狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『奇妙な音楽家/グリム童話』です。
文字数2000字ほどのグリム童話。
狐人的読書時間は約6分。
森。不思議な音楽家。退屈。道連れがほしい。奏でる。
狼、狐、兎。動物が集まってくる。
そのとき音楽家の取った行動が奇妙!?
他人に何かを望むとき、自分は何かをあげますか?
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
昔、不思議な音楽家がいた。ひとり森を歩いていた。退屈しのぎに道連れがほしいと思った。そこでバイオリンを弾いたら、狼がやってきた。しかし音楽家が求めていた道連れは狼ではなかった。
狼は音楽家の演奏に感激し、自分にもバイオリンを教えてほしいと願う。音楽家は自分の言いつけには何でも従うように言い、狼はそれに同意する。
しばらく行くと洞のある木があり、音楽家は前足をそこに入れるよう狼に命じる。音楽家は近くにあった石を拾い、狼が言われたとおりにすると、くさびを打ち込むようにしてその前足を封じてしまった。
「私が戻るまでそこにいろ」と言い残し、音楽家は先へ進んだ。
つぎにやってきたのは狐だった。やはり音楽家のほしい道連れではなかった。狼同様、狐も音楽家の口車に乗ってしまい、ハシバミの木に両前足を吊られて動けなくなってしまう。
音楽家は先に進んだ。
そのつぎは兎だった。もはや当然のごとく、ウサギも音楽家の望む道連れではない。やはり音楽家の口車に乗った兎は、長いひもで木に縛られてしまう。
音楽家は先に進んだ。
ついに人間の木こりがやってきた。音楽家はいよいよ求めていた道連れに出会えたのだ。音楽家がバイオリンを弾くと、木こりは魔法にかけられたように、心が喜びで躍り上がった。
そこに罠を抜け出し、復讐に燃える三匹の獣がやってきた。木こりは音楽家を守ろうと、斧を構えて立ちふさがる。獣たちはこれを恐れ、森の奥へ走り去った。すると音楽家はお礼に一曲奏でると、そのまま先へ進んでいった。
狐人的読書感想
ひとり森を進む音楽家は、話し相手を求めてバイオリンを弾き、狼、狐(狐!)、兎と、森の獣たちを呼び寄せますが、望んでいたのは獣ではなくて人間の話し相手だったので、それぞれの獣たちを罠にかけて放置、そのまま先に行ってしまいます。
ようやく人間の木こりに出会えたと思ったら、しかし話をしながら一緒に森を行くわけでもなく、音楽を奏でてひとり去ってしまうという――
いったい何がしたかったんだ、音楽家よ。
不条理エンド、タイトルの『奇妙な音楽家』もぴったり、まさに「これぞグリム童話」と言うにふさわしい作品ですね。
ここから何かを感じ取ろうというのはけっこうむずかしく感じるのですが、教訓とまでは言えないにしても、それなりに思ったことはあったので、以下に書き綴っておきたいと思います。
まず短く言ってしまうと「才能とエゴ」ということですね。
森の獣や木こりを惹きつけた音楽家には、音楽の才能があると言えるのではないでしょうか?
もちろん、音楽自体の力である、ということも言えるかと思います。今も昔も、音楽は「娯楽」として人を楽しませたり、気持ちを高揚させてくれたり、落ち着かせてくれたりするものですしね。
ただし、音楽というものは、誰が奏でてもすばらしいものだ、というイメージはあまり僕の中にはありません。
誰が奏でてもいいのであれば、ミュージシャンやアーティストといった職業は、なかなか成立しにくいものになってしまうように思うからです。
その意味において、狙いどおりに聴く者を惹きつけた音楽家には才能がある、という気がしたのですがどうでしょう?
そして「才能を持つ者というのはエゴを通しやすい」と思うのは僕だけなのでしょうか?
自分の音楽を聴いてほしいと願っても、やはり才能がないと誰にも相手にしてもらえず、才能があればたくさんの人を惹きつけることができる(これは音楽にかぎったことではありませんよね)。
この作品中においては、「退屈しのぎに人間の話相手がほしい」といったエゴが通しやすくなっているように思われるのです。
そこに狼、狐、兎がやってきて、音楽家に「音楽を教えてほしい」と願うわけですが、音楽家にとって彼らは自分の望む者ではなかったので、ないがしろにされてしまいます。
才能は「力」と言い換えてもいいかもしれません。
金、才能、容姿――やはり何かに優れているものほど、自分のエゴを通しやすく、力を持たない者はないがしろにされてしまう。
世の中「ギブアンドテイク」だとでも言ってしまえば、それまでのお話なのかもしれませんが。
要するに、力の有無にかかわらず、この物語は「他人との人間関係」を表しているもののように、僕には感じられました。
人間が二人いれば、互いに相手に何かを求める、というのは当然のことのように思えます。
相手が何か自分の得になることをしてくれるから、自分も相手に得になることをしてあげるわけで、それ以外の他人との関係というのは、どうも想像しにくいように思えるんですよね。
損得勘定を持ち込まずに、ただただ相手のことを思いやる友情関係や家族関係などとも言われますが、はたしてそんなものが成立するのかな、というような、ひねくれたものの見方をしてしまいます。
家族、恋人、友人――誰に対してであっても、ただ純粋な好意、あるいは行為を求めるというのは不可能なことであって、やはり相手に得になる何事かを提示し、それに応じるかたちで自分のエゴも聞いてもらうしかないのかなあ、という気がしています。
なんとなく冷たかったりさびしい感じがするかもしれませんが、しかしこのことを心の片隅に置いておかないと、誰かに勝手に失望したり絶望したりして、世の中とても生きにくいように思うんですよね。
行為には損得勘定があったとしても、そこに好意がまったくないということもなくて、打算と好意が入り混じった行いこそが、人間の当たり前のことなんだと感じています。
なんか、人間の当たり前のことを当たり前に書いてしまっているかもしれませんが、だけど普段「家族なんだから――、恋人なんだから――、友達なんだから――、このくらいしてほしい」だとか、ついつい思ってしまうことって多くないですか?
そんなとき、「相手が自分のために何かをしてくれるような何か」を、自分は相手に与えられているのだろうか、というようなことはなかなか考えにくいような気がしています。
基本的に人間は、相手に何かをしてほしかったら、それと同等の何かをその相手にも与えられなければならないでしょう。
僕はこのことをけっこう忘れがちになるので、たまにこの作品を読めば思い出せるかなあ、みたいな、そんなことを思う作品でした。
読書感想まとめ
人間関係は基本的にギブアンドテイク。
狐人的読書メモ
才能がある者はエゴを通しやすい。しかしその才能を失えば誰にも見向きもされなくなる。才能がほしい、才能を失いたくない、持つ者が幸福か、持たざる者こそ幸福か。間違いなく持つ者が幸福だろう、と思ってしまうのは僕が持たざる者だからなのか?
・『奇妙な音楽家/グリム童話』の概要
KHM 8。まさにグリム童話。だからこそこの物語から何かを読み取ることはむずかしく思う。何も読み取らなくていい。それもまた読書のひとつの楽しみ方。しかし何も思わない作品というのはやはりないような気がする。
以上、『奇妙な音楽家/グリム童話』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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