狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『カナヅチ/新美南吉』です。
文字数1000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約3分。
かなづちは物を作れる。笛は音楽を奏でられる。どちらもいいものだけど、昔は実用第一、みんなかなづちのほうがよかった。今はどう?娯楽第一?そう思える現代は幸せなのかもしれない。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
一人の笛吹きがいた。一本の笛を持って家々を回り、悲しい音色を奏でて、わずかばかりのお金をもらい、旅を続けていた。
ある日、笛吹きは一本のかなづちを拾った。
「同じような形をしていても、笛はいい音を鳴らすのに、かなづちは何の役にも立たない」
しかし、拾ったかなづちを腰にさして持って行くことにした。
笛吹きがつぎの村に着くと、トンテンカンと音がして、鍛冶屋がかなづちで鍬を作っていた。少し行った丘の上では大工がかなづちで大きな家を建てていた。さらに行った小さな靴屋ではおじいさんがかなづちで靴を作っていた。
「同じような形をしていても、かなづちはなんでも作ることができるのに、笛はピロピロ鳴るだけじゃないか」
つぎの町へ入る道で、笛吹きはかなづちで笛を砕いた。そしてしっかりとかなづちを握りしめたまま、工場ばかりの町へまっすぐ歩いて行った。
狐人的読書感想
短いですが、いろいろ考えさせられるお話ですね。
笛をすばらしいもの、かなづちをつまらないものだと考えていた笛吹きが、かなづちのすばらしさに気づいたところは、とてもよいことだと思えるのですが、笛を壊してしまったのはどうなのかな、って気がします。
とはいえ、笛を壊したことを、笛吹きの覚悟の表れだと捉えるならば、一概に悪いとは言えないのかな、とも思うんですよね。
別れた恋人を忘れるために思い出の品を処分したり、夢を諦めるために使っていた道具を壊したり――人間、前向きに生きようとすれば、ときに何かを捨てたり壊したりしたくなるときがあります。
物を大事に扱っていない、なんて、言われてしまえばそれまでですが、これが必要な儀式だというのも、わかる気がするんですよね。
笛といえば音楽、かなづちといえばものづくり――現実でも、堅実に稼げるのは、やっぱりかなづちかな、と感じます。
音楽も、才能や運があって有名になれれば、著作権料などで安定してたくさんのお金を得ることができますけれど、それをできるのは一握りの人たちですよね。
音楽とものづくりだったら、多くの人が憧れるのは、やはり音楽なのではないでしょうか。
しかし前述したとおり、音楽で成功できる人間はほんの一握り、いずれは夢を捨て、たしかに生活できる職を選ばなければならないときがやってきます。
そのとき、笛吹きのように笛を砕いてしまうのか、それとも大事にとっておいて、趣味として楽しんでいくのかどうかは、きっと人によって変わってきますよね。
夢破れて絶望してしまえば、笛を見るのもいやになるでしょうし、夢破れても笛が好きなら、趣味としてでも続けていきたいと思うでしょうし。
作品の主題としては、笛とかなづちと、どちらが実用的かを示しているだけで、べつに夢うんぬんの話にはつながらないのですが、ふとそんなことを連想した、今回の読書感想でした。
読書感想まとめ
大工と音楽だったらどっちで飯食いたい?
狐人的読書メモ
・とはいえ、笛の音は人の心を楽しませたり癒したりし、かなづちで作られた物は人の生活の役に立つ――どちらも貴賤はないはずなのだけれど、若者たちはどうして笛を選ばずにはいられないんだろう、とは疑問に思う。もちろん僕も含めて。
・『カナヅチ/新美南吉』の概要
1948年(昭和23年)12月、『きつねの おつかい』(福地書店)にて初出。実生活の役に立つ道具と役に立たない道具と、どちらがよりよいものかということについて、明確に答えを提示している。昔の価値観では間違いなくそうだとしても、今の価値観では必ずしもそうならないだろうと感じた。
以上、『カナヅチ/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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