狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『花のき村と盗人たち/新美南吉』です。
文字数14000字ほどの童話。
狐人的読書時間は約21分。
人は冷たかった。誰もやさしくしてくれなかった。
盗人のかしらは花のき村で初めて人のやさしさに触れる。
心洗われるお話。
最近やさしさ忘れてない?
そんなあなたにおすすめ。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
花のき村に五人組の盗人がやってきた。かしらはこれまで、ずっと一人で盗人をやってきたが、昨日四人の弟子ができた。まずは弟子たちに村の偵察に行くよう命じて、川ばたの草の上に腰を下ろした。
しばらくすると弟子たちが一人一人戻ってくる。が、根が善良な弟子たちは、前職の職人根性が抜けておらず、鍋の修理を引き受けてきたり、村に錠らしい錠がないことを嘆いたり、おじいさんの笛に感心したり、立派な家に見惚れていたり――かしらはもう一度盗人根性について言い聞かせ、再び弟子たちを送り出す。
おじさん。ふいに、かしらは七歳くらいの男の子に話しかけられる。男の子は仔牛をかしらに預かってくれるよう頼み、そのままあちらで遊ぶ子供たちのほうへ走っていってしまう。何もしないうちに仔牛が手に入った。かしらは込み上げてくる笑いとともに、溢れ出る涙を止められなかった。
自分はいままで、人から冷たい目でばかり見られてきた。みんなが自分を嫌い、誰も信用してはくれなかった。だがあの子供は、盗人である自分に仔牛を預けてくれた。自分をいい人間だと思い、信用してくれたのだ。それがかしらには嬉しかった。
夕方になり、弟子たちが今度は首尾よく偵察を終えて戻ってきた。しかし仔牛を預けていった子供が戻ってこない。かしらは手分けして子供を探すよう弟子たちに頼む。弟子たちは驚くも、かしらの気持ちがよくわかったので、言われたとおりにする。だが子供は見つからない。
五人組の盗人は村役人の家に行き、事情を話した。すると、老人の役人は酒を出し、盗人たちを歓待する。まるで十年前からの知り合いのように、笑い合い、話し合ったりしているうちに、かしらは涙を流した。
かしらは自分が盗人であることを白状した。弟子たちは昨日盗人になったばかりで、まだ何も悪いことをしていないから許してほしいと訴えた。翌朝、弟子たちはそれぞれ別の方向へ歩いていった。盗人にはもう決してなるな。よいかしらだった。
かしらに仔牛を預けた子供はお地蔵さんだったという。花のき村の人々が心の善い人々だったので、お地蔵さんが村を救ってくれたのだという。そうであれば、村は心の善い人々が住まなければならないということになるという。
狐人的読書感想
心洗われるお話でした。なんとなく、都会に疲れた大人の人に読んでほしいような童話だと思いました。
ラストの『村というものは、心のよい人々が住まねばならぬということにもなるのであります』という部分に思わされるところがあるんですよね。
都会と村社会を比較しているような、物質主義や資本主義を否定しているかのような――とか言いながら、そこまで強いメッセージ性は感じられないのですが、どこかこのようなことを思わされてしまうのです。
これは新美南吉さんの他作を読んだときにも感じたことで、のどかな田舎のよさであるとか、精神主義の重要性だとか――著者がそのようなことを内容に含ませているのかどうか、それとも僕がそのようなことを普段から感じているからなのかどうか、ちょっと迷うところがあります(おそらく、その両方あるように愚考しているわけなのですが)。
盗人のかしらが、仔牛を預けてくれた子供や、老人の役人の善い心に触れて改心する――そんなこと現実にあるか、かしらちょっと単純すぎじゃないか、などとひねくれものな僕はうがった見方をしてしまいますが、だけどこれがあるべき人々の姿なのかなあ、というふうには思います。
人にやさしくされたことがないから、いざ人にやさしくされたとき、とても嬉しくなってしまったかしらの気持ちはよくわかるように感じています。
ふと、自分は人にやさしくされ過ぎているのだろうか?
――といった疑問を持ちます。
人に親切にされたとき、それを当たり前のように受け取っていて、お返ししたいとかはあまり考えていないような気が、ふと、しました。
やさしさがありふれている国だから、それに慣れてしまって、僕自身が人にやさしくできなくなっているのだとしたら、なんだか情けないような気持ちになります。
だからといって、盗人のかしらのように、誰にもやさしくされてこなかったから、誰かのやさしさが感極まって感じられるような世界も、なんだか寂しいような気がしています。
人から親切ややさしさを受けたとき、その相手やほかの誰かにもそれをお返ししたいと思い、そう思える気持ちを忘れないようにしたいと思いました。
とはいえ、このバランスって、いつも難しく感じるのですよねえ。
人の痛みを知らなければ人にやさしくできませんが、だけど痛い思いはしたくありません。人にやさしくされれば、人にやさしくしたいという気持ちが自然と湧き起こってきますが、それに慣れて忘れてしまうことがあります。
人の痛みを知るためにも、やさしい気持ちを忘れないためにも、新美南吉さんの『花のき村と盗人たち』を読むような読書が、一つの助けとなるような、そんな感想を持ちました。
痛い思いをせずに人の痛み知りたいとき、やさしい気持ちを忘れがちなとき――再読したい作品です。
読書感想まとめ
痛い思いをせずに人の痛みを知り、やさしい気持ちを思い出す、そんな読書ができました。
狐人的読書メモ
かしらと弟子たちの掛け合いもおもしろい。『えいくそッ、びっくりした。おかしらなどと呼ぶんじゃねえ、魚の頭のように聞こえるじゃねえか。ただかしらといえ』というところがお気に入り。
・『花のき村と盗人たち/新美南吉』の概要
1943年(昭和18年)9月30日、『花のき村と盗人たち』(帝国教育会出版部)にて初出。執筆時期については1942年(昭和17年)5月だといわれている。性善説的な作品。花の木は実在の地名。南吉が女学校教諭時代に過ごした土地。
以上、『花のき村と盗人たち/新美南吉』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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