がちょうの たんじょうび/新美南吉=やっぱ深いよ、新美南吉童話!

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

がちょうの たんじょうび-新美南吉-イメージ

今回は『がちょうの たんじょうび/新美南吉』です。

文字数1100字ほどの童話。
狐人的読書時間は約2分。

みんなはイタチを招待するか迷う。おならを我慢してもらうことを条件に、みんなはイタチを招待するが、イタチはやっぱりおならをしてしまい…オチについて深く考えてみた。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

(今回は全文です)

『がちょうの たんじょうび/新美南吉』

ある おひゃくしょうやの うらにわに あひるや、がちょうや、もるもっとや、うさぎや、いたちなどが すんで おりました。

さて、ある ひの こと がちょうの たんじょうびと いうので、みんなは がちょうの ところへ ごちそうに まねかれて いきました。

これで、いたちさえ よんで くれば、みんな おきゃくが そろう わけですが、さて、いたちは どう しましょう。

みんなは いたちは けっして わるものでは ない ことを しって おりました。けれど、いたちには たった ひとつ、よく ない くせが ありました。それは おおぜいの まえでは、いう ことが できないような くせで ありました。なにかと もうしますと、ほかでも ありません、おおきな はげしい おならを する ことで あります。

しかし、いたちだけを よばないと いたちは きっと おこるに ちがい ありません。

そこで、うさぎが いたちの ところへ つかいに やって いきました。

「きょうは がちょうさんの たんじょうびですから おでかけ ください」

「あ、そうですか」

「ところで、いたちさん、ひとつ おねがいが あるのですが」

「なんですか」

「あの、すみませんが、きょうだけは おならを しないで ください」

いたちは はずかしくて、かおを まっかに しました。そして、

「ええ、けっして しません」

と こたえました。

そこで いたちは やって いきました。

いろいろな ごちそうが でました。おからや、にんじんの しっぽや、うりの かわや、おぞうすいや。

みんなは たらふく たべました。いたちも ごちそうに なりました。

みんなは いい ぐあいだと おもって いました。いたちが おならを しなかったからで あります。

しかし、とうとう、たいへんな ことが おこりました。いたちが とつぜん ひっくりかえって、きぜつして しまったのです。

さあ、たいへん。さっそく、もるもっとの おいしゃが、いたちの ぽんぽこに ふくれた おなかを しんさつしました。

「みなさん」と もるもっとは、しんぱいそうに して いる みんなの かおを みまわして いいました。「これは、いたちさんが、おならを したいのを あまり がまんして いたので こんな ことに なったのです。これを なおすには、いたちさんに おもいきり おならを させるより しかたは ありません」

やれやれ。みんなの ものは ためいきを して かおを みあわせました。そして やっぱり いたちは よぶんじゃ なかったと おもいました。

狐人的読書感想

全編ひらがなで、かわいらしいお話なのかと思いきや、非常に考えさせられる童話でしたね。

ガチョウの誕生日会が開かれて、アヒルやモルモットやウサギが招かれるわけなのですが、さてイタチはどうしようか、という相談が始まります。

イタチはおならをするからです。

結局、おならを我慢することを条件に、みんなはイタチを誕生日会に招待しますが、イタチは一生懸命おならを我慢した結果、気絶してしまいます。

それを見たみんなは、「やっぱりイタチを呼ぶんじゃなかった」という――このオチがやはり考えさせられてしまうんですよね。

もっと単純に、子どもに「仲間外れはよくないですね!」という教訓を示したいのであれば、みんながイタチにおならを我慢するよう強いてしまったことを反省するオチにしたほうがいいように思います。

僕はこの件、みんなが悪いのか、イタチが悪いのか――簡単に善悪の判断ができないところに、難しさを感じてしまうのです。

単純に読めば「みんなが悪くてイタチは悪くない」ということになりそうですが、「人前でおならをしない」というのはマナーであり、一般的にマナーは守られなければならず、みんながイタチにそれをお願いしたのはそんなに悪いことだとは思えません。

しかし、イタチがおならをしやすいというのは先天的な体質であって、その点を理解した上で、みんながイタチのおならを我慢すべきだったのか、といえば、それもなんだか違うような気がします。

イタチのおならを先天的なものとするならば、他人のおならが生理的にどうしても我慢ならない、というのもまた、先天的なものとして捉えられるのではないでしょうか?

だったら、我慢すべきはイタチかみんなか……物語にも明示されているように、世の中多数派の世界ではありますが……。

みんながイタチのおならで不快な思いをし、イタチもまたそのことで不快な思いをして、結局、誕生日会を台無しにしてしまうのならば、みんなのことを思ってもイタチのことを思っても、「やっぱりイタチを呼ぶんじゃなかった」というのは、あながち的外れな結論ではなかったように考えてしまいます。

とはいえ、だったら相容れない者同士は別々の社会に属して、互いに干渉しないように生きていくのが正しいのかといえば、それもなんだか寂しいですし、グローバル化する社会などといわれる現代では、容認しがたい考え方に思えてなりません。

日本人がラーメンをすする音が外国人には不快に感じられ、だったら外国人は日本のラーメン屋に来るべきじゃないのか、日本のラーメン屋に来たからには外国人はその音を我慢すべきなのか、というヌーハラ(ヌードルハラスメント)の問題みたいな?

話が少し逸れてしまいましたが、この物語から得るべき教訓は、単純に「仲間外れはよくない!」ということばかりではなくて、「みんなが楽しく誕生日会を過ごせるように話し合い、イタチに無理のない対策を一緒に考えるべきだった」ということではないか、と僕は思いました。

たとえば、イタチにはおならがしたくなったら席を外してもらい、みんなのいないところでおならをしてもらえばいいわけです。

しかし、いたちからすればそんな話し合いを持たれること自体が不快であるかもしれず、みんなからすればイタチのおならのために時間や労力を取られてしまうのは納得できないかもしれません。

だから現実の国でも会社でも学校でも、国境や社会やグループの区分けというものはなくなっていかないのだと思えば、やっぱりこの童話は一筋縄では解決できない、難しいことを取り上げているように感じられるんですよね。

「やっぱ深いよ、新美南吉童話」と改めて思った、今回の読書感想でした。

読書感想まとめ

やっぱ深いよ、新美南吉童話!

狐人的読書メモ

・一見すると幼い子供向けの童話のように思われるのだが、大人でも深く考えさせられる物語が多いのが、新美南吉童話の凄さの一つだと思う。

・『がちょうの たんじょうび/新美南吉』の概要

1950年(昭和25年)『がちょうの たんじょうび』(羽田書店)にて初出・初刊。本作を下敷きとした戯曲に『ガアコの卒業祝賀会』がある。単純なようでいて単純ではない、リアリティのある深い童話だと感じた。

以上、『がちょうの たんじょうび/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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