住子七十八歳、ろくでなし孫ブルース。

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読書時間:およそ20分。
あらすじ:住子七十八歳。夫に先立たれ、事故で下半身不随になった息子も亡くなり、働き者の嫁との確執、孫育て……高齢者も働く時代? もう疲れました。

 

息子の健太が死んだのは、もちろん悲しかった。

だけど、冷たい母親だと思われるのを承知で言うけれども、正直ほっとした気持ちもあった。

健太はまだ結婚したばかりの、働き盛りの三十歳のとき、自分が原因の事故で下半身不随になった。

嫁の美咲さんは、それで働きに出なければならなくなったので、健太の面倒はあたし一人で見なければならなかった(あたしの夫はすでに他界している)。

障害者の介護というのは、それだけで大変なものだったのだけれど、肉体的な負担よりも、精神的な負担のほうがあたしにはこたえた。

健太は歩けなくなって、それまでの仕事ができなくなってしまって、ひどく荒れた。

お酒を飲んで、子どもみたいに癇癪を起こして、あたしに無理難題ばかりふっかけてきた。

そんな息子の、檻の中の理論とでもいうべきものは、いつもあたしを苦しめて、へとへとに疲れさせた。

だからあたしは、健太の棺の前へ、一本線香を手向けたとき、昔夫と行ったハイキングで道に迷い、ようやく山道を抜けたときのような、そんな気分がしていた。

健太の葬式をすませた後で、あたしがまず気になったのは、嫁の美咲さんのことだった。

美咲さんは二年前に男の子を出産していた(健太は下半身不随になってからも生殖能力は失っておらず、あたしにはいまの状況で子どもを作られては困るという思いがあったのだけれども、健太の檻の中の理論の前に、そんなあたしの思いがどうこうなるはずもなかった)。

出産後も美咲さんは働きに出なければならなかったので、当然のようにあたしが孫の翔の面倒も見なければならず、障害者の息子と赤ん坊の孫の、二人の世話を一手に引き受けなければならなくなったことは、言うまでもなくあたしにとって大きな負担になっていた。

健太が働けなくなって以来、この家の家計は美咲さんが担っていた。

この家の貯金も年金も微々たるもの、もしいま、美咲さんに家を出て行かれてしまったら、あたしは暮らしていけなくなる。

「ねえ、美咲さん、あなたこれからどうするつもり? この家を出て行ってしまうの?」

あたしは訴えかける調子にならないよう気をつけながら、美咲さんに訊いてみた。

「どうするつもりって……、お義母さん、急にどうしたの?」

美咲さんは鷹揚に笑った。

「美咲さんもまだ若いんだし、ひょっとしたら、と思って……」

あたしはなんとなく、そこで言葉を切ってしまった。

これ以上言うと、グチまじりの嘆願になってしまうんじゃないかと、それが怖くて口を開けなくなってしまったのだ。

涙さえ流すんじゃないかと思った。

「わたしは、お義母さんさえよければ、ずっとこの家にいるつもりよ。翔のこともあるし、それにわたしお義母さんのこと好きだし。もちろんお義母さんがわたしを追い出したいなら話は別だけれど」

美咲さんがにっこり笑って言うものだから、あたしは不覚にも我慢していた涙をこぼしてしまった。

美咲さんの目もうるんでいるように見えたのは、きっとあたしの気のせいではなかっただろう。

あたしが胸に抱いていた翔の寝顔が、なんだか恥ずかしそうにしているように見えた。

美咲さんは健太が生きていた頃と変わらずに働き続けてくれた。

あたしも変わらずに家事と孫の面倒を見ていた。

だけど、身勝手だと思われるかもしれないけれど、正直しんどかった。

あたしももう70歳、いくら健康寿命は延びている、超高齢社会のこの国では、高齢者も働かなきゃいけない――とはいえ、体力がついていかない。

それであたしはこんなことを考えはじめた。

美咲さんに婿養子を当てがって、この家で一緒に暮らし、働いてもらえないだろうか。

じつは健太が亡くなった後、漠然とそのことは考えていて、一人心当たりがあった。

それはあたしの妹の次男で、健太の従兄弟に当たる大輔だ。

もういい歳だから、どうにかして早く結婚させたいと、妹も言っていたので、ちょうどいいと思った。

あたしはさりげなくその話を美咲さんにしてみた。

だけど美咲さんはその話には何の興味もないらしかった。

「いまはそんなこと考えられないわ。来年になったら考えてみる」

美咲さんはそんな返事をするばかりだったけれど、しかしこれは、たしかにあたしが性急過ぎたように思う。

そんな美咲さんは来年になっても、相変わらず忙しく働き続けていて、あたしもへとへとになりながら家事と子育てに追われていた。

そのせいか、あたしは今度ばかりはちょっと強めに、あの話を勧めてしまった。

「でもね、美咲さん、いまはまだ若いからいいけれど、いつまでも男手なしでやっていくのも大変でしょう? それに翔だって、お父さんがいたほうがいいと思うし……」

「そんなこと言われても……。いくらあのひとの従兄弟でも、どんな人かも知らないし、それに翔をかわいがってくれるとはかぎらないわ。もしそんなことになったら翔がかわいそうよ。お義母さんだって、いくら自分の妹の子でも気をつかうでしょ? 第一、わたしが一番気をつかっちゃうわ。いまのままが一番いいのよ」

「でも、まず付き合ってみて、やっていけそうかどうか、見てみるだけでもいいんじゃないかしら?」

「それはそうかもしれないけど……、でもダメ、お義母さんには身内かもしれないけど、やっぱりわたしには他人だわ。大丈夫、わたしが頑張ればいいだけなんだから」

「でも頑張るったって、一年や二年じゃないのよ?」

「いいわよ、翔のためだもの」

これまでにも、こうした会話は何度かあったのだけれども、いつも最後に「翔のため」だと言われてしまうと、あたしは何も言い返せなくなってしまった。

美咲さんも話をするたび決心が強まるようで、あたしの試みは逆効果にしかならないようだった。

実際、美咲さんは以前にも増して仕事に熱中するようになった。

帰りはどんどん遅くなって、休日出勤も当たり前になっていった。

それはまるで、あたしの企みに対する力強い抗弁のようだった。

あたしもついに、この話は諦めるしかないか、と悟った。

だけどべつに、諦めることは不快でもなんでもなかった。

美咲さんは女手一つで、よく一家の暮らしを支え続けてくれた。

それはもちろん「翔のため」という想いが強かったに違いない。けれど、もう一つには、生来の負けん気の強さが影響していたように思う。

美咲さんは男勝りの勝気な性格で、障害を負ってから自暴自棄になった健太ともたびたび口論になっていたのだけれど、一歩も後にはひかなかった。

それでも暴力だけは決して振るわず、ケンカが終わればいつもカラッとしたもので、翌日になればケンカのことなどもう忘れたかのように、笑顔で健太に接していた。

あたしは美咲さんのそんなところが好きで、ひそかに救われる思いがしていた。

あたしはあたしの仕事で美咲さんに感謝の気持ちを表そうとした。

孫の翔を遊ばせて、家の掃除をしたり、洗濯をしたり、買い物に行って、ご飯を作って――慣れたものとはいえ、家事は年々つらくなっていて、あたしは腰を曲げたり伸ばしたりしながら、なんとか楽しそうに見えるよう働くことに努めた。

ある秋も暮れかかった夜、美咲さんはまた遅く家に帰ってきた。

あたしは翔をおぶったまま、美咲さんのご飯の準備をした。

「今日は寒かったでしょう? ずいぶん遅かったわね」

「うん。いまおっきなプロジェクトを任されてて、これからもっと遅くなるかもしれないわ」

美咲さんは着替えもせずイスに座って、テーブルに身を投げ出すように突っ伏した。

「まずお風呂に入ったら?」

「うん。でもお腹が空いちゃって」

「じゃあ、すぐ準備するからね」

料理をテーブルに並べると、美咲さんはすごい勢いで食べ始めた。

「翔、よく眠ってるわ。ベッドに寝かせてきたら?」

「さっきようやく寝ついたのよ。最近寒くなってきたからか、あたしの背中のほうが寝つきがいいの」

あたしがそう言っているあいだにも、美咲さんはパクパク料理を口へ運ぶ。まさに一日の労働に疲れた会社員の食べ方だと、翔の小さないびきと重みを感じながらあたしは思った。

「あなたほど働けば、人一倍お腹が空くでしょうし、ご飯もおいしく感じられるでしょうね」

口をいっぱいにして動かしながら、ニカリと笑う美咲さんの顔を、あたしは本当に感心して見ていた。

美咲さんは出世した。

会社では男の仕事を奪う勢いで働いていた。

会社に泊まり込むこともあった。

あたしはそんな美咲さんを尊敬していた。

いや、それは畏れの感情に近かったかもしれない。

だからあたしは、美咲さんが休みの日でも、子育てや家事をまったくしなくても、文句一つ言えなかったのだろうと思う。

あたしは曲がった腰を曲げたり伸ばしたりしながら、一生懸命働いた。

だけどそんなことは誰も評価してくれない。

なのに美咲さんのことは、この頃ご近所でも評判になっていて、「まさに働く女性の鑑」、「シングルマザーの誇りだ」というような意味のことをみんなが言った。

「ねえ、お義母さん、わたしフリーになろうかと思うんだけど」

あるとき、美咲さんが出し抜けにそんなことを言った。

フリーになる?

あたしには最初、美咲さんが何を言っているのかがわからなかった。

詳しく話を聞いてみると、フリーとは「フリーランス(独立)」のことで、会社を辞めて個人で仕事をすることをいうらしい。

あたしには美咲さんの仕事のこともフリーのこともよくわからない。

けれど美咲さんが家のことを考えて、フリーになろうとしているわけではないことだけはわかった。

美咲さんはこれまで以上に仕事を増やそうとしているのだ。

フリーになって、事務所を構えて、そうしたらどのくらい事務所に泊まり込むようになるんだろう、月に何日家に帰ってくるんだろう、これまでだって家事と翔のことはあたしに任せっきりだったけれど、たまには翔の面倒を見てくれて、あたしを休ませてくれたこともあった、そんなことさえ、もうなくなってしまうのだろうか。

「ねえ、美咲さん、何もあたしは、自分がつらいばっかりにこんなことを言うわけじゃないの。だけど翔はまだ小さいし、いまでさえ美咲さんは忙しくて、翔の相手もろくにしてあげられていないのに、これ以上忙しくしてどうするつもり? もう少し、あたしと翔のことも考えてくれてもいいんじゃないかしら?」

あたしは自分でも驚くほど強硬に、美咲さんの意見に反対してしまった。

こんなことは初めてだった。

一家の家計を支えてくれる美咲さんには本当に感謝していたけれど、あたしも疲れていたのだ。

たまにはこんなことを考えてしまう。

もし夫が生きていたら、健太が事故を起こさず生きて働いていたら、美咲さんも外に働きに出ずにすんで、あたしにはお金と時間の余裕が少しはあって、年に一回くらいは夫と二人だけで旅行に行ったり、趣味で教室に通ったり――どうしようもないことだとはわかりつつも、どうしても想像してしまうことがある。

「お義母さん、隠居でもしたくなったの?」

あたしは、あたしの思いを見透かされたような気がして、はっと顔を上げた。

美咲さんは冷たい目であたしを見ていた。

「なんで、そんなこと……」

あたしは二の句が継げなかった。

「わたしが、翔とお義母さんのことを考えていないとでも思うの? わたしがフリーになって成功すれば、もっとお金が稼げるようになる。そしたら、お義母さんにだって楽をさせてあげられるし、翔だっていい学校に行かせてあげられる。全部翔とお義母さんのためじゃない!」

美咲さんの言うことはもっともだった。

でも、仕事が楽しいという美咲さんの気持ち、仕事がおもしろくて仕方がないという美咲さんの気持ちは、そこにどの程度の割合で含まれているのだろうか。

あたしはそれを口にすることはできなかった。

「それにお義母さんはいいわよね、先に死んでしまうんだから。でもわたしの身にもなってよ。お義母さんが死んじゃったら、翔の世話と仕事と、両立させるためには人を雇うしかなくなるわ。どうしてもいまのうちに独立して、そうなる前に仕事を軌道に乗せておきたいのよ。わたしだって、仕事は楽しいばかりじゃない。うまくいかなくて、疲れて、泣きたいときだってある。でも家のため、翔のためだと思えばこそ、頑張っていけるんじゃない」

あたしはもう、ただぼうぜんと嫁の顔を見るしかなかった。

そうするうちに、あたしははっきりとある事実を捉えていた。

それはどうあがいてみたところで、もう目をつぶるまでは、どうあったって楽にはなれないんだ、という事実だった。

あたしは美咲さんのしゃべりやんだ後も、しばらくはただただぼんやりと、どことも知れない空間を見つめているしかなかった。

「でもね、美咲さん、世の中、理屈ばっかりじゃないのよ。気持ちだってあるんだから」

あたしは誰に何を言っているんだろう、と思った。

『僕は現実を見てほしいと言ってるんですよ』

突然あたしの耳にそんな声が飛び込んできた。

そういえば、ずっとテレビがついていたのだ。

『女性の働き方改革だなんだと言っても、結局女性の社会進出が進んだために、少子高齢化が促進している側面だってあるでしょう? 子どもは女性にしか産めないんです。それは人類繁栄のための尊い使命なんです。だったら女性にはずっと家にいてもらって、男性がバリバリ働いて稼ぐ、その社会づくりのためにより税金を使ったほうがいいはずじゃないですか』

何かの討論番組だろうか?

その男性コメンテーターの主張が終わった後で、べつのコメンテーターがつぎつぎに非難的な反論を展開した。

あたしがテレビに気を取られているうちに、美咲さんは席を立って、自分の部屋へ行ってしまった。

あたしにはなぜか、その男性コメンテーターを非難する気にはなれなかった。

あたしはその後三、四年の間、黙々と苦しみに耐え続けた。

それは、元気な馬と同じ荷馬車を引かされる老馬の経験する苦しみだった。

美咲さんはフリーになってからはほとんど家にはいなくなった。

それでもたまに顔を合わせて会話をすれば、まだまだ成功には程遠い状況なのだという。

あたしは相変わらず、家事と子育てとをこなしていた。

だけど見えない鞭の存在は、いつもあたしを脅かしていた。

美咲さんはたまに帰ってくると、仕事がうまくいかずにイライラしているのか、家の中をもっときれいにしておけとか、料理の味が薄いとか濃いとか、量が少ないとか、無駄遣いするなとか――よく当てこすりや小言を言うようになった。

もちろんあたしが至らないときもあったし、ただの八つ当たりだと感じられるときもあったけれど、いずれにせよ、あたしは言葉を返さず、ただじっと苦しみに耐え続けてきた。

一つには障害を負った息子健太の世話で耐えるのには慣れていたこと、もう一つには孫の翔が、母よりも祖母のあたしになついてくれていたたことが慰めになっていたからだ。

それでもあたしは、そんな孫さえも疎ましく思うときがあった。

当然、孫はかわいい。

だけど元気いっぱいの孫に、体力がついていかない。

孫のわがままや頼み事は拒みづらく、しかしねだられるままに欲しがるものを買い与えてしまうと、それで美咲さんに無駄遣いをするな、と怒られてしまう。

生活費を削るわけにはいかなくなったので、あたしの食事を抜いて、孫のためにお金を工面したことさえあった。

孫のわがままなんて、つっぱねてしまえばいいじゃないか、と言われてしまうかもしれない。

赤ちゃんの頃から育ててきて、もう息子と変わりないとは思っていても、やっぱり孫は息子とは違う。

適当な言い方かはわからないけれども、それは自分がお腹を痛めて産んだ子ではなくて、べつの女が産んだ子どもなのだ。

どこか遠慮や気兼ね、叱りたくない気持ちが働いてしまう。

あたしはよそ目にはどう映っているのだろうか?

変わったように見えるだろうか?

少なくとも、あたし自身はほとんど以前と変わっていないと、他人からは見られているように思っている。

もし変わったところがあるとすれば、それは嫁のことを褒めなくなったことだろうか。

けれどもそんな微々たる変化は、格別人目を引かなかったはずだ。

「美咲さんはすごいわね、女社長でしょう?」

「さあ、あたしには美咲さんの仕事のことはよくわからないから」

「でも、本当にすごいわよ。うちの嫁なんて、料理も掃除も洗濯も、子育てのことだって全然なっちゃいないんだから。いっそ外で働いてもらったほうがいいくらいよ」

「だけどやっぱり、お嫁さんは家にいてくれたほうがいいわよ。子どもだってそのほうが嬉しいに決まってるんだから」

「まあ、それはそうかもしれないけれど。なんだかんだで助かってることもあるしね。だけど美咲さんは本当にすごいわ――」

息子の健太が死んでから八年が過ぎた。

やはり美咲さんは女手一つで一家の暮らしを支え続けてくれていた。

独立した仕事も、どうやら軌道に乗りはじめているらしい。

最近、雑誌の働く女性の特集記事に取り上げられて、地元ではちょっとした有名人になった。

いまや地域的に、美咲さんは「嫁の手本」であり、「働く女性の鑑」であり、「シングルマザーの誇り」だ。

あたしは、あたしの苦しみを、誰にも打ち明けようとは思わなかった。

どこかで神様を当てにする気持ちもなくなっていた。

いまはもう、孫の翔を支えにするしかなかったのだけれど、それさえ危うい場面がある。

「ねえ、おばあちゃん。ぼくのお母さんってえらい人なの?」

「……なんで?」

「だって学校の先生が言ってたんだ。翔くんのお母さんは雑誌にも載って、すごい人だって」

「先生が……」

「そう、先生が。ひょっとして、ウソなの?」

あたしはうろたえてしまった。

あたしだって……。

そう、思ってしまった。

腹の奥底から湧いてくる怒りは、あたしを別人にしてしまった。

「大ウソよ! 翔のお母さんはちっともえらくなんかないわ! 外でばっかり働いて、ほかの人にはよく見えるかもしれないけれど、心はとっても悪い人なのよ。あたしにばっかり家のことを押しつけて、それなのにやさしい言葉の一つもない……」

あたしは美咲さんを罵ってしまった。

翔はただただ驚くばかりで、豹変したあたしを眺めていた。

涙が出てきた。

「だから翔が、あたしにやさしくしてちょうだい。早くいいお嫁さんをもらって、あたしを楽にしてちょうだい。いまは晩婚だとか、女も外でバリバリ働く時代だとか、そんなのあたしには関係ない。翔がお父さんの分と二人分、あたしに孝行してちょうだいね。そしたらあたしも、翔のためになんだってしてあげるからね」

あたしは十歳の孫に何を言っているんだろう?

と、ふと気づいた。

「じゃあ新しいゲーム買ってくれる?」

翔がもうもの欲しそうに言ってきた。

「ええ、いいわよ。翔は十歳でも、なんでもよくわかってるものね。あたしの言ったこと、忘れないでちょうだいね」

なぜかあたしは涙を流しながら笑っていた。

あたしにとって、こうしたちょっとした事件のあった翌日の夜、美咲さんと激しい言い合いになってしまった。

きっかけは、家のことでいつもの小言を言われただけだったと思うのだけれど、正直その小言の内容は覚えていない。

覚えているのは、美咲さんの浮かべた冷笑。

浴びせられた言葉。

「お義母さんは働くのがイヤなだけでしょ? 七十八歳なんて、いまの時代お店や外で働いている人だって珍しくないのに、なさけないわね、まあいいけど、でも人間働けなくなったら死ぬしかないわよ」

あたしは気が狂ったみたいになった。

寝ていた翔までたたき起こして、大人のケンカに巻き込んでしまった。

「翔! 起きて! 起きて、お母さんの言うことをよく聞いて! お母さんはいま、あたしに向かって死ねって言ったのよ! そりゃあ、いままでお母さんがお金を稼いでくれたから、あたしだって暮らしてこれたのはわかってる、だけどあたしだってがんばった、がんばってきたのよ……、それなのにあなたのお母さんは、あたしに死ねって言うのよ! ……美咲さん、あたし死ぬわ。死ぬことなんて何も怖くない。もうあなたの指図なんて受けない。あたし死ぬわ! 死んでやる! 死んであんたを呪ってやるから!」

あたしは泣きながら、孫を抱きしめながら、嫁を罵り続けていた。

美咲さんは無表情に、虫でも見るような目をして、冷たくあたしを見ているだけだった。

だけどあたしは死ななかった。

その代わりに美咲さんが死んでしまった。

美咲さんのお葬式の日には雨が降って、美咲さんの仕事関係の人がたくさん来て、みんなが美咲さんの死を惜しんだ。

美咲さんの葬式をすませた夜、あたしは仏壇の前にいた。

しっかり者の美咲さんは、息子のためにちゃんと生命保険に入っていた。

あたしは美咲さんの死が、たしかにあたしを楽に、幸せにしてくれるのだと思った。

あたしはもう働かなくていいんだ。

まだ孫の世話があるけれど、これまでみたいに嫁の目を気にしなくてもいい。

翔のことも、食事のことも、掃除のことも――小言を言われる心配はなくなった。

お金も入る。

これからは毎日孫と二人、好きなものだって食べられる――。

あたしはほっと息を吐いた。

一生のうちで、これほどほっとしたことがあっただろうか?

そしてハッとした。

九年前のあの日のことを、たしかに思い出していた。

そう、あの日、息子の健太の葬式をすませた、あの日の夜も、あたしはほっと息を吐かなかっただろうか?

今夜とまったく変わらない気持ちで。

あたしは血を分けた息子の死を喜んでいた。

そして今度は、孫を産んだ嫁の死を喜んでいる。

あたしは――。

あたしは、あたしは、あたしは、あたしは――。

あたしは自分をなさけない人間だと思った。

ひとでなしだと思った。

だけど。

冷酷な嫁を連れてきた健太だってろくでなしの息子で。

あたしにやさしくない美咲さんもろくでなしの嫁で。

ゲームのことしか頭にない翔だってろくでもない孫じゃないか。

あたしの九年間の憎しみや怒りや悲しみはなんだったんだろう?

こんなあたしがこれから幸せになれるとでも?

あたしたちはみんななさけない人間だ。

だけど最後まで生き恥をさらしているあたしが一番なさけない人間なんだ。

ねえ美咲さん、あなた、どうして死んでしまったの?

あたしは涙をこぼした。

涙をこぼさずにはいられなかった。

息子なんか死ねばいいのに。

嫁なんか死ねばいいのに。

孫なんか死ねばいいのに。

だけど、そんなあたしが一番死ねばいいのに……。

<終>

 

読んでいただきありがとうございました。

 

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