとする心)のために事業に失敗し、兄は冒険心のために行方をくらませてしまいます。正作君は、十年計画を立てて『真書太閤記三百巻』を写し終えた祖父の気質を受け継いだようで、綿密な計画を立ててそれを果たせる人物です。
そんな彼の人生のあらましはつぎのとおりです。
小学校卒業後は家政の都合で進学できず、人の伝手を頼りに銀行で働きはじめますが、まじめに働きながらも、工業で身を立てる決意をして、上京するお金を貯めます。
東京に出ると、昼は新聞売りと砂書き(上村松園さんの随筆に『砂書きの老人』という作品がありますが、砂に絵や文字を書いておひねりを得る大道芸―?―的な活動)でお金を稼ぎ、夜は学校に通って数学を学びます。
現在24歳。努力の甲斐あって立派な電気技師となり、ひとりの逃げ癖のある弟の生活・学費の面倒をみて、ようやくいっぱしの技師にして、そして今度はまた下の弟を自立させようと、二人で苦心している最中だといいます。
僕はこれを読んで「努力の天才」という言葉を思いました。
たしか『NARUTO ―ナルトー』のガイ先生がロック・リーを評して言った言葉だったかと記憶していますが(違ってたらごめんなさい)。
努力は誰でもできる。
しかしながら目的のために綿密な計画を立てて、確固たる意志の下、長期間に及び不断の努力をできる人は賛美するに値する人物です。
『非凡なる凡人』は「努力の天才」と言い換えても間違いないように思いました。
そして「努力の天才」は一般的な天才とは違ってなかなか目立たないような気がします。そもそも努力そのものが地味なイメージですね。
なのでその凄さに気づけた「僕」についてもすばらしい慧眼を持っていると感じました。子供のときからの親友ゆえに、幼いころから見ていたからこそ、気づけたことなのかもしれませんが、それでも友達のいいところを見つけて、それを手放しで賞賛したり尊敬したりできるというのは、とても素敵なことなのではないでしょうか?
正作君が上京して何年かのち、「僕」も進学のために上京して、二人は再会を果たすのですが(二人はこのとき19歳)、そのとき正作君の貧しい暮らしぶりを見て、「僕」が思いを馳せる印象的なシーンがあります。
正作君に誘われて、二人はとある飯屋ののれんをくぐるのですが、その店の様子、出てきた料理に、育ちの良い「僕」は驚いてしまうのです。汚らしくてとても食べる気がしない。だけど食べ始めるとどうしようもなく涙がこみ上げてくる。
これは、独立自活しようとして夜は自らを教育し、昼は労働して手に入れた僅かばかりの金銭で、心ばかりのごちそうをしてくれる友の好意なのです。これをいかにも不味そうに、いやいやながら食う自分は、彼の親友だといえるだろうか?
ここを読んで、たしかに良い家のお坊ちゃんで、人を下に見ているようなところがある「僕」なのですが、根はまっすぐな人なのだと思いました。
桂正作君は虚栄心の少ない人で、自分の境遇を嘆かず、自分の努力や苦労を人に誇らず、自分と他人を比較せず、ただありのままに、自分は自分だけのことをなして運命を開拓していく人物です。
「独立不羈」(他から束縛されず、己の考えで行動できること)という四字熟語がぴたり当てはまります(完全なる余談ですが、東野圭吾さんの小説の主人公には、この四字熟語が当てはまる場合を多く感じます)。
このような友があるからこそ、「僕」もまっすぐに人を賞賛したり尊敬したりできるのだろうと感じました。
良い友を持つということの大切さ、ありがたさ。
このような友達をつくりたいし、またこのような友達になれるような自分でありたい、と強く思いました。
努力が必ずしも報われるとは限らない、というのが現代的な穿った見方なのかもしれませんが、この物語の中にはたしかな「凡人の成功」があって、それはやはり「非凡なもの」なのだと感じさせられます。
「勝利・友情・努力」
――といえば、成功する少年漫画の三本柱ともいわれていますが、この要素がすべて詰まった小説です。
また、「非凡なる凡人」、「努力の天才」とまではいえないにしても、「継続は力なり」という、より一般的なことを感じられる小説でもあります。
たとえば。
毎日学校に行って勉強をする、会社に行って仕事をする、毎日忙しく家事をこなす、畑に出て野菜をつくる、継続して続けている趣味がある、……。
長く続けるということはそれだけで「非凡」なことであり、それがいまある自分をつくり、もっと大きな国とか社会とか世界とかいうものをも支えている要素なのかもしれません。
そう思えば、日々の生活を営む誰もが「非凡なる凡人」である、ということもまたできるのかもしれませんね。
読書感想まとめ
非凡なる凡人たれ!
狐人的読書メモ
国木田独歩さんはやっぱりいいですね(同じこと言い過ぎかもしれませんが)。狐人的に『桂ほど書籍を大切にするものはすくない』という部分に共感を覚えました。ものが溢れている現代に、それができているとはとても言い難いです。本を(ものを)大切にしよう。
・『非凡なる凡人/国木田独歩』の概要
1903年(明治36年)『中学世界』にて初出。のち第三作品集『運命』(左久良書房)に収録。万人におすすめできる、とくに若者世代におすすめできる短編小説。
以上、『非凡なる凡人/国木田独歩』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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