狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『虻のおれい/夢野久作』です。
夢野久作さんの『虻のおれい』は文字数2700字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約5分。
チエ子さんの特殊能力発動! 窮地の虻を救う!
救われた虻の恩返し!
動物と話せる少女リリアーネ!
動物と話せる淑女ハイジ!
M.O.手術ベースは?
虻ちゃん、いーじゃん、カッコいいじゃん!
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
ある日、今年6才になるチエ子さんは、サイダーの瓶に入り込んで出られなくなっていた一匹の虻を助ける。チエ子さんに助けてもらった虻は、「このおれいはいつかきっといたします」と言って飛んでいく。チエ子さんからこの話を聞いたお母さんは笑った。
それからいく日か経って、お母さんの留守中、泥棒が家に侵入する。逃げるチエ子さんを追う泥棒。そのとき、一匹の虻が飛んできて、泥棒の邪魔をする。泥棒に叩き落とされてしまう虻。しかし虻は、最後の力を振り絞り、力いっぱい泥棒の足に喰らいつく! その拍子に泥棒は縁側から足を滑らせ、石の上に頭をぶっつけダウンした。
チエ子さんは巡回中のお巡りさんを見つけてこれを知らせ、泥棒は捕縛された。買い物から帰ってきたお母さんは、チエ子さんを抱きしめ、涙をこぼして喜んだ。虻があたしを助けてくれた、きっとお礼をしてくれたのよ――そう訴えるチエ子さんに、「あぶとお話した子は世界中でチエ子一人だろう」と、お父さんはチエ子さんの頭を撫でながら笑った。
チエ子さんは虻のお墓を作ってやった。
狐人的読書感想
さて、いかがでしたでしょうか。
僕は、『虹(にじ)のおれい』だと思って読み始めたら、『虻(あぶ)のおれい』でした(笑?)。
「虹」と「虻」
……漢字は似ているのにこのギャップ感(汗)。
無垢な少女(?)の純真。動物と話せる……
そんなわけでこの小説、虫嫌いの方にとってはなかなか感情移入しにくい物語かもしれませんが(かく言う僕が……)、それでもいいお話であることは、万人が認めるところなのではないでしょうか?
動物と話せる少女の純真さ、というのは、人間の理想像の一つとして、やはりどこか惹かれるものがあります。
(ちなみに上の画像は『動物と話せる少女リリアーネ』のAmazonリンク。ドリトルもののロー・ファンタジー)
動物と話せる――ということで調べてみると、『天才!志村どうぶつ園』の人気コーナー「動物と話せるハイジ」というのがひっかかってきました。
ハイジと聞けば、こちらもやはり純真な少女の代名詞といえる『アルプスの少女ハイジ』を連想してしまいますが、……動物と話せるハイジさんは妙齢のご婦人でした(汗?)。
ネットで見ていると「やらせ疑惑」を取り上げているページが多くて、ちょっと興味を引かれてしまいましたが(僕の純真さはいつどこへ消えた?)。
ちなみに動物との会話は一般人でも依頼できるらしく、そのお値段は一匹あたり215.00ドル……、1ドル110円で換算すると23650円ほど……、意外にリーズナブルな気がしました(……僕の純真さは……、以下略)。
M.O.手術! 手術ベースはシオヤアブ?
虫だというのはなんとなくわかるのですが、虻ってどんな虫なの?
――と思ったのは僕だけなのでしょうか?
虻というのは、ハエの総称だそうで、その定義については結構幅が広いみたいです。作中の虻みたいに刺すものもいれば、そうでないものも一括りに「虻」と呼べます。
蜂と虻がよく混同されがちなようなのですが、蜂はお尻で刺し、虻は口で刺す、あるいは蜂は防衛のために刺し、虻は捕食のために刺す、といった違いがあります。
虻の一種にシオヤアブというのがいるのですが、こいつは飛翔するスズメバチやオニヤンマを奇襲して仕留め、捕食する――まさに昆虫界の撃墜王の名に相応しい虫です。
――なんか『テラフォーマーズ』に出てきても、レスリングとかの組技系を相手に活躍できるんじゃ……、とか考えてしまうのは僕だけ?
(ちなみに上の画像は『テラフォーマーズ』のAmazonリンク)
虻ちゃん、いーじゃん、カッコいいじゃん!
(ちなみにこれは蜂ちゃん)
この物語から学ぶべきことは結構多いように感じました。
一つは「人(虻)を見た目で判断してはいけない!」ということ(この教訓を感じられるのはおそらく虫嫌い限定かもしれませんが)。
「虻ちゃん、めっちゃいい奴じゃん!」
――といった感じですよねえ。
普段、怖そうとか気持ち悪そうとかで人を判断してしまいがちなのですが、その後ふと自己嫌悪に陥ることがあります。人を見た目で判断できるほど、美しい容姿をしているのか、自分――みたいな。
(そんあわけありませんが)僕がたとえ美しい見た目をしていたとしても、やはり誰かを見下したりしてはいけないわけで、その都度反省はするのですが、こういう「美醜に対する憧れとか嫌悪感」みたいな感情というのは、いったいどこからくるんでしょうねえ……。
感受性を持つ人間としては当たり前の感情なのかもしれませんが、こういうのはないほうがよかったなあ、と感じることもあって、いつももどかしい思いがしてしまうのですが……(共感できる方いらっしゃるでしょうか?)。
もう一つは「情けは人の為ならず」ということ。
これはおそらく『虻のおれい』の主題ともいえるテーマなのではないでしょうか。
このことわざには、「親切は、相手のためだけでなく、その報いは必ずよいものとなって返ってくるので、自分のためにもなる」といったような意味なのですが。
僕は「親切は、自助努力の精神を削ぎ、人のためにならない」といった間違った意味で理解していて、恥ずかしながら勉強させてもらいました。
併せて「命に大きいも小さいもない!」ということでしょうか。
たしかプリキュアもウルトラマンもそんなことを言っていたような……?
地面を這う蟻のこと、食料となる牛や豚や鶏のこと、……実際問題、それを声高に叫んで生きることはなかなかに難しそうですが、そういった心を大切にすることは大切に思います(……言い方が浅いかなあ?)。
泥棒の視点からすれば「一寸の虫にも五分の魂」でしょうか?
「小さく弱い者にもやはりそれなりの意地や根性があって、だから侮るべからず」ということですが、しかし泥棒が虻を侮っていた――というのは言い過ぎですかねえ……(そんな意識さえなかったといえば、やっぱり侮っていたのだとなり、あながち言い過ぎでもないでしょうか?)、「油断大敵」とも言えそうですが……。
ちなみにこれは『虹のおれい』から得られる教訓でもなんでもありませんが、虫ことわざついでに(?)「虻蜂取らず」というのもあります。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」と同様の意味ですが、自分の張った網にかかった虻と蜂、蜘蛛が虻を捕ろうとすれば蜂が逃げようともがき、慌てて蜂を捕ろうとすれば今度は虻が逃げようともがき……、あっちへこっちへしているうちに、結局両方逃がしてしまった、という故事に由来するものです。
さらに泥棒視点ならぬ大人視点から見ると、チエ子さんのお母さんとお父さんが、チエ子さんの言っていることを本気には受け取っておらず、笑って聞いているのがちょっと気になりました。
たしかに、人間が虻(動物)と会話し、心を通わせて、ピンチに助けてくれる――というのは、大人からすれば信じるに値しない戯言のように聞こえるのも無理からぬことでしょう(まあ、科学の発展した現代、子供からしても信じ難い話ではあるのですが……、子供はいつからサンタクロースを信じなくなるか、みたいな)。
子供の持つ柔らかな独自の世界観みたいなものを、大人の凝り固まった世界観が引き立てているような印象を受けて、その点興味深く思いました。
見えない友達の存在を示唆する子供のような、幼い子供の世界観というものは、神秘的で非常に物語向けの題材だと感じます。一方で、虻の行いを偶然として捉える親(大人)の視点を対比させることで、より子供の世界観を際立たせることができ、物語が映えることを学んだように思います。
最後に、ひねくれものの狐人的視点では、チエ子さんが虻と話せることを、子供の幻想ではなくて事実、すなわち特殊能力として捉えたら、創作の題材としてはやはりおもしろい(まあドリトルものとして一つのジャンルが確立しているので今更ですが)! 子供一人残して買い物に行っちゃうお母さんの不用心! うたた寝するチエ子さんをわざわざ起こす泥棒の刹那的犯行! 泥棒の転倒、お巡りさん登場、のタイミング! ――といったツッコミどころ満載な感じ?
読書感想まとめ
虻の恩返し。
狐人的読書メモ
『虹のおれい』で何か書けないかなあ……。
・『虻のおれい/夢野久作』の概要
1925年(大正14年)9月13-15日『九州日報』にて初出。「九州日報シリーズ」。「香倶土三鳥」で発表された作品。
以上、『虻のおれい/夢野久作』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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