狐人的あいさつ
コンにちは。狐人 七十四夏木です。
読書していて、
「ちょっと気になったこと」
ありませんか?
そんな感じの狐人的な読書メモと感想を綴ります。
今回は『遺言/国木田独歩』です。
文字数3000字ほどの短編小説。
狐人的読書時間は約12分。
天皇のため、国のために命を捧げろ。
母にそんな遺言を残させたのは
戦争なのではないでしょうか?
本来、母は子の長生きを、子の幸せを
望むものではないでしょうか?
戦争は悪いことです。
未読の方はこの機会にぜひご一読ください。
狐人的あらすじ
1894年(明治27年)は日清戦争のあった年だ。その年の天長節(現在の天皇誕生日)、横須賀の海軍ではこれを祝して仕官から一兵卒まで大賑わいだった。
とある軍艦内。
水雷長が船首水雷室の前まで来ると七、八名の水兵が一団をなして飲んでいた。そのうちの一人の水兵が、これからおもしろいことを始めるのだ、と水雷長に言った。
なんでも、水兵たちが最近自分宛に来た手紙を持ち寄っていて、それぞれ持ち主とは別の者が、その手紙を声に出して読み合うのだという。水雷長は興味を引かれてその座に加わった。
――そろそろ読み上げも終わりという頃、水野という水兵が一通の手紙をテーブルの下に落とし、慌てて拾い上げて懐に隠した。それを見つけた酒癖の悪い水兵が、それを読め、と言って水野にしつこく迫った。
水野は仕方なくその手紙を自分で読み上げた。故郷の母からの手紙だった。内容はだいたい以下のようなものだ。
この手紙は母の遺言だと思ってほしい。あなたの父は士族反乱という間違った道を進んでしまった。そのために水野家は肩身の狭い思いをしてきた。いま水野家の名を高めんためにも、天皇陛下のためにも、立派に戦ってきてほしい。その命を天皇陛下のために捧げてほしい。それが母の、今わの際の、たったひとつの願いである。
水野の涙が手紙の上に落ちた。しばらくの沈黙ののち、「水野君万歳!」、水兵たちの声が響いた。水雷長も声を上げた。「天皇陛下万歳!」。
狐人的読書感想
8月は原爆の日、終戦記念日、この読書感想を書くための読書は、複数の文豪作品の中からアトランダムに選んでいるのですが、このところ戦争について書かれている小説を読む機会も多いような気がしています。
戦争について思いを馳せろ!
――という天の声? おそらくは戦争の話題に触れる時期に、戦争に触れる作品を読んだから、より強くそのように感じるだけの話であって、しかし戦争について考える機会を与えてもらっているような思いがします。
シンプルな言い方になるかもしれませんが、戦争を題材にした小説などを読んでいつも思うことは、「戦争は悪いことだ」ということなのです。
母親が戦争に行く息子に向けての遺言で、「天皇陛下のために立派に戦え!」、「天皇陛下のために命を捧げろ!」としか言えないような世界は、「悪い世界だ」とまでは断言できないにしても、決してよい世界だとは僕には思えませんでした。
母親が本当にそう思って言ったのか、あるいは世間の風潮に流されるしかなくそう言ったのか――いずれにしてもとても悲しいことだと感じます。
想像するしかないのですが、我が子には長生きして幸せになってほしい、と願うのが母親の自然な気持ちだという気がするんですよね。
そんな気持ちを抑えなければならない、あるいは、その真逆のことを願うばかりが子の幸せなのだと本気で信じられてしまう世界が、正しい世界の在り方だとはどうしても思えず、「戦争は悪いことだ」、まさにこの一言に尽きるという感じがします。
母の遺言に感極まって涙する水野君も、水野君のために万歳をする仲間の水兵たちも、天皇陛下に万歳する水雷長も――すごく異様な光景として僕には映ったのですが、これが現代日本人の当たり前の感覚と捉えていいんですよね?(自分が一般的な基準となりうる自信があまりありません)
こういった異様な光景を生み出してしまう「戦争は悪いことだ」と改めて感じさせてくれた小説でした。
ところで、「天皇陛下のために命を捧げる」みたいな思想って、いつからあるのか気になりました。
天皇は2000年以上前から続いていて、どういうかたちであれ、権威というものがひとつの血筋としてこれほど長く続いている歴史は、日本独自のものなのだとか。
この思想のおおもとは、孔子さんの儒教にある「礼と忠」、これが江戸時代に寺子屋などで普及していき、「尊王攘夷」の思想となります。
大戦時には軍部がこれを大いに利用して、現代思い浮かべるような「天皇陛下のために命を捧げる」みたいなものに昇華しました。
とはいえ、歴史的に見ると、天皇という存在が悪いというわけではどうもなさそうなのですよね。天皇は時の実力者にその権威を利用されてきて、かなりかわいそうに思える扱いを受けている時代も多くあります。
現在でも、衣食住などは税金で賄われているので、そのあたりはなんだかうらやましいような気もしてしまいますが、一般人に比べれば相当に自由が制限されている印象も受けます。
天皇の存在が悪ではないと前述しましたが、でも存在するからこそ利用されてしまうことがあるわけで、それなら失くしてしまえばいいではないか、などと単純に考えてしまうのですが、なぜかなかなかそういうわけにもいきませんよね。
長い歴史がある、というのはそれだけですごいことだと感じてしまい、どうしてもこれを守らなければならないという意識が働いてしまいます。
それにたしかに有事の際には、人々をまとめあげる象徴があるというのは、いかにも便利なようにも感じてしまいます。
宇宙に移民した人々がジオンの思想に救いを求めたように、人がつらい環境下で生きていくためには、何か希望の光が必要なのだというのは頷けることのように思います。
その意味においては、日本人の宗教観のなさは、天皇がいることに起因するものなのですかね?
天皇にしろ、宗教にしろ、人は苦しいときには目に見えやすい光にすがってしまいがちですが、本来それではダメなんだろうなあ、という気がするのです。
もちろん、天皇にすがるのも、宗教にすがるのも、まったく悪いことだとは言い切れないわけなのですが、願わくばそれが何であれ、希望の光は自分自身で見出したものでありたいと願う今日この頃なのですが、そんなに強い人に僕がなれるのかはとっても疑問な今日この頃なのです。
読書感想まとめ
戦争は悪いことだ。
天皇ってなんだ?
希望は自分で見出したい。
狐人的読書メモ
戦争は嫌だ、弱い者いじめは嫌いだ、差別はよくないことだ、しかしときどきふと思う、もしも自分がこの世界で最強だったら、はたして自分はそのようなことを考えるだろうか?
・『遺言/国木田独歩』の概要
1900年(明治33年)8月、『太平洋』にて初出。のち作品集『武蔵野』に収録。戦争について、天皇について、考えさせられる小説。
以上、『遺言/国木田独歩』の狐人的な読書メモと感想でした。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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