狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『誘惑/芥川龍之介』です。
文字数11000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約29分。
セバスチャンと悪魔。
――と聞いてあなたは何を連想しますか?
『黒執事』
と思ったそこのあなた、
『誘惑/芥川龍之介』
を読んでみませんか。
――とか誘惑してもよろしいでしょうか?
……セバスちゃん(言ってみただけ)。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
洞穴の内部、せばすちあんが十字架の前で祈っている。蝋燭の火が影を映す。せばすちあんの横顔の影を登り始める猿の影。せばすちあんの手の中に現れるパイプ。投げつけられたパイプは酒を入れたフラスコに変わる。花カステラに、傾城の美女に。十字を切るせばすちあん。
壁の十字架は十字格子の窓に変わる。そこから見える家の窓。せばすちあんの母が糸車で糸を紡ぐ。二、三歳の子供が遊んでいる。妻が畠で穂麦を刈り干している。
窓の外はもう畠ではない。十字架に懸かった男女三人。せばすちあんは十字架の下に倒れる。せばすちあんの頭上へ円光が輝き始める。再び熱心に祈りを捧げる。
洞穴の外部、せばすちあんが歩いている。月の光。影は左と右に一つずつ。右の影は鍔広の帽子をかぶり、長いマントをまとっている。山道、せばすちあんの右の影が立ち上がる。山羊のような髭を伸ばした、目の鋭い紅毛人の船長。
樟の木の下、語り合うせばすちあんと船長。船長の冷笑。海を見おろした岬の上、熱心に話す二人。船長は望遠鏡を取り出して「見ろ」。望遠鏡に映る五つの光景。船長は手の平に星をのせて「見ろ」。星は石ころに、石ころは馬鈴薯に、馬鈴薯は蝶に、蝶は軍服姿のナポレオンに変わる。
山道、船長はせばすちあんの円光をとってしまう。道に落ちた円光は懐中時計に変わる。時刻は二時三十分。山道はカフェに変わる。せばすちあんは踊り子たちに困惑する。船長の冷笑。金鈕の服を着た黒人がいつの間にかは樟の木に変わる。
気を失ったせばすちあんを船長が洞穴へ運ぶ。船長は岩の影を指さして「見ろ」。岩壁によりかかる顎髭のなきがら。ユダの横顔。頭は透明になり、脳髄を露にし、三十枚の銀、嘲り、憐み、使徒たちの顔、家、湖、十字架――さまざまなものを映す。
なきがらは若返り、とうとう赤子に変わってしまう。しかし顎髭だけは残る。赤子の足裏から薔薇の花びらが落ちる。せばすちあんは興奮する。船長に話しかける。が、返事はない。厳粛にせばすちあんの顔を見つめている。やがてなきがらは肩車した二匹の猿に。
船長は洞穴の外部を指して「見ろ」。月光に照らされた山中。磯ぎんちゃく、空中を漂う海月の群れ。それらが消えて、あとに残る、暗の中に回る小さな地球一つ。地球はオレンジに。ナイフがオレンジを真っ二つに切る。切断面に一本の磁針。
せばすちあんは船長にすがったまま空中を見つめる。船長は冷笑。そして髑髏を取り出す。髑髏からは火取虫が、一つ二つ……、五つ。うち一匹が鷲に変わる。岩の上に倒れるせばすちあん。その手に十字架を捉える。船長は失望に満ちた苦笑。
洞穴を出る船長。後ろから二匹の猿。樟の木の下で帽子を取り一礼。
岩の上に倒れているせばすちあん。洞穴の外は朝日。頬の上に涙。
狐人的読書感想
『浅草公園』同様、わけのわからないあらすじになってしまいましたが。副題『――或シナリオ――』とあるように、これらは映画脚本のような、シナリオ形式の文学作品で、「レーゼシナリオ」とかいったりします(「ゼーレのシナリオ」ではない!)。
内容は、観念的というか抽象的というか、中身のない、いわゆる「話のない話」というやつですね。『浅草公園』や『蜃気楼』でも触れましたが、晩年の芥川龍之介さんは、この「話のない話」に小説の芸術性や純粋性を見出していたそうです。
「話のない話」、オチのない話となると、関西の方には敬遠されてしまうイメージですが、どうでしょうね?(偏見?)じつは、僕は芥川龍之介さんの「話のない話」が結構好きだったりします。
ストーリー性はほとんどないのですが、なんとなく惹かれるものがあります。なんかいいなあ、といった感じなのですが、この感覚、共感してもらえるのでしょうか……(謎です)。
とはいえ、この『誘惑』という作品については、あらすじでもピックアップしたいくつかのワードから、明確なモチーフがわかりますよね。
まず、天主教徒(=キリスト教徒)の話であることは、誰でも感じ取れるところかと思います。以前『悪魔』の読書感想でも触れましたが、芥川龍之介さんには『キリシタンもの』と呼ばれる作品群があって、『誘惑』もそのうちの一つに分類できるでしょう。
主人公といっていいのかどうかはともかくとして、この作品の中心にいるのは「さん・せばすちあん」という人物ですが、せばすちあん……、せばすちあん……、……せばすちあんって誰? ――という方も多いかと思います(かくいう僕が思いましたが)。
「せばすちあん……、ああセバスチャンね」となれば、特定の人物を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません(かくいう僕が思い浮かべましたが)。
『黒執事』の主人公はセバスチャン・ミカエリス(イメージ画像の意味はここに!)。『アルプスの少女ハイジ』に登場する執事(執事=セバスチャンのイメージはここから定着したらしい)。『ドキドキ!プリキュア』、『鉄拳』、『リトル・マーメイド』(カニ)、『妖怪ウォッチ』(フシギ族の妖怪執事)、『日本バス協会』(セバスちゃん)。
……まあ、要するに「セバスチャン」といえば、日本では執事の代名詞ですよね。
しかしながら、『誘惑』の「せばすちあん」は執事ではありません(言うまでもないか)。さらに外国人でもありません(これはどうでしょう?)。伝説の日本人宣教師バスチャンです(『伝説』という称号だけでテンション上がるのは僕だけ?)。
この人、実在はしたようなのですが、生没年や日本名が不明であり、洗礼名の「バスチャン」のみ知られているというところが、伝説の日本人宣教師の伝説たるゆえんなのかもしれません。生まれたのは佐賀藩深堀領、平山郷布巻(現在の長崎市布巻町)だそうで、1610年頃、ジワン神父の弟子となって長崎を伝道して回りました。1657年頃(当時はキリシタン迫害の時代)に捕らえられ、三年三か月の間に78回の過酷な取り調べを受けたのち、処刑されてしまいます。処刑前に4つの予言を残した、といわれる辺りも、どこか謎めいて聞こえますが……。
先程はほとんどストーリー性は感じられないみたいなことを言ってしまいましたが、自分の影である紅毛人の船長に、せばすちあんが「誘惑」されている、というのはなんとなく伝わってきます。
おそらく『荒野の誘惑』的な、悪魔に誘惑される聖者といった話が、この作品にもモチーフとして取り入れられているように思います。キリスト教では、修行僧を惑わす悪魔の手下や化身として、猿が現れることもありますし。
悪魔といえばやはり『黒執事』ですよねえ(違う?)。
あとは『ペルソナ』とか『To LOVEる -とらぶる-』とか(……厳密には宇宙人なのでしたっけ?)最近だとアニメでもやってた『ガヴリールドロップアウト』とか……。
(カッコいい悪魔、あるいは、かわいい悪魔になら誘惑されたい?)
そんなこんなで、「セバスチャン、悪魔」から僕は主に『黒執事』を連想させられた小説でしたが、いかがでしょう?
(……僕だけかもしれませんが)その意味で、『黒執事』好きにおすすめな小説です(……どんなおすすめのしかただよ)。
読書感想まとめ
「セバスチャン、悪魔」ということで『黒執事』好きにおすすめしてもよろしいのでしょうか?
狐人的読書メモ
(……とか訊かれても? 誘惑⇒)
・『誘惑/芥川龍之介』の概要
1927年(昭和2年)4月1日発行『改造』にて初出。のち芥川最後の作品集『湖南の扇』所収。映画のように楽しめる。映画化希望。
・読書中に疑問に思ったこと
作中「分度器」はおそらくコンパスのことと思われ。「或露西亜人の半身像」はレーニンか?「二時三十分」はいわずもがな丑三つ時。「三十枚の銀」は『マタイ伝』でイスカリオテのユダがイエスを売ったとされる額。「円光」はエンジェル・ハイロゥ(内容あんまり関係なし)。
以上、『誘惑/芥川龍之介』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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