氷河鼠の毛皮/宮沢賢治=家畜化はどうか?ペット化はどうか?

狐人的あいさつ

コンにちは。狐人コジン 七十四夏木ナナトシナツキです。

読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?

そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。

氷河鼠の毛皮-宮沢賢治-イメージ

今回は『氷河鼠の毛皮/宮沢賢治』です。

文字数6000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約25分。

むやみに動物の命を奪ってはいけない。
では
家畜化は? ペット化は?
もしも人間が家畜化されたらその是非はどうなの?
結局ありのまま生きて、
ただ結果を受け入れるしかない気がした。

未読の方はこの機会にぜひご一読ください。

狐人的あらすじ

その事件は、十二月二十六日午後八時、イーハトーブ発ベーリング行きの列車の中で起きた。

ひどい吹雪の中を列車は走り出した。イーハトーブの富豪タイチは、乗客の一人をつかまえて毛皮のコートを自慢していた。それは氷河鼠ひょうがねずみ450匹分の毛皮を使ったコートだった。

今度の狩り旅行でも黒狐900匹は獲ってみせる――客車の隅にいた赤ひげの男がその話に聞き耳を立て、何かを書きつけている様子だった。窓の傍の黄色い木綿服を着た青年は窓の外を眺めていた。

みなが寝静まり、やがて夜が明けると、汽車がにわかに止まった。20人の「熊」が突如客車の中に入ってきた。先頭にはピストルを持った赤ひげの男がいた。

赤ひげの男は「熊」のスパイだった。「熊」たちがタイチを連れて外へ出ていく。最後に赤ひげの男が客車を出ようとした――そのとき、黄色い木綿服の青年が動いた。赤ひげの男からピストルを奪い、その身を取り押さえて言った

「『熊』たちよ、お前たちのしたことはもっともなことだ。だけど俺たちだって生きるためには毛皮を着なけりゃならない。それはお前たちが魚を獲るのと一緒だ。これからはやりすぎないよう言い聞かせるから、今回だけはゆるしてやってくれ」

「熊」たちは了解した。

赤ひげの男が外へ出ると、汽車はまた動き出した。

狐人的読書感想

タイチが黒狐を狩りに行くお話かと思えば、僕は思わずぶるってしまいそうでしたが(笑)、宮沢賢治さんらしい一つの教訓を含んだ童話でした。

そういえば、最近、北海道で黒狐が見つかったといって、ニュースで取り上げられていましたね。

なぜ真っ黒な狐がいるのか?

原因は二つ考えられるそうです。

一つは1910年代、北海道東部では防寒具の毛皮を取るため、黒い狐を輸入し増やしていたそうで、その中に脱走したものがあり、子孫を残していたのではないか、という説。

もう一つは、突然変異。メラニンを作る遺伝子の欠損で体色が白くなる「アルビノ」がよく知られていますが、黒狐の場合は反対にメラニンが過剰に増加する突然変異を起こしているのではないか、と見られています。

100年前の黒狐の子孫が残っていたのだとすれば、これまでもっと見つかっていてもおかしくないということで、二つ目の突然変異説が有力なようですが――僕は何か惹かれるものを感じるんですよね、黒狐に。

じつは黒狐は妖狐の一種ともされていて、712年(和銅5年)の『続日本記』にある記述によれば北斗七星の化身とされ、王者の政治が世の中をよく治め、平和な時代が現れる吉兆とされています。

先日、衆議院議員選挙があって、現政権を担う自民党が圧勝しましたが、はたして本当に「政治が世の中をよく治めている」んでしょうかねえ……(ちなみにイギリスでは黒狐は不吉の前兆といわれているそうです)。

……さて、余談が過ぎました。

本題に戻りまして、『氷河鼠の毛皮』に描かれているテーマについてですが、「むやみに動物の命を奪ってはいけない」ということになるかと思います。

人間は動物の命をいただかなくては生きていけません。

とはいえ、イーハトーブのタイチのように、必要以上の動物の命を奪ってはいけないのだという教訓が、熊たちの列車テロによって示され、黄色い木綿服の青年によって明確に述べられています。

人間は、植物を食べて生きることもできるわけで、だったら動物を食べるのをやめるべきではないだろうか、豚や牛や鶏はよくてクジラやイルカはダメだというシー・シェパードみたいな団体があったりもしますよね。

僕も、豚や牛や鶏を家畜化して食べるのとか、犬や猫をペットにして飼うのとかをかわいそうに感じることがあります。

だけど、家畜化もペット化も、「かわいそう」という感情も――全部人間の勝手なエゴでしかないんですよね。

突き詰めていえば植物だって命なわけで、だったら食べるのはかわいそうなわけで、しかし、ならばなぜ野菜はあまりかわいそうに思わず食べられるのかといえば、それは感情移入がしにくいからだと考えるのです。

植物は動かず動物は動く、姿かたちが可愛かったり美しかったりするものを人間は愛する――人間はより人間に近いものに感情移入してしまい、現実の行いと心の矛盾を受け入れるためいろいろな理屈を考えるものです。

たとえば、牛や豚や鶏は家畜化することで、広範囲に多く繁栄することができたことになりますし、犬や猫もペット化することで同様にいわれていたりしますよね。

ペットの犬や猫は人間が可愛がり、家族同様に扱っているのだから幸せだと考えるのはやはり人間のエゴでしょうし、しかしながら、ペットとして生まれてしまった犬や猫が仮に人間並みの思考力を持っていたとしても、家畜である自分をはたして不幸と思うかは疑問です。

これは人間にもいえることであって、もしも人間より上位の生物が現れたとして、その生物が人間をペット化し、ペットとして生まれ育った人間は、ペットである自分を不幸だとは思えず、そこに幸せを見出すのではないでしょうか?

「人間をペット化」などというと生理的な嫌悪感が否めませんが、しかしそれだって現在の人間の主観(エゴ)から発生する感情であって、本来はあれこれと非難したり意見したりするようなことではないのかもしれません。

結局、人間のみならず、生物はあるがままにあるしかないのかなあ、という気がします。

あるがままにある結果として、人間にはエゴから生じる倫理感や道徳観が備わっていて、いろいろなものの見方があって、おおむね多数派の意見が正しい物事として受け入れられています。

人間としてはともかく、一生物としてはタイチを批判すべきでないし、「熊」や黄色い木綿服の青年が正しいともいえません。

何が善くて何が悪いのかは人間が勝手に決めること、生き物はあるがままに生きて、だけどその行いの結果はちゃんと受け入れなければならない――のだということを今回の読書では思いました。

本当は「命を大切に、命を尊ぼう」みたいな感想を書こうとしていたのですが、なんだかこんなことをつらつらと書いてしまいました。

読書感想まとめ

生物の命を奪うことについては本当に難しい。難しいと感じるのは人間の勝手なエゴなのだけれども、それが人間としての在り方なのだからしょうがないように思う。あるがままに生きて、その結果をちゃんと受け止めるしかないと思った。

狐人的読書メモ

原文では「帆布はんぷの上着の青年」となっているが「帆布」は木綿や麻糸などでできていて、それを着る青年が最後のセリフをいうことで一定の説得力が与えられているところに構成上の巧さを感じた。

・『氷河鼠の毛皮/宮沢賢治』の概要

1923年(大正12年)『岩手毎日新聞』初出。明確な一つの教訓が書かれているが、それを是とするか非とするか、個人的に考えてみておもしろい作品だと思った。

以上、『氷河鼠の毛皮/宮沢賢治』の狐人的な読書メモと感想でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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