狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『銀河鉄道の夜/宮沢賢治』です。
文字54000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約123分。
いじりといじめって何が違うの? 自分の命を捨ててでも他人を助けるべきだって、他人の命を捨てて自分を助けちゃいけないの? いじめられても、独りでも、生きていたいよ。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
いじめられっ子で孤独な少年ジョバンニは、午後の授業で先生に質問されるが答えられない。その後指名された、優等生のカムパネルラもなぜか答えない。ジョバンニとカムパネルラは父親同士が友達だったこともあり、幼い頃から親友であったが、いまは疎遠になっている。
放課後、みんなは星祭りに行く相談で楽しそうだが、ジョバンニは家が貧しく、活版所のきついアルバイトに行かねばならない。バイトが終わり、パンと角砂糖を買って家に帰る。家には病気の母がいる。ジョバンニは母の牛乳が配達されていないのを知って、再び外に出て行く。
牛乳屋へ着くが、出てきた老婆は事情がわからず、また後で来るように言われてしまう。牛乳屋を出て町角に差しかかったとき、楽しそうに星祭りへ向かうクラスメイトたちに遭遇する。ザネリがジョバンニの父の仕事をからかうと、みんなもそれに追随する。そこにいたカムパネルラは、気の毒そうにジョバンニを見ている。
ジョバンニは真っ赤になって走り出し、町外れの丘の上に辿り着く。一人孤独に星空を眺めていると、突然「銀河ステーション」という不思議なアナウンスが聞こえて……、気がつくと、ジョバンニは銀河鉄道の車内にいて、目の前の席にはカムパネルラが座っている。
二人は銀河鉄道の旅に出る。
北十字の前を通り過ぎ、列車は白鳥の停車場で二十分停車する。二人は列車を降りてプリオシン海岸へ行き、牛の祖先の化石を発掘している大学士と話をする。
列車が白鳥の停車場を出発する頃、鳥捕りが乗車してくる。鳥捕りは銀河の河原で鳥を捕まえる商売をしている。鳥捕りに分けてもらって食べた雁は、お菓子としか思えない味だ。
アルビレオの観測所近くで、車掌が切符を確認しに来る。慌てるジョバンニ。カムパネルラは自然と自分の切符を出す。上着のポケットを探るとそこにジョバンニの切符がある。それは天上まで行ける特別な切符だった。
鷲の停車場の辺りで鳥捕りが消える。家庭教師の青年と十二歳と六歳の姉弟が列車に乗り込んでくる。話をする。彼らは乗っていた客船が氷山に衝突して沈み、ここにやってきたことがわかる。女の子の語るサソリの火の話。たった一人の本当の神様について。
サザンクロス停車場で、青年と姉妹が列車を降りる。再び二人きりになったジョバンニとカムパネルラは「本当のみんなの幸い」(ひとのために生きること)のために共に歩もうと誓い合う。しかしその直後、カムパネルラは突然消えてしまう。ジョバンニは窓の外に体を乗り出し、泣きながら叫ぶ――
丘で一人目覚めたジョバンニは、牛乳屋で牛乳をもらって家路に着くが……、町の様子がおかしい。ザネリが川に落ち、それを助けたカムパネルラが、そのまま溺れて行方不明になっていた。捜索を諦めた様子のカムパネルラの父――近寄っていくと、ジョバンニの父から手紙があって、もうすぐ帰ることが告げられる。
ジョバンニは胸がいっぱいになり、牛乳と父の帰る知らせを持って、母の待つ家へと走り出すのだった。
狐人的読書感想
言わずと知れた、一度は読んでおきたい名作――ということでいまさらながらに読んでみましたが、まさに一度は読んでおきたい名作だと思いました。
(言わずもがな)
銀河鉄道といえば、ファンタジーなイメージで、ホグワーツ特急に並ぶ乗ってみたい乗り物でしたが……、あの世を走る列車だったんですね。
(安易に乗ってみたいとは言いにくくなりました)
友達と銀河を旅する、なんだか楽しそうな話をイメージしていたので、全体的に切ない話だったのには驚いてしまいました。
まず、ジョバンニとカムパネルラの関係性。
昔は仲よしだった二人も、学校に通うようになってからは、なんだか疎遠になってしまった、というあたりはリアルですよね。
もし幼なじみの友達が、学校に通い出していじめられ始めたとして、それを助けられるだろうか……、と想像してみるに、結構厳しいものがあるかもしれないなぁ……、というのが正直な感想です。
もし助けたら、今度は自分が的にされるんじゃないか、とか考えると怖いですし、いじめといっても父親の仕事をイジってるレベルで、それにどう言えばいいのかって、ホント難しい気がします。
空気感っていうんですかね?
イジってる本人も最初は冗談のつもりで、イジられてるほうも最初は笑っていたのが、いつの間にか変な空気になってしまい――そうこうしているうちに助けるタイミングを逸してしまった、なんてことも考えられそうです。
自分が友達のために「それはよくない!」と思ったときに、「それはよくない!」って言えればいいのですが、なかなかできないような気がしてしまいます。
カムパネルラは内気な子どもだったのかなぁ……、とか、ちょっと共感してしまった部分でした。
家庭教師と姉弟と知り合う場面です。
このとき語られた「乗っていた客船が氷山に衝突して……」という件、実際にあったタイタニック号の事件のことを言っているのだと知って、驚きました。
家庭教師の青年は、教え子の幼い姉弟だけは助けようと、救命ボートに乗せることを試みますが……、周りには同じように、我が子だけは助けようとする親、また、その子供たちがいて……、とても押しのけることはできませんでした。
ここもちょっと考えさせられます。
もし本当の親だったら、他人の子供を押しのけてでも、自分の子供を生かそうとするだろうか? あるいは、他人のために自分と自分の子供を犠牲にすることができるだろうか?
……どっちが正しいとも言えない気がするんですよね。
『銀河鉄道の夜』の大きなテーマのは、この自己犠牲の精神――「他人のために生きること」の大切さが描かれているのだと感じます(カムパネルラも自分の命を投げ出して、ザネリを助けていますしね)。
ただ正直、「その通りだ!」とは言えない自分がいるんですよね。
他人のために生きること、他人のために命を投げ出せること――すごいことだとは思いますが、そういうふうに生きるのが本当に正しいのかな、っていうところには疑問を持ちます。
生物はみんな、まずは自分が生きるためにがむしゃらになる――極論ですが、まず自分が生きるためなら、どんな悪業も許されてしかるべきなんじゃなかろうか、なんてときどき思うことがあります。
他人のために生きるのも、自分のためにいきるのも、結局は同じ自己満足に過ぎず、「自分が納得できるバランス」を取って生きるしかないんじゃないかなって気がします。
結局のところ、「他人のために自分の命を犠牲にできるか」という極論で話すから、「他人のために生きること」に懐疑的になってしまうのかもしれません。
僕は、どんな状況でもまず自分が生きることを一番に優先してしまうだろうと思いますが、しかし生きることにゆとりがあれば、他人のために何かをしてあげたいという気持ちも起こります。
他人のために何かをして、喜んでもらえたら、僕も嬉しくなっちゃいます。
要は「他人のために生きて自分が納得できるかどうか」なんですかねぇ。
他人のために自分の命を犠牲にして、自分が納得できるなら、それでいいし、納得できないならそこまでする必要はない――おそらく、宮沢賢治さんは、「他人のために自分の命を投げ出すべきだ!」とまで言っている気がするんですが……、正直そこまでは受け入れられない自分がいます。
狭量で冷たくて生き汚い自分がいます。
でも、人間はそれでいいんじゃないのかなぁ……、って思った、今回の狐人的読書感想でした。
読書感想まとめ
人の為に生きる事こそが本当の幸せ、って本当?
狐人的読書メモ
・「ジョバンニ、ラッコの上着が来るよ」――ザネリたちがジョバンニの父の仕事を揶揄する言葉。明治時代、ラッコの毛皮は高級品だったために乱獲され、捕獲が禁止となった。ジョバンニの父を密猟者だと言っている。
・銀河鉄道の停まった停車駅は「白鳥の停車場→鷲の停車場→サザンクロス停車場」。
・『銀河鉄道の夜/宮沢賢治』の概要
宮沢賢治童話の代表作。1924年頃に初稿執筆、1931年頃まで推敲が繰り返され、大きく第4稿まで存在する。
以上、『銀河鉄道の夜/宮沢賢治』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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