狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『夫婦善哉/織田作之助』です。
文字数34000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約88分。
十七歳で芸者になった蝶子。
妻子持ち三十一歳、化粧問屋二世の柳吉。
献身的な女とダメ男。
手酷く裏切られ続ける蝶子は、
それでも見捨てない、諦めない。
最後の一言が深いです。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
大正時代。大阪。貧しい天ぷら屋の娘として育った蝶子は、十七歳で芸者になった。明るいおてんばキャラで人気となるが、維康柳吉といい仲となり、東京へ駆け落ちする。柳吉は安化粧問屋の若旦那、妻子持ちの三十一歳。
熱海。そこで関東大震災に遭う。二人は一度大阪の蝶子の実家に戻り、黒門市場の路地裏に二階借りして暮らし始める。蝶子はコンパニオンとして働き、無職の柳吉は小遣いをもらってぶらぶらする毎日――。
柳吉はいざとなれば家に帰ればいいと甘く考えていた。が、実際に帰ってみると、柳吉は父親に勘当され、妻は籍を抜いて実家へ戻り、五歳になる娘は十八の妹が面倒をみていた。
しょげかえる柳吉は、蝶子が前から貯めてきた金を遊びのために使い込んでしまう。蝶子はそんな柳吉を情けなく思う。ケンカの後外へ出て、自由軒のライスカレーを食べる。芸者時代に二人で食べたことを思い出し、甘い気持ちが湧く。
柳吉は剃刀屋で働き始めるが長くは続かなかった。柳吉の妻が肺病で亡くなった。実家の妹が入り婿を迎え、柳吉は廃嫡された。蝶子は柳吉を一人前に出世させ、柳吉の父に正式の夫婦として認めてもらうため、コンパニオンの仕事に一層力を入れた。
おでん屋、果物屋――蝶子が資金を貯めては二人で開業し、柳吉が浪費して失敗、その繰り返しだった。
やがて柳吉は腎臓結石を患う。同じ頃、タイミング悪く、蝶子の母も子宮がんとなる。柳吉の入院費、手術費がかさみ、蝶子は再びコンパニオンの仕事を始めるも、焼け石に水だった。
そんなとき、柳吉の妹が見舞いにきてくれた。十二、三になる柳吉の娘も一緒だった。柳吉の妹は蝶子を姉さんと呼んでくれた。柳吉の父もこの頃では蝶子の苦労を知るようになったという。見舞金まで握らせてくれて――蝶子はありがたかった。
母が危篤との連絡があり、蝶子は急いで駆けつけようとした。が、柳吉は言った。親と亭主と、どっちが大事か。蝶子は生きた母親に会うことはできなかった。
無事退院した柳吉は養生のため、一人で温泉旅行に出かけた。その費用は当然蝶子が仕送りした。しばらくして蝶子が養生先の温泉を訪ねてみると、柳吉は派手な芸者遊びで散財していた。足りない金は妹に無心していた。柳吉の家に認められたい――そんな思いでしてきた自分の苦労もこれで水の泡だ、蝶子は泣いた。
二人で大阪に戻ると、蝶子はまたコンパニオンとして働く日々。そんなある日、蝶子は昔の芸者仲間に声を掛けられる。彼女は鉱山経営者の妻となり、これ以上望まれぬほど出世していた。
二人は苦労の絶えなかった芸者時代、共に出世しようと誓い合った仲だった。彼女は蝶子のためならばいくらでも出資してくれると言ってくれた。
その出資金で蝶子と柳吉はカフェ「サロン蝶柳」を始めた。紆余曲折あったが、やがて新聞記者たちに愛される家庭的な店に落ち着いた。
柳吉の父が危篤だという知らせがきた。蝶子は柳吉と一緒に駆けつけようとしたが、ほかでもない柳吉によってそれを阻まれた。いま一緒に行くのは都合が悪い。それならば、お父さんの息のあるうちに、二人を夫婦として認めてくれるよう頼んでほしい。柳吉は引き受けて実家へ帰っていった。
蝶子はせめて葬式だけでもと、二人分の紋付の準備をした。四日目の夕方に柳吉から電話があった。親父が逝った、お前は来なくていい。
これだけがんばってきても、自分は連れ合いの親の葬式にも呼ばれない存在でしかないのか――蝶子はガス栓をひねった。
紋付をとりに帰った柳吉によって、蝶子は一命をとりとめた。が、柳吉はそのまま逃げた。蝶子が回復して二十日ほどして、蝶子の父のもとに柳吉から手紙がきた。手紙には別れる旨が書かれていた。蝶子の父はその手紙を焼き捨てた。
しかしその十日後、柳吉は「サロン蝶柳」にひょっこり戻ってきた。蝶子は柳吉のつたない言い訳を信じた。
二人は法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。
「ここのぜんざいはなんで二杯ずつ持ってくるか、知らんやろ」
「一人より夫婦のほうがええいうことでっしゃろ」
狐人的読書感想
がんばっても、がんばっても、がんばっても、がんばっても、報われないことというのはあります。ありますが――これはちょっと、あんまりにも蝶子さんがかわいそ過ぎないですか!?
……だけど、そうとも言い切れない部分もあるんですよねえ、と思ってしまうひねくれものな自分もいます。
惚れた弱みということもありますし、妻子持ちの柳吉さんを略奪したということもありますし、その点を鑑みれば、たしかに不幸な蝶子さんは当然の報いを受けているのかなあ、という気がしてきます。
とはいえ、哀れに思う気持ちというのも、決してそれだけでは拭えないんですよね。
たぶん、ダメな亭主を支える裏には、愛している気持ちと、罪悪感と、それでも相手方の家に認めてほしいという思いと……、いろいろな感情がごちゃまぜになっているんだろうなあ、などと想像すると、理屈だけじゃない人間感情の難しさを思います。
しかし誰が一番悪いって、言うまでもなく(言いますが)柳吉さんですよね。安化粧問屋の若旦那、二世なんてロクなもんじゃないな、なんて思ってしまいます。
二世という言い方が示唆的かもしれませんが、最近ニュースで見た二世芸能人のお騒がせ報道の影響です。
もちろん、二世の方がみなさんダメなわけではありませんが、なんとなくダメなイメージがあるんですよねえ。
それは立派過ぎる親と比較されてしまうからであって、そのことが二世の方の大きな苦しみやコンプレックスになっているというのはわかるのですが、だけどもやっぱり立派な親の子供であるおかげで得していることのほうが多いはずでしょ、とか思ってしまいます。
忙しいと愛情を示す手段がお金や物、物質的なものになってしまいがちで、だったら親の育て方が悪かったんだろ、なんて意見には頷いてしまいそうになりますが、それにしても成人した子供の謝罪会見を、涙ながらにしている親タレントの姿を見ていると、同情的な気持ちになってしまいます。
……内容に関係ない話してますね(しかし続けます)。
ダメダメな夫を支えて一人前にする妻、みたいな話は、たまにお笑い芸人さんの奥さんの話とかで聞くことがありますが、僕などはこうしたイメージは一つのレトロな男にとっての理想の女性像、という気がするのですが、どうなんでしょうね?
実際、いまの世の中に、ここまで思いつめて尽くせる女性って、どのくらいいるものなのでしょうか?
この読書中、「蝶子さん、もう別れてしまえ!」と何度心の中で呟いたか知れませんが、何度もこれだけ手酷く裏切られても、連れ合いを見捨てられない心理というのはわかるような、理解しがたいような気がしてしまいます。
どれだけ裏切られても、その相手に尽くせるというのは本当の愛だという感じもしますし、ただ依存しているようにも見えますし、不幸な自分に酔っているだけなんじゃないの、なんて意地の悪い見方もしてしまいます。
だけど前述したとおり、人間感情とは複雑なもので、必ずしも愛100%、憎しみ100%、依存100%、ナルシシズム100%ではないんですよね。
いくつもの感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、しかもそれはときによって全然配分が違っていたりして、やっぱり人間感情は難しいな、と感じます。
最近の風潮はイヤになったらすぐ離婚――というふうに僕は感じているのですが、それは決して悪いばかりではないというふうにも思っているのですが、だけどこの小説を読むと、そんな現代の風潮にはちょっと考えさせられるところがあるようにも思えてくるんですよね。
「一人より夫婦のほうがええいうことでっしゃろ」
一人の男に裏切られ続ける人生を送ってきながらも、それでもラストで蝶子さんがこのセリフを言うところに、しみじみと沁みる深さが感じられます。
何度失敗しても見捨てない、あきらめない。
そんな蝶子さんの生き方は、あきらめぐせのある僕としても、身につまされる思いがしました。
――しかしながら、それでもまだ遅くない、早く別れてしまったほうがいいんじゃない? とか思ってしまうのは僕だけ? というのが今回のオチ。
読書感想まとめ
何度失敗しても見捨てない、あきらめない。
その気持ちを持ちたい。
狐人的読書メモ
この小説には続編(『続夫婦善哉』)がある。近々読みたいと思うが、二人が幸せになることを願うばかり。
・『夫婦善哉/織田作之助』の概要
1940年(昭和15年)、『海風』にて初出。織田作之助の出世作であり代表作。著者の次姉とその夫がモデルとなっている。続編に『続夫婦善哉』がある。
以上、『夫婦善哉/織田作之助』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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