狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『落とした一銭銅貨/新美南吉』です。
文字数1000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約2分。
お金を拾う雀、それを自慢げに披露する雀、そのお金を落としてしまう雀――拾ったお金は交番に届けないと、占有離脱物横領罪(場合によっては窃盗罪)になっちゃうよ、雀……。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
(今回は全文です)
『落とした一銭銅貨/新美南吉』
雀が一銭銅貨をひろいました。
雀はうれしくてうれしくてたまりません。
ほかの雀をみると、
「ぼくおかねをもってるよ。」
といって、くわえていた一銭銅貨を砂の上においてみせてやりました。
さて、日ぐれになりました。すこしくらくなってきました。
「や、遊びすぎちゃった。これはたいへんだ。」
と雀は、一銭銅貨をくわえて、おおいそぎで水車小屋の方へとんでいきました。この雀は水車小屋ののきばにすんでいたのでありました。
まだ水車小屋につかないまえ、はたけの上をとんでいたとき、あまりあわてたので、雀は銅貨を落としてしまいました。
「や、これはしまった。」
けれどあたりはもう暗くて、雀の目はよくみることができなくなっていたので、
「あしたの朝さがしにこよう。」
といって、そのまま水車小屋の巣にかえりました。
その夜はたいへん寒かったので、雀はかぜをひいてしまいました。
それもそのはず、雪がどっさりふったのでありました。
雀はかぜがなかなかなおらないので、まいにち藁の中にくるまって、落とした一銭銅貨のことを思っていました。
やがて雀はよくなりました。そこで一銭銅貨をさがしにいきました。
まだ雪ははたけの上につもっていました。
「わたしの、わたしの一銭銅貨、この下にいるのかい。」
と、雀は雪の上からききました。
すると雪の下から、
「いえいえ、ここにはありません。」
とだれかがこたえました。
雀はまたべつのところへいって、
「わたしの、わたしの一銭銅貨、この下にいるのかい。」
とききました。
するとまた雪の下から、
「いえいえ、ここにはありません。」
とこたえました。
雀はあちらこちらとたずねてあるきました。
するととうとう、
「はいはい、ここにありますよ。雪がとけたらおいでなさい。」
とこたえました。
雀は雪のとけた日にまたはたけにやっていきました。銅貨はちゃんとありました。
みるとはたけにはいっぱいふきのとうがでていました。銅貨のあるところを雀におしえたのはこのふきのとうだったのでしょう。
狐人的読書感想
お金を拾う雀、拾ったお金を自慢げに披露する雀……いやいや、拾ったお金は交番に届けなきゃでしょ?
――なんてツッコミを入れてしまうのは、いくらなんでも無粋過ぎますかね?
落とし物を交番に届ける、というのは、当たり前のことなのですが、たまにこれが当たり前な日本って、いい国だなあ……なんて、感慨深く思ったりします。
当たり前といっても道徳上の話ばかりではなく、じつは法律でも定められており、落し物を拾って届け出ないと「占有離脱物横領罪」(窃盗罪になるケースも)という犯罪になってしまいます。
日本のように治安の良い国では、これは当たり前の法律なんですかね?
もっと治安の悪い国だったら、むしろ落し物は戻ってこないのが当たり前で、「落とした本人が悪い」とか言われてしまったら、「たしかになあ……」と諦めるしかない気分になります。
とはいえ、落し物って、何も金銭ばかりじゃないわけで、たとえばスマホとか、中に大切な写真やデータが入っていたりすると、たしかに落とした自分が悪いのですが、「お金を払ってでもいいから返してほしい!」、なんて思ったりします。
落とし物を届けたら「5~20%のお礼がもらえる」といいますが、これも善意ばかりでもらえるわけじゃなくて、ちゃんと遺失物法に定めがあって、義務としてもらえるものなのだとか。
この意識には個人差がありそうですよね。
「善意で届けたんだからお礼なんていらないよ」という人もいれば、「いやいや、届けるのだって交番を探したり手続きがいろいろ面倒なんだからお礼はもらって当然でしょ」という人もいるような気がします。拾得物の額によっても違ってくるかもしれません。
5~20%以上のお礼を求める拾得者もなかにはいるかもしれず、そういうケースを思えば、法律の定めはやっぱり必要だな、という気がします。
落とし主が現れず、届け出から3ヵ月経てば拾得物は自分のものになるので、雀も一銭銅貨だからと侮らずに、警察へ……って、僕は何の話をしてるんですかね?
「お金を拾ったらちゃんと交番に届けなきゃダメよ」ってな教訓が、反面教師的に含まれた作品――というわけでもないでしょうに、なんか、そんなことを思ってしまったという、無駄話ですね。
正直にいってしまうと、この作品が何をいっているのかは、僕にはちょっとわかりかねてしまうのです。
ただ、春の訪れを、牧歌的に描いているだけのように思えます。
そうなると、我ながら拾得物うんぬんの話は、汚れた大人の読み方だ、という気がしてきますね……(汗)
ただ、雀が拾って我が物にした一銭銅貨を落としてしまい、それを探しに出ると、ふきのとうが場所を教えてくれた――という件、やはり拾った落し物は持ち主に返さなければダメなんだよ、って、いってるような気がしてならないのは、すなおな気持ちを忘れてしまったひねくれものな僕だけ?
雀にもふきのとうを見習ってほしいものです。
――違うか、な、今回の読書感想でした。
読書感想まとめ
春の訪れをただ感じる童話? 拾得物の扱いについての寓話?
狐人的読書メモ
・ちなみに、4月25日は「拾得物の日」であるらしい。1980年4月25日、東京都中央区銀座で一般人が1億円を拾った事件があったことがその由来。落とし主が現れず、その人は1億円もらえたのだけれど、所得税で3400万円も引かれた……って、落し物もらうのにも税金とられるんだ……。
・『落とした一銭銅貨/新美南吉』の概要。1948年(昭和23年)『きつねの おつかい』(福地書店)にて初出。初出時タイトルは『おとした一せんのおかね』。拾得物の道徳教育的な内容にはあらず?
以上、『落とした一銭銅貨/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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